ご報告

 すでに様々なメディアで報じられていますが、竹内宏介さんが5月3日午後8時24分、永眠されました。その日の私は、昼間は後楽園ホールでスターダムを取材、帰宅してからは原稿を書いていました。正確な時間は憶えていませんが、カメラマンの大川昇君から竹内さんが危篤状態にあることを知らされ、慌てて病院に向かいました。恐らく私が到着したのは8時30分~40分ぐらい。竹内さんのご家族、大川君夫妻、清水勉さん、吉川義治君、大日本印刷でずっと週刊ゴングを担当してくれていた須藤幹夫君ご家族に囲まれて安らかに逝かれたとのことでした。私、その後に駆けつけてきた金沢克彦君、田中幸彦君は残念ながら間に合いませんでした。
 その後、竹内さんのご自宅で奥様や家族の方たち、大川君、清水さん、金沢君、吉川君、田中君と葬儀の打合せへ。嘆き悲しんでいるよりも、いかにして竹内さんを送り出すことができるのか…通夜が翌4日、告別式が5日というスケジュールになったため、手分けして電話やメールで連絡したりと、みんなが竹内さんのことを想いながらひとつになっていました。皆さんがご存じのとおり、竹内さんが倒れて4ヵ月後の07年3月に週刊ゴングは休刊になってしまいました。その時点で、日本スポーツ出版社は事実上、機能しなくなり、社員、週刊ゴングの編集部員、カメラマン、フリーとして週刊ゴングに携わっていた人間は、それぞれに自分の道を模索しました。私はその2年前からフリーとして活動していたので仕事環境や生活が激変することはありませんでしたが、複雑な人間関係の中で(と書いてはいるものの、いまだにどうしてそうなったのかは正直わかりません)同年9月にはGスピリッツ(清水、小佐野)とGリング(金沢、吉川、大川)に分かれてしまいました。そんな5人、そしてファンクラブ時代からの仲間の田中君が深夜にひとつの目的に向かって顔を突き合わす日が来るとは思ってもいませんでした。これも竹内さんの大きな意思だったのかもしれません。
 4日の通夜には前日深夜、あるいは当日早朝の連絡だったにもかかわらず坂口征二さん、百田光雄さん、藤波辰爾さん、グレート小鹿さん、武藤敬司さん、仲田龍さん、新間寿さんの代理として奥様と新間久恒さん、連絡を手伝ってくださったロッシー小川さんらのプロレス関係者、テレビ関係者としては日本テレビのプロデューサーだった梅垣進さん、今泉富夫さん、アナウンサーの若林健治さん、福沢朗さんら、マスコミ関係では門馬忠雄さんご夫妻、デイリースポーツの宮本久夫さん、私たちと同じ竹内学校出身の宍倉清則さんを始めとする週刊プロレスの人たちなど、そして今はそれぞれの道を歩いている元日本スポーツ出版社の役員・社員の人たちが駆けつけてくれました。
 さらに祭壇には力道山百田家、馬場元子さん、アントニオ猪木さん、坂口征二さん、俺たちの世代の長州力さん、藤波辰爾さん、天龍源一郎さん、三銃士の武藤敬司さん、蝶野正洋さん、四天王世代の田上明さん、小橋建太さん、第三世代の永田裕志さんから大日本プロレス、ドラゴンゲートに至るまで、日本プロレス界の全世代からの花が並びました。竹内さんがあらゆる世代の関係者に愛され、リスペクトされていた証しだと思いました。私はサムライTV『速報!バトル☆メン』出演が決まっていたため、午後7時40分には調布メモリードホールを飛び出しましたが、ここに書かせていただいた以外にも多くの方が駆けつけてくれたと聞きました。
 そして昨日5日の告別式は晴天に恵まれました。櫻井康雄さんと舟橋慶一さんの『ワールドプロレスリング』実況コンビ、弔辞を読んでいただいた菊地孝さん、長野の吉沢幸一さんらが出席してくださり、昭和の楽しかった時代にタイムスリップしたような感覚になりました。清水さんは泣きながら棺にそれぞれの時代のゴング、増刊号の『ミル・マスカラス その華麗なる世界』を入れていました。送り出しにジグソーの『スカイハイ』が流れた時には、中学生の一ファンだった頃、高校生になって竹内さんに顔を覚えてもらい、可愛がっていただいた時代、ゴングのアルバイトとしてガラス屋さんの2階の仮編集部でパシリをしていた時代、本誌ゴングと別冊ゴングの合間のわずかな暇な時間に新宿等に遊びに連れて行ってもらったこと、1999年1月~2002年11月まで編集企画室で机を並べて増刊号を作っていた時代などが物凄いスピードで頭の中を駆け巡りました。こんなに心に染み入る『スカイハイ』は聞いたことがありませんでした。
 今、私は「竹内イズムを継承して…」などというおこがましいことは書けません。ただ、月刊誌時代から間近に接していた私の中には、竹内さんの教えが息づいているのは誰も否定できない事実です。私だけでなく、ゴングで竹内さんの下で仕事をした人間は、その影響を受けているに違いありません。それぞれが吸収したエッセンス、学んだことを、それぞれの仕事の中で活かしていくことが、竹内さんが遺したものの継承につながると私は思っています。
 お付き合いさせていただいた約34年もの時間の中で高校生だった私もいつしか大人になり、考え方に違いが生まれたこともありました。人と人の結びつきは、歴史が長ければ長いほど綺麗事だけでは済まなくなります。実際、竹内さんと私の関係を外から云々言う人もいました。でも、竹内さんと私の間柄は、竹内さんと私の2人が知っています。私はそれで十分です。そして今、改めて「本当にありがとうございました」と言わせていただきます。貴方がいなければ、私はこの世界に入ることはありませんでした。あなたがいたから今の私が存在します。貴方から受け取ったものを大切にしながら、これからも私は私の人生を歩んでいきます。

「ご報告」への7件のフィードバック

  1. 自分にとってのゴングとのお付き合いは週刊ゴングになってから。そしてついに創刊号から休刊号まで1168冊全て購入しました。増刊も8割方買いました。今でも全て保存してます。そして…週刊ゴング創刊号の表紙には馬場さんと猪木さんからそれぞれサインを頂きました。小佐野さんには大した物ではないかもしれませんが、BIの寄せ書きサインです。これも竹内さんが創刊号の表紙をBIに決めて下さったから手に入ったわけです。この一生の宝物と共に、竹内宏介さんを私は一生忘れません。
    数えきれない思い出がありますが、一番伝えたかったことだけ書き記して…竹内さん!生まれ変わったらまた純粋なゴングを出版して下さい!

  2.  ショックです。様々な思いが去来します。
     「ゴング」、そして竹内宏介さんの文章の中にこそ自分が求め理想とする、強さとエンターテインメントが“美”事に融合した“昭和プロレス”が息づいていました。力と技の格闘ロマン…。それこそがプロレスであり、竹内イズムだと信じています。
     「別冊ゴング」1979年3月号の巻頭特集のインパクトは、未だ記憶に鮮明です。当時全盛にあったアントニオ猪木に、誰があそこまで正面きって進言できるのか…。 
     
     真のジャーナリズムとは何か? を体現していた竹内さんのプロレス・ラヴを小佐野さんにこれからも、今まで以上に受け継いで欲しいと願ってやみません。

  3. 僕がプロレスを本格的に見始めた当時、全日中継の解説席にはいつも竹内さんが居ました。
    間違い無く、僕がプロレスを好きになるきっかけとなった方だと思います。
    心よりご冥福をお祈り致します。

  4. 悲報を知る前日、ゴングのムック「あの話書かせてもらいますⅡ」を久しぶりに読み返してたんです。
    小佐野さんはベーマガ主催の東京ドーム大会と同日開催になったWAR後楽園大会について、
    田中さんは学生時代のメキシコ滞在記、
    清水さんは巌流島決戦の取材秘話、
    そして竹内さんは1971年のアメリカ取材旅行について。
    何度も読んでいますが胸熱くなりながら読んでたんです。
    まさか翌日に竹内さんが亡くなったと聞かされるとは…
    悲しいです。本当に悲しいです…
    私は完全なゴング派でした。
    幼稚園のころ親にせがんで買ってもらったプロレス雑誌がゴング。
    小学校のころは別冊、月刊を小遣い工面して買っていました。
    週刊化してからは一号も欠かさずに買いました。
    昭和を知るプロレスファンはテレビと雑誌が情報源。
    その両方で活躍された竹内さんは私にとってプロレスの先生、恩師です。
    勝手にそう思っています。
    回復されてまた竹内節をどこかで読めるものと信じておりました…
    残念です。
    毎週金曜か木曜にゴングを買いに行き、
    土曜日の中継で
    アナ「本日の解説は雑誌ゴング、竹内宏介さんです」
    竹内「どうも!」
    という第一声を耳にする。
    こういう昔当たり前だったことが私をどんどんとプロレスに心酔させていったのです。
    竹内さんには感謝してもしきれません…
    竹内イズムを骨の髄までしみこんでいる小佐野さんたちのこれからの活躍に期待しております。応援しております。
    長文失礼いたしました。
    竹内さんのご冥福を謹んでお祈り申し上げます。

  5. 竹内さんは究極のプロレス少年だと思います。プロレス少年なら誰もが抱く夢を、(自身がレスラーになることを除いて)一代をかけて全て叶えられた。その中で本当に多くの人達を同じ道へと導いた、(適切な表現かどうかわかりませんが)素敵なハーメルンの笛吹きだと思います。
    90年代のインディーを取り上げたムック本で、剛さんやサスケさんの相談相手になったりアドバイスをしていたのが、単なるインタビュアーを超えたプロレス愛が感じられてとても印象に残っています。そして国際プロレスのDVDが出たときの特設サイトで観たムービー…最初はとてもジェントルに始まったのも束の間、国プロの名前を出した途端、天井知らずにテンションが上がり続ける竹内さん…この高揚感こそがプロレスの真髄だと、直感的に教えて頂いた瞬間でした。闘病生活に入られる直前の、別冊ゴングでの”孫連れインタビュー”もよく覚えています。
    今は一ファンとして、ただただ感謝の言葉しかありません。本当にありがとうございました。

  6. 竹内さんの功績を称えて、何かできないかと考え、
    昨日深夜、札幌中島体育センターの跡地の公園の真ん中に立って
    竹内さんに黙祷を捧げ、心の中でテンカウントを打ってきました。
    竹内さんのご冥福を謹んでお祈り申し上げます。

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