全日本の電子マガジン発売!

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 明日4月1日、全日本プロレスの電子マガジン『プロレスLIFE~全日本プロレスマガジンNo.3』が発売になる。
 この電子書籍は前週刊プロレス編集長の佐久間一彦氏が手掛けたもので、3月21日に開催された両国国技館大会大特集。佐久間氏、元週刊プロレスモバイル編集長・鈴木健氏、そして私が執筆している。私が担当したのは諏訪魔vsKENSOの三冠ヘビー級選手権試合、武藤敬司vs橋本大地の2試合。試合リポートは久々だ。試合リポートといっても、試合経過を書いているのではなく、その試合の背景と意義、選手の心理、技術的な部分について書いているので、ぜひ読んでいただきたい。
 オールカラー98ページで115円(税込)。マガストア(http://www.magastore.jp/product/2089)、富士山マガジンサービス(http://www.fujisan.co.jp/magazine/1281691687/)から購入可能です。

ジプシー・ジョー77歳の真話

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 今日はGスピリッツVol.19の発売日。流通関係の問題でちゃんと皆さんの地域に本が届いているかどうか心配だが、とりあえず書店をチェックしてください。
 ということで、藤波辰爾大特集以外の記事にも触れておきたい。今号で私が藤波特集以外に担当したのはジプシー・ジョーのインタビューだ。昨年12月にSMASH参戦を果たしたジョー。招聘したTAJIRIは「これがジョーさんと会うのは最後かもしれない」と言っていたが、その想いは私も同じだった。何しろ、もう77歳なのだ。
 リング上では“放浪の殺し屋”として喧嘩ファイトに徹していたジョーだが、リングを降りると人情深くて気さくな人だった。もう25年も前の話だが、札幌のホテルでタイガー・ジェット・シンに襲われそうになった時に助けてくれたこともあった。外国人選手の取材でホテルに行ったら、珍しくシンが「ゴングを見せろ!」と言ってきたので手渡したが、しばらくペラペラとページをめくると「何で俺の記事が少ないんだ!」と顔面をヒクヒクさせて今にも掴みかからんばかり。「これはヤバイな!」と思ったところで「お前がそういう態度ばかり取るから取材できないんじゃないか。記事が少なくても仕方ないだろ」と助け舟を出してくれたのがジョーだった。
 今回の取材は、もしかしたら最後になるかもしれないから会っておきたいという個人的な気持ちと、47年に及ぶジプシー・ジョーなるプロレスラーの人生を記しておきたいという2つの気持ちから行ったものだ。
「もう、昔のことは憶えていないよ」と言いながら、話していくうちにドンドン甦った記憶。そして77歳になった今も自らの体を痛めつけるバンプ哲学。このインタビューを通じてヒルベルト・メレンデスという人間、ジプシー・ジョーというプロレスラーの人生を感じていただければ幸いだ。

Gスピリッツ=藤波大特集詳細です

 明日30日はGスピリッツVol.19の発売日。今号はデビュー40周年を迎える藤波辰爾大特集であることは以前、お伝えしたが、今日はさらに詳しい情報を。
 私が担当したのは取材時間5時間超、24ページにわたる藤波への4万字インタビュー。その他、藤波に縁のある人たちに取材した。
 まずは北沢幹之(魁勝司)氏。北沢氏は1970年6月16日、下関体育館に藤波を呼び、試合後に日本プロレスの宿舎に連れていった。ここから藤波のプロレス人生がスタートした。当時16歳だった藤波の体格は入門規定に満たないもので、もし北沢氏の尽力がなかったらプロレスラー・藤波辰爾は誕生していなかったのだ。道場のスパーリングではカール・ゴッチが極めることが出来なかったほど強かったという北沢氏の目から見た若き日の藤波の話は貴重なものだ。
 そして1978年のドラゴン・ブームを仕掛けた元新日本プロレス取締役営業本部長の“過激な仕掛け人”こと新間寿氏。70年代、日本のプロレスはヘビー級が主役でジュニア・ヘビー級というジャンルは確立されていなかった。だが、新間氏は体が小さい藤波に目を付け、いきなりMSGでWWWFジュニア・ヘビー級王座に挑戦させて一夜にして次代のスターに仕立て上げた。なぜ新間氏は藤波を売り出そうとしたのか? そして、その仕掛けとは? また、藤波自身、「新間さんがいなければドラゴン殺法は生まれなかった」と証言しているが、その意味とは? これはフィクサー側の視点から語る藤波のサクセス・ストーリーである。
 最後はWAR、新日本のリングで藤波と激闘を繰り広げた天龍源一郎。時期は違うがノースカロライナで修行したという共通点を持つ2人の意外な初対面に始まり、天龍が戦いを通して体感した藤波のプロレスを分析してくれた。対戦相手としての、プレイヤーからの視点も新鮮だった。
 私が担当した以外にも長州力、グラン浜田、ミル・マスカラス、カネック、チャボ・ゲレロが登場する。様々な角度から藤波辰爾を掘り起こした一冊にご期待ください!

今、この状況の中で…

 昨日はDDT後楽園ホールからノアのディファ有明とハシゴ。まずはDDTだ。節電ということでビジョンを使った演出はなし。そこで打ち出したのは“映像ではない新たな演出方法”だった。
 大会前にビジョンを使って対戦カードを発表するのはどこの団体もやっていることだが、ビジョンを使えないために何とカード発表ごとに選手がリングインして対峙。映像ではないナマの絵は新鮮だった。DDTでは導入部として控室のやりとりをビジョンで見せて、そこから試合に突入するという手法が多いが、これもビジョンを使えないために机とイスを持ち込んで、控室のやりとりをリング上でナマで見せる演劇(?)にチャレンジ。これも大受けだ。一連の流れを見せるVTRもないから、これはラジオ・ドラマのように音声のみでやった。マイナス材料をプラスにしてしまう、楽しんでしまうというのがDDTの強みである。
 もちろん試合もよかった。HARASHIMAvsアントーニオ本多は時間的には10分足らずだったが、メリハリのある好試合だったし、男色ディーノがボブ・サップの刺客ジョナサン・グレシャムを迎え撃った試合は、ジョナサンがテクニック的にも、場の空気を読むプロレス頭的にも優れた選手だったからディーノの魅力全開となった。ジョナサンは身長160センチ程度(?)の小さなレスラーだが、実はチカラ・プロ、CZW、ROHで活躍しているデキる選手。あの大きなサップの刺客として小さな男が出現するというギャップもよかった。そしてメインのディック東郷vs飯伏幸太は36分を越える熱闘。
 さらにエンディングが素晴らしかった。リングに上がった高木三四郎は「明日から一歩を踏み出せるように一緒に歌いましょう!」と提案。これには客席から「えーっ!?」という声が起こったが、三四郎は「俺たちはプロレスラーだからプロレスしか出来ない…わけじゃない。歌も歌えるのだ。あんたたちだってデキるお客さんだろ? みんなで歌おうよ!」と観客を全員起立させて「一歩踏み出すために足踏みするぞ!」とハイテンション。このあたりの観客の心の掴み方はさすが三四郎だ。そして選手全員がチアガールのポンポンを持って集まって水前寺清子の『三百六十五歩のマーチ』を大合唱。福島で震度6強の地震にあったゴージャス松野も駆けつけて熱唱した。
 高木三四郎とDDTは“幸せな空間”“誰もが笑顔になれる世界”を提供してくれた。
 DDT終了後はノアのディファ有明へ。到着したのは第4試合終了後の休憩時間。西日本、九州をサーキットしてきたノアにとって震災後初めての首都圏興行だったが、雰囲気はいつもの通り。だが、全試合終了後に鈴木みのるが重いメッセージを叩きつけた。メインはGHC王者・杉浦貴から次期挑戦者としてラブコールを送られたみのるが高山善廣&佐野巧真のGHCタッグ王者と合体して杉浦&森嶋猛&吉江豊と激突。ゴッチ式パイルドライバーで杉浦を沈めたみのるは、大の字の杉浦に熱い言葉を発したのだ。
「俺はな、今どうしてもお前に言いたいことがあるからディファ有明まで来たんだ。お前が言った言葉を聞いて、俺は心底ガッカリしたよ。“今、プロレスで元気を与えるとか言っても、それは自己満足”ってお前は言ったよな? 確かに水や食いものは必要だよ。でも、それはみんなが一生懸命届けようとしているんだよ。東北のプロレスファンが以前“立て、杉浦!”って何度も言ってくれたんじゃないのか!? 今度はお前がプロレスで“立て!”って示す番じゃないのか!?」
 みのるの言葉に思わず客席から拍手が起きたが、みのるは「拍手なんていらねぇんだよ!」と一喝。その目には涙が浮かんでいるように見えた。
「俺はお前の発言を聞いて無性に腹が立った。こんな長ゼリフ、家で考えてきたわけじゃねぇ。どうしてもこれだけは言わなきゃいけないと思ったんだ。お前、MVPなんだろ!? お前、チャンピオンなんだろ!? どうしてなんだよ、杉浦! お前がプロレスの力を信じなくて誰がプロレスの力を信じるんだよ!? 東北にだってプロレスファンはいっぱいいるんだ。東北で苦しんでいるプロレスファン、そいつらの心を救うのは食いものじゃねぇ、水じゃねぇ、プロレスなんだ! こういう時に胸張って立ち上がるってなんで言えねぇんだ!? 俺は悲しいよ。俺はマジで言ってるんだ。…今のお前が俺とやりてぇなんて100万年早ぇんだよ。俺は強ぇ男とやりたいんだよ。今のお前みたいな弱ぇ奴にも、弱ぇ奴が巻いてるベルトにも興味なんかないんだよ」
 みのるがガッカリしたと言った杉浦の発言とは「俺は、プロレスで元気づけるとかは自己満足だと思うから言わない。生活が戻りつつある時には勇気や元気だけど、今は物資」といった一連の発言だ。杉浦は自衛隊出身。こういう事態の時に現実的に何が必要かわかっているし、自衛隊の先輩・仲間・後輩たちは被災地で活動している。そんな中でプロレスをしていることに葛藤があったことは想像に難くない。杉浦は正直な男だから、本音を口にするのだ。
「プロレスに元気づけたり、勇気づける力がないと言ったわけじゃない。今の段階ではそういう状況にないって言ったんであって。プロレスの力は信じてるし。…辛いね、辛い。タイトルマッチ以前にレスラーとして相手に否定されて。投げかけられたものを俺なりに受け止めて、消化しないと前に進めない」と杉浦。
 今、みんなが必死にもがいている。幸せな空間を提供した高木三四郎も、杉浦に厳しい言葉を投げかけた鈴木みのるも、批判された杉浦も、そしてプロレス業界全体が「今、自分たちに何が出来るのか!?」を模索して必死にもがいている――。

Gスピリッツ次号は“炎の飛龍”藤波特集!

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 3月30日(水)に発売されるGスピリッツVol.19はデビュー40周年を迎える藤波辰爾大特集! 巻頭の藤波への4万字インタビューは私が担当させてもらった。実は、私が初めてインタビューしたレスラーは藤波。それも高校2年生の時だった。当時、新日本プロレス・ファンクラブ『炎のファイター』を設立した私は、会報第1号用の目玉企画として藤波にインタビューさせてもらった。1978年6月1日の日本武道館だったから、もう33年も前のことだ。
 そんな経緯もあって、今回のインタビューは雑談を含めると5時間にも及んだろうか。日本プロレス入門から現在まで…特に自伝でもあまり触れられていない日本プロレス時代の話、40年間培ってきたプロレス論はぜひとも読んでいただきたい。
 主な内容は以下の通りです。
【4万字インタビュー】
藤波辰爾の過去・現在・未来
【回想】
長州力
天龍源一郎
北沢幹之
グラン浜田
新間寿
チャボ・ゲレロ
カネック
ミル・マスカラス
【特別企画】
“放浪の殺し屋”ジプシー・ジョー「77歳のバンプ哲学」
全日本格斗打撃連盟総裁・琴音隆裕「師・力道山」と「盟友・猪木」
【好評連載】
実録・国際プロレス(第9回)=森忠大 元TBS運動部部長
カンジ・イノキのアメリカ武者修行(第4回)
ミル・マスカラス 謎の1033日(第2回)
“太陽仮面”ソラール誕生秘話

次は春の祭典!

 両国大会を無事終えた翌日の昨日22日、4月8~13日に開催される『2011チャンピオン・カーニバル』の記者会見が行われた。
 今年の大会は新日本プロレスから永田裕志、プロレスリング・ノアから秋山準、フリーとして大森隆男が参加したことによって優勝争いだけでなく様々なドラマが見られる。まず、いきり立っていたのが大森だ。別ブロックになって公式戦では対戦が実現しないが、意識しているのは秋山準。大森と秋山はかつてアジア・タッグ王座を保持して“将来の全日本プロレスを担う2人”と目されていた。2人にとっての最後の『2000チャンピオン・カーニバル』はトーナメント形式で、1回戦で両雄は激突し、大森がわずか7秒で勝ったという過去もある。その後、ノアでの別れもあるし、いろいろな想いがあって当然だ。
「秋山準の参戦で一気にモチベーションが上がりましたね。意識するなっていう方がおかしい。これだけ時間が経った中で全日本のチャンピオン・カーニバルで顔を合わせるとは思わなかった。何かのつながりを感じますよ。あの人から“折り返し点を過ぎた”とかっていう言葉は聞きたくない。スターネスって冷酷でしょ? ネガティブな弱気な言葉は信じられないですよ。そんなこと言ってほしくないですね。今、燃えるものがないんじゃないか? そうじゃなきゃ口に出すことばじゃないでしょ!? お互いに勝ち上がっていけば当たるけど、俺は同じブロックの初日に戦ってもいいと思ってましたよ」と大森。その言葉からは、秋山に対する敵愾心だけではない複雑な感情が読み取れた。
 その秋山は、ここ最近の「若い者の時代だから…」というような“物わかりのいいオッサン”ではなく、目をギラギラさせた“あの秋山準”だった。「よくもまあ、これだけ因縁めいた選手を揃えてくれた」とニヤリ。同ブロックになった鈴木みのるとはGHC戦を戦った仲だし、太陽ケアは全日本時代の後輩。ノアに移る前、秋山は小橋率いるバーニングを離脱してマウナケア・モスマンと名乗っていた時代のケアをパートナーにして上位グループに引っ張り上げようとしていた。そして別ブロックには戦友の永田、秋山に参加を呼びかけていた三冠王者の諏訪魔がいる。全日本時代に三冠王座奪取もカーニバル優勝も果たしていない秋山にとって、ある意味では総決算的意味がある覚悟の参戦だ。
 そして永田。永田は記者会見中、何だか嬉しそうだった。「同じリーグ戦に全日本の選手とノアの選手が出るのは初めてだよね?」と、まるでファンのよう。そしてカーニバルについては「子供の頃にテレビで観てましたよ。馬場さんがブロディに勝って優勝したのとか。あれって昭和56年(81年)でしたよね? その前の年はジャンボ鶴田がディック・スレーターに勝って優勝して…」と通ぶりを発揮。実際、永田の記憶は正解だった。
 両親が教師という永田家は教育熱心で、少年時代の永田は夕方からの全日本プロレス中継を観ることは出来ても、夜8時からの新日本プロレス中継は勉強のために観ることができなかったという。全日本博士の永田と、昔のビデオを観て全日本の歴史に詳しい諏訪魔が公式戦でどんな試合をするのか非常に楽しみ!
 とにかく楽しみが多いチャンピオン・カーニバルである。

私が見て、感じた全日本・両国

 昨日、全日本プロレスは無事に両国国技館大会を終えた。賛否両論がある中での開催。その評価はチケットを買って会場まで足を運んだファン、PPVを購入してテレビで観戦したファンに委ねたい。私は、私が現場で感じたこと、見たことを書く。
 節電の関係からリング照明を吊るさず、電力供給車を使ってサイドから光を当て、暖房も入れず…という大会。恒例となっているビジョンを使っての煽りVTRもなく、テレビもオープニングの煽りVTRはあったが、それ以外は試合の組み合わせを伝えるVTRのみ。今の状況で、出来る限りの配慮をしての開催である。
 開場と同時に募金活動。3月11日、仙石線の車中で被災した近藤修司、三冠戦という大一番を控えながらも諏訪魔、その数メートル後ろには諏訪魔に挑戦するKENSOが募金箱を持って立ち、義援金への協力を大声で訴えていた。そして西側通路ではVMが全員で募金活動。偽善だなんだと言われても、多くのファンが募金する光景を見た時に、それだけでも大会を開催した意義があったと心底思った。
 試合前にはVMがリングに上がり、あのブラザー・ヤッシーも久々に登場して「ご機嫌ちゃんを東北に送ろう!」とまったく衰えないマイク・パフォーマンスで訴えた。その言葉の力は強かった。
 試合は当然、当たり外れがある。でも、選手たちは心をこめて精一杯ファイトしたと私は感じている。第1試合では実家が津波で流され、親戚が行方不明の宮本和志が「自分はこうやって元気に試合をしています!」と地元・福島、東北に身をもってメッセージを伝えた。武藤敬司は橋本大地に試練を課すことで立ち上がることの意味を伝えたかったのだと思う。「チャンピオンシップだけど、それ以上のものをかけて、背負って戦います」と言っていた近藤は稔に敗れたが、左腕が伸びきってもギブアップせずに諦めない心を体現して見せた。
 諏訪魔vsKENSOの三冠戦については、それこそ賛否両論あると思うが、私はKENSOを見直した。両国開催正式決定の記者会見で「ボクは一生懸命やります!」と大きな声で語ったKENSO。この日の試合前に募金箱を持って大きな声で協力を訴えていたKENSO。そしてリングインしてから諏訪魔が入場するまでの間、一点を見つめて自らのテンションを最高潮に持っていくKENSO。そんなKENSOを見てきて、摩訶不思議なKENSOワールドは自由奔放、勝手気ままなものではなく、実は鈴木健三という人間がKENSOというプロレスラーに成りきるために自分をとことん追い詰めた上で出来上がった世界だと感じたのだ。諏訪魔の凄まじい攻めにボロボロになりながらも立ち上がる姿は、KENSOなりの被災者への自らの体を犠牲にしたメッセージ、体を張ってのパフォーマンスだと私は解釈した。
「被災した我々だからこそ、出来ることがある」と今回の開催に漕ぎ着けた全日本の選手と関係者に改めて拍手を送りたい。純粋な興行としては100点ではなかったかもしれない。でも、何年か経って復興が成った時に「あの全日本の両国で勇気づけられた!」という人がいたとしたら、こんなに嬉しいことはない。

それぞれの信念のもとに

 一昨日の全日本プロレスに続き、昨日はブードゥー・マーダーズ(VM)が午後3時から記者会見を行った。会見に臨んだTARUはいつもの悪の総帥ではなく、素顔の多留嘉一だった。95年1月17日の阪神淡路大震災、そして今回の東日本大震災と2回の大震災を経験したTARUは義援金を立ち上げた。
「我々は特殊な仕事をしていて、一般の方とは違います。やらぬ善意より、やる偽善の精神で、命を懸けて両国に全力を尽くし、いいものを見せて元気と勇気を与えたいと思います。力道山、ジャイアント馬場さん、今の全日本の社長の武藤敬司…どんな時もみんなに勇気を与えてきたプロレスラーとしてリスペクトしています。今日はヒール的な発言じゃないですけど、熱いプロレスファンには理解してもらえると思います」とTARU。
 阪神淡路大震災当時はまだプロレス・デビューしておらず、会社を経営していたTARU。その翌年にプロレス界に飛び込んだのには何か心に期するものがあったのだろう。そして今回は石巻市総合体育館に向かって東北自動車道をバスで走っている最中に被災。高速を降りる手前で負傷者をバスに乗せて多賀城市内の病院まで運搬した上で会場に向かった。そんな経験をしているだけにTARUの言葉は真摯だった。
「義援金のために初めてVMのサイン会もやります。寄付してくれたファン、グッズを買ってくれたファンに心を込めてサインを書かせてもらいます」とTARU。「普段のヒールのイメージが崩れるのでは?」の声には「自分たちは悪と言われますけど、自分たちの主張をリングでやっているだけですから。今、ガタガタ言ってる奴、買いだめしてる奴の方が悪じゃないですか!?」とキッパリ。そして「両国で被災地にエールを送ろう! まあ、そういうこっちゃ」と締め括った。
 TARU義援金は以下の通り。
銀行名=三菱東京UFJ銀行
支店名=草加支店(店番号291)
口座=普通口座0112144
名義=VM TARU 義援金(ブイエム タル ギエンキン)
 皆さんのご協力をお願いします。
 そして午後5時からはSMASHが後楽園ホール展示場で緊急記者会見を行って、本来なら昨日18日に開催されるはずだった『SMASH15』を3月31日に同じ後楽園ホールで開催することを発表した。
「我々は今回の震災にあたってプロレス団体として力になれることはないのかと考えてきましたが、プロレスを通して勇気を与えることしかできないという結論に達しました」と酒井正和代表。TAJIRIも「僕らはプロレスをやらなきゃ何も出来ないんですよ。ショーを開催することによって、チャリティ等、いろいろなことが出来るんです」と訴えた。
 また、3月中の開催に漕ぎ着けたことで、18日にやるはずだったカードを極力変更しないで出来ることにもなった。4月1日付で新日本プロレス所属になるKUSHIDAはSMASHラストマッチとして当初の予定通りに大原はじめと一騎打ち、FUNAKIがアメリカに戻らず日本に留まったことでFUNAKIvs華名も予定通りに行われる。現時点ではトミー・ドリーマーだけスケジュールの都合がつかず、他の選手と交渉中だという。
 VMの会見でジョー・ドーリングが「2001年9月11日の同時多発テロの後、初めてショーを行ったのはベースボールでもフットボールでもなくWWEだった。ここで全日本がショーを開催することを嬉しく思っている。プロレスの原点は人に勇気を与えることだと私は信じている」と言っていたが、この9・11テロ後のWWEの初興行にTAJIRIは出場していた。それはテロ2日後の9月13日、ヒューストンにおけるスマックダウンだった。
「あの時も賛否両論ありました。でもビンス(マクマホン)は“ここで我々がやらなければ駄目なんだ!”と。テロが続いていたら、あの会場も標的になる危険性が高かったんですけど“俺もここにいる。君たちと一緒だ”とビンスは毅然たる態度でした。結果、会場は超満員(12046人を動員)になって、その一体感は凄いものでした。あれを経験しているから、今回もそうしたエネルギーを生み出して被災地にエールを送れればと。もちろん安全面に関しては万全を期します」とTAJIRI。TAJIRIはプロレスが生み出す力を信じている。
 日々、何が起こるかわからない状況での興行開催には賛否両論がある。もちろんプロレスラーの中にも「今はプロレスよりも他にやることがあるのではないか」という考えを持っている人もいる。今はそれぞれが、それぞれの信念のもとに行動を起こしている。そのいずれも支持したい。そして開催が決まった興行に関しては成功するのはもちろんのこと、何も事故がなく無事に終わってほしいと願っている。

全日本3・21両国開催に寄せて

 全日本プロレスの3・21両国大会の開催が昨日の午後、ようやく正式決定した。正直、前日の16日まではかなり微妙な状況だった。全日本としては節電も考慮して電力供給車を準備するなど開催に前向きだったが、最終的には会場サイドの返答待ちだったからだ。
 全日本がそこまで今回の両国開催に強い熱意を見せていたのは、選手及びスタッフが被災者だったから。3月11日、全日本は宮城県石巻市総合体育館で試合があった。そして震災発生時、スタッフはすでに会場にいて、鉄骨が落ち、ガラスが割れるという状況だったという。会場が高台にあったため津波の被害は受けずに済んだが、避難所の石巻高校で過ごした。選手たちはバスが遅れたために会場に到着する前にバスの車中で被災。翌日夕方に帰京した。別行動で電車を使って現地入りした近藤修司は仙石線内で被災。寸前で津波から逃れ、車中で1泊した後、タクシーで仙台、山形と移動をして、上越新幹線で13日夜にようやく帰京している。
 今回の開催にあたり、社長でもある武藤敬司は「選手たちは石巻の現場にいる中で、いろんなものを見て、感じた。プロレスラーは見たもの、感じたものをリングで表現していくのが使命。だからこそ、最高のプロレスを表現してくれると期待しています」と言った。
 奇跡の生還を果たした近藤の「被災した俺たちだから出来る興行だと思います。少しでも勇気を与えられる試合がしたいです。自分はチャンピオンシップ(稔の世界ジュニアに挑戦)ですけど、それ以上のものが賭かっている、それ以上のものを背負って試合をするという気持ちです」という言葉は重かった。東北に住む親戚と連絡が取れない状態になっているKENSOは大きな声で「僕は一生懸命、試合をします!」と決意を語った。
 内田取締役は「精神的には中止の方が楽でした。でも、新日本プロレス、ノアさんのフロント関係者から“開催するなら協力を惜しまない”という連絡を頂いて、決断の後ろ盾を得た想いでした。背中を押してもらいました。開催が正式決定した時点で蝶野選手からも電話を頂きました」と開催決断に至るまでの苦しい胸の内を語った。実際、私も新日本やノアの関係者から「こんな時だからこそ全日本さんは両国を開催するべき。やるならば協力します」と申し出があったことは数日前から聞いていた。
 もちろんこの状況での首都圏ビッグマッチ開催には賛否両論があると思う。ドラゴンゲートの3・20両国中止は、これもまた勇気ある撤退だったと思う。だが、それだけにこの全日本の両国は団体の枠を越えたプロレス業界の「プロレスを通じて日本に元気を!」という祈りだったのではないか。
 昨日の記者会見には駆けつけることが出来る選手が顔を揃えたが、いずれも凛とした表情で異口同音に「試合を通してメッセージを送りたい。プロレスラーとしての使命をまっとうしたい」と言っていた。
 節電の関係からビッグマッチにはつきものの、派手な演出はない。でも、選手たちはきっと素晴らしい試合を見せてくれるはず。見どころは全試合だ。選手たちが発するメッセージ、プロレスを通した人間力をぜひ感じ取っていただいて、これからの活力にしてほしいと願う。私も放送席から精一杯メッセージを送りたいと思っています。

今の気持ちです

 東日本大震災発生以来、初めてダイアリーを更新します。大震災発生当初、正直なところ、何を書いていいのかわかりませんでした。何を書いても軽々しいようで…。今、書けるのは本当に月並みな言葉になってしまうのですが…被災した方々にお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方、その遺族の方々にお悔やみ申し上げます。今もニュースで原発の問題が報じられていますが、みんなで力を合わせてこの苦難を乗り越えましょうという言葉しか出てきません。
 昨日はサムライTV『S―ARENA』出演のために帰宅ラッシュの中、電車を使ってスタジオに行きました。乗り換え駅では人が溢れ、なかなか電車に乗れない状況でしたが、皆さんが割り込みなどせずに整然と並び、駅員の指示に従って順次乗車していました。そうした協力し合う姿勢は嬉しく、そして頼もしく感じました。
 私は自分の無力さを嘆いてはいません。それよりも何が出来るのかを考えています。今の私に出来ることは『S-ARENA』から出演依頼があれば、どんな状況でもスタジオに駆けつけて番組を提供することです。中には「こんな時にやる番組じゃないだろ」とか「電気を無駄にするな」と思っている方もいると思います。でも、わずか1時間弱でも、この番組をによってホッと出来る方がいるなら、ほんのひとときでも楽しい時間を過ごして頂けるなら幸いだと思っています。『S-ARENA』は大震災が発生し、交通機関がマヒした11日から休まずに放送を続けています。スタッフの方々、キャスター、ゲストの人たちの番組に対する真摯な姿勢の賜物だと思っています。
『S-ARENA』以外にも、21日の全日本プロレス両国大会では精一杯解説をします。私が仕事をしている地域は計画停電のグループに入っていますが、日刊スポーツの携帯サイト・ニッカンバトルの『見どころcheck!』、東京スポーツの『プロレス・スーパースター実伝』、週プロモバイルの『サンデー・小佐ポン』の連載も休まず続けます。プロレスを通じて、少しでも皆さんの活力の手助けになれればと思っています。これからもよろしくお願いします。
 まだまだ予断を許さない状況が続きそうですが、頑張りましょう。