佐久間編集長の辞任について

 週刊プロレスの佐久間一彦編集長が辞任した。
 私は33歳の時に週刊ゴングの編集長に就任して、周囲からは「若い編集長だね!」と言われたが、佐久間氏が週プロの編集長に就任したのは私より若い31歳の時。2007年4月の就任だから、ちょうど週刊ゴングが休刊してプロレス専門誌が1誌という大きなプレッシャーの中での編集長だった。
 編集長の仕事は記事を書いたり、編集作業をしていればいいというわけではない。部長という立場でもあるから社内の問題もあるし、編集部という組織をまとめなくてはいけない。売り上げをチェックし、編集制作費を考え、団体関係者&レスラーはもちろんのこと、本作りに関わる業者関係との細々としたことだってある。そこには毎週、良質の本を出し続けなければいけないプレッシャーだけでなく、様々な葛藤、心労…いろいろなことがあるわけだ。実際、私は4年5ヵ月で編集長を降りた。
 私が週刊ゴング編集長を降り、日本スポーツ出版社の編集企画室長になったのが99年1月。その年に佐久間氏は格闘技通信から週プロ編集部に異動になった。私は編集企画室長になってからも増刊号を作る関係、GAORAの全日本プロレス解説でちょこちょこと会場に顔を出していたから「週プロにまた新しい記者が入ったんだな」ぐらいの印象しかなく、本来なら私と佐久間氏に接点が生まれるはずがなかった。ところが04年9月に私は日本スポーツ出版社を退社、フリーとして週刊ゴングの仕事をするようになったことで接点が生まれた。当時の私にはノアの取材が回ってくることが多く、週プロのノア担当だった佐久間氏と毎週会場で顔を合わせるようになり、いろいろ話をするようになったのだ。
 私がベースボールマガジン社の仕事をするきっかけを作ってくれたのは佐久間氏だった。08年春に発売された『週プロ回顧録』という増刊号で“元・週刊ゴング編集長から見た週プロ”としてインタビューしてくれたのである。かつてはライバル誌の週刊ゴングの編集長で、95年のベースボールマガジン社主催の『夢の懸け橋』を激しく攻撃した私を起用することは、風当たりが強かったと思われるが「週プロの歴史を振り返る意味では、あの時の状況も避けては通れないことです。手前味噌な本は作りたくないので、ぜひ」と言ってくれた。気骨ある男だなと感じた。
 その後も『四天王プロレス』『三沢光晴追悼号』にも声をかけてもらい、昨年暮れには週プロの忘年会にも呼んでもらった。そして先日の週プロの天龍ミニ・アルバムのほとんどを任せてくれた。適材適所で力を発揮する場所を提供してくれたことには感謝以外の言葉はない。
 ひとまず、お疲れさまと書かせていただくが、これから先、いずれどこかで一緒に仕事ができることを願っている。佐久間氏の新たなステップに期待を込めて…。

「佐久間編集長の辞任について」への2件のフィードバック

  1. 本記事にて初めてこの報を知りました…。
    ここ最近、経済的理由もあり購読出来なかったことが悔やまれます…。
    編集者と言う仕事がどれだけ大変か、私には想像すら付きませんが、さぞ激務だったろうなとは思います。
    まずはゆっくり休んで頂いて、再びプロレス界の仕事に戻ってきて頂きたいものですね…。
    本当に、お疲れ様でした。

  2. 自分は、佐久間さんのツイッターで知りました★
    本人直々の呟きと言う事もあり、最初は冗談かと思いきや、やはり本当なのだと……ビックリしました☆
    S-アリーナでの佐久間さんしか知りませんが、いつも笑顔を絶やさずに、本当にプロレスが好きなんだなぁ、と感じさせる姿が、見ていて和みました☆
    きっと大変な仕事だったんだろうということは、小佐野さんも十二分に分かっているだけに、淋しい思いと残念な思いでしょう。
    またいつか、佐久間さんの元気な姿を拝見できるようになったらいいな、と思っています☆

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