2代目タイガーマスク

 週刊プロレス1521号の天龍源一郎ミニアルバムに続いて、昨日発売の1530号の2代目タイガーマスク・ミニアルバムにも起用してもらった。考えてみれば、現在の週プロ編集部で2代目タイガーの取材をしているのは宍倉清則顧問だけ。私のかつての取材経験を活かしてもらえば光栄というものだ。
 担当したのは、まず2代目タイガー誕生秘話。これはハッキリ言って、お手のもの。2代目タイガーは馬場さん、当時の新日本プロレス興行社長の大塚直樹氏、そして週刊ゴング(というよりも竹内宏介氏)の仕掛けと言っても過言ではないからだ。
 ゴングは週プロに続いて84年5月に週刊化されたが、苦戦が続いていた。特に当時注目の第一次UWFとのパイプは週プロの方が深く、UWFから撤退した新間寿氏とのラインが強かった週刊ゴングはむしろ敵視されているような状況だった。また、佐山聡個人とは何も問題はなかったものの、当時の佐山のマネージャーのS氏とも折り合いが悪く、7月23日&24日の『UWF無限大記念日』における佐山のザ・タイガーとしてのプロレス復帰戦はS氏から取材拒否を食らって、写真撮影も後楽園のバルコニーからのみ。対抗策として週刊ゴングではザ・タイガー復帰前日にメキシコから密かに帰国した三沢光晴にマスクを被せた2代目タイガーマスクのスクープ写真を表紙にした。以後、2代目タイガーには折りに触れて助けられたものだ。
 だが、この2代目タイガー時代は三沢さんにとって苦悩の時代だったとも言える。体格が違うのに常に初代の佐山と比較され、タイガーマスクというイメージを守るために自分が本来やりたいファイトを抑えなければならなかった。
「あの頃は自分のことに必死で、相手を考えてる余裕もなかったからね。タイガーマスクって中途半端なキャラじゃん。体重的にもジュニア・ヘビー級なのか、ヘビー級なのかって微妙な時でもあったしね」とは、後年になって聞いた三沢さんの言葉。
 またリングを降りても生活の大半はマスクを被ったままで、普段は面白い人間なのに、インタビューになるとタイガーのキャラがあるから、ハッキリ言って面白い話は聞けない。
「だから自分を抑える部分も大変だったよね。ぶっちゃけ言えば、トークショーとか行ってもさあ、喋れないわけじゃん、自分で。ねえ! あのキャラは喋れないわけよ。自分でつまんねぇと思いながら喋ってるわけ(苦笑)。自分がつまんないんだもん、お客が聞いててもつまんねぇだろうなって。サイン会は別に書いてるだけだからいいけどね。でも、そのサインもほら、作られたサインだから“俺のサインでもねぇし!”って(苦笑)」
 だが、リング上でも外でも様々な制約を受けて悩んだ時代があったからこそ、その後、素顔になって開花したのだと思う。そのあたりはカブキさんにインタビューした。カブキさんの話の中には“マスクマンはどう表現すべきか”などの職人ならでは視点もあるので、ぜひ読んで頂きたい。
 そして6月23日(水)には、いよいよGスピリッツ第16号が発売になる。こちらは初代タイガーマスク特集の第2弾。明日、表紙を大々的に公開します!

「2代目タイガーマスク」への3件のフィードバック

  1. やはり、三沢さん、タイガーあまり…みたいな感じだったんですね…マスク、脱いだ試合、丁度、テレビで観てて、何か、活き活きしてるというか、解き放たれた感じの印象がありました..

  2. >でも、そのサインもほら、作られたサインだから“俺のサインでもねぇし!”って
    三沢さんらしい言葉で爆笑しました。
    当時、本当にど田舎のスーパーにタイガーマスクがサイン会に来てくれました。
    僕がいた地方の巡業があるわけでなく、単にタイガーマスクというブランドだけのサイン会に小中高生が何百人も。
    本当に田舎でしたよ。
    でも、その作られたサインでもしっかり筆記体でサインしてくれた三沢さん、いやタイガーマスク。
    隣には色紙係りの仲田さんがいました。
    当時から二人三脚だったのですね。
    そのサインいまだに持ってます。

  3. Gスピリッツ初の2号連続同一選手特集ですね。
    むっちゃ楽しみにしています。早く明日が来ないかなぁ~。

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