出陣

 今日は昼過ぎから『2011年度プロレス大賞』の選考会に出席。今年は今日までに113大会を取材してきた。すべてのプロレスラーの1年間の頑張りに敬意を払って選考会に臨む。いざ出陣だ。
 結果及び選考の経緯は明朝アップします!

出会いから30年

 一度サボリぐせがついてしまうと、どうやって再開したらいいものかと結構、頭を悩ませてしまうが、思い切って今日再開しました!
 昨日は昼=全日本のファン感謝デーのTV解説、夜=みちのくの宇宙大戦争と後楽園ダブルヘッダー。まずファン感謝デーの方は、3年8ヵ月前にスペシャルゲストとして解説席に座ってくれた愛川ゆず季がプロレスラーとして登場した。プロレス・デビュー後に再会した時に「あのナマ観戦で完全にプロレスにハマりました。あの時、後楽園に行ってなかったらプロレスラーになっていなかったと思います」と言っていたゆずポン。それだけに感慨深いものがあった。
 もうひとつ、ファン感謝デーで心がほっこりしたのは、試合後の締めの挨拶で武藤からバトンを渡されたKENSOが、それを若手の中之上に譲ったこと。中之上はデビュー2年にして未だに自力勝利がない。後輩の匠にも差をつけられてしまった。だが、着実に成長している。植物に例えるなら、花どころか枝葉も伸びていないが、しっかりと幹を作ってきたと言える。KENSOはそんな中之上の努力と頑張りを間近でちゃんと見ているからこそ、最後に主役の座を譲ったのだと思う。やっぱりKENSOはヘンだけどいい奴なのだ。
 夜のみちのく後楽園では、いきなり大仁田厚とバッタリ。会うのは一昨年のクリスマスイブに新木場で開催されたスーパーFMW旗揚げ戦以来。思えば、大仁田さんと初めて会ったのは30年前の1981年8月、テネシー州ナッシュビルだった。その後、FMWの旗揚げ、引退後の復帰の際には結構関わった。
「あれから30年かよう。小佐野ちゃんは学生だったよな? 俺は23だったよ」と大仁田さん。その他、顔馴染みの記者が沢山いて、大仁田さんは「やっぱりプロレスはいいよなあ」と本当に楽しそうだった。これまでいろいろあったがプロレス村は居心地がいいようだ。
 村などと書くとイメージが悪いかもしれないが、今はともかくかつてはプロレスラーとプロレス・マスコミは確かに同じ村の住人だった。同じ村に住んでいて関係が濃密だからこそ、和気あいあいだけでなく、ガチンコの軋轢も多々生まれた。例えば私にしても週刊ゴングの全日本担当記者時代には馬場さんの名前で個人取材拒否の通達が2回会社に届いているし、元子夫人とは何度もやり合った。長州さんには路上で胸倉を掴まれて殴られる寸前までいった。WAR時代には冬木さん、武井社長と大喧嘩になったし、天龍さんとも揉めてまき代夫人、武井社長が仲裁に入ってくれたこともあった。大仁田さんともゴングのFMWの扱いを巡って何度もギクシャクした。でも、今となったらお互いに「そんなこともあったね」と笑えるいい思い出になっている。
 昔は硬派のサムライ記者も多かったし、レスラーにしても昔気質の人が多かったから、いさかいは少なくなかったと思う。レスラーに喧嘩を売る記者やカメラマンもいたくらいだ。でも、そうしたことを乗り越えることで、より強い絆が生まれるというのが昔のプロレス村社会だった。
 大仁田さん、やっぱり村の雰囲気は最高でしょ!