<第70回>柴田勝頼の今後に幸あれ!(06.8.23)

 柴田勝頼がBMLを退団した。BMLとしての最後の試合は8月20日の後楽園ホールにおけるTARU戦。ある予感はあった。この日、控室で会った柴田は笑顔だった。直前までカードが決まらなかったから、本来なら上井プロデューサーへの辛辣な言葉が出ても不思議ではないのに、実に穏やかな表情をしていた。そして試合は柴田の反則勝ち。試合後、ペナルティキックでTARUをKOしたところで、試合前にVMにボコボコにされた上井氏がリングに躍りこんで3カウントを叩き、柴田に抱きつく。そして柴田は上井とガッチリと握手した。今までだったら考えられない光景…何かが起こると予感させるには十分だった。今、思えば…どうあれ1年間、面倒を見てくれた上井氏への感謝を表したのではないか。

 柴田がBMLを離れるのは、ある意味では必然だった。上井氏は良くも悪くもプロモーター。話題になるカード、お客さんが集まるカードを考えるのは当然である。だが、それは反面、ノンポリシーを意味する。対して柴田は求道者的な部分が大きい。彼はある理想を持って新日本を離れた。そして21世紀のプロレスを構築するべく船木誠勝のもとでトレーニングを積んできた。

 今のBMLの状況は柴田にとって辛かったに違いない。確かにBMLになってから長州、小島、健介、総合の門馬といった、それまでは戦えなかった選手と対戦する機会を得た。だが、どれも点であって線にはならなかったし、何より試合数が少なすぎた。練習の成果を試す場がないというのは、若い柴田にとって我慢できなかったと思う。

 柴田は9月9日、ノアの日本武道館にフリーとして出場し、KENTAと組んで田上&潮アと戦うことになった。これはいいことだ。柴田は喧嘩ストロング・スタイルと呼ばれ、格闘技志向が強いように思われているが、彼は根っからプロレスが好き。BMLになってから格闘技的な打撃とサブミッション、ロープワークを利した攻撃、プランチャなどの飛び技、コブラツイストなどのプロレス的な古典技をひとつの試合にすべて織り交ぜてきた。いつだったか本人に「プロレスのすべての要素を試合に入れてやろうと意識しているでしょ?」と言ったら「わかりました? 実はそうなんですよ」と笑っていた。そんな柴田にとってノアのリングはまた、新たな勉強の場になると思う。

 この1年、回り道をしてしまったかもしれない。だが、それをただの遠回りにするか、貴重な1年にするかは本人次第。私はピュアにプロレスを愛する頑固な若者・柴田勝頼を応援する。

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<第69回>村おこし(06.8.16)

 8月15日、ノアの秋田・皆瀬大会に行ってきた。皆瀬大会はノアの夏の風物詩となっていたが、今回で一区切り。昨年3月に皆瀬村が湯沢市に合併されて予算が減額になったためだ。本当なら去年で一区切りだったところを、今年は500円の団扇を販売して運営費に充てたという。

『皆瀬みちのくメルヘン物語』実行委員会の高橋司実行委員長は村おこしとしてプロレスを14年前に始めた理由をこう語ってくれた。
「例えば演歌歌手を呼んでも若者は興味を示さないし、アイドルを呼んだとしてもお年寄りは興味を示さないですよね。でもプロレスとドラえもんを知らない人間はいないと思うんです。お祭りには老若男女が楽しめるプロレスが一番いいんじゃないかと思ったんです。最初はみちのくプロレスさん、その後はLLPW、GAEA、FMWさんに来て頂いて…秋田では全日本さんしかテレビ放映をしていなかったので、ジャイアント馬場さんにお願いしまして。で、馬場さんは亡くなってしまいましたが、生前の約束通りに全日本さんに来て頂き、以後はそれを継続する形でノアさんに来て頂いていたんです」。

"老若男女が楽しめる""プロレスとドラえもんは知らない人間はいない"というのは本当に的を得ている言葉だと思ったし、これがプロレスなんだと高橋さんの言葉で改めて思った。

 地面にビニールシートを敷いて、ビールや焼きそばを片手にプロレスを楽しむ人たち。この娯楽性がプロレスの本来の役目でもある。そこに難しい理屈はいらないのだ。そしてノアの選手たちは、そうした人たちに応えようと一生懸命にファイトしていた。

 皆瀬の人口は減っているという。そして実行委員のメンバーも年々、減っているようだ。それぞれに仕事があるのだから仕方がない。私が住む東京の下町でも青年団が1年おきにお神輿、盆踊りなどをやっているが、仕事で地元を出てしまう人が多く、継いでくれる若者がいなくて苦労している。やはり、その土地に根づいた文化は何とか残してもらいたいものだ。

 来年の皆瀬プロレス大会はどうなるのか? 現実問題を考えれば、場所的にノアが自主興行を開催するのは不可能である。どう考えても採算が取れないのだ。興行会社としては、採算が取れない興行をやるわけにはいかない。それは仕方のないことである。

「正直、ここまでウチが自力で来るというのは難しいんだよね。ただ、これまでの関係が壊れるわけじゃないんで"機会があれば、ぜひ!"っていう気持ち。"要請があれば、いつでも!"という気持ちだよ」
 と三沢社長も複雑な表情。何とか残したい夏の風物詩なのだが…。


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<第68回>進化&深化するドラゴンゲート(06.8.9)

 8月9日、ドラゴンゲートの名古屋大会に行ってきた。これまで、なぜか他の仕事と重なることが多くてドラゴンゲートの大会にはあまり行ってないし、東京以外の土地で見るのは初めてだったが…観客のノリが後楽園ホールと変わらないことにまず驚いた。

 ドラゲーの試合は、理屈抜きに面白い。ノンストップ・アクションで選手それぞれが自分のキャラクターをキッチリと消化している。自分たちでリングを組み、サイン会などのファン・サービスに努め、その他にもリング外の役割分担が細々とある中で、コンディションをキッチリと整えて、試合へのモチベーションを下げず、試合の中での自分の役割りを把握して、意欲的に試合をしているのだから面白くないわけがないし、その姿勢には頭が下がる。

 今のドラゲーはルチャの延長ではない。あらゆるプロレスの要素を取り入れている。マッスル・アウトローズは客席から物が飛ぶほどのワルぶりだし、マグナムや望月は天龍の流れを汲む昔ながらのプロレスも取り込もうとしているのだ。そこに基礎部分のルチャをベースとした高度な飛び技がある。CIMAが今のアメリカ・マットで受けるのもわかるし、かつてジャマールなどがドラゴン・キッドを見て「ミステリオ以上の選手だ!」と絶賛したのもわかろうというもの。

 ルチャと今流のアメリカンを取り入れて進化しようという一方で、天龍のエッセンスを学んで深化するドラゲーのプロレス。今のプロレスの中では一番テレビ向きだろう。もし地上波がいい時間で放映してくれれば、一気に人気が出ると思うのだが…。

 今、私が最も興味を持ってるのは、このドラゲーと大日本、DDTだ。

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<第67回>どんな作品が生まれるか…(06.8.2)

 7月30日の全日本プロレス後楽園ホール大会では非常にいいものを見せてもらった。それは試合後の武藤とTAJIRIの絡み。8・27両国におけるムタvsTAJIRIの煽りである。

 何が良かったかって、2人がまったく触れ合わなかったこと。普通、こういう場合にはTAJIRIが武藤にグリーン・ミストを噴きかけたりとか、言葉のやりとりが合ったり、あるいは視殺戦から握手なり、握手しなかったり、乱闘なりというのがパターン。ところが武藤とTAJIRIはどれにも属さないパフォーマンスを見せたのだ。

 お互いに言葉はなし。TAJIRIが持ってきた白いバラの花束にグリーン・ミストを噴きかけて緑のバラに変えて武藤にプレゼントしただけ。その間にも2人はボディランゲージで探り合っていた。さすがに共にアドリブの天才である。

 武藤は自身の試合について「作品」と言う。TAJIRIも同じ感覚の持ち主。勝敗を超越して、試合をどんな作品に仕上げるかを重視している。こうなるとセンスの闘いだ。8・27両国がムタの作品になるのか、それともTAJIRIの作品になるのかが注目ポイント。あるいは合作でまったく新しい画風の作品が出来上がるかもしれない。これは観戦=鑑賞する方もセンスが問われてきそうだ。


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<第66回>青春のWAR(06.7.26)

 明日27日、遂にWARのファイナル興行が開催される。今回の興行にあたって、私はパンフレット制作(当日、来場者全員に無料で配布される)に関わり、GAORAのテレビ中継の解説を務める。最後の最後に、ここまでできることは個人的に大きな喜びだ。

 やはりWARは私にとって特別な団体。19年前の天龍革命勃発から天龍番記者になり、SWS時代には共にバッシングされ、その上でのWAR旗揚げだったから、当時30歳の血気盛んな私は報道に力が入った。そんな私も44歳。そういえば、天龍さんの娘さんの紋奈ちゃんはWAR旗揚げの頃は小学校低学年で、学校から事務所に帰ってきて、お絵かきして遊んでいた。それが23歳の女性に成長したのだから、改めて歳月の流れを感じる。

 天龍さんは「昔のヒット曲を聞きながら、その当時を思い出す感覚でみてもらえればいい」と言っていたが、本当にその通り。

 サムライTV『S−ARENA』のスタッフの中にも元WARファンの人がいて、両国2連戦の通しチケットを買ったりしていたという。当然、彼は「ファイナル興行は行きますよ。もうチケットも買いました!」と言っていた。今は奈良県で4児の母になっている元WARの女性スタッフからも「WAR興行があるっていうんで、久しぶりにゴングを買いました。東京に行きたいです!」という手紙を貰った。それぞれに思い出、青春があるのだ。

 当日、私はWARの選手が着ていたのと同じジャージで解説する。これは天龍革命勃発からレボリューション・ジャケットを作っていた大阪デサントの大谷典久さんから「小佐野クンのも作っておいたから」とプレゼントされたもの。大谷さんは94年9月に病気で他界されたが、その直前まで引退間近だった阿修羅・原さんのことを気にかけて「阿修羅が引退するなら、新しいジャケットを作らなくちゃ。でも間に合わないかな…」と言っていたという。私はWARのジャージを着て解説することによって、大谷さんにもWARファイナル興行に参加してもらおうと思う。

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<第65回>今、森嶋が買い!(06.7.19)

 7月16日のノア日本武道館。セミの力皇&森嶋vs丸藤&KENTAで、森嶋が客席をどよめかせているのを見ていて、思わずニヤリとしてしまった。週刊ゴング1134号で「森嶋に注目!」という記事を書いていたからだ。森嶋は私の期待に応えてくれたのである。

 ハッキリ言って、今年の春までは森嶋に対して歯痒い気持ちしかなかった。昨年10月のGHCタッグ獲得にしろ、12月の田上のGHCへの挑戦にしろ「俺が、俺が!」の意識ばかりが目についたのだ。「なぜ俺を認めないんだ?」「俺はトップに立つ力があるんだ」という焦りばかりが感じられたのである。190センチ、140キロの体は大きな財産だし、大きな試合ではいい試合をする。だが、ムラが大きく、地方ではまるで存在感がないことも少なくなかった。トップの条件は常にいい試合をすること。その意味では、森嶋のトップへの意識は「まだ顔じゃないだろう」という印象だったのだ。

 そんな森嶋に期待するようになったのは3月5日の日本武道館における三沢戦。この試合を私は週刊ゴングでリポートして「不沈艦+皇帝+人間魚雷のド迫力」と書いた。この日の森嶋は最大の武器である大きな体をフルに使っていた。それはスタン・ハンセンであり、ベイダーであり、テリー・ゴディだった。「そうだよ、森嶋。これだよ。これを継続しろよ!」という願いを込めたリポートだったのだ。

 そして7・16決戦の1週間前の7・9京都。森嶋と個人的に話をしたら、こう言った。 「ヨーロッパ遠征で意識が変わりました。日本にいる時は視野が狭かったですね。でもヨーロッパに行ったら、ヘビーもジュニアも関係なく、いい試合をする選手がトップを取っている。誰がトップなのか、誰が強いのかはファンの人たちやマスコミの人たちが決めるんだって気付きました。だから武道館でも森嶋猛を出すしかないです。今の森嶋猛が駄目ならば、また自分も変わっていくでしょうし…」。

 これを聞いた時に「行ける!」と思った。そして期待通りに7・16日本武道館では怪物パワーを全開させてくれた。今、スーパーヘビー級の外国人が再評価されているが、ノアには大型外国人がいない。だったら、それを森嶋がやればいいのだ。目先の勝敗にこだわらずに毎回、スケールの大きなファイトを見せてほしい。皆さん、今、森嶋は買いですぞ!


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<第64回>ノア力(06.7.12)

 7月9日、ノアの京都大会に行ってきたが、小橋の手術成功後ということもあって、実に明るい雰囲気だった。感心するのは、開幕からずっと小橋を"ネタ"にせずに全員が頑張っていることだ。それでいて、小橋の故郷での大会ということで、潮アが滞空時間の長いブレーンバスターをやったり、秋山がマシンガン・チョップをやったりと、小橋のエッセンスをさり気なく入れて、ファンに寂しい思いをさせないようにしていた。

 小橋の病気によって、さらにノアの結束力が強まり、選手たちの「頑張らなきゃいけない」「小橋さんに心配をかけちゃいけない」という意識が高まってきているのは明らか。デビューからずっと小橋のパートナーに抜擢されて教えられてきた潮アは7・16日本武道館での鈴木みのる戦を機に独り立ちしようとしている。

同じ武道館のセミでは森嶋&力皇VS丸藤&KENTAという新世代対決が行なわれることになっているが、ヘンな気負いはない。去年の秋から上昇志向ばかりが目立っていた森嶋にしても、 「森嶋猛を出すだけです。トップだとか、強いっていうのは自分じゃなくて、ファンやマスコミの人たちが決めることですから」
 と、視野が広くなったし、他のメンバーも「メインに負けない試合を!」という意気込みはあっても、個人的な野心はない。この京都では力皇と丸藤&KENTAがトリオを結成したが、「俺が、俺が」ではなく、若手の青木をキチンと引き出していた。

 秋山は秋山で、高山の復帰戦に真っ白な気持ちで臨もうとしている。常にビッグマッチに向かって話題作りをする秋山だが、今回に限っては、
「小橋さんも大変だけど、高山さんだって生きるか死ぬかの闘いをやって、復帰のリングに戻ってくるんですよ。そこに余計なものを持ち込みたくないんですよ」
 と、プラスアルファになる話題を拒絶。素のままで出陣の構えだ。

 ノアのレスラーは、他のレスラーに対するリスペクトの気持ちが強い。だからフォア・ザ・チームの精神が生まれる。「俺が!」の世の中で、これは新鮮に見える。このノア力がファンを会場に惹きつけるのではないか。7・16日本武道館も2階席以外はすでにソールドアウトだ。

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<第63回>昔の新日本がそこにある(06.7.5)

 長州力の現場監督復帰以来、何かと批判が多かった新日本だが、私が長州効果を感じるのは若手の試合だ。今年に入って平澤光秀、内藤哲也がデビューしたことによって、若手のタッグマッチが組めるようになったが、彼らの闘いの中に"新日本プロレスの原点"を見ることができるのである。

 7月2日の後楽園ホールにおける第1試合。宇和野&平澤vs裕次郎&内藤もそうだった。今の風潮は新人だろうが何だろうが、お客さんに喜んでもらうために大技も使うし、キャラも立ったりするのが普通だが…この第1試合は無色透明。それこそ長州の言う"ぶつかり合い"しかないのだ。殴り合い、蹴り合い、気迫をぶつける…シンプルな闘いだが、気持ちが見えてかえって新鮮だ。昔の新日本はこうだった。私がファン時代には、平田、ジョージ高野、小林邦昭、前田、斉藤弘幸(ヒロ斎藤)、仲野信市が気持ちだけでガンガンぶつかり合っていて、それを単純に「凄い!」と思って見ていたものだ。

 少なくとも20年ぐらい前までは前座には前座のルールがあった。大技は禁止、場外乱闘やフェンスを利用するのはもってのほかだし、コーナー最上段からの攻撃も禁止だった。変わってきたのは、新日本では武藤が、全日本では小橋がデビューしたあたりだろうか…。

 基本技だけで闘うというのは若手時代には大切なこと。初めから大技を使っていたら、いざ上に行った時にやることがなくなってしまうし、試合の組み立ても覚えられない。かつて全女の新人がボディスラムと押さえ込み、派手な技はショルダー・スルーとドロップキックしか許されないで試合をしていたが、あれは当人たちにとって、凄くプラスになっていたと思う。

 今の新日本はかつての新日本とは違う。それは時代の流れだから仕方のないことだと思う。だが、前座には確かに昔の新日本がある。会場に行ったら、ぜひ第1試合を見てほしい。


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<第62回>藤波の辞表提出に想う(06.6.28)

 ゴールデンウィーク前から取沙汰されていた藤波辰爾の新日本プロレス退団がいよいよ秒読みとなった。すでに辞表を提出しているが、会社サイドは受理せずに慰留している模様だ。

 今まで"優柔不断"と言われてきた藤波の決断とは何か? 私自身、結局は残留すると思っていただけに意外と言えば意外だったというのが正直なところ。

 ただ、今まで彼が新日本に留まっていたのは、単に"優柔不断"ということではなかったと思う。私はかつて全日本プロレス担当記者をやっていたので、84年に長州らがジャパン・プロレスとして全日本に戦場を求めた時に藤波も来るものだと思っていた。前年の新日本クーデターからの経緯、さらにはジャパン・プロの会長だった竹田勝司氏との関係からしたら、藤波はジャパンに来て当然だったのである。だが、藤波は新日本に留まった。あの時の状況を考えるなら、もし藤波が保身だけの人間だったとしたら、新日本に残らずにジャパンに来ていただろう。それぐらい当時の新日本の状況はヤバかった。ジャパンに来た方がギャラも上がり、リスクも少なかったはずなのだ。もし藤波が離脱したら、あの時点で新日本は間違いなく潰れていただろう。

 あの時の残留の決断を単に"新日本愛"で片付けることはできない。なぜならクーデター事件後も藤波の猪木への不信感は募る一方だったからだ。となると、彼を引き止めたものは"新日本旗揚げ時の記憶"だったのではないか。まだ社会の仕組みがわからない17歳で師匠・猪木に付いて日本プロレスを飛び出して猪木、山本小鉄、木戸修、ユセフ・トルコとの5人だけで創った団体に踏ん切りをつけることは、藤波にとって無理な相談だったのではないかと私は思う。そうして年月を重ねて、今や52歳。ようやく藤波は決断した。それは新日本が33年前に旗揚げした団体・会社とはまったく違うものになったと、ようやく断ち切ったからだろう。

 20年以上も"優柔不断"と言われた男が今回の決断でどんな主張をするのか。私としては一レスラーとしての気概を見せてもらいたいが…。

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<第61回>テレビの仕事(06.6.21)

 今、私にとって執筆だけでなくテレビも重要な仕事だ。日本スポーツ出版社に籍を置いていた頃は正直言ってバイト仕事の感覚だったが、フリーとなった現在は、生業のひとつ。今の時代、あらゆるメディアに進出していかなければ、仕事の可能性は広がらない。

 レギュラー的に一番長いのはGAORAスポーツ『全日本プロレス中継』の解説。これは下調べが重要になってくる。何しろ全日本には他団体やフリー選手が多い。それぞれの活躍や技を調べておかないと、咄嗟に言葉が出てこない。ただし、いざ解説をやってみると、調べたことの半分も喋れないのが常。これは試合の流れがあってのことだから、仕方がない。たとえ半分程度しか喋れなくても、できるだけ調べて、放映の中に専門的な知識を盛り込んでいきたいと考えている。

 そしてサムライTVの『NEWS侍!』。こちらは月曜日の準レギュラー的にコメンテーターをやらせてもらっている。これはナマだから1発勝負。しかも月曜の放映はニュースがテンコ盛りだから、時間割がきっちきち。VTRの最中に「30秒押しです」とか「次のコーナーは2分で」とか指示が入る。喋りすぎると、せっかくスタッフが編集した映像をカットせざるを得なくなるし、半端に時間が余っても番組が間延びする。このあたりが難しいのだ。そこでサスガと思うのがキャスターの三田佐代子さん。うまく時間を調整してまとめ上げてくれる。毎週、三田さんに感謝である。

 ようやく中継では3時間ぶっ通しでも声が潰れないようになったし、スタジオでカメラ目線で喋ることにも慣れた。バラエティーっぽいプロレス番組があったら出てみたいなあ。以前は、GAORAで松崎年男アナと毎回コントをやっていたし…。あれは視聴者から賛否両論あったと思うけど、楽しかった!


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