『ジャイアント馬場 甦る16文キック』第2巻発売!

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 今日6月8日、小学館のDVD付きマガジン第2巻が発売になった。今号のDVDに収録されているのは、1974年12月2日、鹿児島県立体育館において馬場が日本人として初のNWA世界ヘビー級王者になったジャック・ブリスコ戦、75年12月15日、仙台・宮城県スポーツセンターにおけるジャンボ鶴田との初シングル戦の2試合だ。
 マガジン編ではブリスコ戦を菊池孝氏が、『全日本プロレス・オープン選手権大会』公式戦として実現した鶴田戦は私が解説を書いている。また『今だから明かせるスポーツ秘話 馬場さん回想録』には日本プロレス時代の馬場さんの試合を8年間実況し、全日本プロレスになってからも特別リポーターやインタビュアーとして馬場さんにマイクを向けた徳光和夫アナウンサーが登場。徳光アナを取材し、執筆しているのは週刊プロレスの馬場&全日本担当記者として活躍した市瀬英俊氏。菊池さん、市瀬君と馬場さんのDVDムックを一緒に作るというのは感慨深いものがある。
 ということで、御試聴&御一読のほど、よろしくお願いします!

TAKAの職人芸

 今年も新日本のスーパージュニアが盛り上がっている。10日には決勝を迎えるが、5・27開幕戦、そして昨日と15日間に3回も後楽園ホールで興行を打つのだから凄い。正直、今は後楽園を満員にするのは容易いことではないのだ。メンバーもバラエティだ。アメリカ=ロウ・キー、ブライアン・ケンドリック、ロシア=アレックス・コズロフ、メキシコ=アンヘル・デ・オロ、アイルランド=プリンス・デヴィット、イングランド=PAC、キューバ=ロッキー・ロメロと国際色も豊かで、昔の日本プロレスのワールド大リーグ戦の趣もある。
 昨日のメインはデヴィットvsPACのアイルランドvsイングランドであり、新日本vsドランゴンゲート対抗戦。PACのセコンドにはWORLD―1インターナショナルの盟友・吉野正人が付き、他にもCIMA、望月成晃らのドラゲー勢が姿を見せていた。試合は身体能力抜群の2人だけに「本当にこれを生身の人間がやっているの?」と思ってしまうような高度な攻防。ノンストップの動きの中にもメリハリがあるから、本当に目が離せない。フィニッシュとなったPACのフレーミングスタープレスの正確さは見事というしかなかった。動きっ放し、15分を越える試合で、難易度の高い空中技でミスがないというのがPACの凄いところだ。
 さて、そのメインよりも個人的に印象に残ったのは田口隆祐vsTAKAみちのくの日本人対決だ。かつては宇宙人と呼ばれた空中殺法の使い手TAKAだが、いまやすっかり組み立てとインサイドワークで勝負するレスラーになっている。それは多分、連日ハードな移動をこなし、常に自分より大きな相手と戦うというWWEでの過酷な生活から身に付けた“生きるための知恵”だろう。
昨日のTAKAは現在の空中戦&大技のジュニアの対極に位置するTAKAの面目躍如となった。田口も巧いレスラーだけに丁々発止の駆け引き。5分過ぎまで技らしい技は…実は、お互いに放ったドロップキックだけ。それでも観客を飽きさせないのは相手の攻めを切り返す巧さ、緩急の妙が両雄にあるから。中盤以降には「飛ばない」というTAKAもきっちりと宇宙人プランチャを決めてみせた。そして最後も切り返しの妙で田口をきっちりとフォール。技の無駄使いをしない、無駄な動きをしない、リスクのあることは極力やらない、それでも客を飽きさせない…そんなTAKAの職人芸を見せつけられた気がした。いや、お見事でした!

その歩みは26年目に突入!

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 昨日は7月27日に後楽園ホールで開催される天龍プロジェクト第8回大会『R-2』の記者会会見。天龍にとっては、レボリューション…天龍革命をスタートさせてから26年目に突入しての初仕事だ。1987年6月4日、シリーズ中のオフの日にジャイアント馬場の承諾を得て、名古屋のシャンピアホテルで阿修羅・原と話し合って握手。全日本プロレス活性化を目指す龍原砲が誕生した。あれから25年…四半世紀もの時が経過したのである。
 その時、私は週刊ゴングの全日本プロレス担当記者だったが、新聞と違ってすべての試合に同行取材するわけではなかったから、残念ながらこの握手の瞬間を取材することはできなかった。その前日に東スポの担当記者だった柴田惣一氏から「どうやら馬場さんと天龍さんの間で話がついて、明日、天龍さんが行動を起こすはずだから来た方がいいよ」という連絡をもらったものの、会社から出張の許可が下りなかった。天龍がアクションを起こすといっても、その程度にしか思われなかったというのが当時の現実である。だが、その後は日本マットの主役になった。私は日本全国各地に出張して天龍と天龍同盟の動向を追った。
 それにしても、その頃は25年後も天龍さんを取材しているとは思わなかった。私自身も、まさかフリーになって活動しているとは当時に想像できるはずがない。それ以前の話として、25年後に週刊ゴングがなくなっているなんて想像できるはずがなかった。それが人生である。
「ジャンボの背中は見飽きたし、輪島のお守りにも疲れた。ジャンボ、輪島を本気にさせて“全日本は面白い!”って、みんなに言わせてやるよ。最終目標は全日本で光る存在になって阿修羅と2人で新日本に上がることだよ。全日本の代表として長州、藤波と闘うのが夢だね」と語った25年後、天龍は杖なしで会見場に現れた。まずは後楽園ホールを満員にすることから天龍革命を始めたように、25年後の天龍もまた12月29日の復帰に向けて杖なしで歩くことから根気よく確実に前進している。