継続は力なり

 今日は月曜日ということで昼から英会話教室へ。このクラスは1クールが10回になっていて、今日は8回目。ただ、月曜日はプロレス週刊誌の締め切りギリギリの日だから、仕事が入ってしまうことも少なくない。
 私の今までの出席率は8回中6回。1回はGAORA全日本プロレス中継のMA(あとからの音入れ)のために行けず、もう1回は先週の月曜日。金曜の全日本・後楽園、土曜のノア札幌、日曜のノア&DRAGON GATE2大会の追い込み作業が続いたため、時間内に東京に戻るのはさすがに無理だった。4月にノア博多大会に行った時は朝早い便で帰京して、ちゃんと行ったんだけどね…。
 で、そろそろ更新の時期。キツイけど、通い続けることにしました。継続は力なり!

ホール・オブ・フェーム

 今日は取材がないので、遅ればせながら4月5日に行なわれた『レッスルマニア21』のDVDを観た。アメリカ国内でのビジネスが落ちていると言われているWWEだが、さすがに年間最大のビッグショーだけにパーフェクトに仕上がっている。試合的にはカート・アングルVSショーン・マイケルズが素晴らしかった。技の組み立て、切り返しの妙…キャラクターだけではない、アメリカン・プロレスの真髄が垣間見られる試合だった。
 さて、私が興味を持ったのは、実は試合ではなくDISC3に収録されていたホール・オブ・フェーム。往年のレスラーの殿堂入りのセレモニーである。
 2005年に殿堂入りしたのはカウボーイ・ボブ・オートン、ジ・アイアン・シーク、“ミスター・ワンダフル”ポール・オーンドーフ、“マウス・オブ・ザ・サウス”ジミー・ハート、“ラウディ”ロディ・パイパー、ハルク・ホーガンの6人。
 英語版のDVDなので、喋っていることは半分もわからないが、往年のレスラーに対するファンの、現役バリバリのレスラーたちのリスペクトが凄く伝わってきた。ホーガンなどは登場するなり6分近くのスタンディング・オベーションとホーガン・コール。トリプルH、ストーンコールド、カート・アングルが、まるでプロレス・ファンの少年のような目で先輩たちのスピーチを聞いているのが印象的だった。
 一番インパクトが強かったのがアイアン・シーク。杖をついていたものの、スピーチになるや元気いっぱい。訛りの強い英語で自分の人生を語り、時間が来ても「まだ、喋りたい!」と、かつての全米一の嫌われ者が、いいオヤジ丸出しだった。
 また、ホーガンが他の殿堂入りのメンバーと抱擁を交わしていたのも、オールド・ファンにとっては嬉しい光景のはず。いずれのメンバーも80年代にホーガンの敵となったレスラーなのだ。ホーガンにしても、この日の延々と続いたスタンディング・オベーションは、彼らがその時代にいてくれたからこそという想いがあったと思う。
 WWEが往年のレスラー&関係者を大切にすることには以前から好感を持っていたが、日本マット界にもホール・オブ・フェームが欲しい。若いレスラーも関係者も、先輩たちの背中を見て生きている。プロレスは伝承文化なのだ。
 

ノア選手会興行雑感

 今日は後楽園ホールでノアの選手会興行があった。選手会興行なので取締役のレスラーは試合なし。だが、なぜか小橋建太は練習に汗を流している。さすが練習こそ命、プロレスと結婚した男・小橋だ。その小橋、私の姿を認めると「アレッ? 今日は天龍さんは出ないですよ!」と、かましてきた。そうくるかい。フフフ…今日、キミはトークショーで秋山にいじられるのだよ。
 本当にその通りの展開。「小橋さんを突っ込めるのは、俺しかできないので」と、コメンテーターを買って出たが、まさに小橋を手玉に取る名人芸を披露。ほとんど結婚ネタとホ○疑惑ネタで小橋のキャラクターを壊しまくる。「ジュン、いい加減にしろよ」と狼狽する素顔の小橋を出せただけで見事だ。何だかんだといじられまくって爆笑を誘った小橋だが、その朴訥な素顔が垣間見れたのは、ファンにとっては嬉しかったのではないか。やっぱり小橋は純でいい男なのだ。
 そして、この日の目玉は泉田純のプロポーズ大作戦。勝って下田美馬にプロポーズするというトッピング付きの試合で、勝った泉田が「ボクと付き合ってください」。これに対して下田は「お友達からなら…」と返答。でも、結局はしつこく迫ってフラれてしまうというベタなお約束だが…これはこれで、予定調和の面白さがある。ハッピーエンドじゃつまらないし、いきなりフラれても笑えないからね。
 お笑いはお笑いで、試合内容ではちゃんと魅せる。そしてファンとの距離も縮まる選手会興行。収益はちゃんと選手会のものになるのだ。三沢社長は言った。「太っ腹でしょ!」。

時代の違い

 普段はなかなかテレビを見ることはできないが、昨日は出張帰りということで、久々に家でゆっくり。サッカーの日本VS北朝鮮と、フジテレビの『時代を飾った名曲たち2』を交互に見ていた。
『時代を――』は、ナツメロ番組だが、不思議なことに30年以上前の曲も歌詞&メロディーを憶えていてスラスラ歌えてしまう。詞も簡単、メロディーも単純、そして何より昔のヒット曲は、文字通りのヒット曲で、誰もが知っていた。これは昭和のプロレスにも言えると思う。技の数が少なかったし、誰もが代名詞の技を持っていて、しかも団体数が少ないから、試合のひとつひとつが印象に残っているのだ。
 だからといって「昭和は偉大なり!」とは言わない。今はファイト・スタイルが多様化し、技も多くなり、代名詞となる技を持つこと自体が大変。それに多くの団体が日本全国で試合をしているから、少し前の試合でも記憶の彼方。マスコミ関係者だって技を覚えるのは大変だし、とても全団体の状況を把握するのは不可能なのだ。
 恐らく今のレスラーは「昔の人たちよりハードで高度な試合をやっている」という自負があるはずだが、その一方で武藤敬司は「記憶には勝てねぇよ」と言っていた。これは本音だろう。本当に今のレスラーは大変だと思う。昭和に負けない新時代のスーパースターよ、出でよ!
 

名物会場がまたひとつ…

 ノア&DRAGON GATEの札幌取材を終えて6日に帰京。夜9時からサムライTV『NEWS侍』に安田拡了さんと出演して昨日7日はノア仙台大会へ。試合後、久々に天龍さんと食事をし、芋焼酎を飲んでバタンキュー。今、起きて…ようやくダイアリーが書ける状態になった。
 さて、仙台と言えば、宮城県スポーツセンター。1964年に出来た由緒ある会場だ。だが、来年の5月か6月には取り壊されてしまうという。試合後、会場からホテルに戻るタクシーの運転手さんが週刊ゴングの愛読者でいろいろ教えてくれたが、この宮城県スポーツセンターは宮城県が管理しているが、土地は仙台市のもので、財政難から市に返還するのだとか…。
 この会場での一番の思い出は2003年3月16日。WJプロレス旗揚げ第3戦が行なわれ、日帰り出張したのだが、帰りの新幹線で携帯電話が鳴り、WAR時代に冬木軍担当だった木幡記者から冬木(弘道)さんが危篤状態になったことを知らされたことだ。
「まだ意識はあるようですが、夜には強い薬を打ってしまうので、ちゃんと喋れるのは今晩までのようです。会うなら、今日しかありません」と連絡を受けたのである。
 同じ新幹線のグリーン車に天龍さんが乗っていたが、満席状態でとてもグリーン車まで行けない。上野駅に着いたところで天龍さんの携帯に電話して、私は駅まで迎えにきてくれた木幡記者、FMW担当だった吉川記者(現・週刊ゴング編集長)と冬木さんの病院へ。天龍さんはすでにタクシーで帰途についていたが、私の電話連絡を受けて、冬木さんの病院へ急行した…。
 取材に行った会場には、それぞれに思い出がある。そうした場所が次々になくなってしまうのは寂しい限りだ。すべてがキレイで近代的な会場になってしまったら、なんと味気ないことか…。

ノア札幌2日目…もうひとつのドラマ

 今日(5日だから正確には昨日になってしまうか…)は札幌テイセンのドラゴン・ゲート&札幌スピカのノアのダブル追い込み作業だったので、5日中にダイアリーを更新できなかった。残念!
 ドラゴン・ゲートについては7日更新のプロレスコラムで改めて書きたいので、ここではノア札幌2日目について書かせてもらおう。この日の大きなドラマは天龍と小川の初激突。かつて天龍の付人を務め、天龍同盟にも在籍、天龍と全日本&ノアの関係が悪い時にもプライベートではつながっていた2人が、出会ってから21年目にして初めて戦ったのだ。
 これは天龍番をやってきた私にとって、たまらないカードだが、この試合にはもうひとつのドラマがあった。それは天龍のパートナーとして川畑輝鎮が起用されたこと。川畑は1991年、SWSの第2回新人公募に合格して天龍率いる『レボリューション』に所属した。だが、92年のSWS分裂騒動の中、なぜか天龍のWARではなく、NOWの方に振り分けられてしまったのである。
 まさかノアで天龍とタッグを初めて組むことになろうとは。これまたSWS担当記者だった私にとって感慨深いものがあった。試合前に川畑と顔を合わせると、
「いや、人生って不思議で面白いものですね。もう2度と顔を合わせることもないと思っていた天龍さんとタッグが組めるなんて。緊張? いや素直に嬉しいです」
と、これ以上ない笑顔。
 人に歴史あり。こういう嬉しいことがあるから、25年やっていてもプロレス記者はやめられない。
 

革命記念日

 今日は19回目の革命記念日。1987年6月4日に天龍源一郎と阿修羅・原が合体して天龍革命=レボリューションがスタートしてから丸18年が経ったのだ。
 今、私はノアの札幌大会の取材を終えて、ホテルで週刊ゴング用の原稿を書いている最中。レイアウトが完成するまでの時間を使って、このダイアリーを書いているわけだが、この記念日を札幌で迎えたというのも感慨深い。
 天龍革命1周年の88年6月4日は札幌中島体育センターだった。PWF世界タッグ王者だった天龍と阿修羅の龍原砲は鶴田&谷津の五輪コンビに王座を明け渡してしまったが、敗れたにもかかわらず天龍同盟は「1年間、突っ走って充実した日々を送った」と皆、笑顔。試合後には天龍、阿修羅、川田、冬木、小川の5人で記念写真を撮った。その夜の1周年記念打ち上げも凄かったのを覚えている。気付いたらすでに朝。私は朝飯として阿修羅とラーメンを食べてからホテルに戻ったのだった。
 この記念すべき日に三沢が天龍のために用意したカードは天龍&秋山&森嶋のR(レボリューション)2005VS三沢、小橋、田上の6人タッグマッチ。
「俺が全日本にいなかった空白の10年間の四天王プロレスを体感したい」という天龍の希望をいっぺんに叶えるようなカードだ。
「敬意を表したというか、特別な時じゃないとね」と三沢。やっぱり三沢はいい男である。

熱血!松崎アナ

 今日は後楽園ホールで全日本プロレス『ライズアップ・ツアー2005』最終戦。GAORAスポーツの全日本プロレス中継の解説だ。私の相方は松崎年男アナウンサー。もう3年近くコンビを組んでいる。
 松崎アナは選手の入場曲に合わせて前口上を作り、選手のリングインと同時にピタリと終わるという職人芸の持ち主。若い頃は全日本女子プロレスのレフェリーをやり、お父さんが元力士だけに、レスラーに負けない立派な体格の持ち主だが、最近はそれによって不幸が…。
 そう、ブードゥー・マーダーズのTARUが毎回のように放送席にやってきては、頑丈な(?)松崎アナにちょっかいを出すのだ。今日もムチでメッタ打ち! 松崎アナの腕には無数のミミズ腫れができていた。
「何で毎回、来るんですかねえ。喋れなくなったら小佐野さん、お願いしますね」
 と、大きな体を丸める松崎アナだが、やられてもすぐに立ち直って大声で実況を再スタートさせる姿は、まさにプロ。松崎さん、これからも一緒に頑張りましょう。骨は拾います…。

6月の思い出

 6月というと、2002年に天龍さん、馬場元子さんと過ごしたハワイを思い出す。ちょうどWWEのハワイ大会があったため、私は週刊ゴングの取材でハワイに飛んだ。現地に滞在していた天龍さん夫妻、元子さん&和田京平さんと合流、天龍さんと元子さんをニール・ブレイズデル・センターに連れて行き、ザ・ロックと会わせたのだ。
 諸々の取材を終えた父の日の16日、私は14年ぶりに、天龍さんは25年ぶりに馬場さんのコンドミニアムにお邪魔した。馬場さんのイスには元子さんが父の日用に買ってきたミッキー・マウス柄のレインズのアロハシャツが…。
 しばらく馬場さんの思い出話をして過ごした後、夜には馬場さんお薦めだったステーキハウス『チャックス・セラー』へ。あのSWS騒動当時のことを考えたら元子さんと天龍さん、私がニコニコと一緒に食事をすることなど考えられなかった。本当に心地好く、嬉しい夜だった。そして去年、私が日本スポーツを退社した時には鮨處『しま田』で元子さんと天龍さん夫妻が、私の“ご苦労さん会”を開いてくれた。本当に人と人の縁はわからないものだ。こうした縁を一生、大切にしていきたい。
 今、天龍さんはノアを主戦場にしているが、元子さんと天龍さんの絆は変わらない。
 

マレーシアン・ドリーム

 今朝(1日)マレーシアで買ってきたマンゴーを食べたら、凄く濃厚な味。心はまたまたランカウイ島に飛んでしまった。
 5月28日のダイアリーで、ランカウイ島はハワイに次ぐお気に入りの場所と書いたが、思い出に残っている人が何人かいる。ひとりは2000年4月にクアの町で出会ったシャークフィン・レストランを経営する中国系マレーシア人のポールさん。フラリと店に入ったら、
「日本の人? 実は千葉で店を出そうと思っているんだ」
 と、話しかけてきたポールさんは、そのうちに仕事を放棄して私と妻のテーブルに落ち着いて、
「まあ、いいから、いいから。これはおごりね」
 と、ビールを何本も振舞ってくれるサービスぶり。最後には、
「どこのホテル? ああ、近いから送っていくよ!」
 と、飲酒運転でホテルまで送ってくれる親切で陽気な人だった。
 ポールさんの奥さんは土産物屋を経営していたが、その店にも連れて行ってくれた。

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