Forever M

 昨日は三沢光晴さんの命日。月日が経つのは早いもので、あの広島から3年だ。しかし、三沢光晴という存在は時間の経過に埋没することはない。後楽園ホールは大ミサワコールに包まれた。
 会場入口の横に献花台が設置され、中に入ると東側バルコニーに遺影。『スパルタンX』が流れる中で当日のカード発表が行われた。第1試合に出場した菊タローのリングシューズは三沢カラ―のグリーンを基調にしたもの。欽ちゃんキックからキリモミ式のフライング・ラリアットという三沢ムーヴもやってのけた。休憩明けには『行け!タイガーマスク』の2代目タイガーマスク時代の入場テーマ・バージョンが流された。
 セミファイナルのGHCジュニア・タッグ選手権では丸藤正道vs鈴木鼓太郎の元付き人対決が実現し、最後は鼓太郎が大健闘の石森をランニング・エルボー、ローリング・エルボーからのタイガー・ドライバーでフォール。鼓太郎のエルボーは三沢さん直伝だ。若手時代、先輩に「お前のエルボーはショッパイ!」と言われて、三沢さんに「エルボーは円運動なんだ」と直接教わったであり、30分の熱闘にピリオドを打ったタイガー・ドライバーは「お前のタイガー・ドライバーはいいなあ」と三沢さんにお墨付きを貰って使い始めた技だった。
 メインでは三沢さんの先輩で、メキシコ修行で苦楽を共にした越中詩郎が6年半ぶりのノア・マット登場。リングインするや秋山準、潮﨑豪、齋藤彰俊を指さして「ヘシ折ってやる!」のポーズ。ド演歌ファイター、サムライは相変わらず元気がいい。コーナー最上段から、エプロンから、さらには森嶋との競演でヒップアタックを爆発させて大コシナカコール発生。彰俊との平成維震軍対決も新鮮だった。さらに遡れば、越中と彰俊は新日本vs誠心会館で喧嘩抗争を繰り広げた中でもあるのだ。張り切り過ぎた越中は試合中に左足を痛めてしまったが、これが越中というプロレスラーの生き様である。
 秋山はGHCタッグ・ベルトだけでなく、三沢さんが全日本プロレス時代に新時代を築いた三冠のベルトも携えて入場。普段はPWFヘビーのベルトを巻く秋山だが、この日は三沢さんと同じくインターナショナル・ヘビーのベルトを巻いて登場した。
 全試合終了後には10カウントの弔鐘、その後に『スパルタンX』と共にかつての三沢さんの映像が。タイガー・ドライバー91、断崖タイガー・ドライバー、急角度のエメラルド・フロウジョン、花道から場外へのタイガー・スープレックスに思わずどよめきが…。
今、四天王時代のプロレスを批判する声が少なくないのも事実だ。だが、あのギリギリのプロレスは最高レベルの受け身の技術と戦う者同士の信頼感に裏打ちされたものだった。プロレスが揺らいでいた時代、彼らは大げさではなく命懸けでプロレスを守った。三沢さんの凄いところは、それを「ファンのため」とは言わずに「自分が後悔したくないから」という言葉で貫いたことだ。その後、四天王が身体をボロボロにしてしまったことで、プロレスはどうあるべきかを改めて考える風潮が生まれたが、あの時代にストーリー性や言葉に頼らないでファンを満足させ、完全決着を目指す純度の高い四天王プロレスは必然であり、必要だった。アンチ・プロレスに対する切り札でもあった。あれがなければプロレスを守ることができなかった。そのことを絶対に忘れてはならない。Forever M

「Forever M」への2件のフィードバック

  1. 早、3年ですか…
    何人か友人がこの日、後楽園に行きました..
    自分も行きたかったですがね…
    四天王のプロレスは強烈すぎて、死の恐怖すら感じました..
    そんな試合が大好きでした..
    そこまでするか?
    そんな試合を望んでしまった自分達にも三沢さんの死を早めた責任があると今でも感じてます…

  2. ファンが体を張って闘うプロレスラーを責める必要はないし、それを見届けるファン自身を責める必要もないと私は思います。
    これからも三沢光晴の魂はリングの上で生き続けると信じます。

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