本日発売!全日本プロレス電子マガジン第6号

電子マガジン06号.jpg
 本日7月5日、全日本プロレス電子マガジン『プロレスLIFE~全日本プロレスマガジンNo.6』が発売になった。今号はオールカラー93ページで6月19日の両国国技館大会を詳報している。
 同大会は武藤敬司が社長を辞任、内田雅之氏の新体制によるビッグマッチ第1弾。この大会は諏訪魔が永田裕志を破って三冠王座を防衛して“全日本のエース”をアピール、ムタ&KENSOが世界タッグ奪取、真田聖也&征矢学のesがアジア・タッグ奪還、KAIが世界ジュニア初戴冠、K-1王者の京太郎がプロレス・デビューし、新体制の第一歩をアピールした。その一方では全日本を約5年間主戦場にしてきた鈴木みのるのレギュラー出場契約が満了、和田京平レフェリーが三冠戦を裁いたのを最後に別れを告げるなど、全日本のターニング・ポイントになった大会だ。
 
 私はメインの諏訪魔&永田、京太郎のプロレス・デビューのリポートを担当。自分が存在しない過去もひっくるめて“全日本”を背負おうという諏訪魔の覚悟と決意、その諏訪魔と同じ目線でムキになって戦った永田の心情、和田レフェリーの最後のレフェリングについて、京太郎との試合を通しての“プロレスラー、船木誠勝”を綴った。
 定価は115円。マガストア、富士山マガジンサービスから購入できます。

世代を超えて革命児の競演!

P6280126.JPG
 昨日は7月4日午後11時から放映されるサムライTVの対談番組『Versus』の収録。今回の顔合わせは天龍源一郎vsKENTAという“昭和の革命児”と“平成の革命児”の激突。あの激しかった天龍革命(レボリューション)を取材している人間として両雄の仲介役を務めた。
 2人の接点は05年に天龍がノアに参戦した時。タッグで何度か対戦しているし、シングル対決も実現(同年10月8日=後楽園ホール)している。さらに静岡の宴席では天龍がKENTAに「さあ、飲めよ!」とリング外の得意技(?)を炸裂させている。「あの時は…気付いたら、トイレで便器を抱えていました」(KENTA)とのことだが、普段はあまり飲まないKENTAが「飲みますよ!」と、ググーッと飲んだことは龍魂に響いていたようだ。
 年齢差31歳。KENTAは天龍が最後のアメリカ修行を終えて帰国した81年3月に生まれている。天龍革命が勃発した時は幼稚園の年長組。そう考えると世代のギャップは凄いが、全日本に危機感を持って天龍革命をスタートさせた天龍と、ノアに危機感を持ってNO MERCYを結成したKENTAは意気投合。これ以上はネタバレになってしまうので書けないが、今必死にもがいているKENTAにとって、天龍がいかに当時の強固な全日本の体制を変えていったか、何を支えに突っ走ったかなどの話は貴重だったはずだ。収録後も控室でしばらく天龍の話を熱心に聞いているKENTAの姿があった。
 天龍革命時代の天龍&阿修羅・原の龍原砲は、対戦する正規軍の選手と交わるのを嫌って、電車やリング屋さんのトラックに乗って単独で会場入りするほどシビアだった。そんな天龍革命の凄さや覚悟をもっともよく知っているのは、実はKENTAが標的としている仲田龍GMだ。当時、リング屋さんでもあった仲田GMは天龍革命の支持者でもあった。仲田GMは今回の天龍とKENTAの意気投合をどう感じるだろうか? 今日の東スポで記事になっていたが、天龍がNO MERCYの相談役になったら面白い展開が生まれそうな予感がするが…。

Gスピ第20号は…90年代の全日本プロレス!

vol.20_1.jpg
 6月29日(水)に発売されるGスピリッツ第20号の表紙画像が編集部から送られてきた。今号の総力特集は『90年代の全日本プロレス』。全日本プロレスは72年10月の旗揚げから80年代半ばまで豪華外国人選手を招聘しての日本人vs外国人、外国人選手同士の夢の対決が主流だった。85年のジャパン・プロレス参戦から徐々に日本人対決が主流となり、80年代後半は天龍革命勃発による鶴龍時代となり、天龍離脱後の90年代は超世代軍を経て四天王プロレス時代へ…。保守的に見える全日本だが、実は歴史の中で大きく変化しているのだ。そんな中で全日本全盛期と言われる90年代を今号では分析してみた。
 この総力特集『90年代の全日本プロレス』の証言者はすべて私が取材した。業界キャリア順に紹介すると、まずは渕正信。渕にはこれまでもGスピでいろいろなことを語ってもらっているので、今回はあえて90年代の外国人選手について取材した。日本人主流の中で外国人選手はどんな感情を持って戦っていたのか、そして外国人選手同士の葛藤など、これまであまり触れられなかった“90年代ガイジン列伝”だ。
 続いては和田京平レフェリー。京平さんは全日本プロレスの創成期から現在まで、レスラーを最も間近で見てきた。全日本が旗揚げした72年にリング設営スタッフとなり、74年11月にレフェリー・デビュー。70年代から80年代中盤まで中堅クラス、前座試合を裁き、87年からは天龍同盟の激しい試合を担当、90年代は鶴田軍vs超世代軍、四天王プロレスのメイン・レフェリーを務めて、先日の6・19両国の三冠戦まで裁いてきた全日本の生き字引。テーマは“全日本のすべての時代を裁いてきた和田レフェリーが見た90年代の全日本プロレスとは”だ。この取材は東北巡業に出る前の5月初めに行ったもので、結果的には京平さんが全日本のレフェリーとして全日本を語るのはこれが最後になった。京平節をご堪能いただきたい。
 現在、ノアのGMを務める仲田龍氏も京平さんと同じく全日本創成期からフロント及びリングアナとして活躍した人物。三沢光晴さんと仲が良く、馬場さんの側近でもあった龍氏には“90年代の全日本においてジャイアント馬場が理想としていたのは何だったのか”“馬場に代わって現場を掌握した三沢の三沢革命とは何だったのか”を中心に聞いてみた。
 レスラーとしては、まず川田利明だ。90年代の全日本プロレスを牽引したのは三沢だが、そこに川田利明というアクを持った異彩を放つ存在がなければ、あれほどのインパクトは生まれなかった。三沢の死後、リングに上がる機会が減り、昨年夏からは長期休業状態になっている川田にとって“あの熱き時代”は何だったのだろうか? 入門は昭和世代の82年。昭和と平成のプロレスラーの環境、気質の違いについても突っ込んでいるのでお楽しみに。
 レスラーとしての2番手は菊地毅。菊地が全日本プロレスの門を叩いたのは87年3月。長州力らのジャパン・プロレス軍が大量離脱した時期だった。その後の天龍革命、そして超世代軍、四天王プロレスと続く全日本の過渡期の時代と言っていい。そんな菊地が体感した80年代末期、90年代の全日本プロレスとは?
 完全な90年代デビューの選手として取材したのは大森隆男。大森はあの秋山準と同期(正確には秋山が1ヵ月先輩)ということで、ある意味で特殊な環境で育った。80年代生まれとは違う90年代世代の大森の話は新鮮だ。
 そして最後は“青い目の馬場遺伝子”太陽ケア。全日本では過去、プリンス・トンガやジョン・テンタがデビューしているものの、まるっきりの新弟子として入ってきた外国人はケアのみ。2000年6月の分裂騒動後もノアに移籍せず全日本に留まり、体制が変わった武藤敬司率いる全日本で今もなお馬場・全日本スタイルを貫いている。ケアに宿っている馬場の王道哲学、そして90年代の全日本とは…。ケアが語る師匠・馬場との出会いから現在に至るまでのトゥルー・ストーリー、その過程で培ったプロレス観に耳を傾けてほしい。そこにはアメリカのレスラーとは違うハワイアンの感性も垣間見ることができるはず。
 ぜひ、読んでください!

革命点火!

初回_1.jpg
 天龍プロジェクトが昨年12月14日の新宿FACE大会以来、8ヵ月ぶりに興行を開催することが決定した。8月21日、新宿FACEで『革命点火 REBORN』と銘打って開催される。革命点火は92年7月にWARが旗揚げした時の大会名でもある。
 なお、諏訪魔&嵐&石井智宏が保持する世界6人タッグ王座は、諏訪魔が天龍に王者の権利を譲ったことで天龍&嵐&石井組になった。私は別の取材が入っていたために昨日の会見には行けなかったが、天龍の口から今後の王座防衛の相手として菊池孝さん&門馬忠雄さん&私のマスコミ・トリオの名前も出たとか…。これは丁重にお断りしよう(苦笑)。
 しかし、その前に私は別の形で天龍と対峙する。7月8日にアントニオ猪木酒場・新宿店で天龍のイベントが開催されるが、そこでトークショーの司会を務めることになったのだ。イベントの詳細は以下の通り。天龍節を最大限に引っ張り出そうと思っているので、ぜひ、お越しください!
<日時>7月8日(金) 19:00~21:30(18:00受付開始)
<場所>アントニオ猪木酒場・新宿店
<会費>8000円(非売品Tシャツ付き)
<内容>天龍源一郎トークショー
      飲み放題&コース料理
      天龍&天龍プロジェクト・グッズ販売
      サイン&ツーショット撮影OK!
<申し込み>http://www.teamfullswing.com/まで
 目玉はイベント参加者全員にプレゼントされる非売品Revolution Tシャツ! また、8・21新宿FACE大会のカードも発表される。会場の都合上、先着150名限定となるそうなので、早めの予約を!
 では7月8日、アントニオ猪木酒場でお会いしましょう。

ビチーッ!

P6150115_1.JPG
 昨日はKENSO&モッキー(元井美貴さん)とサムライTV『S-ARENA』に出演。実はKENSOと同番組に出演するのは7年ぶりのこと。当時はKENSOではなく鈴木健想。WJプロレスで長州力に反旗を翻していた頃で「WJはインディーなのにメジャー面してるからダメなんですよ」「ストロング・スタイルなんて昭和が作った宗教はやめた方がいい」「健介は新聞とかで長州がムカつくとか言ってるけど、ウソ臭いんですよ。所詮は長州のイエスマンなんだから」等々、刺激的なことを言っていたものだ。
 7年ぶりのKENSOは“世界一空気が読めない男”に変貌。「私は、実は試合前も震えるぐらい緊張する男なんです!」と控室で意外な告白をしたが、リハーサルが始まるや「ビチーッ!」に始まり、「普通の日本人の平熱は36度ですが、私は41度! 情熱の塊であります!」と、いきなりのハイテンション。「私、このテンションで1時間スタミナがもつか不安であります!」と、リハーサルからヘロヘロ状態になってしまった…。
 とにかくKENSOは不思議な魅力を持った男。訳のわからないことを言う一方では、かつて付き人を務めた橋本真也の愛息・大地のファイトを見ると目をウルウル。控室でも愛犬の話になると目をウルウルさせていた。
 そうそう、番組の最後にメッセージで「以上!」の決めゼリフが入らず、収録後に「一気にテンションがガクーッと下がってしまいました…」と、落ち込んでいたが、ぜひ次の機会にリベンジを。
 今、全日本はいろいろな問題を抱えて苦境に立たされているが、会場でKENSOのテーマが流れ、あの摩訶不思議なパフォーマンスを見せつけられると、何だか心が落ち着いちゃったりする。それはファンも同じだと思う。“世界一空気が読めない男”はいつしか“全日本一番の癒し系”になったと言っていいかもしれない。
 では、皆さんご一緒に「ビチーッ!」
PS.平井選手の事件について、数多くのコメントをいただきました。きっちりと読みました。ありがとうございました。ただ、ファン同士の言い争いになるのは本意ではないので一切、掲載しないことにしました。ご了承ください。

平井選手の事件について

 5月30日からこのダイアリーを自粛してきた。これまでの間、様々な大会を取材してきたが、最初に書くべきことは平井選手の件だと決めていた。だが、憶測で書くのは嫌だったから更新出来ないままでいた。本日の後楽園ホールで全日本プロレスの新社長に就任した内田雅之氏から観客に対してお詫びと所信表明があったので、これを機に書こうと思う。
 まず個人的な感情から書かせていただく。平井選手とは90年夏にSWSの第1回練習生公募オーディションに合格してからのお付き合いだし、TARUにしても96年夏にWARに参戦してからの付き合いだけにやはり心中は複雑だ。素顔のTARUについては礼儀正しく、腰が低い人物という思いがあるし、この世界ではどんな理由があるにせよ、後輩が先輩に暴行を働くというのは有り得ないことだけに、今もなお「なぜ?」という気持ち、ぶつけようのない怒りと悲しみがある。
 今、表面に出ているのはTARUがVMの控室からジョー・ドーリングとレネ・デュプリの2外国人選手を控室の外に出し、KONO、稔、MAZADAの3人を残した中で“個人的、ビジネス的、プライベートの部分のいざこざ”から平井選手に暴行したこと。他の3選手は手を出さなかったこと。異変に気付いた和田京平レフェリーが止めに入ったこと。隣の控室で大声を聞いた内田氏がVMの控室に行ったところ、TARUが出てきて「お騒がせしました」と謝罪したことで暴行の事実を把握していなかったこと。だが、真相究明は困難を極めると思う。何より被害者の平井選手の意識が回復していないからだ。現時点では加害者側、その場を目撃したとされる人たちの断片的な記憶しか材料がないからだ。それを事実として公表したとして、平井選手のご家族にしてみたら納得がいかない部分が出てくるだろうし、平井選手の意識が回復して違う証言をしたら話が全然違ってきてしまう。真相究明は時間がかかる作業だということを認識していなければならない。
 当日、GAORAの中継があり、私と鍵野威史アナウンサーも現地に飛んだが、あいにくの台風で飛行機が遅れ、会場入りは収録の打合せギリギリ。よって試合前の雰囲気は把握していない。また、早い時間から会場入りしていた番組スタッフも、まったく気付かなかったという。気付かなかったのは選手も同じようで、事件が明るみになった後、私の方が「何があったんですか?」と聞かれたほどだった。
 さて、全日本の対応は、本人の告白を受ける形でTARUを無期限出場停止、その後、VMの解散、控室にいたとされるKONO、稔、MAZADAの3選手も無期限出場停止処分にした。TARUは当然としても、VM解散と3選手の処分は厳しいものだと私は受け止めている。VMの解散は、全日本マットの構図を根本から崩すものだし、3選手は止めに入ったかもしれないのにもかかわらず処分されたのである。真相がハッキリしない以上、灰色も処分する。これは武藤にとっても苦渋の決断だったと思う。
 そして武藤の社長辞任。武藤がなかなか会見しないことに非難が集中したし、ようやく会見をしたと思ったら、その場での社長辞任発言に「責任から逃げるのか!」という声も上がった。しかし、どんな会見をやったとしても、非難を浴びたのではないか。社長の時点での武藤の責任は、真相究明はもちろんのこと、会社の社長としてレスラー、社員、その家族の生活を守ること。当然だが、平井選手の事件が賠償問題に発展した時に「ウチの会社は何も出来ません」ではお話にならないのである。各方面への謝罪や、後任人事等の調整に奔走していたことで会見が遅れたことは想像に難くない。辞任を「責任逃れ」と批判するムキもあるが、社長を降りたからといって責任から逃れられるはずがない。これは社長であり、管理責任者でもあった武藤として、その時点で出来得る責任の取り方、けじめだったと解釈している。2002年10月に全日本の社長に就任し、これまでの9年間、もがきながら馬場・全日本を武藤・全日本に変えてきた。来年は全日本創立40年、武藤にとっては社長就任10年の節目の年だった。それを目前にしての辞任は正直、無念だったはず。そこには「グレーゾーンの3選手を自らの手で処分した以上は、自分自身も処分するべき」という気持ちがあったことだろう。
 こうした私の文章に武藤擁護に回っていると思う人もいるに違いない。でも私は、現時点で公になっている事実を前にこう感じているのだ。
 一番悲しいのは「全日本は潰れろ」とかいう声が出ることだ。確かに今回の事件は平井選手とそのご家族はもちろん、プロレス界全体に多大な迷惑をかけた。その責任は負わなければならないが、リングに上がっている選手は、様々な想いを抱えながら、その日の試合を精一杯戦っている。そんな彼らをなぜ応援してあげられないのか? 責任を負い、償うのは当然としても、全日本プロレスが無くなるべきと考えるプロレスファンがいたとしたら実に悲しい。もしそうなったらプロレス業界全体が、それこそ計り知れないダメージを受けるのである。
 いろいろと書き連ねたが…私の祈りは、平井選手が1日も早く回復すること、そして全日本プロレスが再生することです。

平井伸和選手について

 全日本プロレスは昨日の神戸大会の試合後に脳卒中で倒れ、救急車で病院に搬送されたスーパー・ヘイト選手の手術が成功したと公式発表した。
 昨日の神戸大会はGAORA中継があったため、私も現場にいた。ただし放送席に張り付きだったため、ヘイト選手が倒れたと知ったのは全試合終了後に控室に行ってからだった。
 昨日の興行の目玉のひとつは第3試合で行われたKENSOvsヘイトのウィップ・アス・ランバージャックデスマッチ。KENSOがダブル・ニードロップで勝利したが、試合中に特にヘイト選手が頭を強打するというような場面はなかった。23日の大分大会でKENSOのイスによって右側頭部を7針縫う怪我を負っているが、あくまでも外傷であって、今回の脳卒中とは関係ないとのことだ。
 後で聞いた話によると、試合後のインタビュー中に嘔吐し、その後も控室で嘔吐を繰り返して意識不明に陥り、運ばれたという。
 セミファイナルでは船木&鈴木&曙の超党派軍とTARU&ジョー&レネの6人タッグが行われたが、TARUはTARU水を持たずに入場、試合でも元気がないのが気になったが、今にして思えばヘイト選手のことで頭がいっぱいで試合が出来るような状態ではなかったのだろう。
 ヘイトこと平井伸和選手は90年7月の『SWS第1回練習生公募オーディション』に合格して天龍が道場主を務めた『レボリューション』に所属。翌91年4月25日に後楽園ホールでデビューした。昨日の地元での試合は、本人の中では20周年記念試合だった。VMの中では一番キャリアが長く、他のメンバーに「ヘイト先輩!」といじられていたが、実際には全員が敬語で接していた。
 デビュー当初、ミツ・ヒライの息子として注目されたものの、父親はレスラーになることに反対していて、親の威光を借りることなくSWSのオーディションに一般参加してレスラーになった。何年か前に昨日と同じ神戸サンボーホールにミツ・ヒライさんが訪れて「父親が初めて自分の試合を観てくれました。やっと認めてくれたのかな」と嬉しそうに話していたことを思い出す。2年前の10月にはカズの世界ジュニア・ヘビー級王座に挑戦したが、この時は体重を82キロまで落とした。
あのキャラとは裏腹に常にプラス思考で向上心を持っていたし、ガッツの男。そのガッツで必ずや回復してくれると信じている。1日も早く意識が回復することを祈っています。

ジュニアの季節到来!

 昨日、後楽園ホールで『ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア』が開幕した。A、B両ブロック合わせて史上最多の18選手が参加。本当にバラエティに富んだメンバーが揃った。17年前の第1回大会の参加選手は11人で、他団体から参加したのはみちのくのスペル・デルフィン、TAKAみちのく、SPWFの茂木正淑の3人だった。
 今回、17年ぶりにTAKAが出場したが、今ではプロの職人的な評価を受けているTAKAも当時はキワモノ。その年の4月に行われた『第1回スーパーJカップ』に三度笠を被って、山本譲二の『みちのくひとり旅』で入場して新日本のファンにドッとウケ、スワン・ダイブ式のプランチャで当時の現場監督の長州を「宇宙人みたいだな!」と喜ばせたことによりエントリーされた。この大会中にはスペシャルマッチとして新日本vsみちのくの8人タッグが組まれてテリー・ボーイ(現在のメンズ・テイオー)が出場したことで「遂に新日本に学生プロレスが上がった!」と話題になったものだ。今でこそ、学生プロレス出身レスラーが多いが、当時の新日本の敷居は相当高かったのである。そうしたことを考えると、時代の違いを感じる。
 で、昨日の大会だが、どの試合もレベルが高かった。勝敗はもちろん、各選手に「他の試合を食ってやる!」という意識が高いから、どれも好試合になって当然なのだ。その中にはサスケvsTAKAのかつてのみちのく対決、フジタ“Jr”ハヤトが3度目のしばき合いにして金本に初勝利…などのドラマもあった。個人的には他の試合とはまったくテイストが違ったタイチvsケニー・オメガが面白かった。タイチは全日本プロレスの出身で、私にしてみれば練習生の頃から知っている選手。まさか今みたいなキャラクターになるとは思いもよらなかったが、あの人を不快にさせる雰囲気と立ち居振る舞い、そしてケレン味たっぷりなファイトと個性は、こういう大会だと際立つ。リーグ戦を引っかきまわしてほしいと密かに期待している。頼むよ、タイチ!

昨日のノアには“あの時”と同じ熱が!

 昨日のノア後楽園には“これから!”を感じさせる熱があった。「あれだけ体を張っているチャンピオンが、自ら挑戦者を探している状況はヤバイ。もう、俺が獲りにいくしかない。傍観者でいたくない。今の俺の原動力は現状打破と怒り。今の会社の状況だってヤバイと思うし、現状に満足している奴ら、ナメんじゃねぇ!」と危機感いっぱいにGHC王者・杉浦への挑戦を表明した森嶋は第3試合の6人タッグで健介とド迫力の真っ向勝負をやってのけたし、続く休憩前の第4試合では秋山がジュニアの石森を『チャンピオン・カーニバル』でも出さなかった“奥の手”スターネスダストαを決めて勝利。
「休憩前のメインエベントだったし、いい流れができていたんで、その流れを壊さないように。俺もなかなか元気かな」と秋山は笑み。スターネスダストαを出したことについては「体格差に関係なく石森選手が惜しげもなく技を出してきたんで、それに応えようと」と言っていたが、そこには今後への決意表明があったのは明白だ。“その時”にいつでも出撃できるように準備を整えている前向きな秋山がそこにいた。
 休憩後は杉浦vs雅央、高山vs谷口、潮﨑vs彰俊のシングル3試合が続いた。興行的に考えるとシングルが続くのはリスクを伴うが、それを敢えてやるところにノアの試みを感じる。そして選手たちはそれに応えた。杉浦vs雅央は、雅央ののらりくらりのマサオ・ワールドを杉浦が硬派ファイトで突破するという味のある試合だったし、高山vs谷口は、谷口が必死のアタック。身体能力的には若い谷口が圧倒的に上だけに、高山は勝ったものの青息吐息という感じだった。ただ、谷口がトップに行くにはまだまだの印象。ファイトに気迫出るようになったが、あまりにも攻撃のバリエーションが少ない。いろいろなモノを持っているはずなのに単調なのだ。これを突破するにはプロレス頭を養うしかないだろう。
 潮﨑vs彰俊は、森嶋と同様にGHC挑戦をぶち上げた者同士の対決。彰俊が潮﨑の心を折るような攻めを見せた。考えてみれば、彰俊はいつも潮﨑に成長を促す立場にいる。記憶にあるのは07年6月8日の横浜文化体育館での一騎打ち。この時、彰俊は左腕を骨折していたが、欠場することなく潮﨑の前に立った。そして真正面からのファイトで勝利した。試合後、彰俊に話を聞きに行くと「休むことも考えましたけど、潮﨑は間違いなくこれからのノアを背負っていく選手。だからレスラーの魂を、身をもって伝えたかったんです」と言っていた。また、潮﨑が初めてGHC王者になった時の初防衛戦の相手も彰俊だった。昨日の彰俊は…もちろん、自らGHC王座を狙う者としてのファイトだったが、それでもその中には「これで心が折れたらダメだろう?」という潮﨑への問いかけがあったように感じられた。
 試合は潮﨑が勝利し、その直後に杉浦への挑戦を表明。そこに森嶋が割って入り、6・11ディファ有明での挑戦者決定戦が決まった。“鉄は熱いうちに打て!”だ。
 そしてメインはKENTA&金丸vs鼓太郎&青木のGHCジュニア・タッグ王座決定戦。この4人が揃ったら見応えのある試合になって当然。28分13秒の戦いは観客をまったく飽きさせなかったと思う。
「俺はヒールになりたいわけでもないし、ヒーローになりたいわけでもない。俺は少しでも多くの人にノアを観てもらいたい。それだけだよ!」のKENTAのマイクに後楽園は大歓声に包まれた。観客の声援がKENTA一辺倒ではないところがミソで、それについては「お客同士も闘えばいい」とKENTA。ある意味、会場の雰囲気はKENTAの目論み通りになっていると言える。
 今のレスラーはマスコミに対して何でも説明して答えてしまうが、KENTAのプロレス頭の優れたところは、先々について聞かれて「ちゃんと考えている。想像して、今は楽しんでほしい。(自分で)考えてほしい」と投げかけること。そういえば昔、鈴木みのるが若い記者に「何でもかんでも俺に答えを求めるな。てめぇで考えろ!」と言っていたことがあるが、それと通じる。あんまり「昔は…」とは言いたくないが、昔のレスラーとマスコミの攻防には“敢えて言わない”“敢えて聞かない”ことがあって、そこは各記者が独自に頭脳を使って記事に膨らまし、それがレスラーの感性と合っているのかどうか勝負する面があった。KENTAは今、ノアの体制、ノアの選手、ファン、そしてマスコミにまでも勝負を仕掛けているのだ。
「昔は…」のついでに書かせてもらうと、昨日の後楽園は何だか懐かしい感覚に襲われた。それは何かと考えてみたら…90年6月30日の全日本プロレスの『ワンナイト・スペシャルin後楽園』。日本人だけのわずか5試合の興行だったが、鶴田軍vs三沢軍(まだ超世代軍という名前はなかった)、川田vs小橋の一騎打ちに観客が熱狂、天龍離脱で低迷していた全日本はそこから本格的に盛り返したのだ。昨日のノア後楽園は、あの時と同じような熱があったと思う。

天龍とTAJIRIのバチバチ!

P5200003.JPG
 昨日のSMASHと天龍プロジェクトの記者会見は面白かった。会見前、TAJIRIに会うと「いやあ、天龍さんのオーラは凄いですね。正装した姿を見たら鳥肌が立ちましたよ!」と感激していたが、いざ会見が始まるや、天龍がやたらとTAJIRIに突っかかるような言葉を発したのだ。
「TAJIRI君、俺のことリスペクトしてないでしょ? コメントがハッスルっぽくなってるよ」に始まって「SMASHの印象? ハッスルの残党かと思っています」といった調子で、最後には「俺が出て行く分にはSMASHのカラーを天龍源一郎が変えてやろうと思ってますよ。天龍プロにSMASHの選手を上げる? 百田光雄、土方隆司、折原昌夫がSMASHの選手と大人しくやれるとはとても思えない。試合が終わった後にバカ負けするってやつですよ。天龍プロジェクトは天龍フリークのお客さんがいるから大丈夫です」と、SMASHの選手は天龍プロジェクトには必要ないと言わんばかり。
 もちろん会社同士の業務提携だから、テーブルの上ではしっかりと信頼関係を築いているが、ことリング上のこととなると天龍のスイッチは戦闘モードに。これが様々な戦いをやってきた男の手法だ。
 こうした天龍の態度にTAJIRIも「業務提携の記者会見ですけど、何だかバチバチしてきましたねえ」「(天龍カラーに)塗り替えられるなら、塗り替えてみてください」と返していた。
 今までのSMASHには何か物足りないものを感じていた。それは何かというと味であり、コクのようなもの。その意味でTAJIRIが天龍の35年の歴史の重みを取り入れたいと考えたのは正解だ。
 これから始まる天龍の歴史の重みとTAJIRIの頭脳のバチバチが何を生み出すか楽しみである。