他ジャンルとのコラボに新たな可能性が

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 昨日のサムライTV『S-ARENA』は大騒ぎ! 明日15日に新宿FACEで全日本とコラボ大会を行う『腐男塾』のメンバー6人がゲストMCを務め、そこにカズ・ハヤシと私が加わっての放送になったのだ。
『腐男塾』とはジャジィはなわ(お笑い芸人はなわの遠い親戚…ということになっている)がプロデュースするヲタク・アイドルユニット『中野腐女子シスターズ』の男装ユニット。つまり『腐男塾』と『中野腐女子シスターズ』のメンバーは別人格らしい。乱暴に表現すれば武藤敬司とグレート・ムタが別人というのと同じようなもの(だと思う)。
 カズと私は彼女たち…ではなく彼らのテンションについていくのがタイヘン。それでも番組をうまくまとめあげたカズはトークでもテクニシャンだった。
 さて明日15日に新宿FACEで行われる『腐ァイティングライブ2009 勝つんだ!』は新しい試みの大会。正義の全日本選手側には中野腐女子がサポートメンバーとして付き、第1試合は“正義はいつもオシャレだ!”をテーマに乾曜子&虎南有香にサポートされたKAIがコスプレヲタ・乾の特製コスチュームで登場してブードゥーマスクと一騎打ちを行う。第2試合では新井寛乃&浦えりかのサポートを受けた浜亮太が料理ヲタ・新井の特製弁当を食べてブラック・亜羅矢と一騎打ち。ちなみにブラック・亜羅矢の正体についてプロデューサーとして武藤から大会を丸投げされたカズは「そんなの荒谷さんしかいないでしょ…」と素っ気なかった。
 第3試合では西村修の無我と腐男塾の目標理論である宇宙平和(スペース・ピース)が合体し、喜屋武ちあき&原田まりる&京本有加にサポートされた西村&真田がヘイト&歳三と激突するが、VTRのインタビューを見る限り、真田は宇宙平和をまったく理解していない様子で、カズは思わず「ダメだ、こりゃ!」。
 そしてメインでは『腐男塾』のプロレスヲタ・青正寺浦正(浦えりか…とは別人らしい)がカズをセコンドに暴露マンとタッグを結成。ブラック・ジャジィをセコンドにつけたTARU&クライスと対決する。
 この試合に備えて浦正と暴露マンは全日本の道場でカズのコーチを受け、暴露マンは竹刀で叩かれて体がミミズ腫れになり、浦正も泣かされたとか。カズいわく「リングに上がる以上は怪我をされたら困るので、そこは厳しくやりましたよ」とのこと。
 ちなみに浦正のプロレスヲタ度は本物。大日本のデスマッチ、DDTのエンターテインメントも好きだし、海援隊☆DXの連係プレーにハマッたという。だから一番好きなのはディック東郷で、獅龍ことカズ・ハヤシのコーチを受けたのも感激だったとか。普段から自宅の庭でトレーニングをしているというから真摯なファイトを見せてくれると思う。
 この大会では試合の他にも『腐男塾』のスペシャル・ライブもあるという。観に来た人はプロレスはもちろん『腐男塾』と『中野腐女子シスターズ』も楽しめるというわけ。
 今後、こういう形のコラボ・イベントはありだと思う。正直、今の状況はプロレスを初めて観ようという人にとってプロレス会場は行きにくいイメージがあると思うが、こういうコラボ・イベントだと入りやすい気がする。『腐男塾』『中野腐女子シスターズ』目当てで来た人たちがプロレスに興味を持つこともあるだろうし、その逆もあるだろう。お互いの立ち位置がしっかりしていれば、双方にメリットがあるのだ。かつて武藤は「そのリングのパッケージに必要だったら、犬でも女でも何でも上げるからね、俺」と言っていたが、柔軟にどんなジャンルでも取り込んで、ひとつのパッケージにまとめあげる武藤・全日本の感性に今後のプロレスの新たな可能性があるのではないか。

ノーフィアーな22歳の女子総合格闘家

 サムライTV『S-ARENA』は格闘技のニュース番組だから、当然、プロレス以外の格闘技も対象になる。ゲストもプロレスラーだけではなく、突然エミリヤーエンコ・ヒョードルが来たりして緊張したことも…。
 で、一昨日11日のゲストも「今日はジュエルスの杉山しずか選手が来ます」とのこと。私にしてみれば正直なところ「ジュエルス?」「杉山しずか?」という世界だ。ジュエルスとはスマックガールを継承して昨年11月16日に旗揚げした女子総合格闘技団体。今年の2月に第2回大会を開催し、来たる5月16日に新宿FACEで第3回大会を開催する。
 杉山はジュエルス旗揚げ戦でデビューした空手道禅道会横浜支部所属の選手で、これまで2戦2勝の期待の新人だという。
 さて、スタジオにやってきた杉山しずかは…正直、カワイイ! 87年2月、ニューヨーク生まれの22歳。今年の春に大学を卒業したばかりのアイドル的ムードを持つ女性だった。87年2月って、私は週刊ゴングの全日本プロレス担当記者として長州力が新日本にUターンするのかしないのかを必死に取材していた時代ではないか! こういうところにトシの差を感じるというものだ。
 大学に入ってから空手を始めたというから格闘技歴はまだ4年だが165センチの長身は魅力的だし、華があるのもプロとして大切。
「ただ勝つだけじゃなく、観に来た人たちを楽しませたいですね。だから入場も重要で…前回はエアーあややで入場したんですけど、今回も考えています。目標としているのはミノワマンさんです」と、発言もプロ向き。
「怖さを感じたことはないですね。やられる前にやっちゃうというか…」と、キャリアが浅い分だけノーフィアー(恐れ知らず)な面も。今回対戦するのはヨアキム・ハンセンに師事するセリーナだが、自身もバックボーンが空手だけに敢えて打撃で勝負したいとのこと。
 ギラギラしているわけでもなく、変なテンションの明るさがあるわけでもなく、総合格闘技を自然体で楽しんでいるというのが新鮮に思えた。
 スマックを経験していないノーフィアーな22歳は、まさに新時代の女子総合格闘家だ。

荒谷望誉…

 昨日の午後3時から全日本プロレス事務所で荒谷望誉が引退発表記者会見を行った。唐突な引退だが、そこにいたのは普段と変わらない自然体の、穏やかな荒谷だった。
「40歳を過ぎたあたりから、あと何年間働けるかを考えていて…20年、30年はないだろうと。気持ちとしてはやっていきたいとうのもありますけど、いろいろな事情が重なり、またひとりの父親として考えた時にこういう結論を出しました。他の仕事をやりながらプロレスラーを続けるのは、私の場合はできないです。そんな中途半端にできる仕事ではないので。とりあえずは普通に働いて、普通のおじさんに戻ります。(引退については)だいぶ前から話をしていて、去年の契約更改の時もそうだったし、女房ともいろいろ話して。今回は自分で決めて会社に言って、女房には事後報告でしたけど、うすうす感じていたようで“御苦労さま”みたいな感じでしたね。“これからも頑張っていきましょう”って。娘は最近忙しくて、それに私の今のスタイルが嫌みたいで(苦笑)、試合に来てくれなかったのが、急に優しくなりまして。心配してくれてるんだなと。やっぱりちょっとは寂しいみたいですね。振り返ってみて全日本プロレスで終われるは凄く幸せなこと。この会社に来て、いい仲間ができて、凄く楽しかったです。最後にここでみんなと仕事ができて終われるのは幸せです」
 ここ何年間かはトホホなダメオヤジ、バカボンのパパのキャラで前座戦線を温めていて、私もテレビ解説では、そのトホホっぷり、ダメっぷりを容赦なく喋ってきたが、そこには「本当の荒谷は凄いんだから!」という気持ちがあったからこそ。
 私の頭にあるのは95年8月、金村が離脱してIWAジャパンが存亡の危機に立たされた時に後楽園ホールのバルコニーからダイブして新エースに躍り出た荒谷であり、98年2月11日、WARの団体としての事実上の最終興行となった後楽園ホールで天龍と一騎打ちを行い、グーパンチで鼻血を流し、顔面を変形させられながらも、一歩も退くことなく、凄い形相で天龍に立ち向かっていった荒谷なのだ。
 98年6月1日の後楽園における安田忠夫との一騎打ちではムーンサルトに失敗し、額からキャンバスに突っ込んで第七頸椎棘突骨折という重傷を負いながらも最後まで戦い続けてラリアットの連発で勝利をモギ取り「畜生! 何が新日本だよ、畜生! なーにが天龍だよ、畜生! 俺がWARだぁ。俺が、荒谷信孝だ、この野郎ッ!」と絶叫した後に救急車で運ばれた。そんな荒谷を知っているから、いくらでもクソミソに言えた。
 今のキャラになってからでも、鈴木みのるにタコ殴りにされて鼻血を流しても平然とトホホなオヤジをやっていたし、時たま見せるシリアス・モードのファイトは重量感、説得力があった。
 私としてはいつかキャラ・チャンジして大ブレイクするんじゃないかと密かに期待していただけに今回の引退は残念でならないが、家族思いの荒谷の決断には、ただ「お疲れさまでした」以外には言葉が見つからない。
 7月26日の後楽園ホールにおける引退試合まで荒谷は自然体で試合をすることだろう。ただ、最後には天龍源一郎とのゴツゴツとした試合をもう一度見たいというのが私のささやかな希望である。

鍵野アナのブログの続きは…

 GAORAの全日本プロレス中継で私を上手くリードしてくれているのが鍵野威史アナウンサー。その鍵野さんは最近ブログに凝っているようで、昨日も仕事で会った際に動画ブログに出演させてもらった。
 話題は私が子供の頃に誰のファンだったかということ。私が「アントニオ猪木!」と答えると、ジャイアント馬場さん&全日本のイメージがあったのか「エーッ!?」と驚く鍵野さん。そこで動画は終了ということで、その続きは私のこのダイアリーで受け持つことになった。
 私のファン時代の話はプロレスコラムの第119回~124回に詳しく掲載しているので、それを読んで頂くのが手っ取り早いのだが、改めて書かせてもらうと、プロレスが好きになったのは父親の影響。私の父親世代は子供の頃に力道山に熱狂しているから、私ぐらいの年代のプロレスファンはほとんどが親の影響が大きいと思う。
 私のプロレスの記憶は昭和44年…1959年ぐらいからだから、8歳からテレビで観ていたと思う。そんな子供にとって、プロレスラーはみんなオジサン。そんな中で若々しいファイトをしていた“若獅子”アントニオ猪木が好きになった。当時の日本プロレス界のエースは言うまでもなくジャイアント馬場だが、当時の子供はみんな猪木ファンだった。
 そして小学校3年になった昭和45年春から月刊ゴングを買い始め、その後はプロレスに熱中。猪木の反骨精神溢れるファイトに惹かれ、子供に夢を持たせるメッセージにも惹かれ、東スポから出版されたアントニオ猪木自伝『燃えよ闘魂』は子供時代の私のバイブルに。高校2年生の時には新日本プロレスのファンクラブ『炎のファイター』を結成し、当時の新日本プロレス取締役営業本部長・新間寿氏、大塚直樹営業部長、若手の営業部員だった上井文彦氏、レスラーでは藤波さんに可愛がってもらった。だから47歳になった今でも新間さんや藤波さんには「少年探偵団!」と呼ばれてしまう。
 そんな私だったが、いざこの業界に入ってから新日本担当になったことはない。ファンクラブ時代にほとんどの選手と顔見知りになっていたから新日本担当になったら楽だったが、そこはボスの竹内宏介さんの「ファンの延長で新日本担当にさせたらよくない」という考えがあったのだと思う。ゴングが月刊誌時代は国際プロレス担当、そして84年に週刊化された時に全日本担当を命じられたのだ。
 子供の頃から猪木さんの世界観に影響されていた私にとって、決して大きな夢を語らず、現実的な話をしてくれる馬場さんは新鮮だった。社交的な猪木さんに比べて馬場さんは取っ付きづらい人だったが、一度懐に入れてくれると、若僧の私にも誠実に接してくれた。そんな中で「プロレスとは…」ということを教えてくれた。馬場さん、そして天龍さん、カブキさん、佐藤昭雄さんとの出会いによって私のプロレス観は形成されたように思う。
 以上が鍵野さんのブログに対する答えです。なお、鍵野さんのブログはhttp://ameblo.jp/kagino/で見ることができます。

対抗戦の主役は若手!

 5日&6日は新日本、ノアのリングをそれぞれ舞台にした両団体の対抗戦が行われた。まず5日の新日本・後楽園では後藤&岡田vs杉浦&青木、棚橋&金本vs森嶋&飯伏(DDT)の2試合。当然ながらノア勢には大ブーイング。飯伏に関しては成り行き上(?)ブーイングが飛んだものの、実際には新日本ファンの拒絶反応は少なく、金本vs飯伏の攻防には歓声が。ここが面白いところだ。
 そして昨日の6日、ノア武道館では金丸&平柳vsライガー&金本、小橋&伊藤vs天山&岡田の2試合が実現した。
 この2大会の対抗戦を観ての正直な感想は、それぞれの選手の感情とファイトがアンバランスだったのではないかということ。感情ばかりが先走ってファイトが追いついていかない、あるいはあと一歩が踏み込めないという感じなのだ。これも対抗戦ならではの空気感であり、緊張感といっていいだろう。
 それはかつての全日本vsジャパン、新日本vsWAR、新日本vsUインターも同じだった。多分、自分の応援している団体の選手に対して「いつもだったら、ここで行くだろう!?」「何でこんなところで押し込まれるんだ!?」という歯痒い思いがあったはず。そこから戦いがスパークしていくかは、対抗戦に関わる選手の気概にかかっている。そう、弾けられるかどうかだ。
 私が期待しているのは若い選手。2日間を観て新日本の岡田、ノアの青木、伊藤の「俺は看板を背負っているんだ」という気持ちが出ていたのが頼もしく映った。
両日共にフォールを奪われた岡田だが、本来持っている負けん気の強さを発揮「片っ端からやっつけてやる。ノアのリングでも新日本のリングでもやってやるよ!」と闘志剥き出し。青木は新日本のリングでブーイングを楽しみ、「ノアで一番キャリアが短いこの青木篤志が優勝をかっさらってやるよ!」とスーパージュニア出撃を宣言した。去年の健介オフィスとの対抗戦から飛躍的に伸びた伊藤は、岡田を逆エビ固めで仕留める寸前で天山にカットされ、最後は小橋が岡田をラリアットで下したことについて「最後、オイシイところを取られて…」と小橋の前で平然と言ってのけた。
 しがらみのない若い選手の激突にこそ対抗戦の醍醐味があるような気がする。このチャンスにみんな弾けろ!

大型連休終了!

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 ずっとダイアリーをほったらかしにしてしまったが、実は4月22日~5月4日(つまり昨日)までハワイへ。考えてみたら、ゴールデンウィークに休むのは高校以来のこと。大学1年からゴングで仕事をしていたので、普通の人のようにこの時期に休んで遊んでいたことはなかった。
 今回、思い切ってGWに休んだのは、この時期にどうしても見たいイベントがハワイであったから。ひとつは4月25日のスパム・ジャム、もうひとつは5月1日のレイ・デー。その他はカネオヘにある平等院を訪ねたり、フォスター植物園、マノアの滝を見に行ったり、レイ・デー翌日の王家の墓にレイを捧げるセレモニーに参加したり、妻の知り合いのリボン・レイの先生のご自宅で御馳走になったりといった日々。
 プロレス的なことといえば、ロッキー・イヤウケア夫妻のご自宅に招かれてロッキーさんと昔話で盛り上がったことぐらい。ロッキーさんはあのキング・カーチス・イヤウケアの息子で84年8月に新日本プロレスに留学生として来日。また85年11月からはフロリダで武藤と共同生活、89年にはプエルトリコで健介と一緒にサーキットしていて、このプエルトリコ時代に元アイドルの佐々木よしえさんと結婚している。
 ロッキーさんは新日本の道場で同室だった橋本真也のイビキに悩まされたこと、練習では小鉄さん、ゴッチさんが厳しく、股割りができずに泣いたこと、フロリダでは武藤がモテモテだったこと、健介はプエルトリコでもハメをはずさず、超真面目人間だったことなどを話してくれた。
「つい最近、ユメジ(富豪2夢路)がハワイに来たよ」「ここ最近、自分と同年代の仲間が次々と死んでショックを受けているんだ。3月にはスティーブ・ドールが死んだし、4日前(4月28日)にはバディ・ローズが死んだという連絡を受けた。ステロイド、痛み止めの多量摂取が寿命を縮めてしまうんだ…」とロッキーさん。
 そのロッキーさんは十数年前にニュージーランドに3週間遠征したのを最後に、カタマランのキャプテンに専念。また自宅の庭で植物や果物を栽培していて「こうしているのが一番リラックスできるんだよ」と、よしえ夫人、3人のお子さんと幸せな日々を送っている。今の生活を拝見すると、プロレスラーとして各地をサーキットするよりも、故郷のハワイで家族とのんびり暮らしている方が合っているに感じた。掲載したロッキーさんの写真、幸せそうでしょう?
 というわけで私の大型連休は終了。昨日は帰国後にサムライTV『S-ARENA』に出演。今日はこれから新日本の後楽園に行き、その後はまたまた『S-ARENA』だ。ハワイで自然や人からエネルギーを貰ってきたので、またバリバリと仕事をしよう!