崔領二の出直しに期待

 昨日は3・29靖国神社以来のZERO1。靖国では崔領二が大谷晋二郎を破って世界ヘビー級王者になった。
 その崔は「スタートラインだっていうのはわかってます。いろいろ言われると思うけど、とにかくスタートラインに立たないと始まらない。ゼロからの第一歩ですよ。チャンピオンになっただけじゃ駄目、大谷さんを倒しただけじゃ駄目。“ゼロワンは変わったね”と言われるチャンピオンになりたいと思います。プロレスは人生だと思うので、精一杯、悔いのない人生を送りたいと思います。いつか、俺らに憧れてプロレスに入ってくるだろう若い人とたちに背中を見せていきたい」と語っていた。
 今回は関本大介に続く2度目の防衛戦。相手は『火祭り』3連覇を果たした文字通りのZERO1の象徴・田中将斗だ。大谷、田中の2人を破れば、確かに新時代の扉は開かれる。
 だが、結論から書いてしまえば、将斗はとてつもなく強かった。体格的には崔が勝っているが、打撃戦にしても何にしても将斗の方が明らかに上。経験してきた修羅場の数の違いがモロに出た試合だった。もちろん崔も頑張った。それでも最後は将斗のスライディングD2連発で勝負あり。崔の天下は3ヵ月で終わってしまった。
 さあ、崔はどうする? ここで挫けてしまったら、それこそ時計の針を逆戻りさせることになる。しかし試合後の崔は清々しい顔をしていた。
「俺の中でのプロレスのスーパースターは橋本さんじゃないんです。アントニオ猪木、タイガーマスク、長州力も名前しか知らなかった。俺の中で、初めて見たスーパースターは大谷晋二郎であり、田中将斗なんですよ。だから誰よりもあの2人をリスペクトしているし、目標にしている。壁になってもらわないと俺は困るんです。俺の物差しの中ではあの2人はどんな選手よりも強いし、人間的にも素晴らしいと思っています。だから、これからも目標とするし、戦った時には容赦なく向かって行くし、組んだ時にはこのZERO1のために力を合わせていきたい。今日、戦ってみて…やっぱり田中さんはさすがでした。何も言いませんわ。また一から出直します。死ぬ気で頑張ります」
 崔は15歳でヨーロッパに渡り、オランダのカマクラジムでジェラルド・ゴルドーに師事した男。他の選手とはちょっと毛色が違う。そこが魅力でもある。そして昔からのプロレスファンではなかった崔にとってプロレスラー=大谷&田中ということになる。
 わずか3ヵ月の王者だったが、その短期間の中でトップとして団体を牽引することの大変さ、大谷&田中の偉大さを痛感したことだろう。誰もが初めてトップに立った時には壁にぶつかるし、周囲もなかなか評価してくれない。昨年4月にキャリア3年半で三冠王者になった諏訪魔は「お客さんがチャンピオンとして認知してくれないから悩むんですよ。ただ、その暗いトンネルに入れたってことは…みんなが入れるわけじゃないですから。そのトンネルの入口は狭いんですよ。そこに入れたってことはいいことであって。ただ、想像を絶するトンネルですよ」と言っていた。
 この選ばれし者だけしか入れないトンネルを経験したことで、崔は真の意味で第1歩を踏み出した。もうすぐ『火祭り』がスタートするが、田中は崔に「俺は必ず4連覇する。もし違うブロックになったら、必ず決勝まで来い!」とラブコールを送っている。ここからが崔領二の真価の見せどころだ。

三沢さんに導かれて…

 週刊プロレスの本日発売号から『三沢さん追悼リレーインタビュー』がスタートした。その記念すべき第1回のバトンが光栄にも私に渡された。ゲストは越中詩郎。三沢さんと越中さんは、三沢さんが全日本に入門した81年3月から84年3月まで3年間、砧の道場で寝食を共にし、84年3月から同年7月までメキシコで苦楽を共にした仲だ。
 当時の2人の様子を知るマスコミは本当に少なくなった。私にしてもゴングが週刊化されて全日本プロレス担当記者を命じられたのは84年4月だから三沢さんと越中さんがメキシコに出発した後。だから三沢さんが私の取材対象になったのはタイガーマスクになってからということになる。そして越中さんはメキシコにとどまって翌年夏に新日本に移籍してしまったから、正確には私の取材対象になったことはないのだ。
 ただ、私の場合は2人のメキシコ修行が決まった後の84年1月に全日本プロレスのグアム合宿に同行取材している。越中、三沢、冬木弘道、ターザン後藤、川田利明の砧道場組と一緒にウインドサーフィンに講じたり、プールではしゃいだりしたのは、今となっては貴重な体験だ。同年3月6日にメキシコに出発する時もなぜか全日本事務所まで取材に行っていた。そんな財産があったからこそ、今回のリレーインタビューで私に白羽の矢を立ててくれたのだと思うし、三沢さんの追悼号の時もそうだったが、私の過去の経歴にこだわらずに起用してくれた佐久間編集長には感謝している。
 フリーになってから『新日本プロレス35年激動史』『四天王プロレスFILE』『三澤光晴 緑の軌跡』で原稿を書き、『週プロ回顧録』では“元・週刊ゴング編集長から見た週プロ”という形でインタビューしてもらうなど、これまでも増刊号には関わってきたが、週プロそのものに原稿を書いたのは今回が初めて。かつてSWS騒動や95年春の『夢の懸け橋』で真っ向から対立し、週刊ゴング編集長として戦ってきた媒体で仕事をするというのは運命の不思議を感じるし、感慨深いものがある。
 今後も週プロと縁があるのかどうかはわからないが、今回は三沢さんが導いてくれたものだと思っている。
PS.昨日の『ドラゴンゲートの猿虐待疑惑について』には数々のコメントが寄せられました。ただ、それによって、このサイトをご覧になっている方たちが紛糾するのは私としては避けたいので、あえて掲載しません。ただし、私は個人として皆さんの意見を受け止めるつもりなので、掲載はしませんが、訴えたいことがあれば書き込んでください。