決別から14年半の時をこえて…

 昨日、大仁田厚とターザン後藤の記者会見が行われた。これはFMW再旗揚げをぶち上げてラブコールを送っていた後藤に大仁田が応えたもの。会見前日、後藤から電話を貰っていたが、緊急の仕事が入ってしまい、残念ながら会見には行けなかった。それでも週プロ・モバイルの写真と記事を確認して嬉しい気分になったものだ。
 この2人が決別したのは大仁田の引退14日前の95年4月21日。後藤が後楽園大会をボイコットしたのだ。その日、私は後楽園ホールに行ってなかったが夜中に後藤から「FMWを辞めます」と電話をもらった記憶がある。大仁田も後藤も昔から親しくさせてもらっていた選手で、FMW設立にも深く関わった私は2人の関係が壊れたことに胸を痛めた。
 その後、2人は01年にリング上で絡んだが、短期間で立ち消えになっている。そして昨日の記者会見。写真と記事を見る限りは、まるであの時代の2人のようだった。大仁田は後藤と組んでの長州&藤波戦と後藤とのシングルを今後の希望に挙げ、後藤は大仁田とのシングル2戦を希望した。「1回はベストバウトを狙い、もう1回は俺とやって安心して引退させてあげたい。多分、引退試合で俺が相手をできなかったから、大仁田さんは引退できなかったんだと」と言う後藤に、大仁田は「あの時、すんなりできれていれば、戻ってこなかったかもしれない」と返している。
 振り返れば、あの後藤のFMW電撃離脱の時、共に相手を中傷することはなかった。後藤は離脱理由を「墓場まで持って行く」と語らず、出て行かれた大仁田も「俺が傷つけられたのも事実だし、俺が傷つけてしまったのも事実…」と語っただけで、決して泥仕合にはならなかった。そして5・5川崎球場でハヤブサ相手に引退試合を行った大仁田は試合後に「ハヤブサもターザン後藤も…FMWが好きなんじゃ!」と叫んだ。お互いに最後の一線を守ったからこそ、14年半後の今があるような気がする。
「今さら大仁田と後藤が組んでFMWと言ったって…」と否定的な見方をする人も少ないないだろう。実際、単発の懐メロに終わってしまうかもしれない。12・24新木場ではミスター・ポーゴ&レザー・フェースと対戦する大仁田&後藤だが、その後を現実的に考えれば、大仁田の長崎知事選出馬の話もあり(2010年2月4日告示、同月21日開票)どうなるかはわからない。
 それでも今回のタッグ結成は、95年4月に置きさらしにしてしまった“忘れ物”を取りに行くという、2人の人生にとっては重要なことなのだ。

「決別から14年半の時をこえて…」への2件のフィードバック

  1. 小佐野さん、いつもmaikai 楽しみに拝見しています。
    今回更新いただいた大仁田の2回目の引退は’95年だった
    と思います。
    ご参考まで。
    話変わりますが、もうすぐプロレス大賞の時期ですが、
    今年生観戦した中で小佐野さんのベストバウトは何ですか?
    ちなみに私はひとつだけ選ぶとしたら、中邑VS大谷のIWGP戦
    を推します。

  2. よろしければ小佐野さんがFMW設立に関わった経緯をお聞かせ下さい。小佐野さんとFMWってなんかイメージ的につながらないので(苦笑)

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