感激!15年半ぶりの佐藤昭雄さん!!

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 9月26日に発売されるGスピリッツ第25号の総力特集『全日本プロレス創立40周年記念スペシャル』で遂に佐藤昭雄を取材することができた。全日本の歴史を語る上で、裏方で手腕を振るった佐藤は重要人物。16歳でジャイアント馬場の弟子として日本プロレスに入門し、新弟子時代から馬場さんのプロレス哲学を植えつけられている。そして長年のアメリカ生活の中でプロレスの創り手としてのノウハウを学び、81年から84年には全日本のブッカーを務めた。
 ブッカーになった佐藤は若手の育成に力を注ぎ、全日本の伝統でもあった年功序列のマッチメークを廃止した。そうした環境から越中詩郎、三沢光晴、ターザン後藤、冬木弘道、川田利明らが育った。Gスピの読者の方ならご存じだと思うが、彼らはいずれも影響を受けた人物、尊敬する人物に佐藤の名前を挙げる。若手の育成もそうだし、その他、諸々の細かいところで全日本を大きく変えた功労者なのだ。佐藤昭雄の教えは全日本のみならず、日本マット界のあちこちに受け継がれている。インディー団体もそうだし、冬木を通して新日本でも邪道&外道がちゃん受け継いでいる。私にとっても尊敬するプロレスの先生。リング上の技術的なこと、サイコロジーからマッチメークの仕方等々…“プロレスそのもの”をレクチャーしてくれた人である。
 89年にはレスラー兼日本進出コーディネーターとしてWWF(現WWE)にスカウトされ、その後はWWF極東地区代表に就任。95年夏にWWFを離れるとWARにプレーイング・マネジャーのシンジャ(信者)として上がると同時にLLPWのアドバイザーに。96年2月にはIWAジャパンに専務として迎えられ、同年10月にはインディー統一を目指した日本プロレスリング共同機構FFFのコーディネーターに就任。だが、97年1月にFFFは親会社の経営不振により旗揚げを目前に崩壊。これと同時に佐藤もプロレス界をきっぱりと引退した。
 ここから先は私的に書かせてもらう。佐藤昭雄ではなく、昭雄さんと表記させてもらう。97年1月当時、私は週刊ゴングの編集長だった。昭雄さんのカンサスシティの自宅に本を毎週送っていたが、ある時、昭雄さんから「プロレスからスッパリと身を引くことにしたよ。もうゴングを送ってくれなくていから。じゃあ、元気でね」という電話。そこから今回の取材まで15年半以上も交流は途絶えた。その場の思いつきで何かを言う人ではないから、引退の決意が固いことは理解できたし、「スッパリと身を引く」とは業界との完全決別の意味だと解釈した。その気持ちを尊重すると、私にはとても電話することなどできなかった。
 実は妻とまだ結婚する前…というよりも、まだ付き合う前の彼女と彼女の友達、そして昭雄さんの4人で飲んだことがあった。その時、昭雄さんに「小佐野君たち、結婚すれば?」と言われたことがある。それがずっと頭に残っていたから結婚した時には報告として手紙を送ったが、返信はなかった。また、あるインディーの関係者が協力を仰ごうと電話をしたら、家族の人に「もうプロレスとは関係ないので…」と取り次いでもらえなかったという話も耳に入ってきた。だからもう2度と、昭雄さんと接する機会はないと思っていた。
 そうした状況が続いたなかで07年にラスベガスのカリフラワー・アレイクラブに出席したノアの仲田龍ちゃんから「珍しい人が来てたよ。佐藤昭雄さん! 全然、変わっていなかったよ!」と聞いてビックリ。ある程度の年月を経て業界と接触を持ってもいいと心変わりしたのだろうかと淡い期待が生まれたが「いや、元気だったけど、今のプロレスのことは全然知らなかったよ。ああいう同窓会には出席しても、今のプロレスとは関わりを持つ気はないみたいだよ」と龍ちゃん。それを聞いて、やはり接触を持ってはいけないような気がして、またまた年月が経って今日まできた。
 そして今回の特集。Gスピの読者からも「佐藤昭雄を取材してほしい」という声が多いと聞いていただけに、ダメもとで龍ちゃん、ノアの海外コーディネーターのケン平山君に仲介してもらい、15年半ぶりに昭雄さんと連絡を取ることができた。
「小佐野君、元気? 奥さんも元気なの? 手紙もらったよね。いずれ日本に行くこともあると思って、そのままにしていたんだけど、行くこともなく15年経っちゃったな(苦笑)」と昔と何ら変わらない昭雄さんの声。取材の件を切り出すと「ここで断ったら、そっちの顔が立たないだろ? しばらく日本語を喋ってないから…喋る稽古をしておくよ」と嬉しい言葉。そして国際電話で取材すること実に4日! 短い時で2時間、長い時には4時間話していたから、合計時間は10時間を越えた。それだけ様々な引き出しを持っている人なのだ。久しぶりの佐藤昭雄プロレス教室は改めて勉強になった。全日本ファンに限らず、本当に多くのファンの方に読んでいただきたいと思う。
PS.写真はカリフラワー・アレイクラブでの親友J・J・デュランとのツーショットです。

「感激!15年半ぶりの佐藤昭雄さん!!」への4件のフィードバック

  1. 佐藤昭雄さんのインタビュー記事、待ち遠しくて
    発売日に購入して拝読致しました。
    日本プロレス時代から、全日本、
    そして米国でのご活躍からブッカーとしてのお仕事と、
    一本筋の通ったプロレスラーとしての生きざまに
    とても感銘を受けました。
    これまで観ていた時代の秘話も伺えて
    とても良かったです。
    このような素晴らしい記事をまとめてくださった
    小佐野さんに感謝します。
    佐藤昭雄さん、小佐野さんありがとうございました。

  2. Twitterでも呟いたのですが。今回の佐藤昭雄氏インタビューは歴史に残る内容だと断言します。
    レスラーとしてではなく、ブッカーとして経営難に陥っていた全日本プロレスの立て直しをした佐藤氏。プロレスについてあそこまで語った脱帽ですが、佐藤氏からロングインタビューで丹念に聞き出した小佐野さんの情熱と手腕は素晴らしい、敬服しております。マハロ!

  3.  読みました最新号。中身が濃いのに詰め込み過ぎと思います。カットした記事かなりあるのではないでしょうか?前号もそうですが文章が多く、詰め込み過ぎのために内容が満点の面白さのため目が疲れるため読むのが大変で完全寝不足になりました(当方いい年寄りなのでつらい?!)もしカットしてるところがあるのであれば何かの機会に載せてほしいですね。武藤とカズハヤシのインタビューが全然目立たないくらいの内容でした。佐藤昭雄氏が後年コーチ的な役割は聞いてましたが全日本のブッカーだったのは知りませんでした。また、日本プロレス時代の話も懐かしくも興味深掛かったです。タイガー戸口の選手表も毒舌ですが見てる方とやる方のとり方が違うのが面白い。次号も楽しみにしてます。
    佐藤昭雄氏が昭和44年に札幌で第11回ワールドリーグを見たというのは記憶違いと思います。昭和44年札幌では2月に新春チャンピオンシリーズ2連戦があり、ワールドリーグ戦は翌年の5月?12回ワールドリーグは開催してます。そんなのはどうでもよいですよね。

  4. 佐藤昭雄さんのインタビュー、待望していました。やはり馬場全日本と言えば昭雄選手です。テレビ解説もされていて外国人選手にも精通されて非常に興味深い話ばかりでした。
    裏話もかなりあるでしょうし、第2弾期待しています。
    伊藤正男さんもGスピの情報網で知りたいですね。

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