『スパークリング・フラッシュ』と『黒髪のロベスピエール』

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 昨日発売になったGスピリッツ第23号はもう読んでいただけただろうか? 今日は最後の宣伝として、前田日明インタビューについて書かせてもらおう。
 前田さんとはサムライTVの対談番組『Versus』で天龍源一郎との対談の時に影の声を担当したり、ドラディションの会場、新間寿氏の誕生会、あるいは別々の番組に出ていた時に偶然サムライTVのトイレでバッタリ…などなど、会う機会は多かったが、インタビュー取材をしたのはGスピリッツ第3号以来だから、何と4年半ぶりぐらいということになる。
 私と前田さんの関係は月刊ゴング、週刊ゴング、そしてフリーになってから今日まで良好だ。私は常にプロレス界に生きる人間として前田さんに接し、前田さんがそれを尊重して付き合ってくれるから軋轢が生まれたことはない。で、今回の取材は総力特集の『金曜夜8時の新日本プロレス』の一環としてのものだから、あくまでもプロレスラーの前田日明へのインタビューになっている。
 ぶっ壊し屋と呼ばれた若手時代に始まって、金曜夜8時というテーマとしては、イギリス修行から凱旋帰国して“スパークリング・フラッシュ”として売り出された時代、そして旧UWFとして新日本に上がっていた“黒髪のロベスピエール”と呼ばれていた時代に絞ったもの。新生UWFやリングス時代の前田日明は一切なし。
 今年に入ってリングス再旗揚げ、新日本に上がっていた時代のDVD発売などがあって様々なメディアに登場しているだけに取材に飽きているかなと思いきや、雑談を含めて2時間近くもノリノリで喋ってくれた。
「突っ込んでくるところが違いますよね。やっぱり小佐野さんは実際に昔からずっとプロレスを見てる人だしね。今日の取材、話していて面白かったですよ」とインタビュー後のアキラ兄さん。これは嬉しい一言だった。
 ということで…読んでください!

明日発売!Gスピリッツ第23号の詳細です

 明日発売のGスピリッツ第23号の詳しい内容をお届します。今号の総力特集は『金曜夜8時の新日本プロレス』。アントニオ猪木全盛の新日本プロレスを例によってGスピならではの独自の視点・切り口・取材で振り返り、検証してみた。ということで、以下のような内容になっています!
【ワールドプロレスリング同窓会】
「金曜夜8時のアントニオ猪木を語ろう!」
新間 寿(元新日本プロレス取締役営業本部長)
櫻井康雄(元ワールドプロレスリング解説者)
舟橋慶一(元テレビ朝日アナウンサー)
【金曜夜8時から消えた猪木の後継者たち】
◎前田日明インタビュー
◎谷津嘉章インタビュー
【爆笑ポリスマン対談】
ドン荒川×藤原喜明の「俺たち仲良し一期生」
【金曜夜8時のブラウン管を彩った外国人レスラー】
藤波辰爾が常連外国人レスラーを斬る!
【もうひとつのワールドプロレスリング史】
「猪木、馬場、吉原功とテレビ戦争」
永里高平氏(元テレビ朝日スポーツ局次長)の証言
【初代タイガーマスク】
幻の逸品を一挙公開!
【特別企画】
『イノキ・ヨーロッパ・ツアー』の全貌
~猪木のロマンとボックの野望~(後編)
第3章 ツアーを彩った男たち 欧州選手名鑑
第4章 2つのシュートマッチ マスカラス戦とアンドレ戦
第5章 伝説のスープレックス ウィルフレッド・ディートリッヒとは
【連載】
<実録・国際プロレス>
第13回 アニマル浜口(後編)
<ミル・マスカラスが悪魔仮面と呼ばれた時代>
第6回 NWAとAWAの全面戦争
<アリーバ・メヒコ>
呪われた白覆面の系譜(後編)
“白い天使”を襲ったルチャ史上最大の悲劇
アンヘル・ブランコ/ドクトル・ワグナー/グラン・マルクス
<Dig it!>
NWA世界ライトヘビー級の3代目レイス・モデル
<原悦生の格闘写真美術館>
第23回 闘魂を越えて

60年史創刊!

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 3月28日(水)にベースボールマガジン社から分冊百科として『データファイル 日本プロレス激闘60年史』が創刊される。全60巻で毎月第2・第4水曜日の発行。2年半で60巻が揃い、それを専用の特製バインダーにファイリングすれば、日本プロレスの60年間のデータが詰まったビジュアル大百科が完成するというものだ。
 毎号に収録させる内容は年代順ではなくランダムになっているから、各ページ(シート)を取り外して、年代順、五十音順、団別別などの方法で自分なりにカスタマイズしてファイリングする趣向になっている。
 各号は①日本プロレス激闘史②団体興亡史③プロレスラー1200人名鑑④必殺技大辞典⑤日本プロレス年表の5コーナーで構成されていて、日本プロレス激闘史は、歴史に残る名勝負を1シートで紹介する形で毎号8試合(8シート=16ページ)を取り上げ、その他はEXTRAとして1シートにダイジェストで8試合を収録。全巻で16×60=960試合を紹介することになる。1200人名鑑は主要レスラーをビッグレスラー編として1選手1シートで毎号2名登場。それ以外の選手は毎号1シートで18名掲載。必殺技は五十音順に毎号1シートで12の技を掲載し、全巻で計720種類の技になる。
 私は日本スポーツ出版社の編集企画室長時代の12年前、師匠の竹内宏介氏とゴング創刊32周年&2000年記念出版として『日本プロレス50年史』という増刊号を編集した。当時は「10年後には『日本プロレス60年史』を創るんだろうな」と思っていたが、残念ながら、その前に私は勝手にフリーになってしまい、竹内氏は病床に伏し、日本スポーツ出版社は倒産してしまった。形も会社も違うが、今回の60年史に執筆協力という形で関わることは素直に嬉しい。同日発売のGスピリッツ第23号ともども、ぜひ購入していただきたいと思う。
 写真上は創刊号(左)と特製バインダー、写真下は創刊号に入っているシートの一部。創刊号での私のオススメは『日本プロレス激闘史』に収録されている1962年4月23日の東京体育館における力道山とフレッド・ブラッシーのWWA世界戦。何と50年前の試合にもかかわらずカラー写真で再現されているのだ。これは貴重ですぞ!

天龍退院&髙山善廣の『R』

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 天龍源一郎が腰部脊柱管狭窄症の2度の手術を乗り越えて、今日3月24日に退院。2月22日の入院だったから、1ヵ月ぶりに家に帰ることができるわけだ。天龍さんはいたって元気! というのも先日、お見舞いに伺ったが、その時点でもお医者さんから「いつでも退院できますよ」と言われていて、リハビリも午前と午後に分けて1日2回。それでも1日が長くて退屈している様子だった。プライベートでお伺いしたので、ここであれこれ書くことは控えさせていただくが…退屈ぐらいがちょうどいい! エネルギーを持て余す天龍さんに会うことができて、ホッとした矢先の今日の退院だ。12月29日の後楽園ホールにおける復帰戦に向かって焦らず、じっくりと建て直してくれることを切に願う。
 その復帰戦の前には5月23日、7月27日、9月26日と天龍プロジェクトは3回の後楽園ホール興行を開催する。天龍不在の中での3大会のタイトル名が『R』に決まった。5・23が『R-1』で、その後は2、3と続く。
 大会ポスターを見てお気づきの方もいると思うが、ロゴのRは、WARが95年4月から使い始めた2番目のロゴのRと同じもの。92年7月に旗揚げしたWARはWRESTLE AND ROMANCE(レッスル・アンド・ロマンス=闘いと冒険の意)の略称だったが、95年9月から新体制になってWRESTLE ASSOCIATION-R(レッスル・アソシエーションーR)に改称した。そのRにはREVOLUTION(革命)、RENAISSANCE(格闘復興)、REVENGE(復讐)、RAPSESSION(自由な意見)などなど、様々な意味が含まれている。今回の天龍不在大会は、こういう時だからこそ様々な期待を込めて『R』と名付けられたという。そして大会ごとに天龍に代わる大将が『R』で始まる単語をその大会のテーマにしていくことがコンセプトになっている。
 5月の『R-1』の大将は髙山善廣。天龍と髙山はWARvsUインターとして戦った仲でもあるし、04年には共に外敵として大国・新日本と戦った。髙山にとっては「尊敬できる数少ないおとっつぁん」である。その髙山が決めたテーマはRequest(リクエスト)。「単純に、あのおっさんに“”戻って来いよ”っていうみんなの想いをリクエストしたってことと、あわよくば元気になって戻ってくるなら“首を差し出せ!”と。ジャイアント馬場、アントニオ猪木の首を取った唯一の日本人なんだから、下の人間に首を差し出す義務があると思うよ。そういう意味でのリクエスト。あと俺の横に立つ人間はおっつけられるんじゃなくて、俺が勝手に決める。それもリクエストだな。対戦相手は天龍プロジェクトの選手になるんじゃないの? 助っ人連れてくるならそれでもいいし、天龍さんが“髙山とこいつの試合が見たい!”っていうのがいれば当ててくるだろうし」と髙山。
「天龍プロジェクトは天龍さんのためのもの。それをさ、戻ってくる天龍さんのために守らないといけないと思うんだよ、俺ら後輩が」と男気を見せる髙山が『R-1』を大将としてどう転がしていくか注目だ。

金曜夜8時の新日本プロレス!

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 3月28日(水)発売のGスピリッツ第23号の総力特集は、新日本プロレスの創立40周年記念企画の『金曜夜8時の新日本プロレス 誰もがアントニオ猪木に熱狂した時代』だ。
 私が初めて新日本をナマ観戦したのは小学5年生の時。1973年2月20日、横浜文化体育館における『新春バッファロー・シリーズ』最終戦だった。メインは猪木&柴田勝久vsトニ―・チャールス&ジェフ・ポーツ。チャールスはドロップキックの名手として知られたイギリスの選手、ポーツはエアプレーンスピンを得意とするイギリスの選手でカナダ・カルガリーやAWAでも活躍した実力者。豊登の試合もナマで観ることができたし(相手はニュージーランドのブルーノ・ベッカー)、第2試合は藤波vs藤原だった。これが新日本にとってノーテレビ時代の最後の試合だったから、貴重な大会をナマで観ているのだ。続く『ビッグ・ファイト・シリーズ』から坂口征二らが合流して、4月6日の宇都宮スポーツセンターからNET(現テレビ朝日)での中継がスタート。ここから“金曜夜8時の新日本”が始まったのである。
 当時、横浜に住んでいた私は、テレビ放映が始まってすぐの5月4日、川崎市体育館での『ゴールデン・ファイト・シリーズ』開幕戦を観に行った。ここではタイガー・ジェット・シンの日本初登場を目撃することができた。私服姿のシンがリングに駆け上がって山本小鉄を襲ったのである。何年か前、ハッスルに来日したシンにその話をしたら「お前は子供の時にあの場面を直接観たのか!? 子供には刺激的だっただろう」と珍しく笑顔を見せてくれた。
 猪木vsストロング小林戦は小学校の卒業式当日の放映だった。中学に入ってからは1年生の夏休みに日大講堂まで猪木vsゴッチの実力世界一決定戦を観に行き、吉田光雄こと長州力のデビュー戦(vsエル・グレコ)も観ることができた。中3の時には学校を休んで猪木vsアリ戦を観に行ったし、高1の夏休みは武道館で猪木vsモンスターマンに感動した。そして高2の春、新日本プロレスのファンクラブ『炎のファイター』を創った…。
 今回はそんな時代に戻って取材した。ご期待ください!

カッコよかった秋山準vs武藤敬司

 昨日の両国国技館における王者・秋山準と武藤敬司の三冠ヘビー級選手権は、さすがに見応えのある試合だった。シチュエーションとしては「ノアの秋山に奪われた至宝を、全日本の切り札・武藤が取り返しにいく」ということだったが、私的には「未だに第一線で踏ん張る四天王プロレスと三銃士プロレスの最後の砦同士の激突」(秋山の場合は新日本で言えば、第三世代と同じ括りになるはずだが、四天王に食い込む四天王+1の存在だった)という感慨があった。
 さて、ああでもないこうでもないとあらゆる角度から試合を分析する策士・秋山と、アドリブの天才・武藤の対決だから面白くならないわけがない。じっくりとした展開になると思いきや、いきなり秋山が仕掛けた。バックドロップ、ランニング・ニー、エクスプロイダー…勝負に出た時の秋山の攻めには定評があるが、武藤はこれに浮足立つことなく、断崖式エクスプロイダーを阻止すると、そのままエプロンから場外へのドラゴン・スクリューで秋山の怒涛の勢いをストップさせて、自分のペースに持ち込んだ。
 今の武藤のコンディションだったら、じっくりとした展開になっても秋山が有利だったはず。正直、このところの連戦で膝の状態はいいとは言えず、足をうまく動かせないから小回りが利かない。ひょっとしたら武藤の方が先制攻撃&短期決戦を狙っていたかもしれない。恐らく秋山は様々なことを想定しながら、武藤の裏の裏をかく形で先制攻撃に出たのだろう。対する武藤は、秋山の意外な仕掛けにきっちりと対応した。どちらもさすがとしか言いようがない。
 その後は武藤が膝、秋山が首を狙っていく攻防に。これは共に定石だ。そうした中でひとつのポイントになったのが武藤のムーンサルト・プレス。私はテレビ解説で「これを出して3カウントを取れなかったら、武藤には立てなくなるリスクもある」と喋っていたが、その矢先のムーンサルトだった。果たして、武藤がカバーにいった瞬間に秋山のフロント・ネックロックがガッチリ決まった。秋山いわく「武藤さんが攻撃している中で一番、隙ができるところ」を狙った技だった。
 その後は秋山ペース。武藤は立つことができずに尻もちをついた状態で秋山の膝の乱れ打ちを浴びた。それでもジャンプしてカウンターのフランケンシュタイナーをズバリ! そうした閃き、状態が悪くてもこうした技を仕掛ける強い心が武藤である。「コンディションのいい、悪いなんてのは次元の低い話だよ」と言っていたが、それを体現するような返し技だった。最後は粘る武藤を秋山が奥の手スターネスダストで仕留めたが、武藤は常々口にしている「プロレスはレスラーが立ち上がっていく姿を見せるものでもある」を実にカッコよく見せてくれたと思う。
「時は動いているからよ。切り札がちょっと錆ついてただけだよ。また磨けばいいだけのことだ」という敗者としてのコメントもカッコよかった。
 これで太陽ケア、大森隆男に続いて3度目の防衛を果たした秋山は「外に出て行かないと、ノアの名前が表に出ない。外に発信していくには、これ(三冠王座)は最高の材料」と言った。秋山は古巣・全日本でも、現在の方舟の中でも最前線で戦っていく。そんな秋山もまたカッコイイ。

ノアの横浜文体に見えたもの

 昨日のノアの横浜文化体育館大会は二転三転…小橋の負傷欠場によりGHCタッグ戦のカードが変更になったと思いきや、何と大会の4日前にはGHCヘビー級挑戦者の杉浦貴が腰椎椎間板ヘルニアで欠場が決定。丸藤正道に挑戦者が代わった。3大タイトルマッチのうち、2つのタイトルマッチのカードが変更になってしまったのである。
 様々な意味で逆風が吹いている今のノア。でも、そんな中で昨日の横浜文体には明るい光がさした。3500人(満員)を動員し、しかもお客さんの反応がよかった。さらに「ここから盛り上げていこう!」という選手たちの強い気持ちが伝わってきたのだ。
 最初に「オッ!」と思ったのは第2試合の中嶋勝彦&梶原慧vs金丸義信&平柳玄藩。GHCジュニア王者・勝彦はホームリングのDR4・15北沢タウンホールでみちのくプロレスのフジタ“Jr.”ハヤトの挑戦を受けることが決定しているが、その後の挑戦をアピールしているのが金丸。それだけに勝彦vs金丸の攻防は熱かった。それも大技の攻防などではなく、本当に何気ない部分で魅せてくれた。お互いにボディスラム、腰投げ、ブレーンバスターを踏ん張る展開に。意地を張り合って、安易に相手の技を受けない流れが続いただけに、金丸がロープの反動を利した腰投げを決めただけでドッと沸いたのである。基本技の腰投げでも、流れ次第では観客を惹きつけるのだ。こうした攻防だけでも、勝彦も金丸も只者ではないことがわかる。4・15のタイトルマッチの結果によって流れが変わる可能性があるが、ベルト云々を抜きにしてもこの2人の一騎打ちはぜひ、じっくりと見たいものだ。
 鈴木鼓太郎&青木篤志にスペル・クレイジー&リッキー・マルビンが挑戦したGHCジュニア・タッグ戦はジュニアらしい好勝負だった。かつては「足が引っ掛かる場所があれば、どこからでもムーンサルト!」のクレイジーが2階席から飛んだことで一気にヒートアップ。そして感心するのは鼓太郎&青木が相手の力量&魅力を引っ張り出すこと。彼らのタイトルマッチからは常に「最高の試合を提供したい」という気概を感じる。
 セミのGHCタッグでは防衛に成功した秋山準が動いた。「ノアをもう一度、勢いある、気持ちある団体に戻したいと思います!」と宣言し、鼓太郎と青木をリング上に呼び寄せ、さらに対戦した潮﨑に「やろう! もう一度頂点に行こう!」と呼びかけた。秋山がこの3人に呼びかけたのは、鼓太郎は三沢光晴の、青木は自分自身の、潮﨑は小橋建太の遺伝子だからだ。潮﨑は「負けて、まだ握手はできない」と固辞したが、それはそれでいいと思う。レスラーの意地として突っ張ればいいのだ。
「もうドン底まできているし、最後の戦いだと思ってやります。体の許す限りやります!」と語った秋山は、三冠のベルトについても「外に打って出て、外に発信するためには三冠ベルトが必要だと思う」と語った。12年前、ノアが旗揚げした時に先頭に立ったのは秋山だった。今、再び秋山は先頭に立つ覚悟を決めたのである。
 そしてメインのGHCヘビー級戦。正直、切なさも感じた。丸藤が杉浦の代打で名乗りを挙げたが、コンディションがベストであるはずがない。それに森嶋vs丸藤は、本来はじっくりと寝かせた上で実現させるべきカードなのだ。本番4日前にタイトルマッチ決定という慌ただしさの中で丸藤は現状のベストを尽くしたと思う。初防衛に成功した森嶋は「今日は2人分のチャレンジャーの気持ちを背負ってやりました」とコメントした。
 その試合後にハプニングが。今話題のマイバッハ谷口が森嶋を襲撃してGHC挑戦をアピールしたのである。この日、マイバッハは第3試合でDRの宮原健斗とシングルマッチを行ったが、正直、期待はずれ。これは私だけでなく、お客さんたちも同じだったと思う。それだけにこのアピールは非難ごうごうだったが、KENTAは「俺が間違ってようが、(マイバッハが)ショッパかろうが、俺はこいつの可能性に賭けているんだ。同時にこの団体の可能性にも賭けている」とキッパリ。さらに「俺じゃなくても、誰でもいいよ。前に進んでいくしかないだろ!? でも、その先頭にいるのは“やる気、元気”じゃねぇーんだよ!!」と言い放った。
 今、リングに立てないKENTAはKENTAで何とかノアを前に進めようとしている。そしてリスクを承知で谷口に賭けた。谷口を信じた。谷口自身にとってもマイバッハへの変身はプロレスラー人生を左右する大きな賭けなのだ。
 みんなが何かを賭けながら、前向きな覚悟を持っている。そんなことを感じた昨日のノアの横浜文体だった。

凛とした最期

 昨日の後楽園ホールにおける『SMASH.FINAL』は、2年間続いてきたSMASHの文字通りのファイナルだった。そこには湿っぽさは微塵もなく「こんなことは死ぬまでの途中経過に過ぎません。またいつか、皆さんとお会いする日がきっと来るだろうと思います。その日まで元気でいてください。ありがとうございました。SMASH、これで終わります!」というTAJIRIの爽やかなマイクで幕。
 その瞬間、TAJIRIプロデュースのSMASHは過去のものとなり、今後のSMASHについて酒井代表にマイクが渡されたが、酒井代表が発表した今後はSMASH封印だった。
『SMASH26』からの第2章スタートを示唆していた酒井代表だったが、SMASH=TAJIRIの世界観という結論に達し、TAJIRIと同じく封印を決意したのである。「SMASHというコンテンツはTAJIRIさんなくして成り立たない。やはりSMASHはTAJIRIプロデュースなので、TAJIRIさんが新たなステージに旅立つ以上、第2章をスタートさせるのではなく、封印します。そしていつか、同窓会というか、TAJIRIさんや選手たちが再び戻る場所を提供するのも私の責務だと思います。だから再開する時は、TAJIRIさんと再開できれば」と酒井代表。
 それならばTAJIRIプロデュースのSMASHを継続すればいいとも思えるが、酒井代表はあくまでSMASHとは違うコンテンツのプロレス・イベントを考えているようだから、そんなに話は簡単ではない。そこにお互いに相容れない思想の違いがあるのだろう。
 細かい事情はともかくとして、言い形でファイナルを迎えられてよかった。酒井代表の決断で救われたファンも少なくないはずだし、TAJIRIも今後のことについては「片手間では言いません。ちゃんとマスコミを集めて発表します!」と一切語らなかった。TAJIRIも選手たちも3月末日までは株式会社スマッシュの所属選手。契約期間中には先の話をしないというTAJIRIの気骨を感じた。
 TAJIRIも酒井代表も礼節を重んじた。結果、凛としたSMASHの最期だった――。

終わりと始まり

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 本日18時30分から後楽園ホールにおいて開催される『SMASH.FINAL』で2010年3月26日からスタートしたTAJIRI一座のSMASHが終わる。ファンの人たちにはいろいろな意見があると思う。私自身が今、思うことは…SMASHがスタートしなければ、フィンランドのFCFは未だに日本のファンに知られていなかっただろうし、ジプシー・ジョーが再び日本に来ることはなかっただろうということ。KUSHIDAの新日本プロレス入団の道が開けたのもSMASHという舞台があったからだと感じている。もしSMASHがなければもっと道程は遠かっただろう。
 今日のメインはTAJIRI&AKIRAvsスターバック&大原はじめ。スターバックは昨日の会見で「まさかこんな日(SMASH終焉)が来るとは思っていなかったが、FCFを日本に呼んでくれたTAJIRIさん、ミスター・サカイに感謝している。私は92年にカナダでデビューして17ヵ国を回ってきた。レスリング業界にはがめつい人間が多いが、SMASHのファイナルでフレンドと思える人たちと戦えることを嬉しく思っている。明日はプロレスファンの記憶に残る、プロレス史に残る試合をしたい」と語った。メキシコでデビューし、どこのリングに上がっても外様だった大原も「旗揚げでメインを務めさせてもらい(KUSHIDA戦)、最後もメインを務められることを誇りに思います。SMASHは自分のすべてだったし、この4人の中にいられることを嬉しく思います」と感慨深げだった。
 今日は終わりであり、新たな始まり。TAJIRI一座は信念を貫くと明言しているし、酒井代表も大会終了後に発表することがあるという。
 でも、『SMASH.FINAL』が終了する瞬間までは、関係者とレスラーのすべてが…たとえ道を分かつ人であってもこの大会に全力を傾注してくれることを願っている。きっちりと終わらせてこそ、新たな未来があるのだから…。
 写真上はメインに出場する4選手(昨日の会見より)、写真下は先週土曜日(10日)のサムライTV『速報!!バトル☆メン』に出演したSMASHの面々です。

復活の狼煙!

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 今日の午後2時から株式会社スマッシュにおいて天龍プロジェクトの記者会見が行われ、腰部脊柱管狭窄症の手術を行った天龍源一郎の経過報告、新所属選手の発表、そして天龍プロジェクトの年内大会スケジュールが発表された。
 これまで天龍プロジェクトの所属は天龍、THE KABUKIの2人だけだったが、今回、ザ・グレート・カブキ、百田光雄、嵐、折原昌夫、冨宅飛駈が入団して所属選手は計7人に。ただし、この所属はとりあえず天龍が復帰するまでの限定。所属となった選手の共通の想いは、天龍復帰をバックアップしたいということ。また天龍プロジェクト側には「天龍プロジェクト所属というのが足かせにならないように」という気持ちがあり、天龍が復帰した時点で、改めて契約を見直すという。
 発表された年内のスケジュールは5月23日(水)、7月27日(金)、9月26日(水)、12月29日(土)の4大会で、会場はいずれも後楽園ホール。これはスマッシュがSMASH用に押さえていたスケジュールの一部を天龍プロジェクトが引き継ぐもので、天龍復帰戦は12・29大会を予定している。
 さて、2月23日と3月8日の2回に亘って、神経を圧迫している背骨の後ろの骨を抜く手術を行った天龍の経過は順調のよう。
 1回目の手術後、愛娘の紋奈代表を見た天龍の第一声は「あんた、誰?」だったという。いきなりキツイ天龍節をかましたわけだ。折原いわく「1回目の手術の後に僕がお見舞いに行った時には、ちょうどリハビリが終わった直後で、病室に戻った天龍さんはマウスピースを外したんですよ。“何でリハビリにマウスピース!?”ってビックリしちゃいましたよぉ(笑)」とのこと。紋奈代表の「リハビリに行く時の恰好は、普段、トレーニングに行く時と一緒です(苦笑)」という証言もある。「ハッキリ言って、天龍さんの病室は控室と化しています!」(折原)
 大人げない闘病生活が目に浮かんで、失礼ながら笑いがこみあげてしまう。やはり天龍源一郎は天龍源一郎だ。縦横無尽にリングを走り回るテンリュウ・ザ・ターミネーターの出現を楽しみに待ちたい。