恩讐を超えて…祝・猪木70歳!

猪木古稀.jpg
 昨日は『アントニオ猪木の古稀を祝う会』に出席。ホテルオークラの『平安の間』には62ものテーブルが並び、各界から約660人が集って猪木の70歳の誕生日を祝った。それはプロレスのみならず、様々な分野で活躍してきた猪木の人脈の広さを物語るものだ。
 私は84年5月に月刊ゴングが週刊化された時に全日本プロレス担当になり、一度も新日本プロレス担当になったことはなかった。だが、子供の頃から猪木さんのファンで、高校時代には新日本ファンクラブ『炎のファイター』を主宰していたし、ゴングの週刊化の前までは顔見知りの選手が多数いる新日本の方が取材しやすかった。時代的に説明するなら三銃士が入門する前後までだ。そこから私はジャイアント馬場さんに触れていくことになったため、猪木さんがどういう人間なのかはわからない。直接取材したことは数えるほどだ。だが、プロレスラーのアントニオ猪木は子供の頃から夢を与えてくれる存在だったし、この業界に身を置いて30年以上経った今、改めて最高のプロレスラーだと思っている。その猪木さんの古稀のパーティーに出席できたことを嬉しく思う。
 昨日のパーティーではかつて猪木の参謀役として“過激な仕掛け人”と呼ばれた新間寿氏が発起人として各方面に働きかけて尽力し、同じく発起人に名を連ねた坂口征二、藤波辰爾、木村健悟、藤原喜明、佐山聡、前田日明、蝶野正洋、スタン・ハンセンの8人、さらに北沢幹之、ドン荒川、ジョージ高野(マスクを被ってザ・コブラとして登場)が会し、IWGP王者の棚橋弘至も花束を持って駆けつけた。
 面白かったのは、猪木を目の前にすると誰もが昔に戻ってしまうことだ。前田が挨拶している写真を掲載したが、前田は猪木を「社長」と呼んでいた。パーティー終了後に前田に聞いたら「いやあ、“猪木さん”とはどうしても呼べないんだよね。最初が“社長”だったから、こればっかりは変えようがないよ」と笑っていた。長い歴史の中では誰もがいろんなことがあった。でも、時が経てばこうして笑顔で祝福できる。まさに“恩讐を越えて”である。明るく、笑顔が絶えない、いい宴だった。猪木さん、改めておめでとうございます。

「恩讐を超えて…祝・猪木70歳!」への1件のフィードバック

  1. はじめまして。
    前田はRINGSラストマッチ終了後のリング上での挨拶で、
    「昔から社長と呼んでいたので、社長と呼ばせて下さい」
    と言って、猪木に謝辞を述べていましたよ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です