<第110回>健介にとってのパワー、そしてホーク(07.6.6)

 健介オフィスが9月1日、ディファ有明で団体として2回目の興行を行なうことが決定した。その目玉になりそうなのが7年ぶりのパワー・ウォリアー復活だ。健介は92年11月から約2年間、パワー・ウォリアーとしてホーク・ウォリアーとのヘルレイザーズで活躍。チーム結成から93年8月まで40連勝の記録を作り、IWGPタッグ王座にも君臨。新日本のタッグ戦線において一時代を築いている。パワーとして最後に試合をしたのは、2000年5月5日の福岡ドームにおけるグレート・ムタ戦だった。

 そのパワー・ウォリアーが復活するとなれば大きな話題だが、健介は大会の話題作りのためにパワーになるのではない。盟友ホークが亡くなったのは2003年10月19日。当時、健介はWJに在籍していたが、ファイト・マネー不払い、さらにはWJ主催の『X−1』開催のためにお金を貸していたため、生活は困窮していた。飛行機代も捻出できずにマイレージを使ってアメリカに飛び、ホークの葬儀に参列している。今回のパワー復活は三回忌供養という大きな意味があるのだ。

「フリーになってから"パワー・ウォリアーとして出場してほしい"っていうオファーも受けたけど、俺としては気持ちの整理をつけた上で、ちゃんとやりたいっていうのがあったんだよね。ホークが亡くなって3年…やっとホークに見せてあげてもいいんじゃないかって思ったんだよ。ホークのことを忘れたことはないよ。俺の中にずっといる。天国のホークに"俺は元気だよ""パワー・ウォリアーはいるんだよ"っていうのを見せてあげられたら…。"おお、ケンスキー!"ってホークが喜んでくれるように頑張りたいよね」
 と、健介。

「最初は戸惑ったよね。頭の固い俺ができるのかと悩んだしね。最初はスタイル的に慣れていないからホークについていくのがやっとで。でも新弟子時代にウォリアーズの凄さを間近で見ていたから"俺もああいう風にならなくちゃいけない"って思い始めて、それからペイントしたらパワー・ウォリアーになりきれた。そこからはもう、怖いものは何もなかった。ホークはウォリアーズの世界を教えてくれましたね。それは多分、俺にしかわからないと思うよ。それは俺の中にずっとしまっておきたい部分でもあるし。"これが俺たちの世界なんだよ"っていうのがあるんですよ。それがあるから今の佐々木健介があると思うんですよ」
 というのは2年前に健介から聞いた言葉。

9月1日、ディファ有明のリングに立つパワー・ウォリアーの横にはホーク・ウォリアーが立っているはずだ。

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<第109回>『紙の爆弾』の記事について(07.5.30)

 正直な話、これは書くべきか、書かないべきか悩んでいた。2ちゃんねるなどで、私に対する嫌な書き込みが結構、あったりする。まったくの事実無根で名誉毀損で訴えたくなるようなものもあるが、"名無し"の無責任な書き込みだし、無視するようにしてきた。

 だが、『紙の爆弾』6月号に掲載された"プロレス、出版業界、暴力団 『週刊ゴング』廃刊の経緯とタブー"という記事の中での私に対する記述は、商業誌である以上、看過できるものではない。

 記事的には、とりたてて新しい材料があるわけではないが、そこでナゼか"偽善者"として私が登場する。3月14日に私が書いたダイアリーの内容を引用して(改めて読んでみてください)それについて「愛社精神からあえてウソをついたのだというが、かの二月二十七日の夜、現場にいなかったクセに、情報を聞いたとたんにアチコチに電話しまくっていたという噂には、なんと弁解するのだろうか。またこれには、すでに八方から資金繰りを断られ、二月十日(土曜日につき期限は十二日=原文のまま。三月十日と書きたかったのだろう)の手形が落ちないことが確定したからこそ、正社員に極秘で解散が伝えられた経緯がある」と書いてある。

 まず、「愛社精神からあえてウソをついたのだというが」という点。私はどこにも「愛社精神からウソをついた」と書いた覚えはない。その時の素直な気持ちをダイアリーに書いただけである。私が書いたものを読んだ人がどう感じるかは、その人次第。偽善と思う人がいるなら、それはそれで仕方がないとは思っている。

 ただし、本音を書けば、私には2004年9月の退社以降の日本スポーツ出版社に対して愛社精神はない。あったら退社していないわけで、私の中にあるのは"ゴングに対する思い入れ"のみである。

 次に「二十七日の夜、現場にいなかったクセに…」からのくだりだが、私は二十七日の夜、全社員を集めた説明会の場にいた。その日の午後、会社からメールをもらって午後7時過ぎに日本スポーツ出版社に行っているのだ。そのことは現在、発売中の『格闘家アウトロー伝説』(芸文社刊)に寄稿した"『ゴング』の光と影"という記事の中でも打ち明けている。私がその場にいたのか、いなかったのか…その程度の確認を取るのは難しくないはずである。"死滅したジャーナリズムを越えて巨悪とタブーに挑む"雑誌としては、随分とお粗末な取材と言わざるを得ない。私は説明会の場にもいたし、その後には1対1で秋岡政治氏(前田氏逮捕前までの社長)、内田幸文氏(前田氏逮捕後の暫定社長)と話もしているのだ。

 翌28日、『ファイト!ミルホンネット』に「来週号(3月7日発売号)をもって週刊ゴングはピリオドを打つ」という記事が出た時に私が否定したのは、それなりの理由があった。ある取次店から3月5日に入金してもらえることになっていて、このお金が入れば社員の2月分の給料50%、フリーの前年12月の原稿料50%が払える算段がついていたのである。それが2月28日の段階で"廃刊決定"と報じられてしまったら、その入金がご破算になる危険性もあった。だから強く否定したのだ。事実、2月27日に廃刊は決定していなかったのだから。

27日の説明会では、3月7日発売号について「給料も払えない、フリーの原稿料も払えない状況で本を作るべきではない」という意見も出た。だが3月7日発売号を出さないと、5日の入金もなくなってしまう。そこで3月7日発売号を出すことが決定した。さらに会社サイドとしては週刊ゴングだけは出し続けたいという意向があり、その時点で3月12日に迫っていた大日本印刷に対する支払についても「何とか用意できるアテはある」ということだった。3月12日に支払いができていれば、週刊ゴングは多分、力尽きるまで発行され続けたと思う。

 実際に休刊が決定したのは3月9日の金曜日。12日は月曜日だから、この日までにお金を調達しなければならず、直前まで内田氏らは資金調達に奔走していたが、結果的には駄目だった。最悪の事態を予想して編集スタッフは3月8日から14日発売号を"休刊号"として作業を進めていたというのが真実だ。

 3月4日の大日本プロレスの興行(埼玉・桂スタジオ)にゴングの人間が取材に行かなかったことに触れて"この時点で廃刊は既成事実になっていたのである"と断言する記述もあるが、これも誤り。

実情を書けば、2月中旬から取材経費が出なくなり(のちにすべて清算されたのは唯一の救いだった)、編集部員、カメラマン、そしてフリーの人間は給料、原稿料が支払われてないにもかかわらず、自腹で取材に行って本を作っていた。仕事をすればするほど身銭を切らなければいけないという悲惨な状況である。

 そうなると、いかに取材費を使わずに本を作るかということになる。当然、地方の取材はできなくなったし、近郊でも選んで取材して掲載するしかない。

 こう書くと「だったら、いずれにしても休刊は時間の問題だったのではないか」と言われそうだ。実際、そうだったと思う。だが、週刊ゴングに関わっていた人間は社員もアルバイトもフリーも関係なく、心の中には会社への憤りや葛藤を抱えつつも夢中で突っ走った。

 今回の日本スポーツ出版社の騒動、週刊ゴングの休刊はスキャンダラスな要素が多かっただけに、いろいろ書かれるのは仕方ないとは思っている。だがプロレス・ファンの人たちには、週刊ゴングを最後まで出し続けた人たちの心の痛みだけは汲み取ってほしいと思う。


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<第108回>IGFに期待感!(07.5.23)

 4月の初め、このプロレスコラムで「IGFは何を目指しているかわからない」と書いたが、ここにきて、俄然、私の中で期待感が高まってきた。

 その第一の要因は、今回のIGF旗揚げに際して、猪木がプロレスを全面に打ち出していることである。

98年にUFOを設立した時はハッキリ言ってプロレスに牙を剥いていたように思う。猪木は「今のプロレスは闘いを忘れている。俺の中では格闘技もプロレスも一緒。UFOで格闘芸術を見せる」と宣言。頷けるところもあったが、その裏には「俺を厄介者扱いした今のプロレス界に目にものを見せてやる!」という復讐心のようなものが感じられたのだ。

 だが、今回のIGF旗揚げに際しては「俺は生粋のプロレスラー」「力道山から引き継いだプロレス、闘魂の遺伝子をプロレス界に残しておかないと」「ここがスタート台。これからもう1回、プロレスが売れなきゃ困る」とプロレスに本腰を入れる姿勢なのだ。

 カート・アングル、ジョシュ・バーネットの6・29両国旗揚げ戦への参加が決定したのも期待が高まるポイント。ここにブロック・レスナーも加わるのか? さらにホーガンが絡んでくれば、またまた面白くなる。

 今のプロレスは…私的には面白い。この数ヵ月、いろいろな団体の会場に足を運んでいるが、それぞれに真剣に取り組んでいるし、カラーもある。それを支持するお客さんもいる。ただ、決定的に欠けているのがスケール感だ。

 やはり昭和のプロレスを見てきた者としては、体の大きい一流選手のスケールの大きいファイトを見たい。鍛え抜かれたヘビー級の選手が力と技術を真っ向からぶつけ合う…それが本来のプロレスの醍醐味だと思う。

 その意味でジョシュ、アングルの獲得は大きい。この2人が真っ向からぶつかり合ったら、レベルの高いスケールの大きなプロレスが見られることは間違いなし。これにレスナー、ホーガン、ホーガンのラインでビッグショー(ポール・ワイト)でも加わってきたら…これは見たい!

 ハッキリ言って日本人エースが不在でもいい。IGFには超一流の選手による国籍を超越したグローバルなプロレスを提供してもらいたいと願っている。

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<第107回>充電と休息(07.5.9)

 最初にお断りしておくが、これは5月6日の時点…つまりハワイに旅立つ前に書いている。アップされる頃には週刊ゴングが休刊になって約2ヵ月が経っている計算だ。

 それまで週刊ゴングの仕事をメインにしていたから、週末に行く試合のほとんどは週刊ゴングのリクエストによって決まっていた。私の場合だと、オファーされるのは主にノア、全日本、新日本というメジャー。プラスしてBML→UWAI STATION、ドラゴンゲートという感じだった。どうせフリーになったのなら、より多くの団体を見たいと思っていたが、現実的には仕事優先になっていたし、もちろん、より多くのオファーが来るのは私にとって嬉しいことだった。

 だが、この2ヵ月は週刊ゴングに時間を取られることがなくなったから、本当に多くの団体を見ることができた。決まった媒体がない立場だが、幸いに、どの団体も私をフリーライターとして認知してくれているので自由に取材ができる。前述の団体の他にも2ヵ月間でリアルジャパン、ゼロワンMAX、大日本、無我、アパッチ、DDT、ハッスルに行くことができた。3月は13大会、4月は15大会、5月に入ってからは1日〜5日の間に7大会を自主取材することができた。

 これは本当なら、2004年9月に日本スポーツ出版社を退社した後、フリーとして活動したいと思った時にやっておかなければいけないことだった。退社3ヵ月後の12月にちょっとしたきっかけで古巣・週刊ゴングでフリーとしての仕事がスタートして、あとはなし崩し的に仕事をしてきたというのが本当のところ。今は、より多くの団体をナマで見、取材し、自分の栄養にしていきたいと思っている。ようやく本当の意味で充電する時間ができたのだ。

 そしてハワイで心の休息。現実問題を書いてしまえば…もはや周知のことだから書いてしまうが、未だに事情説明もないままに支払われない原稿料もあるし、ハワイ旅行は延期しようとも考えたが、こんなことで当初の計画を断念するのは悔しい、ということで決行することにした。3月末から日本スポーツ出版社経営陣からは音沙汰がなく、どういう状況になっているかは把握していない。もしかしたら旅行中に何らかの動きがあるかもしれないが、それはそれで帰国してから対応すればいい。

 とにかく今、大事なのは仕事上の栄養を十分に取り、心を十分に休めること。仕事的な栄養を蓄え(これはずっと続くが)、心を休めたら、自然に動き出す時が来る。

 なお、18日までハワイに滞在するので、来週のプロレスコラムはお休みします。ご了承ください。


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<第106回>これからの小島聡は魅力的だ!(07.5.2)

 4・30名古屋における小島聡は味があった。この日はシリーズ最終戦。開幕戦でVMに勧誘され、ラリアットを誤爆されて健介との仲がギクシャクした中での健介&雷陣と組んでのVMとの激突だった。

 果たして小島はVMに入ってしまうのか? 健介との仲は修復されるのか? ここで、健介にラリアットを誤爆されてカチンときたからVM入りするというのでは薄っぺらいストーリー。本質は、小島自身が自分を変えたい、自分を取り巻く状況を変えて現状を打破したいという気持ちを持っていることにあるのだ。

 2002年2月、新日本から全日本に移籍してきた時の小島は輝いていた。全日本ファンにしてみれば、それまで新日本の外敵だった男が、いきなり全日本の選手になったのだから戸惑いがあっても当然だが、その明るいキャラクターを素直に支持した。

 そんな小島から光が消えたのはいつからだろうか? 05年2月には三冠王者になり、IWGP王座をも奪取して4冠王になった。三冠は8度も防衛した。だが、小島が全日本の主役になることはなかった。強烈な光を放つ武藤敬司がいて、さらにパッケージ化路線で様々な話題があるから、小島の存在感が際立つことがなかった。

 明るい好青年の小島からは嫉妬や憎悪、野心といったナマの感情が見えない。根が人がいいから損な役回りも嫌な顔ひとつしないで引き受けてしまう。小島に限らず永田、中西、天山といった第3世代と呼ばれるレスラーは、なぜだか内面から滲み出てくるものがない。言葉を変えれば、味がないということになる。

 小島は今年に入って1・4東京ドームで武藤&蝶野の壁を思い知らされ、三冠奪回に失敗し、チャンピオン・カーニバル優勝も逃した。「何かを変えなければ!」と思って当然だ。VMの勧誘、健介の誤爆はきっかけに過ぎないのだ。

 そして4・30名古屋。小島はナマの感情剥き出しのいい表情をしていた。健介と目を合わさず、健介のファイトを「オイシイところばっかり取りやがって。アンタはいつもそうなんだよ」と苦々しそうな表情で見つめる。それがエキサイトしているのではなく、醒めたような顔だから、リアリティがあった。そう、いつも元気で明るい小島クンでいる必要はない。

 小島の選択はVM入り拒否。返す刀で健介にも牙を剥いた。今後、小島が全日本でどんなスタンスを取るのかは、まだわからないが…ナマの感情を出せるようになった小島は魅力的である。

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<第105回>鉄は熱いうちに打て!(07.4.25)

 新日本が面白くなってきた。IWGP王者が棚橋から永田に代わり、すでに決定していた5・2後楽園における永田VS越中が急遽、IWGP戦に。いいじゃないか。今、越中は巷でもブレイク中の男。実力的にもOKなのだから、このタイトルマッチはアリだ。

 ファンの後押しという追い風を受けて4年ぶりにIWGP王座に返り咲いた永田、アパッチ参戦によって弾けた真壁、そして思わぬところから火がついた越中人気。面白いことに、この2〜3年、新日本のフロント陣が思い描いていた路線とは外れた人間がブレイクしているのである。

 こうなったら、それに乗るしかない。このゴールデンウィークは1〜3&6日と4日間も後楽園が入っている(1日はレッスルランド、6日はロックアップ)。これは大きな勝負だ。もう、もったいぶったり、格好をつけている場合ではない。面白いと思うもの、いいと思うものはドンドンやるべきなのだ。1日のレッスルランドでは棚橋VS中西VSTARUの3WAYによるラダーマッチ、邪外VSコンブラ、2日の後楽園は前述の永田VS越中のIWGP戦、邪外VS東郷&TAKAのIWGPジュニア・タッグ戦、3日の後楽園は中邑VS真壁の再戦、6日のロックアップはGBHVSアパッチ軍の4対4が私にとっての注目カード。

 こうして並べると、インディーと呼ばれる選手が重要な位置にいる。長州が現場監督に復帰してインディーを登用した当初は「これが新日本か!?」という声もあったが、今の新日本にはそうした要素が不可欠になってきた。WJからインディーと直に接触してきた長州監督の目に狂いはなかったと言っていいのではないか。

 さらに大日本の4・29横浜赤レンガ倉庫大会の中西&平澤VS関本&井上の結果によって、今や団体の垣根を越えてブレイク中の関本大介も新日本に本格的に参戦してくるだろう。

 歴史も大事、ポリシーも大事。だが、今を頑張らなければ未来はない。それこそ衰退したら過去の歴史もポリシーも人々の記憶の中に埋没してしまうのである。最終的な判断は見た人に委ねるとして、今の積極策には賛成だ。鉄は熱いうちに打て!


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<第104回>永田のIWGP返り咲きに想う(07.4.18)

 永田が4・13大阪で棚橋を破って4年ぶりにIWGP王座に返り咲いた。今年に入ってからのファンの後押し、追い風に乗った結果である。

 振り返れば、永田はここ数年、常に逆風の中にいた。02年4月5日に安田忠夫を破ってIWGP王者になり、翌03年5月2日に高山善廣に敗れるまで最多の10回防衛記録を樹立して"ミスターIWGP"とも呼ばれたが、レスラーとしてブレイクすることはなかった。王座奪取前年の01年大晦日、ミルコ・クロコップに21秒でKO負けを喫し、年が明けた02年1・4東京ドームでノアのGHCヘビー級王者・秋山準に挑戦して敗れた後のIWGP奪取だっただけに新日本ファンは永田を"新日本の看板"とは認めたくなかったのだろう。
 IWGP10回防衛後の03年大晦日にはエメリヤーエンコ・ヒョードルに1分2秒で敗れたことも大きかった。永田のイメージは失墜し、そうした諸々の要素から今回のタイトルマッチまで挑戦権が与えられなかったのだと思う。

 器用で頭がスマートなのもマイナスに作用していた。永田は若手時代から、いつトップに起用しても大丈夫なだけの実力と技術を身につけていたし、性格的に大人。損な役割りでも会社のためだったら自我を呑み込んで受け入れてきた。ファイト的にも性格的にもスマートすぎて、それがレスラーとしての魅力を半減させていたと言っていいのではないか。それが、かつて武藤が言った「永田には色気がねぇ」につながる。また、長州は昔よく「リングに立つと相手の人生が見える」と言っていたが、スマートな永田からは背負っているものが見えにくかった。

 だが、この4年間、辛酸を舐めたことで永田は変わった。いや、永田が変わったというより、周囲の見る目が変わったというのが正解か。

 新日本がどんなにガタガタしても「俺は新日本に残って正解だ!」「新日本は、まだまだ捨てたものじゃない!」と言い続け、時に損な役割りを果たしてきた永田。その姿にファンは"永田の新日本愛"を見たのだと思う。だからこそ、ここにきてのファンの後押しだと私は考えている。

 一度は"天下を取り損ねた男"と呼ばれた永田だが、今こそ新日本のプライドを持って本来の力を爆発させる時。その背中には永田裕志という男の人生がハッキリと見えている。

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<第103回>IGFについて(07.4.11)

 東京プロレス、新日本プロレス、UFOに続いてアントニオ猪木が4番目に興した団体IGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)は3月22日に資本金1億円で登記を済ませ、6月29日に東京・両国国技館で旗揚げ戦を行なうことになった。

 旗揚げ戦はシングルマッチ中心に8〜9試合を考えているというが、現時点では所属選手はゼロ。01年大晦日の『INOKI BUM−BA−YA』でジェロム・レ・バンナに勝利してヒーローになった安田忠夫が旗揚げ戦参加を猪木に直訴、さらにジョシュ・バーネットもIGFに興味を持つコメントを出すなどのアクションを起こしているが、今のところ、このIGFが何を目指しているのか…見えてこない。

 かねてからプロレス危機説を唱えてきた猪木。98年4月4日に東京ドームで引退後、UFOの設立やK−1、PRIDEと関わって新日本プロレスをガタガタにしてしまったのだ。そこには「今のままでいいのか!?」というメッセージが込められていたとは思うが、猪木は既成のものを壊すだけで、そこから先の新しいものは創り上げることはできなかった。そのやりっ放しが、新日本だけでなく日本プロレス界全体を揺るがし、業界全体に混迷を招いたのだ。

 私はUFO旗揚げ直前の98年10月に猪木にインタビューした。猪木がそこで訴えたのは、ただ勝つだけでなく、そこにエンターテインメント性、ドラマ性、精神性がある闘いだった。確かに猪木の日本人対決、一連の格闘技戦には、そうしたすべての要素が含まれていたと思う。だからこそ、プロレス・ファンは猪木に夢中になり、猪木信者も生まれた。だが、猪木以外の人間が、そうしたすべての要素をリングで表現できるだろうか? それがインタビュー後に私が思ったことだった。

 今回のIGFでは、果たして猪木の思想を体現できる選手、それこそ本当に猪木のゲノムを持った選手が出てくるのだろうか!? 


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<第102回>お笑い芸人とプロレス(07.4.4)

 先週の『チャンピオン・カーニバル』後楽園ホール5連戦は全戦をGAORAが中継。原口あきまさ、三又又三、イジリー岡田、ダチョウ倶楽部、神奈月というお笑い芸人が日替わりでゲスト解説席に座った。当然、彼らは芸人としてのキャラも求められるわけで、多分、賛否両論があるだろうが、隣で解説していた私としては「これもヨシ!」だと思っている。

 ひとつは単なるファン・サービス。今の時代、どんなエンターテインメントにもプラスアルファがある。そう思えば単純にOKだと思う。そして私が評価するのは、彼らがいずれも本当にプロレスが好きで、リスペクトの念を持っていたことだ。

「僕らはステージでの仕事だけど、レスラーは四方八方から観られるんだから大変ですよね」「体を張る仕事はきついですよ」「僕らの仕事は出番だけが勝負だけど、レスラーはタッグマッチになるとコーナーにいても観られるわけだから、ずっと神経を集中していなければならない」
 と、彼らは業種は違ってもエンターテイナー、パフォーマーとしての視点でレスラーをリスペクトしているのである。

芸人としてのキャラを出さなければいけないためにファンのヒンシュクを買ってしまった芸人さんもいるかもしれないが、実際には「ボクがいてファンの人は不快にならないだろうか?」とみんなナーバスになっていたのだ。それでもメキシコ・アミーゴスに呼ばれてリングに上がったり、放送席でネタを振られると、きちんとこなすのだから、これもプロ根性だと私は素直に感心した。

 昨年暮れ、武藤にインタビューした時に、お笑い芸人を起用することについて、
「芸人ってねぇ、お客が3人でもめげない凄い強い気持ちを持ってるからね。そういうところを感じ取ってほしいですよね、レスラーたちに。彼らのプロとしてのプライドを見たいですよね。同じエンターテイナーとして見てほしいよね、ウチのレスラー、スタッフに」
 と言っていた。双方に刺激になれば、こんなにいいことはない。

 きっと今年も全日本のファン感謝デーのリングにはお笑い芸人が参加することだろう。

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<第101回>プロレスとは…(07.3.28)

 3月は週刊ゴングの仕事が少なかったお陰で(?)普段よりも多くの興行に足を運ぶことができた。4日=ノア武道館、6日=新日本・後楽園、7日=リアルジャパン後楽園、8日=ゼロワンMAX後楽園、11日=SUWA引退興行・後楽園、14日=大日本・後楽園、21日=UWAIステーション&新日本・後楽園、そして26日〜30日は5日連続で全日本・後楽園だ。この他、月曜日の『S−アリーナ』に出演していると、みちのく、DDT、IWAジャパンはもちろんのこと、ガッツ・ワールドまで見ることができる。こうやって、様々なものを見ることが今の私の貯蓄である。

 それにしても、改めて"プロレスとは…"と考えさせられる。たとえば、21日のUWAIステーションを例に取っても、女子小学生のラム会長から三冠王者の鈴木みのるまで振幅の激しいラインナップ。どれもプロレスなのだ。プロレスと銘打って興行を打ち、そこに支持する観客が集まれば、どれもプロレスということになるのだ。

 私は体を張って頑張っているものは、スタイルの違いや個人的な好き嫌いはあっても、すべてプロレスと認めてしまう。いや、私が認めなくても、それを楽しんでいる人がいる限りは、やっぱりプロレスである。

 あの鈴木みのるも「プロレスは広くもあり、浅くもあり、海のように深くもある。すべてひっくるめてプロレスじゃねぇか」と言っていた。

 プロレス不況が叫ばれて久しいが、土日の様々な興行にお客さんがそれなりに集まっているという現実。プロレスの定義が広がると同時に、お客さんの底辺も広がっているのである。

 プロレスはしぶとい。そして本当に広く深い。私もこの業界に足を踏み入れて丸27年になろうとしているが、もっとプロレスを知るために歩いていく。


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