祭と清算、そのあとには…

 主催者発表17000人! 昨日の日本武道館は久々に入ったと実感できたし、熱を体感できた。
 三沢光晴追悼興行は熱い祭だった。そう、天に召された三沢光晴を祭るイベントだった。ノアの選手とレギュラー参戦している選手、関係者はもちろんのこと、三沢さんと縁ある鈴木みのるが、天龍源一郎が、武藤敬司がそれぞれのプロレスで三沢さんを追悼した。その上であの6・13広島で三沢さんと同じリングに立っていた潮﨑豪と齋藤彰俊が過去を清算して時計の針を進めるために一騎打ち。
 それぞれの試合について細かくあれこれ書くつもりはない。観客も含めて武道館に集った人たちが一体となって三沢光晴に哀悼の意を表した意義ある1日だった。
 今週の土曜日3日には大阪府立体育会館で追悼第2弾興行が行われ、ここには川田利明、蝶野正洋が参戦する。これで一区切り。
「ノアの皆さんも、お客さんも、今日で三沢さんのことは胸の奥にしまって、明日から先に進んで行くんじゃないでしょうか」とは武藤の言葉だが、3日の大阪が終わったら、前に向かって進むしかない。
 昨日の日本武道館に足を運んでくれた人たちがこれからもプロレス会場に足を運んでくれることを願う。そして、プロレスはそんな魅力的なものであり続けなければならない。
PS.9・26横浜文体での船木vs鈴木については、あの緊迫感がよかったという人もいれば、私のように緊迫感とはちょっと種類の違う違和感を持った人もいると思います。私は「今の時点ではストレートに感情や体、技術をぶつけ合うことが困難な関係なんだ」と感じたクチです。というように見る人間、視点によって、勝敗や優劣ではなく様々な思いが生まれるがプロレスの面白いところだと私は思います。どんな感想を持っても、それはその人のもの。コメント欄には人の意見に対して云々ではなく、「自分はこう思う」という形の文章を寄せてください。

「祭と清算、そのあとには…」への1件のフィードバック

  1. 船木と鈴木…
    やはり「目指すものが違うのではないか」と感じました。
    鈴木はサイコロジーを駆使して、観客にも「考える」ことを要求する。
    船木は、おそらく「強さ」(プロレスラーとして、人間として)を追求しようとしている。
    プロレスを通じて何を見せたいのか。何をファンに訴えたいのか、価値観の違いが、何とも言えない違和感を醸し出してしまっていると思います。
    かつての三銃士は、天下を獲るという明確な目標を共有していた。
    それに対し、四天王は「作品」として攻防の完成度を目指したはずです。
    昔、天龍さんが「ブロディにプロレスの凄さを、ハンセンにプロレスラーの凄さを教わった(逆でしたっけ?)」と言ってましたが、まさに、プロレスの“凄さ”を伝えたい四天王(全日)と、プロレスラーの凄さを伝えたい三銃士(新日)との対比を感じたものです。
    今の船木と鈴木の違和感は、その違いのように思えます。
    どっちがどっちかは言うまでもないですよね。
    鈴木は、根っからの新日だと思ってましたが、フリーになって、実は全日らしさを身にまとっていました。
    そういう意味では、ハンセンとブロディはその「違い」が魅力に昇華されていましたが、船木と鈴木の場合は、どちらかが「歩み寄らない」限り、ズレた試合に終始してしまうような気がします。
    そもそも、高山が三冠を手放し、アジアタッグを「相撲コンビ」に明け渡した現在、鈴木はこのまま全日に継続して参戦するのでしょうか。
    そういう意味でも、次の後楽園ホールは見逃せませんね。

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