大先輩の送別会

 昨日はデラックス・プロレス編集長、週刊プロレス次長、週刊プロレス顧問を歴任してきた宍倉清則さんの送別会が催された。宍倉さんは私にとって大先輩。新日本プロレスのファンクラブ『炎のファイター』を創った高校2年生の時に初めて話をさせてもらったということは…1978年だから、34年のお付き合いということになる。当時、宍倉さんは大学生で、プロレス8ミリ上映会をやっていたザ・マニアックスのメンバー。すでに月刊&別冊ゴングのアルバイトスタッフをしていた。社会に出てしまえば大した差には感じなくなるが、高校生の頃の5歳年上は大きい。宍倉さんは大人であり、憧れの人でもあった。
 宍倉さんが担当していた連載企画『ファンクラブとの遭遇』に出演させていただいたのは別冊ゴング79年2月号のこと。そして80年春、大学生になった私はゴングのアルバイトになり、そんな私に編集作業の細かい基礎を親切に教えてくれたのが先輩の宍倉さんだった。
 例えば熱戦譜。試合の記録だが、これにも実は細かい決めごとが多数ある。それを教わりながら宍倉さんのアパートに泊まらせてもらって徹夜で仕上げたのも懐かしい思い出だ。
 81年に宍倉さんはベースボール・マガジン社に移籍してしまった。それ以前の私は写真のネガ整理がメインの仕事でほとんど雑用係、パシリだったから、実際は一緒に仕事をしたとは言えないかもしれない。しかし、年月が経ち、フリーになった私がベースボール・マガジン社の媒体で仕事をするようになった時には、宍倉さんは喜んでくれた。
 昨日、お会いしたのは5月4日の竹内宏介さん…ボスのお通夜以来。その時は、ほとんど話が出来なかったので、昨日は久しぶりに楽しい時間を過ごさせてもらった。
 これから先、宍倉さんがどういう選択をしていくかはわからないが、一旦は心と体を休めて、そして新たな一歩を踏み出していかれることを期待しています。ひとまず、お疲れさまでした。

「大先輩の送別会」への1件のフィードバック

  1.  あのころ、「ゴング」には安西さんや鈴木さんも頻繁に登場し、ファンの立場から団体やレスラーに忌憚のない意見を語っていましたね。
     フェイクだのアングルだのシュートだの、そんな“ヤボ”なフレーズが一切存在しなかった、あの時代が本当に懐かしくてたまりません。今のプロレスにも“それなり”の良さがあると、わかってはいるつもりですが…。

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