<第80回>丸藤とKENTAの気概(06.11.1)

 10月29日は、本当に体が二つあればいいと思った。日本武道館で丸藤正道とKENTAのGHC戦、福岡で鈴木みのるとロージーの三冠戦。どちらもナマで取材したい試合だ。私はGAORA『全日本プロレス中継』の解説と週刊ゴングの仕事で福岡に行ったという次第。

 で、私は丸藤にも思い入れがある。8〜9月シリーズで丸藤と当時のGHC王者・秋山の2人を追う中で、丸藤のノアを背負おうという真摯な気持ち、チャンピオンになるにはどうファイトしたらいいのかという試行錯誤を目の当たりにしてきたからである。そして日本での初めての防衛戦の相手がKENTAときたら…これはノアの未来を見据える意味で絶対に見ておかなければいけない試合なのだ。

 結局、丸藤vsKENTAは録画しておいた日本テレビの中継を見るしかなかったわけだが、やはり「凄い!」に尽きた。ダイジェストだから試合の組み立てや流れは残念ながらわからない。だが、そのギリギリの攻防から2人の「俺たちの時代のプロレスを見せつけてやる!」という気概は十分に伝わってきた。それは、スタイルや内容が違っても、かつて三沢と小橋が「プロレスを見せたい。今の時代のプロレスを!」と三冠戦で究極の攻防をやっていた頃を思い起こさせるものだった。

 私は基本的には大技が飛び交う攻防や危険な技の連発は好きではないが、彼らはジュニア・ヘビー級の身体能力と耐久力を見せつけてくれたし、ここまでしなければ世間に認知されないんだという覚悟を持って試合に挑んでいたと思う。ネームバリューがない分、試合内容で「凄い!」と言わせなければ、お客を呼ぶことができないということを、彼らは承知しているのである。

 ハッキリ言って5年後にはできない戦いだったと思うが、だからこそ、今、やってのけたのだろう。そして、これから2〜3年の間で彼らの戦いは究極のものになっていくと思う。

 つくづく思う。ファンの心を打つプロレスとは、プロレスラーの覚悟と気概が見える試合なのだと。

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<第79回>少年ファンを増やすために(06.10.25)

 昔、プロレスのプロモーターをやっていたという人と話す機会があった。その人は今も各団体の興行の手伝いをしてあげているというが「本当にチケットが売れない。子供のファンが増えないことにはプロレスの未来はない」と嘆いていた。

「今、チケットを買ってくれる人は子供の頃にプロレス・ファンだったという40代の人。"小さい時に親父に連れて行ってもらってから好きになった"っていう人も多いですね。でも、今は子供がプロレスに触れる機会自体が少ないし、入場料が高過ぎて、子供を連れて行きたいお父さんも、自分のチケット代で精一杯。これじゃあ駄目ですよ。特に地方は値段設定をもっと低くしないと。今、チケットを買ってくれている40代の人が自分の子供を連れてきて、その子供が大人になったらまた自分の子供を連れてくる…そうなればプロレスは続くと思うんですけど」。

 確かにプロレスのチケットは高い。チケット代を払ってパンフやグッズを買い、会場でビールでも飲んで帰りに食事をして帰ったら1万円を越えてしまう。これじゃあオトーサンは確かにツライはずだ。

 私が学生の頃、国際プロレスは小中学生無料というのをやっていた。そこまでしなくてもいいと思うが、小中学生料金を下げるとか、親子連れだったら子供は割引とか、新たなシステムを考える時期にきているのではないか。映画にしても水曜日は女性1000円とか、高校生3人、夫婦のどちらかが50歳以上だったら割引だとか、いろいろ考えている。今こそプロレス界も将来への投資をするべきだろう。


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<第78回>この2人に注目!(06.10.18)

 私は、いわゆる職人と呼ばれるレスラーが好きだが、今、お気に入りなのがNOSAWA論外とMAZADAの東京愚連隊だ。NOSAWAはDDTでサブミッション・アーツ出身の木村浩一郎にシュート・スタイルをみっちりと叩き込まれ、その後にフリーになってルチャ・リブレを習得し、アメリカ・インディーにも進出した男。MAZADAは無我でヨーロッパ・スタイルのプロレスを叩き込まれ、その後にメキシコに渡ってルチャ・利ブレを習得した。共に奥が深い選手である。

 そして、その2人は今、鈴木みのるに仕込まれている。全日本の試合会場では客入り前に鈴木教室が行なわれているが、ほとんどイジメ。NOSAWAとMAZADAはスパーリングで鈴木にボロ雑巾のように極められて悲鳴を上げている。

 当初は洒落のような鈴木軍団だったが2人は本気だ。MAZADAに話を聞いてみたら、 「無我では、いわゆるレスリングを学んだんですよ。だから相手を倒す技術はあるんですけど、そこから極めることを知らなかった。だから鈴木さんとのスパーリングは勉強になります」。

 一方のNOSAWAは鈴木教室をこう語っている。 「いやあ、木村さんに教わったのは昔ですからねぇ。でも最近では何だか複雑な技で極められちゃうんですよ。ていうことは、俺も少しは成長したってことですかねぇ。ヘヘヘ」。

 2人とも、最初はネタとしていかにサボるかを考えていたようだが、最近はキツくても、シリーズオフになると鈴木教室が待ち遠しくなっている自分がいるという。

「何だか不思議な感覚ですよね。近頃ではテレビでシュートとかの試合に真剣に見入っちゃう自分がいるんですよ。で、見ていて、その技術がよくわかっちゃうから、面白い。俺たち、エンターテイナーなのに、なぜかシューターになっちゃっているんですよね」。

 レスラーは引き出しが多い方がいい。NOSAWAとMAZADAの小さい体には、多くの引き出しがある。そんな2人のさり気ないテクニックに注目してほしい。

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<第77回>光が見えた(06.10.11)

 昨日の新日本・両国大会の観客動員数は主催者発表で1万人(満員)。私はG1の両国2連戦に行っていないので、比較はできないが、会場の照明を落として、やや薄暗い感じだったのは寂しい気がした。

 だが、お客さんの反応は上々。第1試合の裕次郎VS平澤、第2試合のライガー&デヴィットVS井上&田口から盛り上がった。それにしても井上&田口のコンビはいい。ハイテンション男とファンキー・ウェポンを本格的に組ませて、思いっきり弾けさせたら面白いコンビになると思う。

 週刊ゴングの当日追い込みの仕事を請け負ったために注目の真輔の試合は途中まで、金本VS稔、棚橋VS天山は見ることができなかったが、記者室に漏れ聞こえてくる歓声からしたら、いい試合だったのだろう。

 思えば、昨年の秋から今年の春までは選手が疑心暗鬼になってフロント批判をしたり、マッチメーク批判をしたり、取材に行っていても重い気分にさせられたものだ。そうしたリング外の空気はどうしてもリング上に出てしまう。お客さんが楽しめる試合を提供できるわけがないのだ。

 だが、今は選手が試合に専念できる環境が整ったのだろう。誰もが純粋にリング上に集中し、それぞれの個性を発揮している。こうなれば自然にお客さんも付いて来てくれるはず。ようやく新日本に光が見え始めた。


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<第76回>ライバル対決が見たい!(06.10.4)

 最近、思うのは“本当の意味での”ライバル対決が見たいということ。かつての全日本四天王対決から現在のノアにつながっている、お互いに自分の命を相手に預けての戦いも素晴らしいが、その一方では「こいつにだけは絶対に勝たねばならない!」という感情剥き出しの試合も見たいと思うのだ。

 それはかつての藤波VS長州であり、鶴田VS天龍の戦い。藤波は「あの頃は長州の顔を見るのも嫌だった」と言うし、天龍も「何が面白いって、箸の上げ下げから、何から何までムカついて、それを全部リングの上に吐き出していたことだよ」と言う。

 彼らの戦いに共通していたのは、もはやプロレスという範疇を越えて、自分の人生そのものを賭けて戦っていたことだ。だからファンもどちらかに思い入れができて熱狂したのだと思う。今、プロレス界には心の中までさらけ出したような戦いはないのではないか。

 そんな中で私が期待したいのは中邑真輔である。恐らく今の真輔には新日本に対する怒りと不満が充満しているはず。レスナーを倒すためにアメリカに渡って肉体改造をしていたら、そのレスナーは新日本を離脱。真輔にしたら「何なんだよ!?」という思いだったに違いない。そして試合に半年のブランクが生まれてしまったのだ。「ふざけるなよ!」と蝶野と結託したのは正解だと思う。

 この真輔が鬱憤をリングに吐き出し、さらに棚橋に牙を剥いたら…。元々、真輔と棚橋はプロレス観が違って相容れないものがあっただけに、感情剥き出しの戦いになるに違いない。そして、この2人の激突がプロレス界の未来につながらなければお話にならないのだ。まずは10・9両国での真輔のファイト、アクションに注目である。

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<第75回>『週刊ファイト』休刊に思うこと(06.9.27)

 9月27日発行分をもって『週刊ファイト』が休刊になった。これは大問題だ。プロレス・マスコミの一角が崩れたのである。週刊ゴング、週刊プロレスの人間にとって、ライバルが減ったなどという感覚はまったくないはず。3誌紙が鎬を削ったからこそ、どこも繁栄していたのである。特にゲリラ的な報道の『週刊ファイト』は良くも悪くもファン、他誌、業界関係者を刺激していた。

 私もかつては愛読者。ファンクラブをやっていた頃は会報誌を紹介してもらったこともあった。ちなみに、その時、誌評をしてくれたのは山本隆記者…現在のターザン山本!氏だった。そして94年8月〜99年1月の週刊ゴング編集長時代は毎週、チェックしていた。「なんじゃこりゃ?」というどうしようもないガセネタもあったが、時には団体関係者数人と私しか知りえない情報が載っていて、びっくりさせられたものである。

 休刊に至った経緯について、新日本の衰退が挙げられていたが、これは一理あると思う。振り返れば、私が週刊ゴングの編集長だった時代は新日本vsUインターの対抗戦があるなど、新日本全盛期。だから当時、私に課せられた実売のノルマは、今の週刊ゴングや週刊プロレスの実売と比較したら、驚くほど高いものだったのだ。当然、誌面は新日本中心。よく、私が天龍やWAR一辺倒だったように書かれたりするが、私が編集長当時の週刊ゴングをちゃんとチェックしてほしい。例のベースボール・マガジン社の東京ドーム大会と対決姿勢を示した95年初頭以外は天龍が表紙や巻頭になることはほとんどなかったはずだ。

 当時、私が危惧していたのは「新日本がコケたら、ゴングもコケる」ということ。そして「新日本に代わるウリになる団体を発掘したい」ということだった。私の頭の中にあったのは全日本プロレスとFMW。だが、現実的に目の前の売り上げを優先すると、思い切った冒険はできなかったというのが偽らざるところである。

 業界の雲行きがおかしくなったのは、猪木が引退して新日本をかき回すようになった98年から。98年は売り上げが下がって苦しい年だった。編集長になって4年目に入って心身共に疲弊し、特に社内や編集部内の人間関係に疲れてしまっていただけに、なおさら堪えた。ただ私にも意地があった。救われたのは秋から大仁田がvs新日本へのアクションを起こしたこと。それによって売り上げを少し上げたところで編集長をGKこと金沢クンにバトンタッチできたのである。

 バトンを渡されたGKも大変だったと思う。編集長になるなり、小川vs橋本のセメントマッチが勃発し、ここで個性を発揮して売り上げを伸ばしてくれたものの、その後のマット界の離合集散によって、01年に武藤らが新日本から全日本に移籍したあたりから売り上げが徐々に下降線をたどるようになってしまった。やはり、新日本がガタガタするとプロレス専門誌もガタついてしまうのだ。

『週刊ファイト』休刊は、この業界に関わるすべての人間にとって、もちろん私にとっても対岸の火事ではない。ここで、みんなが踏ん張らないと日本に根づいていたプロレスという文化が消えてしまう。


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<第74回>RODの功績(06.9.20)

 9・17後楽園ホール大会で全日本の最強外国人ユニットのRODが、ディーロとブキャナンの裏切りというWWEも真っ青の予想外の展開の上にブードゥー・マーダーズに敗れて解散した。

 RODは3年前の03年夏に誕生したユニット。当時の全日本は外国人選手のリフレッシュ化に取り組んでおり、それまでのスティーブ・ウイリアムス、マイク・ロトンド、マイク・バートン、ジム・スティールらの常連を切ってグラジエーター、ギガンテスなどの新たしい血を導入したが、日本人レスラー主体の構図は変わらなかった。そこに登場したのが、かつてWWEで活躍していたTAKAみちのくというわけだ。

 外国人選手の場合、日本語が喋れないからファンは感情移入がしにくい。そこを補い、なおかつ外国人選手を日本バージョンのスタイルに変えたのがTAKAだった。グラジエーターが去り、ギガンテスは急死してしまったものの、TAKAはジャマール、ディーロをヒール色から人気者に変えた。それは彼らの人間性がTAKAを通してファンに伝わったからである。また、肝心のリング上では日本人にはないスーパーヘビー級の魅力が発揮された。

 試合前のRODタイムも全日本の名物になった。TAKAがリング外のエピソードやシリーズの流れを織り交ぜつつ、RODのメンバーを紹介して、最後に観客に「ウィ・アー・ROD! ブィヤーッ!」と叫ばせる。これで客席も出来上がり、試合でも声援が飛ばしやすくなる。ブードゥーが参入してからは、RODタイムにブードゥーが乱入して、小競り合いが起こるというのも定番になり、ますます客席は出来上がるようになった。

 今のパッケージ化された全日本の成功はRODとブードゥーの存在があったからこそ。残念ながらRODは解散となってしまったが、いつの日かジャマールが戻ってきてRODが再結成され、ジャマール=RODとRO'Z=ブードゥーの従兄弟対決が実現することを期待したい。

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<第73回>26歳のGHCヘビー級王者・丸藤正道(06.9.13)

 丸藤正道がGHCヘビー級王者になった。これで即、丸藤=エース、世代交代とはならないだろうが、ノアの新時代の扉を開けたことは確かである。

 類稀な運動神経とスマートな頭脳…丸藤はエースになるべく条件を備えているが、私がここ最近、丸藤を買っていたのは未来のエースに指名された自覚であり、プロレスとは何かを突き詰めようとする心だ。8月中旬、別冊ゴングの取材で丸藤にインタビューしたが、彼はただ単に頂点に立ちたいというのではなく、自分はどうあるべきなのか、ノアの今後はどうあるべきなのかを考えていた。

「デビューした頃って、自分が何を見せられるかって言ったら、運動能力を見せるしかなかったんですよね。でも、最近はプロレスで見せるということを考えるようになりました」

「自分だけ上に行っちゃったっていいんですよ。でも、それじゃあノアの未来につながらないじゃないですか。力皇さん、森嶋さん、KENTA…みんなと一緒じゃないと世代交代はできないですよ。みんながキッチリやらないと世代交代はないです」

「僕はどっちかっていうと、いつもプロレスを考えているタイプじゃないんです。社長(三沢)と同じでパッと切り替えるタイプなんですよ。でも、最近は四六時中、プロレスのことを考えていますね。プロレスっていうよりも…"プロレスラー、丸藤正道"について考えているのかな」

「小橋さんは凄いですよ。だってベルトと話ができるんだから。普通、動物と話ができるだけでも凄いのに、小橋さんは、あんなカッチカチのベルトと話しちゃうんですよ(苦笑)。俺もそうなれるのかなあ」 「小橋さんを鉄人て言うなら、ヘビー級の攻撃に耐えて耐えて、それでも試合をしている俺たちジュニアが本当の鉄人じゃないかと思いますよ」

 こんな話をしてくれたのを思い出す。26歳という年齢でのチャンピオンは決して早くない。むしろ20代で頂点に立ち、そこからエースとしての道を切り開いていく方が本当だと思う。

 これから様々なことがあるだろうが、30歳になった時、丸藤はノアの立派なエースになっていると思うし、そうであることを願っている。


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<第72回>おめでとう、パンチ志賀アニキ(06.9.6)

 9月3日、名古屋・愛知県体育館でノアらしからぬ試合が行なわれた。スコーピオに志賀賢太郎が挑戦した白GHC…グローバル・ハードコア・クラウン無差別級選手権だ。

 反則裁定なしの凶器使用OKのルールということで、フォーク、傘、ベニヤ板、イス、机、手錠などを使う流血戦となった。だが、嫌な空気にならなかったのは志賀が必死にひたむきに戦っていたから。観客もノアの選手も一生懸命に志賀を応援していた。

 春あたりからパンチパーマで人気を博すようになった志賀。そのコミカルなムードは、生真面目すぎて損をしてきた今までの志賀からは考えられない姿。本人は、それまでの自分を変えるために一大決心の末にイメチェンしたのである。もっとも本来の性格は変わらない。週刊ゴングの取材でインタビューしたが、昔から知っている私が聞き手とあって恐縮してしまい、かえって悪いことをした。 キャリア10年、30代を迎えようとしたところで背骨の靱帯骨化症という難病にかかり、2年7ヵ月の闘病の末にカムバックしたのが昨年9月。よくぞ、諦めなかったものである。そしてイメチェン…ノアの選手たちはその苦労を目の当たりにしてきたから、志賀を心底応援して当然である。

 結果、志賀はベルトを巻くことに成功した。その直後、素の志賀が顔を出した。この日のタイトルマッチの立会人は小学生の男の子だったが、ベルトを手渡された志賀は、血で汚れた手を自分のタイツで拭いてから、優しい笑顔でクリクリッとその男の子の頭を撫でたのだ。これが志賀賢太郎という男である。

 だが、本人はパンチ志賀アニキというコワモテでコミカルなキャラとしてプロレス界で生きていく覚悟。アニキ、おめでとう!

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<第71回>全日本8・27両国大会(06.8.30)

 全日本が1年8ヵ月ぶりに両国国技館に進出した8・27決戦は実にいいムードだったと思う。パッケージとしてのプロレスを提供する現在の全日本プロレスを世に問う大会だった。

 まずは馳浩だ。5月初旬にインタビューした時には、試合まで体を作れるかどうかという状態だったが、見事にコンディションを整えて、レスラー馳浩を見せてくれた。試合に関しては…お祭りだから、とやかく言うことは何もない。私の印象に残っているのはブードゥー・マーダーズ(以下VM)の仕事ぶりと安達勝治さんである。

 この日もVMはやってくれた。ブラザーが森前総理に暴言を吐き、TARUが掴みかかる。よくもまあ、ここまでやれるものだ。これ以上の敵役はいない。ブラザーは元々、馳に憧れてプロレスラーになった男。悪態をつきながらも感慨無量だったことだろう。

 そして安達さん。私は試合前、偶然、トイレで安達さんに会った。安達さんは両松葉の状態だったが「馳はいい男だよ。昔からちっとも変わらない。その馳が引退するんだから大阪から出てきたよ」と笑顔だった。さすがにレスラーだなと思ったのは、引退セレモニーで人手を借りないでリングに上がった時。ファンがいる前では動かない体が動いてしまうのがレスラーなのだ。そして安達さんの顔を見た時の馳の涙にはジーンときた。 「俺がプロレスラーで一番尊敬しているのは安達さん。カルガリーで安達さんに教わって、初めてプロレスというものがわかった」と馳は常々言っていた。試合後も「今日で引退したのに、また明日から安達さんとカルガリーをドライブしたくなったよ」と笑っていた。

 馳は思いやりのある男だ。試合終了後の記者会見でも私やデイリースポーツの宮本さんなど、昔からの顔馴染みの記者に「○○さん、何か質問はありませんか?」と名指しで声をかけるなど、若い記者が多い中で、さり気なくベテランの顔を立てていた。馳クン、本当にお疲れさま!

 さて、他の試合だが、ベストバウトは何と言っても近藤とカズの世界ジュニア戦。テクニック、パワー、スピード、ラフ、スピリット…すべてが揃った試合で文句のつけようがない。打ち上げパーティでカズに「今日のベストバウトだったね!」と言うと「ハッキリ言って狙ってました。俺と近藤なら、絶対に他の試合を食えるっていう自信がありましたよ」とニッコリ。それにしても近藤を含めて、VMは今や全日本プロレスの主役と言ってもいいだろう。今の全日本は彼らなくして成り立たない。

 ケアVS川田の三冠戦、ムタとTAJIRIの激突は期待が大きい分だけハズしてしまった。私はスカパーの解説でケアVS川田を担当。王道対決という面ばかりが強調されていたから、私は大会前の前フリで、
「川田もケアもジャイアント馬場さんを継承しているが、そこに自分の力で積み上げてきたものがあるのだから、ことさら馬場さんを意識しないで伸び伸びと戦ってほしい」
 とコメントした。試合後に川田は「王道を名乗れるのは馬場さんだけなんだから、俺の俺の王道、お前はお前の王道を行け!」とケアに言っていたが、川田も私と同じ意識を持っていたのだと感じた。心の中で馬場さんを継承するのはいい。だがジャイアント馬場という看板に頼っていたら、結局は独り立ちできないのである。


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