山本小鉄さん急逝

 新日本プロレスの山本小鉄さんが8月28日午前6時42分に亡くなられた。
 今日、私は全日本プロレス両国大会のPPV解説に備えて午前10時まで爆睡していた。起きて携帯を見ると午前9時過ぎにある関係者から着信が。また、10時半前にもある関係者から電話があり、小鉄さんの悲報を知らされた。その時点では新日本の公式ホームページに出ていなかったため、書くことを控えていたが、公式発表になったということで、今パソコンの前に座っている。
 小鉄さんはとてもファンを大事にする人だった。私は新日本ファンクラブ『炎のファイター』を主宰していた高校時代に随分とお世話になった。
 80年4月4日に現役を引退。私たちファンクラブのメンバーは小鉄さんを労うべく、翌5日に東京・水道橋のアイウエオ会館で『山本小鉄を囲む会』というイベントを開催した。当時の私たちは純粋に「ファンの手による引退式を!」ということで企画したわけだが、普通だったら引退翌日は家族と過ごしたいはず。それでも小鉄さんは私たちの勝手な気持ちを受け入れてくれて、快く会の開催をOKしてくれ、ゼスチャーゲームなどのアトラクションにも積極的に参加してくれた。無声の引退試合の8ミリを上映したところ、まだ若手のアナウンサーだった古館伊知郎氏が「僕に喋らせてください!」と、マイクに駆け寄って、その場で名調子の実況を聞かせてくれたのもいい思い出だ。
 私はゴングに入ってから新日本担当記者に一度もなったことがないので、小鉄さんを取材させていただく機会は本当に数えるほどしかなかったが、それでも会場で顔を合わせると「元気にしてるの?」と変わらず笑顔で話しかけてくれたものだ。
 昨年12月のスーパーJカップで男色ディーノに激怒した小鉄さん。ストロングスタイルを守り通そうとする頑固な姿勢を見て「ああ、やっぱり小鉄はいつまでも小鉄さんなんだ」と嬉しくなった。山本小鉄は昭和ストロングスタイルの最後の砦だった。
 思えば1年前の8月30日の両国で小鉄さんと同じ解説席に座り、一緒に喋る機会に恵まれた。武藤&船木vs蝶野&鈴木のゲスト解説者として小鉄さんが参加してくれたのである。今となってはかけがいのない思い出である。今日も私は両国で解説。現役引退後、真摯に解説の仕事に取り組んだ小鉄さんに怒られないように一生懸命、喋ります。
 山本小鉄さん、プロレスの厳しさを教えていただいたこと、お世話になったことを忘れません。安らかにお休みください。

「山本小鉄さん急逝」への4件のフィードバック

  1. 山本小鉄さんといえばストロングスタイル、新日本プロレス道場という言葉が思いうかびます。ぜひ、次号のGスピリッツで山本小鉄さんとストロングスタイル、新日本プロレス道場をくみあわせて特集して欲しいです。ご冥福お祈りいたします。

  2.  新日本プロレスとは、表は猪木、裏(隠れた意味で)は山本さんではないでしょうか?個人的に山本、藤原体制が崩れてから新日本プロレスがいろんな意味で変わったと思ってます。
     タッグマッチの面白さを教えてくれたのが中々TV放送がなかったヤマハ・ブラザーズと幼心に思ってました。(ダイビングタッチやタッグのボートこぎ等々)
     ところで、山本さんの著書の1冊のプレゼントにサイン入り竹刀がありましたが本当にほしかったなあ。
     博士さんの言うとおり次号のGスピリッツは、小鉄さんの特集号をお願いしたいですね。そうなるとインタビューする人はかなりの数になるはず。2号に分けての特集にしても読み応えありそうですね。
     個人のご冥福をお祈りいたします。

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