小橋建太と日本武道館

 小橋建太の引退試合が5月11日、日本武道館に決定した。試合開始時間=17時しか決定事項はないが「1日も早くファンのみんなに知らせたかった」というのがいかにも小橋らしい。日本武道館を押さえるのは大変だが、5月11日の土曜日を取ることができたのは「小橋さんの引退試合ならば…」と日本武道館側が配慮してくれたのだという。
「日本武道館の花道を、コバシコールを受けながら歩きたい」と小橋。日本武道館は小橋にとって夢舞台だった。デビュー1ヵ月の88年3月27日の日本武道館は、同日デビューの菊地毅は第1試合で百田光雄と対戦したが、小橋は試合が組まれなかった。全選手出場が前提の今とは違い、その昔は日本武道館の試合に出場するのはステータスだったのだ。だが、その3ヵ月後の6月10日の日本武道館(メインはインター・タッグ王者ウォリアーズとPWF世界タッグ王者ジャンボ鶴田&谷津嘉章の五輪コンビのダブルタイトル戦で、五輪コンビがタッグ王座統一)では同期の菊地、北原辰巳(現・光騎)より上の第3試合に出場することができた。結果は高木功(現・嵐)と組んで大熊元司&永源遙とタッグマッチ20分1本勝負で対戦して、大熊のダイビング・ヘッドバットに敗れた。
 初メインは93年6月1日。四天王時代に突入したから初の日本武道館で三沢光晴と組み、川田利明&田上明の世界タッグに挑戦した。四天王がメインで初めて揃い踏みした記念すべき試合だ。シングルでの初メインは94年9月3日、スティーブ・ウイリアムスに挑戦した初の三冠戦で、王座奪取はならなかったが40分を越える熱闘に。そして96年7月24日、田上明を破って遂に日本武道館で三冠奪取。以後、スタン・ハンセン、川田、三沢、秋山、ベイダーらと三冠を巡って日本武道館で死闘を展開した。
 ノアになってからは03年3月1日に三沢からGHC王座を奪取した試合も含めて絶対王者として日本武道館で8回のタイトルマッチをやっている。まさに小橋の全盛期だった。
 日章旗を掲揚している日本武道館の天井は独特の雰囲気がある。かつてジャイアント馬場さんは試合前の練習でリングに寝転んで天井を見上げて「俺もいつかは試合で大の字になって、この天井を見ながら引退するのかなあ」と言っていたが、小橋も同じような心境なのか…。
「馬場さんにも三沢さんにも本当に感謝しています。引退の花道をしっかり歩いて帰る、しっかり引退する。それが恩返しだと思います」
 馬場さんの75回目の誕生日だった2013年1月23日、小橋建太は晴れやかに引退の日を発表したのだった。

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