<第50回>PKホテル

 去年10月のハワイで、もうひとつお気に入りのホテルができた。カハラ・マンダリン・オリエンタル→コンドミニアムのフォー・パドルに続いて最後に泊まったシェラトン・プリンセス・カイウラニである。通称PKホテル(タクシーのドライバーも、こう呼んでいる)だ。

 そう、前回書いたプリンセス・カイウラニが幼少時代に過ごしたと言われるハワイ王室の領地アイナハウに建てられたホテルである。シェラトン系のホテルというと、1901年に開業したワイキキ最古の歴史と伝統を誇る"ワイキキのファースト・レディ"ことモアナ・サーフライダー、1927年に開業した"太平洋のピンクパレス"ロイヤル・ハワイアン、ワイキキビーチに大きな翼を広げたような大型ホテルのシェラトン・ワイキキが有名だが、これらはかなり宿泊料金が高い。プリンセス・カイウラニはシェラトン系でもカジュアルなホテル。

 ホテルはカラカウア・アベニューとカイウラニ・アベニューが交差するところに建ち、アイナハウ・タワーウイング、プリンセス・ウイング、カイウラニ・ウイングの3棟。私が泊まったのはアイナハウ・タワーウイングのハイ・オーシャンビューというカテゴリーだ。ラックレートだと340ドル以上はする部屋。インターネットのホームページだとエンドレス・エスケープという特別料金もあるが、私はSGP(スターウッド・プリファード・ゲスト)の会員になっているので、会員の特別料金で予約。1泊160ドルだった。個人的な感覚で言えば、ホテル宿泊料はせいぜい120ドル程度だと思っているから高いが、シェラトン系にこの値段だったら"まあ、いいか"というところ。

 日本人のパッケージ・ツアーを大量に受け入れ、さらに場所も場所だけに結構、ザワザワしているが、プリンセス・カイウラニの肖像画、ハワイ王朝を偲ぶ絵画が飾られていたり、オープンエアーのロビーではハワイアン・アクセサリーの出店があったりと意外に落ち着ける。多くのゲストを相手にしているから従業員もキビキビしていて気持ちがいい。ロビー横のプールもワイキキのど真ん中なのに大きくて、奥のデッキチェアに陣取れば、人の行き来が激しくても気にならない。

 さて部屋は、そんなに広くないが、機能的に出来ている。シャワーが固定式ではなく、ハンドシャワーなのも嬉しい。そして何と行ってもラナイからの眺め。ダイヤモンドヘッドは目の前にあるハイアット・リージェンシー・ワイキキに阻まれて見ることができないが、モアナ・サーフライダー越しに青い海が見えるのは新鮮だった。この景色に160ドルかな!!

 写真はラナイから見た風景、プール、そして部屋。ハワイアン・キルトのベッドカバーもグッド。前回掲載したプリンセス・カイウラニの写真は部屋にあったポストカードです。

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<第49回>ハワイ王朝最後の王女

 ハワイ好きになると、やはりその歴史にも興味が湧いてくる。私も歴史関連本を何冊か読んでいるが、ハワイ王朝の中で惹かれたのがプリンセス・カイウラニ。ハワイ王朝最後の王女だ。  カイウラニは1875年10月16日にスコットランド人の父とリケリケ内親王の間に生まれた。ハワイアン的なムードにプラスして大きな目…スコットランドの血がうまくミックスされたエキゾチックな魅力を持っている。そして彼女はカラカウア王の姪で、リリウオカラニ王女の王位継承者だった。

 私がプリンセス・カイウラニに惹かれたのは、その美貌もさることながら、日本と関係が深いエピソードが大きい。世界一周の旅に出たカラカウア王は明治14年(1881年)3月、日本に寄って明治天皇と会談している。その目的はアメリカの脅威からハワイを守るための、当時、6歳だったカイウラニと15歳だった山階宮定麿親王の結婚だったという。カラカウア王は同じ島国・日本との関係強化によってハワイ王朝を守ろうとしたのだろう。これは残念ながら実現しなかったが…もし、実現して山階宮親王とカイウラニの間に男の子が生まれていたら、国王になっていたかも。

 このストーリーには続きがあって…1893年、ハワイ共和国が樹立され、ハワイ王朝は崩壊。この時、山階宮親王は在留日本人の保護のためにホノルルに寄航していた軍艦にいたという。この時、カイウラニと会っていたら、それこそ運命的な出会いだったろうが、当時、カイウラニはイギリス留学中で、結局、2人が会うことはなかった。

 ハワイ王朝崩壊翌年の1894年、カイウラニはアメリカにわたって王政復古の運動をしたが叶わず、1899年に24歳の若さで結核により亡くなった。

 掲載している写真のように、どこか悲しさを湛えた感のある美貌は実に魅力的だ。

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<第48回>この木なんの木

 ドール・プランテーションを出発したリムジンは、最終目的地のモアナルア・ガーデンへ。そう、日立の『この〜木なんの木…』のCMでお馴染みの"この木なんの木"がある公園だ。

 この木の正体はモンキーポッド(アメリカネムノキ)。高さ5メートル、幅40メートルで日差しが強い時には休むのにピッタリ。そうそう、同じような木が何本もあるので、どれが"この木なんの木"かは、公園にいる人に聞いた方がいい。私もどれだか忘れました。

 ところで日立のコマーシャルは、私も子供の頃から見ていて、ずっとこのモンキーポッドを使っているのかと思っていたら違った。73年〜75年の初代CMはアニメーション、75年〜79年の2代目CMで初めて登場したが、79年〜80年の3代目CMはハワイ島のマンゴーの木、81年〜82年の4代目CMはシンガポールのバニヤンツリーで、82年〜84年の5代目CMはロスのカリフォルニアオーク、59年の6代目CMから現在の9代目CMで、このモンキーポッドが使われているのだ。

 モアナルア・ガーデンへの行き方はインターネットで『日立の樹オンライン』を検索すると、かなり詳しいアクセス方法が書いてあります。そしてもうひとつ、CMと同じ角度で撮影するには午前中に行こう。午後になると、かなりの逆光になります。ちなみに今回のツアーでは最後に立ち寄ったので午後3時近く。掲載写真はかなりの逆光という状態で撮りました。

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<第47回>ドール・プランテーション

 マツモト・シェイブアイスを出発したリムジンは、ハレイワの町を通り抜け、カメハメハ・ハイウェイへ。向かうはワヒアワのドール・プランテーションだ。周りは一面パイナップル畑。赤土が実に印象的である。

 その昔、ハワイ旅行が高嶺の花の時代、ツアーのお土産にパイナップルが付いたというが、かつてハワイは世界一のパイナップル生産地だった。調べてみると諸説あるものの、1813年にスペイン人のドン・マリンが栽培したのがハワイにおけるパイナップルの正式な誕生だとか。1892年、キッドウェルがオアフで生産を始め、その数年後にはドール社がホノルルに工場を作って大量生産を始めて世界一の産地になったという。その後、労働賃金の少ないアジア産に押されて、今はハワイの主要産業ではなくなってしまったが、それでもハワイのフルーツ=パイナップルというイメージは強いと思う。

 さて、ドール・プランテーションは1950年にフルーツ・スタンドとしてオープンしたもの。89年にパイナップル体験ができるアトラクションとして再オープンし、97年5月にはハレイワの町をイメージした内装にリノベーションされている。

 新鮮なパイナップルはもちろん、アイス、ジュースがあり、ロゴ・ショップも大盛況。アトラクションとしては01年にギネスブックで世界最大に公認されたパイナップル・ガーデン迷路、農業地帯2マイルを回るパイナップル・エキスプレス、パイナップル・ガーデン・ツアーがある。我々は時間がなかったため、パイナップル・アイスを食べるだけだったが、ヘンに甘くなくて美味しかった!写真は溶けかけのものなので、あしからず。

 それにしてもパイナップルって、ジャガイモのように土の中から掘り出すものだと思っていたら、花のような実だったのね(写真参照)。まさに目からウロコ。リムジン・ツアー参加者も新鮮な発見に喜んでおりました。

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<第46回>マツモト・シェイブアイス

 リムジン・ツアーの続きです。ワイキキからカフクのシュリンプ屋台→海ガメがいるラニアケア・ビーチ、そしてリムジンはノースショアのハレイワの町へ。ここで問題が発生した。「ちょっとビーチで時間がかかりすぎたので、ハレイワは車窓からということで通り抜けましょうか?」とドライバーさん。せっかくノースショアまで来てハレイワを通り過ぎるのは辛い…。タカシ君の母シゲミさんは、2年前に行ったマツモト・シェイブアイスには絶対に行きたいと言う。結局、ハレイワではマツモト・シェイブアイスだけに立ち寄ることになった。

 シェイブアイスとはハワイ風カキ氷と言えばいいのだろうか。カップの上にギュッとカキ氷を固めて乗せ、そこに原色のシロップをかけたやつだ。このマツモト・シェイブアイスは1951年にグロッサリー・ストア(雑貨店)としてスタートした老舗で、現在のオーナーは2代目のスタンリー・マツモトさん。周囲にはアオキなど数多くのシェイブアイス屋(日系)が多いが、このマツモトが最も有名で、いつも長蛇の列。この日も観光客でゴッタ返していた。ここの自慢は25種類のオリジナル・シロップ。一番人気はレインボーで、青=バニラ、赤=ストロベリー、黄=バナナ味となっているらしいが、とにかく甘い。でも、ハワイの気候にマッチしていて、おいしく感じる。まあ、日本人的にはスモール・サイズ=1ドル30セントで十分でしょう。

 あと、ここのウリはオリジナルTシャツ。バラエティに富んでいて、自分で着るのにも、お土産にもピッタリだ。

 残念だったのは肝心のシェイブアイスの写真を撮る暇がなかったこと。凄い行列だわ、Tシャツも買いたいわ、時間もないわ…の状態で、とても写真を撮っている余裕はなかった。すぐ食べないと溶けちゃうしね。どんなものかは、実際に行って確かめて下さい。

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<第45回>ホヌがいるビーチ

 第34回でタカシ君&ワカナちゃんの結婚式翌日にみんなでリムジンをチャーターしてカフク・シュリンプを食べに行ったことを書いたが、今回からは、このリムジン・チャーターで行った場所について書きたいと思う。

 ツアー・アレンジを担当した私は、インターネットで調べた結果、ホノルル・シティ・リムジンに相談した。約5時間で8人乗りリムジンが1台250ドル(州税込み)。チャーターのいいところはコースも時間も自由が利くし、何だかリッチな気分になれる。1時間オーバーごとに35ドル、ドライバーさんには15%程度のチップとのことだが、人数さえ集まれば、時間が決められた混載のバス・ツアーより、かなりオトクということになる。

 私が組んだツアー・スケジュールは、初めてのハワイの人が多かったので、ノースショアに行くツアー。バス派の私たち夫婦にとってもノースに行くのは一苦労だしね。で、私自身の最大のリクエストがカフク・シュリンプだったというわけ。そしてタカシ君の義妹ユキちゃんのリクエストは海ガメが見られるビーチ。ユキちゃんの息子のサイゾウ君(4歳)&ホマル君(3歳)は動物好きだし、私たち夫婦もHONU(ホヌ=ハワイの青海カメ)好き。これも"絶対!"のリクエストになった。

 例のカフク・シュリンプを食べた後、リムジンはノースショアの町ハレイワ方面へ。30分も走ったら…到着しました、海ガメが見られるビーチ。正式名称はラニアケア・ビーチ。1999年あたりからホヌが日光浴をしに来るようになったとかで、多い時には10匹以上もいるとか。

 みんなをここまで遠くに連れてきただけに、内心では「ホヌがいなかったらどうしよう」とドキドキ。自然は、そう都合よくできていないのだ。しかし…いました! 1匹がデーンとビーチで日光浴している。でも動かない…。妻チエコは「あれって置物じゃないの!?」とドキッとする一言。でも、よ〜く見たら目が動いている。本物だ! よかった!!

 ホヌは絶滅危惧種とされていて、ハワイ州条例で保護されており、触ったり餌をやるのは厳禁。中学生と思われるボランティアの集団(もしかしたら課外授業?)が、ホヌがビーチに上がってくるたびに一生懸命ロープで周囲を囲って、それ以上近づけないようにしていた。ホヌは海の守り神とされ、幸福の象徴。こういう活動を子供の頃にやるのはいいことだ。

 しばらくしたら、1匹だけじゃなくて、あっちこっちにホヌ! 泳いでいる姿を見ることもできた。これには大人も子供も大喜び。私は何とか責任を果たせたような気分になってホッと一息。

 さあ、次の行き先はハレイワの町だ!

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<第44回>天国の島サンドバー

 最近、オプショナルツアーで人気があるのは"天国の島"と呼ばれるサンドバーへ行くツアー。ワイキキから車で約45分のカネオヘ湾沖2キロに位置する浅瀬で、満月の前後10日しか現れない幻のビーチなのだ。水はエメラルド・グリーンで、グラビア撮影やCMの舞台にもなっている。

 ということで、私も昨年10月に夫婦で参加しました。でも、自然環境保護によって5社しか許可されていないというから、予約はお早めに。3日目に予約を入れようとしたら、1社目は定員オーバー、2社目で予約が取れたほどの人気なのだ。

 まずカネオヘ湾でフェリーへ。ところが参加者が多すぎて、私ら夫婦と何組かはモーターボートへ移動。これはこれでワイルドでいいじゃん…と思いきや、何とエンスト。それでも何とかサンド・バーに着きました。残念ながら満月の前後10日ではなかったため、幻のビーチは見れなかったけれど、写真のようにモーターボートから降りても、この浅瀬。さらに歩いていくと、足首ぐらいの水深なのです。

 ここでしばし遊んだり、写真を撮った後はフェリーに戻ってスナック・タイム。それが終わると、珊瑚礁の周りでシュノーケリング。実はこのシュノーケリングは練習で…クライマックスは海ガメ(ホヌ)がいるスポットに移ってのシュノーケリング。どうです、このホヌの写真は!

 やっぱり自然はいいなあ!ショッピングもいいけど、やっぱりハワイでは自然を満喫しなくちゃ。ちなみにホテル帰着は夕方なので、もちろんその後にバッチリとショッピング・タイムも楽しめます。家族連れで行ったら楽しいかも。自然に泳いでいる海ガメなんて、めったに見ることはできないもんね。

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<第43回>馬場さんメモリアルPART3

 馬場さんメモリアルの最終回は食事。一昨年に出版された『人間G馬場 リーダーの条件』の中で元子夫人の"ふたりで見た、大きくて真っ赤な太陽"というのが、ずっと頭の中にあった。

 馬場さんと元子さんはハワイのアラモアナ・ショッピング・センター内にある高級デパート、ニーマン・マーカスに新しくオープンしたレストランに行き、馬場さんはシーフード・カレーを頼んだという。ところが運ばれてきた御飯がジャスミン・ライスだったため、「ここはハワイだし、日本人がいっぱい来ると思うけど、白い御飯はないの?」と馬場さん。結局、白い御飯はなく、馬場さんが「白い御飯を用意してくれたら毎日来るよ」と冗談まじりに言ったところ、次の日に元子さんがニーマン・マーカスに行くと、店の人に「ミセス・ババ、今日は普通のライスがあるから、ミスター・ババと一緒にどうぞ!」と声をかけられ、馬場さんは約束を守ってシーフード・カレーをまたまた食べに行ったそうだ。

 その時、オープン・テラスで見た夕陽を元子さんは一生、忘れられないと本の中で語っている。98年11月…それが馬場さんの最後のハワイだったという。

 これを読んで、いつか、そのレストランに行きたいと思っていた。そのチャンスは昨年10月にやってきた。レストランの名前は本の中に記されていなかったが、サンセットを見ることができるオープン・テラスがある店はニーマン・マーカスの中には『マリポーサ』しかない。残念ながらスケジュールの都合でサンセット・タイムではなく、ランチタイムになってしまったものの、ちゃんとメニューにはタイ風のシーフード・カレーが。もちろん注文したライスはホワイト・ライスだ。

店内のテーブルだったが、食後に店の人が「オープン・テラスへどうぞ!」と言ってくれた。昼間の景色もアラモアナ・ビーチパークと青い海が見え、これはこれで素晴らしかった。

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<第42回>馬場さんメモリアルPART2

 昨年10月に泊まったカハラ・マンダリン・オリエンタル(3月からはマンダリン・オリエンタル系列から離れて、単独経営のザ・カハラとなる)では日本人カップルから現地のカップルまで…毎日、何組もの結婚式を見た。海が見える芝生の上にホワイトのガゼボが2箇所あって、オープンエアで結婚式をすることができるのだ。青空、あるいはサンセットの下でウクレレの演奏などがあったりして、いかにもハワイの結婚式という風情だった。

 実はジャイアント馬場さんも、このホテル…当時のカハラ・ヒルトン・ホテルで結婚式をしている。時は昭和46年9月16日、今から34年半も前のことだ。元子夫人のご両親が2人の結婚に反対していたことから、知り合いの夫婦1組だけが参列したささやかな結婚式。当時、プロレス界というよりも、日本のスーパースターだった馬場さんだけに、結婚は秘密。入籍したのは、この時から11年もあとのことだ。だが、プロレス・マスコミは2人を夫婦だとして接していた。それが正式に入籍するまで世間一般には漏れることがなかったのだから、プロレス界も捨てたもんじゃなかったと思う。私もプロレス業界に入って、初めて元子さんを「馬場さんの奥さんだよ」と紹介された時にはビックリしたものである。

 馬場さんと元子さんはカハラのどこで結婚式をしたのだろうか。私が写真を撮影した2つのガゼボのうちのどちらか。あるいはルーム内だったのだろうか。今度、元子さんに聞いてみたいと思う。

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<第41回>馬場さんメモリアルPART1

 今年1月31日でジャイアント馬場さんが亡くなって7年になる。馬場さんが愛したハワイ。このハワイコールズの第1回でも書いたとおり、私は馬場さんによってハワイの魅力を知った。89年6月、馬場さんはシェラトン・モアナ・サーフライダー・ホテルのバニアン・ツリーの下で、こんな話をしてくれた。

「木陰に入ると涼しいだろ…それがいいんだ。暑くても湿気がないから、風が吹けば涼しくなる。だからウチ(アラモアナのコンドミニアム)もクーラーなんか入れてないよ。昼寝してても、寒くなることもある。そうだなあ、あとハワイぐらい気候がいいところとなると、フランスのニースくらいかな。でも、行くには遠過ぎるしなあ。昔、俺の夢はハワイでオープンカーを乗り回すことだったんだよ(微笑)。本当はな、俺の夢は38歳で日本のプロレス界を引退して、ハワイを拠点にアメリカ・マットを回ることだったんだよ。それがいろいろあって…33歳で全日本プロレスを創っちゃったから、俺の人生は大幅に狂っちゃったよなあ…」。

 馬場さんはハワイ・マットでもトップスターだった。87年にジミー・スヌーカがハワイに新団体を創った時のこと。元横綱の輪島大士さんの取材でハワイにいた私は、スヌーカに取材を申し込んだ。ちょうど翌日に試合があるということだったが、場所は米軍施設内ということで許可がなければ入れない。そこでリングアナだという若者が私のホテルまで迎えに来てくれたが、「子供の頃のヒーローは誰?」と聞いたら「ジャイアント・ババだよ」と言っていたものだ。

 当時のハワイ・マットの大舞台はHIC(ハワイ・インターナショナル・センター)…現在のニール・ブレイズデル・センターだ。毎週金曜日に試合が行なわれていたという。ここで馬場さんとアンドレ・ザ・ジャイアントがバトルロイヤルで対決したこともある。馬場さんのコンドミニアムから車で5分程度の距離。きっと馬場さんは日本マットを引退したら、ハワイでのんびりしながら、金曜日には車で試合に出かけて、たまにアメリカ本土のビッグマッチに出場するという夢を持っていたのだろう。

 このニール・ブレイズデル・センターは今でもWWEがハワイで興行する時の拠点。掲載している写真は昨年10月15日のRAWブランドのハウスショーの時に撮影したもの。場所はワード・ウェア・ハウスから山側…ワード・アベニューとカピオラニ・ブルーバードが交差した所にある。ザ・バスを利用する場合には、アラモアナ・ショッピング・センターからカピオラニ・ブルーバードに出て3番か9番のバスに乗るのが簡単。すぐに右側に見えてくる。クヒオ・アベニューから13番に乗ってもいける。帰りはワイキキに戻る3番か9番に乗り、アラモアナ・ショッピング・センターの裏手で降車。ここから乗り換えてワイキキに戻るのがいいと思う。サウスキング・ストリートまで歩いて2番か13番に乗れば、クヒオ・アベニューまで戻れるけど、ちょっと歩くので。夜はあまり歩きたくないからね。

 距離的にはワイキキから非常に近いので、ぜひ行ってみてください。隣にはコンサートホールもあり、いろいろなイベントが開催されています。

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