長州力の魅力は

 今日は久々に“現場”について書く。昨日のリアルジャパン・プロレス後楽園大会だ。
 メインは初代タイガーマスク&長州力&ウルティモ・ドラゴンvs蝶野正洋&ザ・グレート・サスケ&関本大介。何だがバラバラな組み合わせだが、初代タイガーvs蝶野の初対決を軸に長州vs関本の真っ向パワー対決、ウルティモvsサスケの師弟対決…と、見所が多いカードなのだ。
 試合はビッグネームたちの存在感のあるファイトに若い関本のナチュラルなパワーが加味されて、プロレスの面白さを凝縮したような展開に。そんな中で特に印象に残ったのは長州だった。
 リアルジャパンは試合前のセレモニーが長い。選手がリングに登場したところで花束贈呈があり、特別ゲストがリングで紹介され、さらに名物(?)のレフェリー、ユセフ・トルコさんのスピーチがあったりする。結果、試合開始までに結構な時間を要するわけだが、その間の長州は明らかにイライラしていた。長州はガッと集中力を高めて試合をするタイプなのだ。
 そのイライラは試合にいい形で爆発。スタートこそ、この試合の目玉の初代タイガーvs蝶野に譲ったものの、すぐにコーナーから「佐山!」と声をかけてタッチを要求し、蝶野とガッチリとロックアップ。そして関本と体をぶつけ合った。
 関本をラリアット2連発でなぎ倒し、サスケには「叩きつける」という表現がピッタリのパワフルなブレーンバスター。ここぞという時の長州の瞬発力、パワー、迫力はやはり素晴らしい。
試合は初代タイガーがサスケをオースイ・スープレックス気味の後方回転からジャパニーズ・レッグロール・クラッチで押さえたが、その直前には長州がリングに躍り込んでラリアットを決めた。この時点で事実上、勝負はついていたと言っていい。
 試合が終わると、他の選手に構うことなくサッサと引き揚げてしまった長州。最近はよく丸くなったと言われるが、常に何かに怒っているようで、何かにイライラし、ピリピリしている長州力が私にとってはやっぱり一番魅力的だ。

今、やれることは…

「君は長年、三沢光晴を取材してきたのだから、その歴史を通して三沢光晴というプロレスラー、人となりを多くの人に伝える義務があると思うよ」と、ある方に言われた。
 当初、何を言っても、何を書いても何だか軽々しくなってしまうような気がしたが、言われた通りに今こそ三沢光晴を伝えるのが私の仕事なのだと、どこかで煮え切らないでいた自分を恥じた。
 振り返れば日本スポーツ出版社の社員だった時代には、週刊ゴング編集長から編集企画室長になった時の最初の仕事はジャイアント馬場さんの追悼号だった。その後、ジャンボ鶴田さん、冬木弘道さんの追悼号も手掛けた。橋本真也さんが亡くなった時には退社していたが、すぐに週刊ゴング編集部から連絡をもらって追悼号の制作に参加させてもらった。
 今の私の立場はフリー。言い換えれば媒体を持っていない身。何かをしたくても、手も足も出せないというのが現実である。
 そんな中で、6月26日発売の『Gスピリッツ』が、もはや最終段階に入っているにもかかわらず何とかコラムを書くスペースを用意して私に原稿を依頼してくれた。また6月20日に緊急発売になる週プロの『三沢光晴緊急追悼号』には、私から佐久間編集長に申し出て協力させていただくことにした。今日の午前中には週刊『AERA』の記者がわざわざ自宅の近くまで出向いてくれ、取材を受けた。
 とにかく今の自分にやれることはやる。それが供養になると信じている。

ノアの人たちの強さと武藤の言葉

 昨日はめまぐるしい1日だった。天龍さんとマグナムTOKYOの記者会見に向かう電車の中で携帯が鳴り、テッド・タナベさんの訃報を聞いた。そして会見場に向かう途中で関係者にバッタリと会い、天龍さんのショックが大きいために会見が急遽中止になったことを知らされた。天龍さんの三沢さんについてのコメントはどの紙面にも載っていない。その心中は察してあまりある。
 そして夜のサムライTV『S-ARENA』は三沢さんの追悼とテッドさんの訃報を伝える番組になった。
 正直な気持ちとしたら、14日のノア博多大会のVTRを観た後にコメント出来る自信はなかった。実際に辛い映像だった。でも、同時に動揺を隠せなかった自分を恥じた。一番辛いはずの選手たちが精一杯のファイトをしているのだ。西永レフェリーを始めとするスタッフも凄いと思った。何という強さなのだ。悲しみの中から踏み出そうとしている彼らの姿勢を目の当たりにしたら、私が動揺している場合ではないのだ。私は私の立場として、伝えるべきことをきちんと伝えなければならない。昨日はノアの人たちにまたひとつ勉強させていただいた。
 また、追悼コメントの中で武藤敬司の次の言葉が心に響いた。
「俺は“リングの上で死ねたら本望”って軽く言ってた。だけど俺以上にノアの社員、家族は悲しんでる。その中で軽々しくそうやって言ってた自分に対して、これから改めようかなと思ってます」
 レスラーはみんな「リングの上で死ねたら本望」という覚悟で試合に臨んでいると思う。それは凄いことである。でも、それは生きていてこその言葉。自戒の言葉をこうやって口に出せる武藤は素直な人間なんだなあと改めて思った。
 悲しい出来事をきちんと受け止めつつ、歩みを止めることなく踏み出さなきゃいけない。それが生かされている人間の務めだと強く感じる。

悲しい知らせ

 午後1時過ぎ、ある関係者から電話をいただき、テッド・タナベさんが逝去されたことを知った。本日午後12時23分、搬送先の病院で永眠されたとのこと。1週間前の後楽園ホールでは元気いっぱいで、3日前にメールをいただいたばかりなのに…。
 心より御冥福をお祈り申し上げます。

立派だった新日本でのノア戦士。そしてテッドさんのこと

 昨日の後楽園ホールにおけるスーパージュニア決勝は大盛り上がりだった。優勝したのは金本浩二。「今年を逃したら、もうないと思っていた」という金本は今年の10月で43歳になる。全力を出し切っての3度目の優勝には拍手を送りたい。そして年内にも2世が生まれるという。心から「おめでとう!」だ。
 だが昨日、私が注目していたのはノアからスーパージュニアに参戦していた菊地毅と青木篤志だった。試合前に控室の通路で2人と顔を合わせたが、何と言葉をかけていいのかわからなかった。
 試合開始前には三沢さん追悼の1分間の黙とう。菊地が遺影を持ち、その隣に青木が立った。その6分後には、菊地は吉橋と戦うためにリングに上がっていた。かつて三沢さんと同じ超世代軍でジャンボ鶴田という強大な壁にぶつかっていった頃と同じく、若い吉橋相手に気迫のファイトを見せた菊地。そのエルボーは「入魂の」という表現がピッタリくるものだった。ジャーマンから火の玉ボムで勝利した菊地は、声援を送ってくれた新日本のファンに深々と礼。
「普通はこんなことないんだけど、えらく動揺している自分がいて、納得のいく試合ができなかった。でも、三沢さんが観ていると思ったので、最後まで気を抜かずにね。相手が正面からぶつかってきてくれて感謝します。それと俺に試合をする場所を作ってくれた三沢さんにも感謝しているし、新日本プロレスにも感謝しています」と菊地。本人は満足していなかったかもしれないが、観る立場からすれば「プロレスラーとしてやっていく以上は、三沢さんと一緒にやっていく」という菊地の気持ちが十分に伝わってくるファイトだった。
 青木はスーパージュニア準決勝で金本と対戦。リングインするや、ファンを挑発するように腕を突き上げ、入場してくる金本を挑発するなど、いきなり戦闘モード。金本コールの中で青木は普段と変わらないファイトを展開してくれた。アンクル・ホールドに捉えられてしまったが、最後までタップせずレフェリー・ストップ負けに。11日のノア大阪大会で三沢さんに「頑張れよ」と声を掛けられたという青木は、本当に頑張ったと思う。
 その青木はスポニチ賞を贈られたが、その時にはいつもブーイングを飛ばしていた新日本ファンもノーサイドで青木コール。これは嬉しいシーンだった。
「三沢さん」と書くと、どうもしっくりこないので、ここでは普段通りに…みっちゃん、菊地も青木も立派だったということを、ここに報告させてもらいます。
 話は変わるが、昨日の大阪プロレスの試合後にレフェリーのテッド・タナベさんが意識不明に陥って救急病院に搬送されたという。テッドさんとは9日にK-DOJOの後楽園ホール大会で会ったばかり。7月いっぱいまで1日も休みがないというので「トシなんだから無理しないでよ!」と冗談で言っていただけに心配だ。
 後日、ダイアリーのコメント欄に「私や小佐野さんの時代もまだまだ終わっちゃいないんですよ。皆が元気で居なきゃ、業界も元気にならないですからね」と書き込んでくれたテッドさん。そう、元気でいなくちゃいけないんですよ。テッドさん、頑張って!

ご冥福をお祈り申し上げます

 この度の三澤光晴さんの悲報に接し、心より御冥福をお祈り申し上げます。正直、今は他に言葉が見つかりません。今は何を書いたとしても不謹慎なようで…。
 ただ、どんな状況でも弱音を吐かない人としての強さ、多忙と怪我で満足なコンディションを作れず、本当は自分自身が一番悔しいはずなのに団体の長としてリングに上がり続けた貴方の姿勢と責任感には頭が下がる思いでした。
よくサラリと、淡々と「心休まる時はないよね」と言っていましたよね。今はただ、ゆっくりと休まれることを祈っています。今まで本当にありがとうございました。

いざ神戸ワールドへ

 昨日は後楽園でドラゴンゲートの興行。ドラゴンゲートは選手それぞれのキャラが確立され、それぞれの試合にテーマと展望があり、しかも全試合が違うカラーだから観ていて飽きない。理想的なパッケージになっている。その前日の武藤祭もそうだったが、今や目玉カード一本で勝負するのではなく、大会全体としての充実度が求められる時代だということだ。
 さて、充実しているドラゴンゲートにあって、その頂点のドリームゲート王者に君臨しているのが土井成樹。昨日は盟友・吉野正人の挑戦を退けた。土井のトペによって序盤で吉野が左膝を負傷してしまい、中盤では流れがブツブツと切れてしまう残念な展開だったが、最後は2人ともフルスピードの攻防を見せてくれた。
 そして勝ったのは土井。土井は「頂点に立つ者としての経験」を勝因として挙げた。これで7・19神戸ワールドのメインは土井のドリームゲート防衛戦に決定。「誰の挑戦でも受ける…とは言っても、それなりの挑戦者じゃないと受けない。ドラゴンゲートの人間でも、他団体の人間でも、ガイジンでも…」と土井。昨年12月に第10代王者になってから金本浩二、曙という外部の挑戦を退けてきただけに自信の発言である。
 ドラゴンゲートはパッケージ・プロレスを充実させる一方で、土井に王者としての経験を積ませてきた。となると、神戸の挑戦者は一体!? サプライズに期待せずにはいられないぞ!
PS. TAKAvsサスケについて書いたダイアリーに、レフェリーを務めたテッド・タナベさんがコメントを寄せてくれた。個人的な内容もあったので掲載しないが、TAKAがサスケに「俺たちの時代はおわっていない」と言ったのと同じように、テッドさんも「私や小佐野さんの時代もまだまだ終わっちゃいないんですよ。皆が元気で居なきゃ、業界も元気にならないですからね」とエールの言葉を書いてきてくれた。ちなみにテッドさんは私より1歳年下で、共に1960年代生まれということになる。ちょっと前までは、この世代が業界でも新世代と呼ばれていたのが、気付いたらベテランと呼ばれるようになってしまった。テッドさんにしても、私にしても“ベテラン”の括りにされて神棚に置かれたら堪らない。「俺たちの時代」とは言わないが、まだまだリアルタイムの現場に立ち続けなきゃ。長年やってきた人間には、それなりの役目と使命があると思っているので…。

武藤ワールドの中にお笑いと…船木誠勝!

 武藤敬司が5年10ヵ月ぶりの黒師無双→武藤敬司→3・14両国以来のグレート・ムタ→全日本プロレス代表取締役社長・武藤敬司の4変化にチャレンジした昨日の『武藤祭』は笑いあり、サプライズありの武藤ワールド全開だった。もちろん超満員。ファンは期待感にお金を払うのである。期待感を煽るのは、基本的にはカードということになるが、どんなカードを組もうともそこに絶対に楽しめるという信頼感&安心感、楽しい空気がなければ期待感は生まれない。武藤ワールドには絶大な信頼感があるのだ。
 楽しい空気を作ってくれたのは神奈月とのものまねタッグF-1の防衛戦。挑戦してきた西村のパートナーXは“細か過ぎるものまね”で知られるユリオカ超特Q&グラップラーたかし。ユリオカさんはGスピリッツで『ドラゴン怒りの雪崩式リングイン』という連載コラムを書いてもらっていた藤波辰爾フリークだ。試合(=ネタ)の細かい内容はスポナビなどを読んで頂くとして、私が感動したのは試合後の控室で、あの飛龍革命(88年4・22沖縄)の再現をナマで観られたことだ。
 試合後のコメントの最中に猪木(グラップラーたかし)と藤波(ユリオカ)が険悪なムードに。滑舌が悪く、早口なために何を言っているかわからない藤波に対して猪木が「やれるか、本当にお前!」とビンタした瞬間、藤波は「モイスチャーミルク配合!」(ユリオカさんにはこう聞こえたらしい)と叫びつつ、ビンタの倍返し。そして前髪を自分でチョキチョキ切る藤波…。この名シーン(ユリオカさんの十八番)は休憩時間中の控室での出来事だったため、昨日会場に来ていたお客さんは知らない。ぜひGAORAのテレビ中継を観てください。中継スタッフはちゃんとカメラに収めていて、番組で使うと言っていたので…。
 さて武藤ワールドの最大の魅力はサプライズ。そのサプライズは最後に用意されていた。何と船木誠勝が花束を手に登場、それだけでなく8・30両国国技館での武藤&船木vs蝶野&鈴木が電撃発表されたのだ。
 遂に船木がプロレスのリングに立つというのは大ニュース。武藤と船木は1984年新日本入門の同期だが、そういったことよりも、船木に「プロレスのリングに上がろう」と決断させるだけのモノを武藤が持っていたということだと思う。馬場さんではないが、武藤は、どんな主義主張やスタイルがあっても「だってすべてがプロレスじゃん!」と言い切るキャパシティの広さと確固たる信念を持っている。そこに船木は信頼感を持ったのではないか。
 新日本同期の武藤、蝶野、船木が集い、そこに4年後輩の鈴木が加わり、UWF&藤原組&パンクラスで青春を過ごした船木と鈴木がまさか全日本のリング上で対峙するとは誰が想像しただろうか。
 船木が新日本からヨーロッパ修行に出たのは88年4月。1年後に帰国してUWFに移籍。その後、藤原組、パンクラス…という道を歩んだから純プロレスをやるのは実に21年4ヵ月ぶりのことだ。
「同期の中で本当は俺以上に天才って言われていたカリスマのある選手だからね。プロレスの良さを味わってほしいと思うよ」と武藤。
お笑いも船木誠勝も内包してしまう武藤ワールドは…深い!

俺たちの時代は終わっていない!

 時代の流れは速い。今年は平成21年。平成初頭にデビューしたレスラーもベテランの域に入ってきた。昨日の後楽園ホールにおけるKAIENTAI-DOJOのメインで行われたTAKAみちのくvsグレート・サスケのSTRONGEST-K戦も「俺たちの時代は終わってない!」というTAKAの叫びから生まれた戦いだった。サスケのデビューは平成2年3月。TAKAのデビューは平成4年。私の感覚からすると、十分にプロレス新人類なのだが、気付いてみればベテランと呼ばれるキャリアを重ねた。
 今回の戦いのテーマは「サスケよ、目を覚ませ!」。かつての東北の英雄も最近はトンパチ的な行動&ファイトばかりが目立つ。K-DOJOにおいてもバンビの下僕の“さすけ”を喜々としてやっている。そんな姿に「あんたは俺の師匠で、みちのくのお父さんなんだ。目を覚ませ! 平仮名のさすけじゃなくて、片仮名のザ・グレート・サスケを思い出せ! 俺の挑戦を受けろ!」と王者TAKAが逆挑戦を迫った。
 サスケvsTAKAはかつてのみちのくプロレスの黄金カード。今から12年前の97年10月10日、みちのくの両国国技館進出第2弾のメインでもあった。その試合の3日後、TAKAはWWFに旅立った。また、05年2月19日の岩手では東北ジュニア王者だったサスケを破ったTAKAが自ら保持する世界ジュニア&STRONGEST-Kと合わせて三冠王者になっている。
 今回のサスケvsTAKAを感慨深く見つめていたのはレフェリーを務めたテッド・タナベ。テッドはみちのくの旗揚げシリーズ第2弾の93年4月20日の江刺市民体育文化会館における2人の初対決も裁いている。この時に前売り券が1枚しか売れなかったのは有名な話。公式発表で観客動員数は350人だったが、テッドは「実数で105人でした」と述懐する。2人の歴史を見てきたテッドは、古いみちのくプロレスの赤いレフェリー・シャツをタンスから引っ張り出してきて昨日のレフェリングに臨んだ。思えば、先の大阪プロレス10周年興行にはスペル・デルフィンの姿はなく、サスケ、ディック東郷、そしてテッドがいたのだから運命とはつくづく不思議なものだと思う。
 さて、試合はTAKAの気持ちが通じたか、サスケはシリアス・モード。腕の取り合いから一転して足に狙いを定めると、アキレス腱固め、トーホールド、逆片エビでTAKAの左膝に集中攻撃。5分過ぎにはTAKAが右膝攻めの逆襲に転じ、膝十字、足4の字固めへ。このTAKAの攻めは97年の両国を彷彿とさせるもの。あの時、サスケは右膝を痛めていて、TAKAが非情な右膝攻めに出たのだ。「来いよ、ホラ!」「サスケ、目を覚ませ!」と執拗な足攻めを続けるTAKA。客席からも「あの頃のサスケに戻れ!」という声が飛ぶ。みんな“本当のサスケ”を待っていたのだ。
 サスケはあくまでもシリアスに戦った。鉄柱越えのコン・ヒーロを爆発させて、何と映画『ザ・レスラー』の公開に先駆けてミッキー・ローク扮する主人公ランディ“ザ・ラム”ロビンソンの必殺技ラム・ジャム! これは遊び心だったか、それともロークと自分を重ね合わせていたのか…。 この後、97年両国のフィニッシュとなったジャーマン、不完全ながらもサンダーファイヤー・パワーボムも繰り出した。
 サスケの本気の攻撃に耐え抜いたTAKAは久々のスプリングボード式の宇宙人ケブラーダ! そしてスーパーKの連発から最後はみちのくドライバーⅡでサスケを仕留めた。22分57秒の激闘だった。敗れたものの、本来のザ・グレート・サスケを見せてくれたサスケに大サスケ・コールが起こった。
「ザ・グレート・サスケ…みちのくプロレスのお父さん! サスケ会長、あなたはやっぱり偉大だ。グレートだよ。これは昔からの仲間たちからのお願いだ。フジタ“Jr”ハヤトとの東北ジュニア、絶対に負けんなよ! 俺たちの時代は終わっていない! 気休めしたかったら、いつでも平仮名で来いよ。 今日はありがとうございました」と言うと、TAKAは花道の奥にサスケの姿が見えなくなるまでリングで正座して深々と頭を下げていた。
 TAKAは13日の土曜日から始まる最強決定トーナメント『STRONGEST-K09』に王者として挑む。サスケは6・19後楽園における『ザ・グレート・サスケ20周年突入ツアー』開幕戦でフジタ“Jr”ハヤトの東北ジュニア王座に挑む。共に俺たちの時代がまだ終わっていないことを証明するために。

Gスピリッツ第12号の特集は

 携帯の公式サイトで発表された通り、6月26日(金)発売のGスピリッツ第12号の特集はアントニオ猪木vsモハメド・アリ! ちょうど33年前の1976年6月26日、日本武道館において“20世紀最大のスーパーファイト”と呼ばれた猪木とプロボクシング現役世界ヘビー級王者モハメド・アリのミックストマッチ3分15ラウンドが行われたのだ。
 今年の2月にテレビ朝日が開局50周年記念番組で再検証して話題になったし、すでに語り尽くされているようでありながら、実際には調べれば調べるほど謎や矛盾点などが浮かび上がってくるという、深い意味で“スーパーファイト”なのだ。Gスピリッツならではの猪木vsアリへのアプローチに期待してほしいと思う。
 ちなみに猪木vsアリが実現した時、私は中学3年生。試合が行われたのはアメリカの衛星中継に合わせて土曜日の昼だったので、受験生だった私は担任の先生の許可をもらって学校を休み、当時の私のお小遣いのウン倍もする5000円のチケット(それでも一番安い席のスタンド席U列=21列目!)を持って日本武道館に駆けつけた。それだけに今回の取材は子供時代を思い出させてくれるものでもあった。その内容に関しては携帯の公式サイトと連動する形で書いていこうと思う。お楽しみに!
PS.ノアの6・4後楽園ホールの客入りについての書き込みがあったのでお答えします。客足が遅く、杉浦が嘆いた第2試合の時点では確かに寂しかったものの、最終的には最近の他の団体と比較してもまずまずの入りだったと思う。今の時代、後楽園ホールを超満員にするのは結構、大変なことで、同じ団体でもカードやリング上の流れ次第で客入りが全然違ってくるから気が抜けないというのが実情だ。さらに仕事の形態も昔と違ってきているだけに6時30分試合開始というのも見直す時期に来ているのではないか。ノア、ハッスル、そして6月10日の全日本『武藤祭』が7時開始にしているが、7時開始~9時半終了ぐらいが今の時代に合っていると思う。
 また、よく話題になる観客動員数。BIが対立していた時代の全日本と新日本の観客動員数合戦の滅茶苦茶な数字を考えると、今は実数に近い発表になっていると私は思うのだが。
 だいたいが客席の作り方次第で客入りの印象は演出できるものだし、別に興行主でもない私個人としては「どれだけ入っているか?」よりも「どれだけ沸いているか?」の方が気になる。シーンとしている満員の会場よりも、たとえ客入りが半分だったとしても沸いている会場の方がいい。一番いいのは超満員で沸いている会場。そうした理想に向かってどの団体も努力していることを最近、私は特に感じている。それを肌で、自分の眼で感じてほしいから、皆さんにはチケットを買って会場に足を運んでもらいたいと思う。