全日本3・21両国開催に寄せて

 全日本プロレスの3・21両国大会の開催が昨日の午後、ようやく正式決定した。正直、前日の16日まではかなり微妙な状況だった。全日本としては節電も考慮して電力供給車を準備するなど開催に前向きだったが、最終的には会場サイドの返答待ちだったからだ。
 全日本がそこまで今回の両国開催に強い熱意を見せていたのは、選手及びスタッフが被災者だったから。3月11日、全日本は宮城県石巻市総合体育館で試合があった。そして震災発生時、スタッフはすでに会場にいて、鉄骨が落ち、ガラスが割れるという状況だったという。会場が高台にあったため津波の被害は受けずに済んだが、避難所の石巻高校で過ごした。選手たちはバスが遅れたために会場に到着する前にバスの車中で被災。翌日夕方に帰京した。別行動で電車を使って現地入りした近藤修司は仙石線内で被災。寸前で津波から逃れ、車中で1泊した後、タクシーで仙台、山形と移動をして、上越新幹線で13日夜にようやく帰京している。
 今回の開催にあたり、社長でもある武藤敬司は「選手たちは石巻の現場にいる中で、いろんなものを見て、感じた。プロレスラーは見たもの、感じたものをリングで表現していくのが使命。だからこそ、最高のプロレスを表現してくれると期待しています」と言った。
 奇跡の生還を果たした近藤の「被災した俺たちだから出来る興行だと思います。少しでも勇気を与えられる試合がしたいです。自分はチャンピオンシップ(稔の世界ジュニアに挑戦)ですけど、それ以上のものが賭かっている、それ以上のものを背負って試合をするという気持ちです」という言葉は重かった。東北に住む親戚と連絡が取れない状態になっているKENSOは大きな声で「僕は一生懸命、試合をします!」と決意を語った。
 内田取締役は「精神的には中止の方が楽でした。でも、新日本プロレス、ノアさんのフロント関係者から“開催するなら協力を惜しまない”という連絡を頂いて、決断の後ろ盾を得た想いでした。背中を押してもらいました。開催が正式決定した時点で蝶野選手からも電話を頂きました」と開催決断に至るまでの苦しい胸の内を語った。実際、私も新日本やノアの関係者から「こんな時だからこそ全日本さんは両国を開催するべき。やるならば協力します」と申し出があったことは数日前から聞いていた。
 もちろんこの状況での首都圏ビッグマッチ開催には賛否両論があると思う。ドラゴンゲートの3・20両国中止は、これもまた勇気ある撤退だったと思う。だが、それだけにこの全日本の両国は団体の枠を越えたプロレス業界の「プロレスを通じて日本に元気を!」という祈りだったのではないか。
 昨日の記者会見には駆けつけることが出来る選手が顔を揃えたが、いずれも凛とした表情で異口同音に「試合を通してメッセージを送りたい。プロレスラーとしての使命をまっとうしたい」と言っていた。
 節電の関係からビッグマッチにはつきものの、派手な演出はない。でも、選手たちはきっと素晴らしい試合を見せてくれるはず。見どころは全試合だ。選手たちが発するメッセージ、プロレスを通した人間力をぜひ感じ取っていただいて、これからの活力にしてほしいと願う。私も放送席から精一杯メッセージを送りたいと思っています。

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