Gスピリッツ最新号は橋本特集&ボック・インタビュー!

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 9月28日(水)発売のGスピリッツ第21号の表紙&主な内容を公開します。
【特集=橋本真也 爆殺の記憶】
<証言>
馳浩
天龍源一郎
AKIRA
ドン荒川
KENSO
永島勝司
山口日昇
【巻頭スペシャル=地獄の墓掘人は生きていた!】
独占キャッチ!衝撃の2万字インタビュー=ローラン・ボック
【特別企画】
木村政彦のプロレスラー時代=知られざる海外遠征の足跡
【連載】
実録・国際プロレス=和製カーペンティア 寺西勇
オーストラリアのプロレス史=カール・ゴッチに5回勝った男
キム・ドク インタビュー後編
ミル・マスカラスが「悪魔仮面」と呼ばれた時代=第4回
アリーバMEXCO=カルロフ・ラガルデ

全日本プロレスの今

 武藤・全日本から内田・全日本へ。武藤敬司から内田雅之氏に社長が交代したというだけでなく、ここにきてリング上も確実に新たな世界に変わりつつある。これまでは誰が三冠王者であろうが、誰が主役に座ろうが、全日本プロレス=武藤の世界だった。だが、徐々に武藤の匂いが薄れてきているのだ。
 それは馬場時代をひっくるめて全日本の過去・現在・未来のすべてを背負おうという諏訪魔が三冠王者として中央に構えていることが大きい。諏訪魔は10月23日の両国で四天王時代を知るノアの秋山準の挑戦を受けて、あの熱い90年代をも自分に取り込もうとしている。そして、その諏訪魔をさらに若い世代の真田聖也らが追う姿は、かつての超世代軍を思わせる。
 今日19日には昼間に後楽園ホールで興行が行われたが、メインのリングに立ったのは世界ジュニア王者のKAI。KAIは後楽園3大会連続でメインを務めたことになる。これも新しい時代の風景と言っていい。さらにKENSOは『TEAMビチッと!』を結成して独自の世界観でお客を楽しませているし、征矢学にしても大森隆男にワイルド・コントラ・ワイルドで噛みついて自分の存在感をアピールした。それぞれに新しい時代に向けて、自分の意思・主張で動き始めている。
 さて、この状況で注目したいのは武藤だ。このまま新たな時代に移行するのを歓迎して黙って見守るのか? それとも何らかのアクションを起こすのか? 武藤の匂いが薄れてきているからこそ、ここで武藤が動いたら、それは逆に大きなインパクトになるはず。どういう流れが生まれるにせよ、全日本は目が離せない魅力的な団体だ。

あと2ヵ月弱の“やり過ぎぶり”に注目!

 私が澤宗紀というプロレスラーの存在を知ったのは04年だっただろうか。SWSでリングアナを務めていた鳴海剛氏が立ち上げたrという団体に所属していたから名前だけは知っていたのだと思う。04年当時、私は日本スポーツ出版社の編集担当執行役員という立場で何とか会社を立て直そうとしていた時期で、GAORAの全日本プロレス中継解説以外はほとんどプロレス会場に顔を出せなかったし、一昨日も書いたようにこの年の9月15日付で退社するなど身辺がゴタゴタしていたので、プロレス界の細部の情報には明るくなかったのだ。
 年が明けて05年、新たにフリーとして週刊ゴングの仕事をするようになり、任されたのが増刊号のプロレス名鑑の編集。ここでランジェリー武藤の存在も知ったのだが、初めは澤宗紀=ランジェリー武藤とは思ってもみなかった。ところが週刊ゴングの取材記者が集めてくれた選手へのアンケートを見ると、2人の基本的なプロフィールはほぼ一緒。「ひょっとして、同一人物?」と思い、後楽園ホールで澤と会った時に「ランジェリー武藤だよね?」と聞いたら「はい、スミマセン(笑)」。これが澤との初めての会話だった。
 当初、澤宗紀とランジェリー武藤は別人格だったように思う。澤としてのバチバチ・ファイト、ランジェリーとしてのコミカルなファイトの振り幅の広さに感心したが、いつしか澤宗紀というひとりのレスラーにすべての魅力が集約されていった。これは凄いことだ。
 そんな澤は11月5日の新宿FACEにおけるバトラーツ解散興行の数日後に引退する。いつも元気で、大人げなくて、変態な澤だが、神経は細やかだし、頭も働く。「バトラーツ解散の日に引退しようとも思ったんですけど、その日に引退試合をやると話題がブレるので…」と客観的に分析出来るのだ。引退については…私は、澤に限らず誰が引退を表明した時でも「お疲れさまでした」しかない。結局、本当の理由は本人にしかわからないものだし、その人の人生の大きな決断だからだ。
 さて、昨日は後楽園ホールでゼロワンの天下一ジュニア準決勝&決勝戦。引退が決まっている澤にとって最後の参加。そして準決勝で横須賀享、決勝でフジタ“Jr”ハヤトを撃破して見事に優勝を飾った。
 享、ハヤト共に勝っても負けても澤とのリング上の時間をとても大事にしていたように見えた。特にバチバチとやり合って負けたハヤトは号泣。ハヤトは優勝した時の願い事としてゼロワンで自分のプロデュース興行をやってもらって、そこで澤の引退試合の相手を務めることを発表したかったという。それが叶わなかったことへの悔し涙でもあろうし、同時に天下一ジュニア決勝という大きな舞台で澤との最後のシングルマッチを思い切り戦えたという感涙だったと思う。
 ハヤトは試合後に「俺が“やり過ぎぐらいがちょうどいい”を引き継ぐ。みちのくでも他の他んでも、俺が“やり過ぎぐらいがちょうどいい”で臨みます」と言った。プロレス界という枠から見たら、澤は決して大きな存在ではないかもしれないが、こうして継承してくれる若いレスラーがいるということは、澤にとってはレスラー冥利に尽きるだろう。
 優勝した澤本人は努めて明るく普段通りに振る舞っていたが、もうひとり涙を堪えられなかったのは、願い事として引退試合の対戦相手に指名された日高郁人だ。
「こいつ、体ボロボロなんですよ。決勝戦見守りながら、こいつの心が折れないように檄飛ばすので一生懸命でした。俺が澤宗紀を、責任を持ってプロレス界から送り出します。後輩であり、弟のような男を先に送り出すのは複雑だけど、もう一度リングに上がりたいとか、そんな気持ちを2度と起こさないように精一杯、送り出します」と涙ながらに語った日高。そんな日高に「泣かないで」で声をかける澤の柔らかな表情が印象的だった。
 体のダメージは本人しかわからないもの。でもきっと澤は最後まで“やり過ぎぐらいがちょうどいい!”と全力で駆け抜けるに違いない。
「バトラーツの戦う営業、戦う広告塔としては、解散興行のチケットが立ち見以外完売になって退職前のひとつの仕事をクリアー出来ました。次の大仕事はバトラーツに所属したレスラー全員を解散興行に集めることです。みんな大人げなくて、仲が悪くて大変なんですけど、僕が必ずやってみせます。そして、その数日後、日高さんと引退試合をさせてもらいます」と澤。あと2ヵ月弱、澤の“やり過ぎぶり”を見届けよう!

乾杯!

 ダイアリーの再開に際して温かいコメントをいただき、ありがとうございました。Gスピリッツの情報については、編集部の意向に沿う形で来週初めぐらいから出していけると思います。
 さて、昨日はドラゴンゲートの後楽園大会。メインはYAMATOと戸澤陽のノーロープ&ノーDQマッチだった。ノーロープということはロープワークを使ったファイトが出来ないし、体でリングの大きさを把握していないと動けない。両者の基本的な技術が試される試合だったと言ってもいい。
 YAMATOはプロレス入り前に4年間、和術慧舟會に所属して『パンクラス・ゲート』でも試合経験があるだけに、この手の戦いは得意。元々が「どうやったら、技を極力使わないで面白い試合を作り上げられるか?」という考えの持ち主でもあり、私のお気に入りの選手のひとりだ。序盤は当然バックの取り合い、関節の取り合いと地味な攻防になり、やたらと「喧嘩をやれ!」という無粋な野次も飛んだが、顔面踏みつけ、アキレス腱固めなどの攻めはYAMATOの真骨頂だったと思う。
 一方の戸澤は、YAMATOに対応しつつ、ヒールとしての味をきっちりと発揮。スパナの使い方も巧かったし、最後にフォールを奪ったパッケージ・ジャーマンも、鉄板を隠しておいたキャンバスの上に叩きつけるという味な仕掛け。かつての戸澤塾、メタボリック・ブラザースというコミカルな時代を感じさせずに自己プロデュースしているのは立派だ。
 帰宅後は独立7周年を祝って、妻とシャンパンで乾杯! さあ、今日はゼロワンの後楽園大会…天下一ジュニアの決勝だ。

今日は独立記念日

 2004年の9月16日、ちょうど今頃の時間に千代田区神田駿河台の出版健保にいた。健康保険を任意継続に切り替えるためだった。それは日本スポーツ出版社を退社して、43歳にして無職になったから。野に放たれてから丸7年、今もこうしてプロレス業界で生きていることは感慨無量の一言に尽きる。毎年9月16日になると、心は04年の同じ日に帰り、また新たに頑張っていこうと思う。私にとっては初心に戻る独立記念日なのだ。
 考えてみると9月というのは私のキーポイントになっている月。5日は誕生日で、今年50歳を迎えた。そして07年9月5日には今の私の主戦場であるGスピリッツが創刊された。10日は私が辛い時期に温かく見守り続けてくれた母方の祖母の命日でもある。
 あれから丸7年経った今日、原稿を一本仕上げてドラゴンゲートの後楽園ホールに行く。当たり前の日常だが、つくづく幸せな日々を送っていることに感謝したい。
 さて、このダイアリーを2ヵ月以上も休んでいたことをお詫びします。多くの方々にご心配をおかけしました。実は7月下旬に転居、8月からこれまでの日々はGスピリッツ第21号の取材&原稿書き、その他、諸々の仕事に追われて更新する時間も気力もありませんでした。
 8月下旬、久々に馳浩に会った。彼は毎朝午前4時前後に起床して国会議員として多忙な毎日を送っているにもかかわらず、毎日、ブログを更新している。そのことを聞くと「プロレスラー時代に毎日練習していたのと同じですよ。朝起きて、ブログを書くことによって前日の復習をする。そしてその復習は今日の予習にもなるんです!」とキッパリ。いやあ、さすが馳センセ―は違う!
 ということで馳センセ―には敵いませんが、独立記念日を機にダイアリーを再開したいと思います。また、途中でプツッと途切れることもあると思いますが、懲りずにクリックしてください。今後ともよろしくお願いします。