馬場さんの祥月命日

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 報告が1日遅れてしまったが、1月31日の夕刻からジャイアント馬場さんを偲ぶ宴がキャピトル東急ホテルで催された。主催者はもちろん元子さんだ。馬場さんが亡くなってから13年の月日が流れた。馬場さんの等身大のフィギュアを見上げて「そうか、この目線で馬場さんと話していたんだ…」と思い出すと、馬場さんとお付き合いさせていただいていたのは昨日のことのようで、やっぱり昔なんだなあと実感させられた。
 馬場さん、元子さんと縁ある人たちが集ったプライベートな、本当に内輪のパーティーなので、誰が参加していたとか、どんな内容だったとかは詳しく書かないが、馳浩と盛り上がったのがキャピトル東急のレストラン『オリガミ』の看板料理パーコー麺の話。馬場さんに『オリガミ』に連れて行ってもらった人は必ず食べたことがある逸品だ。簡単に説明すると、カラリと油で揚げた豚肉が乗ったラーメンということになるが、伸びにくい麺、中華とはちょっと違う西欧テーストも入ったスープ、お好みで白ネギ、青ネギ、ラー油、七味をトッピングするという中華、西欧、和がミックスされたような麺料理なのだ。献杯を任された馳センセ―は「パーコー麺の会でも何でもいいので、こうやって1年に一度、みんなで会って馬場さんを偲びましょう!」と挨拶。
 1年に1度、1月31日に会して馬場さんを偲ぶ。そのためには日々を健康に過ごしていなければいけない。馬場さんは出席者たちに「身体を大切に」と言ってくれているのかもしれない。この宴がこの先ずっと続くことを願っています。
 元子さん、お招きいただき、ありがとうございました。

「馬場さんの祥月命日」への1件のフィードバック

  1. 馬場さんが亡くなったときは本当にショックでした…。
    私の世代だと馬場さんの絶頂期、昭和40年代は見ることができなかったのですが、レイスに勝ってNWA世界王座に返り咲いたときなどはよく覚えています。
    あとハンセンとの戦いですね。
    試合開始早々突進してくるハンセンに16文を叩きこむあのシーンは最高でした。
     
    あれから13年、プロレス界も色々変わりましたが馬場さんの存在の大きさを切に感じます。
    私の母方の郷里が新潟なんです。
    私も物心つくまでは住んでいました。
    親戚には馬場さんと関わりのある方が結構おりまして。
    伯父は馬場さんの小中の先輩。
    私の子供のころからの唯一の自慢は
    「うちの伯父さんはジャイアント馬場を正平と呼び捨てできる」
    でした。
    偉大なレスラー、世界のジャイアント馬場、語り継いでいかなければいけませんね。

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