<第100回>理不尽大王を偲ぶ(07.3.21)

 3月19日は冬木弘道さんの命日だった。冬木さんが亡くなって、もう4年が経過したのだ。私と冬木さんの付き合いは長い。最後に言葉を交わすことができたのは亡くなる3日前だった。今、ここで思い出話を書いても仕方がない。今の私が思っていることは、冬木さんが何を考えていたのか…今のファンに知ってもらいたいだけだ。 「まあ、面白おかしく生きられればいいから。テキトーにやらないと」などと言いながら、冬木さんはプロレスのことを最後まで真剣に考えていた。以下、私の心に残っている冬木さんの言葉です。どう受け取るかは、読んでくださる方に委ねます。

「俺の考えるプロレスっていうのはね、どうでもいいっていえばどうでもいいんだよね。真剣勝負だと思おうが、インチキだと思おうが、それは自由なわけよね。気に入ってもらえばそれでいい。真剣勝負のところもある、ドラマもあるし、スポーツもあるしというすべてがマッチされて、それがうまく絡み合ってというのが一番いいひとつのショーだよ。それがどこまで本当で、どこまでがウソなのか、そこが一番の俺の狙い目なんだよ」

「人に関してだけは、ある程度、見込みがつくまでは抱えたくないんだよね。人の一生を左右するからね。それはしたくないね。それで付いてくる人は付いてきてもいいし、やめてもいいし」

「キャラクター付けするっていったって、自分を創るのは、別に着飾るどうのこうのじゃなくて、内面が一番大事だと思っている。自分の人間味というか人生観というか、いろいろなものが全部リングの上に出ちゃう。それは一番お客さんに伝わっちゃうからね。そこをみんな大事にしなきゃいけない。それがわかっていないんだよな、今のレスラーは」

「サラリーマン化しちゃうのが嫌なんだよね。最初、プロレスラーになった動機というのが、誰もがそうだと思うけれども、生活を保障してくれるとか、怪我をしたらどうするだとか、そういう気持ちじゃないと思うんだよね。好きで入って、別に怪我してもいいじゃんとか、そういう気持ちだと思うんだよ。そこをみんな、やっていくうちに段々、生活の安定だのどうのとなってくるけど、俺は最後までそれは嫌だから。ハッキリ言って、今はたくさんのレスラーがいるけれども、俺が入った時には全部で100人にも満たなかった。そのぐらいの中に入っているんだから、俺は最後まで自分の好きなことをやって終わりたいし。…終わったんだけどな(笑)」

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<第99回>フリーとして週刊ゴングでの2年3ヵ月(07.3.14)

 3月14日発売の第1068号で週刊ゴングが休刊となった。私は月刊時代の80年3月からゴングに携わってきたが、04年9月に日本スポーツ出版社を退社しており、04年12月から今日までの2年3ヵ月はフリーとして関わってきた。

 この2年3ヵ月を振り返ると…フリーとして生きていこうと決めた私に多くの勉強をさせてくれたと思う。実際、私の現場記者のプライムタイムは週刊ゴングの編集長を辞める99年1月まで。それ以降は会社内部の人間としての役割りが多く、現場に出るのは助っ人としてという状態だったからだ。だが、この2年3ヵ月は空白を一気に埋めてくれた。新日本、全日本、ノアはもちろん、ゼロワンMAX、ドラゴンゲート、大日本、DDT、ビッグマウス・ラウド…と、様々な団体に"現場記者"として行くことができ、編集長を辞めた以降にデビューした若いレスラーとも交流を持てることになった。フリーである以上、特定の団体ではなくオールマイティに対応できなければいけないし、新しい選手とも接点を持たなければやっていけない。週刊ゴングは私に勉強とキャリアを積むチャンスを与えてくれたのだ。

 私はフリーだから、たとえ週刊ゴングが休刊しても今までと変わらず、この業界で生きていく。当然、ゴング以外の媒体人脈も広がった。でも理想は、週刊ゴングが健全な形で復刊されること。もし、その時の編集部が私を必要とするならば、きっと私はそこにいるだろう。


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<第98回>柴田勝頼の実験は続く(07.3.7)

 3月12日、名古屋における『HERO'S 2007開幕戦』に柴田勝頼が出場、山本宜久相手に総合格闘技戦を行なうことになった。

 私は、この柴田の選択を支持する。昨年2月に前田、船木がBMLと決別した後も柴田は船木のコーチを受け続けてきた。前田にインタビューした時、「柴田は船木のコーチを1年間受ければ、ヘタな総合には負けないだけの素質を持っている」と言っていただけに楽しみ。柴田の「刀を渡されて、毎日研いでいたら使いたくなってきた」というコメントもいい。

 私が柴田を支持するのは、これがプロレスとの決別ではなく、プロレスラーとして大きくなるための実験だと解釈しているからである。柴田は本当にプロレスが好きだ。BML時代の彼の試合を振り返ると、打撃&サブミッション、ロープワーク、空中技、コブラツイストなど従来のプロレスをミックスさせたスタイルだった。ひとつの試合にプロレスのあらゆる要素を取り込んでいた。それを本人に言うと「わかりました?」と照れ笑いを浮かべていた。

 柴田の頭にあるプロレスとは、あらゆる格闘技の要素を取り込んだキング・オブ・スポーツ。その昔、アントニオ猪木が掲げていた理想のプロレスと合致する。柴田は忘れ去られた猪木のストロング・スタイルを頑なに追求しているのだと思う。

 新日本を辞め、BMLを辞め、それでも理想を追い求める柴田にとって、今回のHERO'S参戦はBML時代から続いている実験の続きのはず。いろいろなことを試しながら、でっかいプロレスラーになってほしいと思う。

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<第97回>『NEW JAPAN CUP』の意義(07.2.28)

 今週の土曜日、3月3日に平塚で新日本の『NEW JAPAN CUP』が開幕する。新日本のヘビー級トーナメントだが、2005年の第1回大会の時には夏のG1とどう色分けするのかハッキリせず「なんじゃこりゃ!?」と思ったものだ。

 だが、昨年からは優勝者がIWGPヘビー級王者に挑戦するというコンセプトが明確になったから、楽しめるというもの。今、王者が棚橋弘至だから、なおさら優勝の行方に興味が湧く。

 昨年7月に第45代王者になった棚橋は天山、中邑、全日本の太陽ケア、金本相手に防衛戦を続けて新日本を引っ張っていこうと必死だが"強い王者"としてのイメージを確立していない。それは棚橋が受けのスタイルということもあるが、キャリア不足も大きいと思う。今、棚橋に必要なのは経験。前回の2・18両国での金本相手の防衛戦もいい経験になったと思うし、こうなったら、その時々に一番調子がいい選手を次々に当てていくしかない。それを乗り越えていってこそ、ファンは棚橋を"新日本の王者"と認めると思うのだ。

 新日本関係者にしてみれば、今の棚橋を潰したくないだろうが、潰れてしまえばそれまで。また一からやり直せばいい。"過保護"のイメージがついたら、ファンに支持されないだろう。その意味で"本気のレスラー"が勝ち上がってきてくれることを望む。


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<第96回>希望の光…それは中嶋勝彦!(07.2.21)

 2月17日&18日の全日本&新日本両国2連戦。ベストバウトは文句なく中嶋勝彦VS近藤修司の世界ジュニア・ヘビー級選手権だった。

 中嶋がプロレスラーとしてデビューしたのは04年1月5日。本来ならキャリア3年の若手に過ぎないはずだが、実に濃密な3年を過ごした。WJでデビューし、健介オフィス入りしてからはフリーの立場で新日本、全日本、ノア、ゼロワン、ドラゴンゲート…と、様々なリングに上がった。すでにポジションを確立している健介はいいとしても、新人の勝彦が食らいついていくのは大変だったと思う。だが、潰されずに様々なものを吸収してきた。その結果を出したのが2月17日の両国だ。

 技が切れる、試合の組み立てもいい、勝負度胸もある、そして何より人を惹きつけるものを持っている。近藤を下した後の屈託のない笑顔は、まさに日本マットを照らす希望の光だった。

 試合後、私が興味深く見ていたのは健介と北斗だった。2人とも勝彦の成長に、今すぐにでも飛びつきたかっただろうが、記念撮影の段階になって、ようやくリングに上がった。そこには「今日の試合の主役は勝彦。自分たちが目立ってはいけない」という独り立ちした息子への配慮が感じられた。かつての勝彦には「16歳の…」とか「まだ18歳になったばかり…」などと"最年少レスラー"を強調するフレーズが使われたが、今はほとんどそうした表現は使われない。つまり、立派なレスラー、立派な青年になったということだ。

 さて、この試合では近藤の素晴らしさも忘れてはならない。普段はVMとしてワルを強調しているが、この時は正攻法の勝負。昨年8・27両国でのカズ戦もしかり、大一番ではしっかりと本来の実力を見せてくれる。近藤だったからこそ、勝彦という素材をしっかりと引き出してくれたのだと思う。近藤もまた、今後も注目していくべきレスラーだ。

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<第95回>健介オフィスの可能性(07.2.14)

 2月11日、健介オフィスが団体としての旗揚げ戦を行なった。03年12月に健介&北斗夫妻が個人事務所として立ち上げたところから始まって、株式会社となり、事務所&道場を構え、そして団体化…よくぞ3年間でここまで来たものだと、つくづく感心する。

 旗揚げ興行全体については週刊ゴングで記事を書かせてもらっているので、ここでは健介オフィスの団体としての今後の可能性についてのみ、書かせてもらおう。健介オフィスの現状は所属選手3人、新弟子3人、アドバイザーのマサさん、そして事務所スタッフ5人という小さな所帯だ。しかし、私がインパクトを受けたのは社長の北斗の、
「選手の数が多けりゃ団体ではない。すべてのことをキチンと整えられるのが団体だと思います」
 という言葉である。選手、関係者、マスコミ、観客にもしものことが起こった場合にとイベント保険を掛け、選手には試合前に問診表を書かせてドクターチェックまで受けさせていた。こういうシステム作りは大怪我で泣かされた北斗、健介ならではだと思う。

 とにかく感心したのはリング外の細やかさだ。トイレに挨拶文を張り、キッズ・コーナーやおむつの交換所を作ったり、試合前には客席ひとつひとつにポップコーンのお土産。いかにお客さんに快適に過ごしてもらい、気持ちよく帰ってもらうかの気配りがされていた。「チケットを買って下さって、ありがとうございました」の気持ちが溢れていた。

 辛酸を舐めた健介と北斗は1枚1枚のチケットの収益で生活が成り立っているということを知っている。興行とは1枚1枚のチケットで成り立っているということをわかっている。そこには北斗に流れる全女イズムもあると思う。1年中、日本全国を回っていた全女は、選手もスタッフも1人何役もの役割りをこなして興行を続けてきた。そして1人でも多くのお客さんにチケット、グッズを買ってもらうために努力してきた。それが染み付いているのではないかと思う。健介オフィスには、元全女のスタッフもいる。この日、リングアナを務めたのは元全女の今井氏だったが、
「何か、全女のいい部分の雰囲気が残っていて嬉しいですね。当時のいい部分を残してくれれば、全女が存在した意味があると思います」
 と嬉しそうだった。

 週刊ゴングの原稿と結論は一緒になってしまうが、健介らの武骨なリング上&リング外の繊細さが健介オフィスの強味。今は小さな存在だが、3年後には日本マットの中心にいるかもしれない。


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<第94回>ノアの実験(07.2.7)

 ノアの3・4日本武道館の主要カードが発表された。目玉になるのは5大シングルマッチ。三沢vs杉浦、秋山vsヨネ、森嶋vsKENTA、小川vsウイリアムス、ムシキング・テリーvsロメロ。これは冒険的カードだ。

 ハッキリ言って、インパクトのあるカードはない。これはノアが試合内容に自信を持っていると同時に、次世代のクオリティの高さを知らしめたいという意図があるのではないか。去年の丸藤のGHCヘビー初戴冠から始まって、ノアの世代交代は急速に進んでいる。GHCヘビー級こそ三沢が踏ん張っているが、タッグは森嶋&ヨネ、ジュニア・タッグは鼓太郎&マルビンが保持し、若いファンを取り込んでいるのは丸藤、KENTAである。主役は明らかに現トップの三沢、秋山、田上から次世代へと移っているのである。

 ここで難しいのは、いかに新しい世代で観客を動員するかだ。思えば90年の全日本大量離脱事件後、三沢らの超世代軍では全日本を維持するのは難しいと見られたが、彼らの体を張ったファイトはファンに支持されて、全日本は生まれ変わった。そして世代交代もごく自然に行なわれた。

 今、ノアは明らかに時代の過渡期。もちろん三沢、秋山らには踏ん張ってもらいたいが、興行会社として考えると、若い世代がもっと認知されなければ明日はない。その狭間での5大シングルマッチと言っていいと思う。

 メインのカードはファン投票によって決定されるというが、順番がどうなるにせよ、一番ファンを惹きつけなければならないのは森嶋vsKENTAだろう。この2人の対決こそが"近未来のノア"のメインエベントなのだから。

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<第93回>企画ページを作る理由(07.1.31)

 プロレス週刊誌の基本は情報と速報性。だが、今の時代はインターネットがあるから、速報性だけでは勝負できない。そうなると専門誌ならではのマニアックな物、企画物が不可欠ということになる。考えてみれば、それは月刊誌時代の定番だった。

 今、私は週刊ゴングから企画物の製作を依頼されることが多い。昨年からWARの歴史、三沢光晴デビュー25周年企画、三冠王座のルーツ、新日本と全日本の協調と闘争の系譜、新日本の世界戦略などなど、そして今週号では馬場さんの追善メモリアル企画として『ジャイアント馬場の世代闘争』を手掛けた。

 過去を検証する企画を懐古趣味と片付けではいけない。昔があるから今がある…私はプロレスを伝承文化だと思っている。これは竹内宏介さんからの教えだ。

企画物で大事なのは調べることと、写真を探すこと。様々な本を広げて調べ、倉庫で写真を探すというのは本当に地味な作業だ。そして調べるのも探すのもコツがいる。誰でもできると思ったら大間違いなのだ。かつて竹内さんと私が編集企画室にいた頃は、写真探しは完璧だった。竹内さんも私も写真の整理には神経を尖らせていたし、仮にどこかにまぎれても、勘で探すことができた。その後、竹内さんも私も企画室を離れ、資料室の引越しや会社の引越しで、資料が何度となく移動し、ようやく今の倉庫になったわけだが、自分で整理したわけではないから、昔のようにスムーズに写真を探すことができずにかなりストレスが溜まる。実際、どうしても見つからなかった写真も多い。

 考えてみれば、こうした地味な作業は27年前のアルバイト時代からやっていること。でも、これこそがプロレス編集記者の原点だと思うし、今後もコツコツと続けていくつもりだ。それによって週刊ゴングの誌面に少しでも昔ながらのゴング・イズム、竹内イズムが残ってくれればいいと思っている。


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<第92回>カート・アングルをコントロールせよ(07.1.24)

 新日本2・18両国に“超大物”カート・アングルが参戦することになった。ここで思い出されるのはブロック・レスナー。アングルとレスナーはWWEを支えた2強だが、新日本のレスナー起用は大失敗だった。新エースの期待がかかったが、レスナーはあくまでも“俺流”を貫き通して新日本はコントロールできずに振り回されっぱなし。挙句はIWGPのベルトを持っていかれたのだから話にならない。皮肉にもレスナーが去った後に新日本のビジネスは上向いたのだ。

 では、今回のアングルはどうか? 私自身がアングル好きというのもあるが、こちらは期待できると思う。アングルは元々、日本スタイル志向でK−1やPRIDEをはじめとする日本のビデオを見ていたようだし、WWEツアーで来日した際の日本のファンの印象もいいようだ。元アマレス金メダリストのプライドを持ちつつ、プロレスにどっぷり浸かったアングルは、日本のファンがリスペクトを持って接してくれることを肌で感じているのである。

 今週号の週刊ゴングにインタビューが掲載されていたが、出稼ぎ根性ではなく、日本のレスラーと純粋に技術を競いたいようだし、ハード・ヒッティングな日本スタイルに興味津々な様子。また、TNAと日本の懸け橋になろうという気概も感じる。こうなるとアングルの潜在能力を引き出せるかどうか、受けて立つ新日本のレスラーの技量が問われてくる。

 かつてハルク・ホーガンはWWF王者になりながらも、日本に来た時にはファイト・スタイルを日本仕様にチェンジしていた。アングルにもそれを期待したい。このアングルを日本バージョンにコントロールできれば、今年の新日本の可能性は大きく広がる。獲得したその先が勝負なのだ。

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<第91回>昔と今の取材の違い(07.1.17)

 この業界に入ってもうすぐ27年。この間に取材の仕方も大きく変わってきた。何が一番変わったかというと、取材において何が一番違うかというと、昔は控室に入れたのが、今は控室に入れなくなったこと。昔は取材するマスコミも少なかったし、取材に来る人間は団体やレスラーにとって身内みたいなもの。取材する方も心得ていて、控室に入るタイミングを考えていた。もちろん、誰でも彼でも入れるわけではなく、控室に入っていけるようになったら一人前。いかに控室に入ってレスラーと話をし、独自のネタを拾うかが記者の実力だった。

 だが、今は取材する媒体が多くなったせいか、控室は完全にシャットアウト。取材できるのは試合後のコメントか、練習中につかまえて話を聞くぐらい。練習の邪魔になってはいけないからと、結局は何社か共同で話を聞くケースが多い。これでは独自のネタは生まれないし、若い記者がレスラーと個人的に仲良くなるのも難しい。強いていえば、練習中にレスラーに声をかけて取材に応じてもらうのが記者の力量ということになるか。

 私は昔から現場取材が好きだった。ファンの声をレスラーに伝え、レスラーが思っていることを、本を通じてファンに伝えることが使命だとも思っていた。だから、周囲から“ベテラン”と呼ばれるようになった今も、できれば会場に試合開始2時間前に入って、レスラーに話を聞くようにしている。週刊ゴング編集長時代、その後の執行役員時代は、そうした取材ができない立場だから、随分とレスラーと距離があったような気がするが、フリーとして活動してきた2年間で、それまで話さなかったような若いレスラーとも意思の疎通ができるようになった。これは嬉しいことだ。

 この業界に入った時には同い年のレスラーはヒロ斎藤だけで、あとは年上の人ばっかりだったのに、今は年下のレスラーがほとんど。だから気をつけるのは取材態度。決して呼び捨てにしないし、敬語で話すようにしている。これはレスラーに対する礼儀だ。ただし、昔から親しい人間には、2人きりになった時にはタメ口になってしまう。でも、これはお互い様で、個々の人間関係だからしょうがない。敬語とタメ口の使い分けは仕事とプライベートのスイッチの切り替えでもある。

 最近、若いレスラーと話していて発見したのは、私が週刊ゴングの編集長時代にプロレス・ファンだった人が意外に多いこと。年齢的に考えれば、今20代半ば〜30代半ばのレスラーが、私が編集長当時の週刊ゴングの愛読者だったとしても不思議はない。「小佐野さんが編集長の頃のゴング、読んでましたよ!」と言われると照れ臭いし、歳を取った気にさせられるが、反面、そんなことが今の取材の武器になっていたりする。いつまでも若いレスラーと同じ目線で話ができる記者でいたいものだ。


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