ゆる~い毎日

今はハワイ時間で15日の午後5時過ぎ。ビショップ博物館の前で、これから行なわれる屋外コンサートの開場を待っている最中だ。
こちらに着いて4日。日本の情報は一切なし。でも、それでいい。いろんなことを知ってしまうと、心が休まらなくなっちゃうからね。とりあえず眠くなったら寝て、自然に起きて、散歩がてら朝市に出掛けてフルーツや野菜を買い、海に行くといったリラックス・タイム。これで社会復帰できるか…考えるのはやめよう!
そうそう、到着したのが月曜だったからRAWでトリプルHとHBKのDX復活劇はしっかり見たぞ。

馳センセイに脱帽!

 今週号の週刊ゴングで記事になっている通り、5月10日に文部科学副大臣室へ馳浩を訪ねた。馳センセイと私は同い年。ジャパン・プロレス入団からの付き合いで、プエルトリコ遠征前には浅草まで日本的なギミックを一緒に買いに行ったり、遠征後はプエルトリコやカルガリーからよく手紙をくれた。筆まめな人で、現地の情報も盛り込んでくれるから、記事を書くのに助かったものだ。
 さて、馳センセイは文部科学副大臣として超多忙。朝8時から文部科学部会、9時から来客、さらに中野厚生労働副大臣が訪ねてくるという過密スケジュールの中で、午前10時からの1時間、どうにか取材時間を取ってもらった。朝は4時ぐらいに起きるというのだから、我々プロレス・マスコミの生活とは大違い。下手すりゃあ、こっちは朝4時に寝る生活だからね。
 久々の馳センセイにはプロレスラーの匂いはなかった。でも、プロレスの話になると俄然、表情が違ってくる。きっと7月23日の金沢における引退式、8月27日の両国における引退試合では、完全にプロレスラーに戻っているのだろう。
「3~4時間は睡眠時間が取れているから、死ぬことはないよ(苦笑)。政務、そして引退試合に向けての練習…1日24時間しかないから、これくらいのスケジュールじゃないと、やりたいことがやれないんだよね」
 と馳センセイ。ウーン、凄いバイタリティだ。私も1日24時間では足りないと思っているが、どうにも体が追いついていかず、今週なんかは特に疲れが取れずに仕事もペースダウン中。馳センセイには勝てないね!
 

12年ぶりの山崎五紀

 昨日の『NEWS侍!』のゲストは、かつての立野記代とのJBエンジェルスで一世を風靡した山崎五紀。もう現役を退いて15年だから…五紀じゃなくて五紀さんか。
 私は女子プロレスを担当したことがないからナマのJBエンジェルスを知らない。その後、LLPWの選手たちと飲み仲間になってから、記代にWWF遠征時代の話を聞いて、山崎五紀は私の中で女子プロレスラーのレジェンドになった。とにかくJBエンジェルスの人気、待遇は凄かったらしい。最初は“日本から来た女のコ”程度の扱いだったようだが、人気が出るにつれてギャラがガンガン上がって、ホーガンなどのスーパースターたちが「キミたちのお陰で、今日もハウスは好調だよ」などと、リスペクトを持って接するようになったという。最初はブーイングだったのが、いつしかベビーフェースとして支持され、88年の1月には女子世界タッグ王者にもなっている。87年の暮れには2週間のオフがあって「日本に一度帰りたい」と言ったら、WWFサイドは、そのまま日本に戻られては困るとばかりに「日本に戻るのは駄目だが、アメリカ国内だったら、どこにバケーションに行ってもいい。交通費、ホテル代はすべて会社が持つから」と言ってくれたという。JBエンジェルスは、WWFのいい時代をダイレクトに体験している数少ない日本人レスラー(男女含めて)なのだ。
 私が憧れの五紀さんと初めて会ったのは94年3月のニューヨーク。MSGにおける『レッスルマニアX』の取材に行った時だ。夜、五紀さんのご主人・永井さんが経営するレストラン『GO』に週刊ゴングのシュン山口通信員とお伺いした。以後は、LLPWの記念大会などに帰国するたびに会場ではちょこちょこっと話をしていたが、ちゃんと話をするのは今回の『NEWS侍!』が12年ぶり。
 久しぶりの五紀さんは凛々しい女性になっていた。体ひとつで結婚するためにニューヨークに渡って15年…両親、親戚、友達と離れた異国でご主人をサポートし、3人のお子さんを育ててきた五紀さんは、本当にカッコよく見えた。そして引退して15年経つのにオーラがある。“日々を生きている”という輝きがあるのだ。
 五紀さん、エネルギーを貰いました。ありがとう!

電話でのセールス

 フリーになってからは自宅で仕事をすることが多いが、そうすると結構、かかってくるのが電話でのセールス。興味ある話なら聞きたいが、どうにも言葉のキャッチボールにならないのだ。そういうマニュアルがあるのかもしれないが、とにかく矢継ぎ早にいろいろなことを、しかも回りくどく話してくるから、その意図がなかなか読めないし、口を挟む間がない。これって、聞き手側の頭を混乱させて、考えさせないようにする作戦なのだろうか…と勘繰りたくなってしまう。 そして、こっちは要点だけ聞こうと思って質問しても、またまた話が長い。
 ウーン、これではプロレスにならない。職業としてやっているのだったら、こっちの要求を察知して、ポンと言葉を返してもらいたいなあ。それに売りたいあまりに必死になられると、かえってこっちは引いてしまう。何か、一方的にあれやこれやと脈絡のない技を仕掛けるしょっぱいレスラーみたいだ。やっぱり相手の様子を見て、ちゃんと攻防しないと。電話でセールスする皆さん、人との駆け引きを勉強する意味でプロレスを見ましょう。
 ああ、念のため私はセールスする人すべてにイチャモンをつけているわけではないので、誤解のないように。私も高校時代はダスキンの訪問販売のアルバイトをやったことがあって、ちゃんと話を聞いてくれる人もいれば、はじめっから嫌な顔をする人もいて、辛い思いをしたので。だって黄色い夢を見るぐらいだったもんね。皆さん、電話をかけられた側が気持ちよく聞けるようなセールストークをお願いします。

22年!

 気付いたら週刊ゴングが創刊されてから22年が経った。84年5月10日に第1号が出たのだ。それにしても22年て結構長い。だって上戸彩も山田優も生まれていないのだ。蛯原友里は…4歳か。
 当時、私は22歳(この年の9月に23歳)。生きてきた人生の半分近くの時間を週刊ゴングで費やしてきたことになる。もっとも99年1月~04年9月までの4年8ヵ月は助っ人として手伝った程度だが。
 90年7月=副編集長→94年8月=編集長→99年1月=編集企画室長→02年11月=編集担当執行役員兼総合編集企画室長→04年9月~=フリー。ウーン、3~5年ぐらいの周期で何かあるわけか。まあ、22年も時間あれば、いろんなことがあって当然だ。今から22年経ったら、普通の会社員だったら定年を過ぎている。でも、勝手気ままな私には定年はない。というよりも、ずっと仕事を続けざるを得ない立場ってわけだ。この道を行けばどうなるものか…行けば、わかるさ!

午前様

 昨日のドラゴンゲート後楽園大会に新日本の海野レフェリーが訪れてWAR興行への協力を要請。岡村社長、マグナムTOKYOが全面協力を約束した。ドラゲーの関連会社ドラゴン・ファクトリーが会場の手内などを仕切るのだ。
「それってWARじゃなくて、ドラゲーの興行じゃん」という声も出そうだが心配は無用。リング上のことに関しては天龍さんと海野ちゃんがすべてを仕切る。マグナムも「あくまでも裏方ですから。僕は昔、WARで練習させていただいて、その時の空気も知っているし、昔のWARの色が出るようにお手伝いしたいですね」と言っていた。
 
 試合後は海野ちゃんと久々に飲みに行くことに。レフェリーとして新日本と契約していながらも、やっぱり海野ちゃんは天龍信者で、かつての天龍さんの試合後の飲み方を未だに踏襲している。新日本では“ひとり天龍同盟”と呼ばれているが、まさにその通り。WARの思い出話、来たるWAR興行などについて語らっていたら…いつの間にか朝5時じゃないか!

これにてオシマイ!

 昨日、ジミー鈴木氏のことを書いたら、2ちゃんねるで広がりを見せてしまい…まあ、想像していなかったわけではないが、予想以上だったので正直なところ「参ったなあ」という感じ。本当は私と鈴木は個人的な付き合いをしているわけだから書くこともないなと思っていたが、私のダイアリーにジミー鈴木氏についてのコメントが寄せられていたので、スルーするのも失礼だと思って敢えて書いただけのこと。個人的な話は電話をもらった時点で完結している。したがって、言うべきことがあったら、お互いに直接言えばいいのだから、もう今回の件については公に書くことはない。連続ドラマのようになっちゃっても困るので。ということで、これにてオシマイです。
 とりあえず、フリーというのは大変な立場だということ。会社員だったら有給や夏休みなどがあるし、毎月決まった給料がもらえる。だがフリーだと、1日休んだら、その分、稼ぎが減る。毎月決まった額が入るわけではないし、その社によってギャラの振込み日はバラバラ。今、私が抱えている仕事の中にも支払われるのは9月というものもある。だから月によって収入に20~30万円ぐらいの増減があるのは当たり前。普通の会社勤めで、もし給料が月に3万円も違ったら一大事でしょう。仮にレギュラーの仕事を持っていたとしても、打ち切りになれば、それまで。ジミーさんも週刊ゴングの仕事はある程度の額を計算できるものだっただろうから、それを打ち切ったのは大きなダメージだと思う。とにかくフリーには安定というものがないから、精神的にもハードなのだ。昔からの仲間として頑張ってほしいと思う。会う時は、いつもお互い笑顔でいたいものだ。そのためには私も頑張らなければいけない。
 ただ、フリーの場合「これで食っている!」という意識が強くなるから、ひとつひとつの仕事にやり甲斐とプライド、責任感が出来るのは確か。常に全力でいい仕事をしようとする。いい仕事が自分への評価につながり、そして次の仕事につながる。そして会社員ではないから仕事を選択できる。少々、ギャラが安くても、したい仕事ならするだろし、意に反するものだったら、どんなにギャラが高くてもやらない。下請けではなく、個人事業主として名前で食っているのだから当然である。それがプライドである。フリーは金である、けれども金だけじゃない。かつて会社人間だった私は、常に不安と緊張を抱えながらも、自分の責任で思い通りの行動ができる今の立場が好きだ。

様々な風説について

 ここ最近、週刊ゴング及び日本スポーツ出版社についての様々な噂が飛び交っているようだ。ジミー鈴木氏が週刊ゴングとの取引をやめたことについてや、心配だか皮肉だかわからない書き込みがBBSにあったりする。
 鈴木氏からは日本スポーツ出版社と決裂した翌日に電話があった。もちろんそこには様々な要素があるとは思うが、一言で言ってしまえばビジネス上の折り合いがつかなかったということだと思う。
 仕事を発注する側は1円でも安くしたい、仕事を受ける側は1円でも多く欲しい。これは当たり前のこと。私は1年半前までは日本スポーツ出版社の執行役員としてコストカッターの立場にいたこともあって、双方の気持ちがわかる。当時、私が心を砕いたのはフリーの人たちに、いかに決められたギャラで気持ちよく仕事をしてもらうかだった。よく「フリーの人間を使う」という言い方をするが、その意識でいたら、必ずトラブルに発展する。「仕事をお願いする」なのだ。そして受ける側も「仕事をやってやる」という気持ちでいたら、これまたトラブルの素。「ありがとうございます」の気持ちでいなければいけない。
 フリーの人間の立場からしたら、自分の価値は自分で守らなければいけないから、どうしても譲れない部分がある。仕事を発注する立場からしたら予算というものがある。そこで、どうお互いに折り合いをつけるかなのだ。今現在、私の場合は日本スポーツ出版社との間に折り合いがついているということ。これが崩れたら、仕事を受けない。それだけのことだ。
 
 鈴木氏に関して言えば、客観的に見れば週刊ゴングに必要な人材だと私は思うのだが。でもジミーさん、週刊ゴングの悪口は公言しちゃいけない。日本スポーツ出版社という会社に対してはいろいろあるだろうが、あなたの言葉が、別に喧嘩しているわけでもなく、人間的な付き合いも長い週刊ゴング編集部の人間にとってマイナスになっているのですよ。
 あと休刊云々という書き込みがBBSにあったが、これは「?」という感じ。一体、どこからそんな話が出てきているのか。今現在、私は会社を離れた人間として、経営面や週刊ゴングの編集方針について、求められる以外は口出ししないことにしており、会社の内情はまったく知らないというのが正直なところだが、休刊などという話はない。日本スポーツ出版社の基本は今も昔も週刊ゴングであり、あり得ない話である。
 それにしても、雑誌の内容だけでなく、その出版元の動向まで話題になるのがプロレス界。それだけファンの思い入れが強い世界だとつくづく思う。そこがまた面白いと、私も思ってはいるが。

19年ぶりの鬼怒川温泉

 今日は我が夫婦の9回目の結婚記念日。ところが夜は『NEWS!侍』の収録があって、帰宅したら日付が変わってしまうので、昨日から1泊で鬼怒川温泉へ。GW最終日、あいにくの天気とあって観光客も少なく、かえってノンビリできた。
 考えてみたら鬼怒川温泉に行ったのは19年ぶり。87年9月に天龍同盟の合宿で行って以来だ。あの時は天龍がジャンボとの一騎打ちに初勝利、天龍&阿修羅の龍原砲がPWF世界タッグ奪取、川田と冬木が天龍同盟入り…とイケイケの時期だっただけに凄かった。
 取材が終われば夕方からは大宴会。天龍同盟のメンバー&取材陣よりも芸者さん、コンパニオンの数の方が多いのだから、さすが天龍! 全員で食事して、カラオケ・スナックに行って、またまた部屋に戻って酒盛りして…。酒が弱い週刊プロレスのA君はこっそり自室に戻って寝ようとするのだが、そのたびに川田に連れ戻されて「イッキ!」。遂には行方不明になり、みんなで探していたら大浴場の更衣室で大の字になっていた。
 アッという間に夜が明けて、さすがに全員グッタリ。川田などは「練習に来たのに、逆に体を壊した」とブツブツ。そして天龍が支払ったのは総額68万円!「財布を見たら、3万7千円しか残っていなかったから焦ったよ…」とは、あとから天龍に聞いた話だ。
 というようなことを思い出しながらの鬼怒川温泉旅行。ホント、奥さんには感謝してます。

若い刺激

 昨日は午後6時から同じマンションに住むユースケ君と馴染みの焼き鳥屋に行ってサシでお酒タイム。ユースケ君は4月下旬から札幌に転勤になったのだが、GWは東京に戻ってきていたので誘った次第。会社勤めの何が凄いって、転勤の辞令が出たのが前日の午後だったとか。つまり「明日から札幌の支店長に…」ということだったらしい。
 これには奥さんのユキちゃん、息子のサイゾウ君&ホマル君も驚いたことだろうが、会社員の宿命…出世コースに乗っているのだから「おめでとう!」だ。すでに家族で住む新居も決まったそうだが、子供の幼稚園のこともあるし、これからが大変そう。でもユースケ君は前向きで明るい男。私より15歳も下だが、しっかりした将来のビジョンも持っているし、家族のことも考えている。エライ!
 焼き鳥屋の後は、ウチで延長戦。気付いたら朝6時になっていた。さすがに30歳はスタミナがあるなあ。まったく職種が違って、年齢も違う人との会話には、普段は気付かないヒントが結構ある。気分転換にもなる。いい刺激を貰ったお酒タイム12時間(!)だった。