この4ヵ月

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 10月3日、三沢光晴追悼興行第2弾が大阪府立体育会館で行われた。これで三沢さんに関する行事が終了した。
 思えば、この4ヵ月間は私の仕事も三沢さんをメインに回っていた。Gスピリッツ第12号では突然の訃報にページを潰してもらって追悼文を書き、週プロの増刊号で天龍&川田との関わりを書かせてもらい、週プロ本誌ではリレー・インタビューの第1弾として越中さんにインタビューした。AERAの取材も受けた。そして三沢追悼興行のノアのパンフレットをOffice Maikaiとして編集させてもらい、9月25日発売のNunber増刊号、9月30日発売のGスピリッツ第13号…。
 古くから三沢さんを知る数少ないマスコミ関係者のひとりとして、より多くの場所でプロレスラー・三沢光晴、人間・三沢光晴を伝える義務があると勝手に思い込んで依頼された仕事はすべてやったし、また、取材を通して新たな三沢光晴を知ることもできた。三沢光晴を通して、改めてプロレスというものを深く考えることもできた。三沢光晴と目いっぱい向き合った4ヵ月間だった。
 私にとって三沢光晴は、古くは「タイガー」であり、その後は「みっちゃん」だったが、凄いプロレスラー、人間だったんだなと改めて感じている。今年に入ってから、あまり接する機会がなかったのが本当に心残り。3月のGスピリッツ第12号の取材の後に、飲みに行く時間があればよかったのにとつくづく思う。結局、仕事抜きで飲んだのは05年9月の御徒町が最後になってしまった。
 これからも折に触れて三沢光晴というプロレスラー、人間を伝えていくことが義務なのは変わりないが、これで一区切り。ノアを旗揚げしてからは、立場を考慮して人前では「三沢さん」「三沢社長」と呼んで敬語で接していたけど、また昔のように「みっちゃん」「小佐野クン」の関係に戻させて下さい。そして、みっちゃん、ゆっくりとお休みください。みんなが前を向いているからプロレスは大丈夫だよ!
(写真は9・27日本武道館 撮影=神谷繁美カメラマン)

Gスピリッツ第13号情報PART3

 昨日発売になったGスピリッツ第13号はおかげさまで評判も上々のよう。今日は、まだ購入されていない方のために情報PART3をお届けしたい。
 今回の特集は、これまでに様々な場面で語られてきた人間・三沢光晴よりもプロレスラー・三沢光晴に力点を置いたものだが、それでもやはり人間性というのは重要な要素。プロレスの最終的な魅力は、そのレスラーの人間性&人生になるからだ。そこで三沢さんに縁のある人物として渡部優一氏、ターザン後藤、阿修羅・原に回想してもらっている。
 現在、掣圏真陰流総本部・興義館館長の渡部氏は足利工業大学附属高校レスリング部で三沢さんと同期。渡部氏がキャプテン、三沢さんが副キャプテンだった。三沢さんがアマチュア時代にどんなレスラーで、どんな青年だったかを、渡部氏秘蔵の写真とともに語ってもらっている。
 ターザン後藤は三沢さんにとって1歳年下の1年先輩レスラー。三沢さんが全日本道場に入門してきた時を知っている数少ない選手だ。練習生時代の三沢さんとの思い出、三沢さんの素質、当時の全日本の前座戦線など、リング上の“鬼神”ではなく、素の実直な後藤政二として語ってくれているのがミソだ。
 そして阿修羅・原は天龍同盟として三沢さんが2代目タイガーマスクだった時代に試合で鍛え抜いた人。天龍同盟との戦いはのちの四天王プロレスの原点ともなっているが、阿修羅は当時から三沢さんに同じ志を感じていたという。
 渡部氏=高校レスリング部時代、後藤=若手時代、阿修羅=タイガーマスク時代。それぞれの時代ごとの三沢さんの資質&人間性が浮き彫りになっているはずだ。