南部の麒麟児死去

 2月1日(現地時間)早朝、元NWA世界ヘビー級チャンピオンのジャック・ブリスコが亡くなったと聞いた。数週間前に心臓のバイパス手術を行ったが、その後に合併症を引き起こしたという。まだ68歳の若さだった。
“南部の麒麟児”と呼ばれたジャック・ブリスコは私ぐらいの年代(40代中~50代)にとってはドリー・ファンク・ジュニアと並んで古き良き時代のNWAの象徴というイメージが強いはず。そんなブリスコが1979年の『第2回MSGシリーズ』に特別参加した時は、当時、新日本プロレスのファンクラブを主宰していた私としては小躍りするほど嬉しかった。
 新日本は75年にNWAに加盟したものの、反主流派に属していたから猪木のNWA世界挑戦は現実的にはあり得ないものだった。それだけに猪木と元NWA世界王者ブリスコの一騎打ちが実現というだけで新日本ファン、猪木ファンにとっては夢のカードだった。71年8月5日に愛知県体育館における猪木とブリスコのUNヘビー級選手権をテレビで観たのは小学校4年生の時。それから8年…高校3年生になった私は、79年5月19日に福岡スポーツセンターにおける猪木vsブリスコのNWFヘビー級戦を観に行った。
 思えば、飛行機に乗ったのはこの時が初めて。高校生で小遣いも大してない頃だったから、ファンクラブ仲間の小林和朋クン(のちに週刊ゴング新日本担当→副編集長→バーニングスタッフ代表)と、空席があれば運賃が半額になるスカイメイトを利用し、朝一番の飛行機に乗って初めて九州に上陸した次第だ。
 現地ではデイリースポーツの大加戸康一記者(新日本担当記者で藤波と親しかった)や新間寿さんに「ここまで来たのか!?」と驚かれ、試合後にはゴング編集長だった竹内宏介さんに夕飯を御馳走になり、ウォーリー山口さんと小林君の3人でホテルに泊まった。部屋でプロレスごっこをやっていたらフロントから電話がかかってきて怒られてしまったのも、今となってはいい思い出。
 肝心の猪木vsブリスコは、猪木が首固めで丸め込んで勝つという、当時の私としたらちょっと物足りないものだったが「東京以外の大会場で試合を観た!」という興奮が大きかったように思う。
 本題からズレてしまったが、ブリスコの悲報に接して、何だかファンクラブ時代のことをいろいろ思い出した。こうしてちょっと振り返っただけでも、プロレスを観ることに付随していろいろ面白い経験をしてきたんだなあと改めて思う。その意味ではプロレスに感謝だし、福岡まで足を運ばせてくれたブリスコにも感謝である。
 故人の冥福をお祈りいたします。

「南部の麒麟児死去」への4件のフィードバック

  1. 日プロ時代の猪木さんとのシングルマッチがベストバウトとしてゴングによく掲載されていましたが、ぜひ一度見てみたいものです。
    ご冥福をお祈りいたします。

  2. 小佐野さんへの要望です。
    昔(90年代後半だったと思います)ゴングで竹内さんが過去の名レスラーへのインタビューは時間との闘いとおっしゃってましたが、今こそ過去の名レスラーと呼ばれる人達に、インタビューして頂きたいです。Gスピリッツでシリーズ化されればなお嬉しいです。過去のエピソード、現状のプロレス界への評価、要望等お聞きして頂きたいです。ご検討よろしくお願いいたします。

  3. 飛行機乗ってプロレス見る執念は凄いですね。
    ちなみに私はまだ生まれてないかな?
    ご冥福をお祈りします。

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