Gスピリッツ第11号情報PART4=風間ルミの女気

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 本日発売になったGスピリッツ第11号。今号も我々スタッフ&ライターにとっては丹精込めた自信作なので、ぜひ、購入してジックリと読んで頂きたいと思う。
 さて“総力特集=禁断の対抗戦 その時、何が起きた?”では、Gスピに女子プロレスラーが初登場。いや、正確には元女子プロレスラーだ。それはプロレス業界初の女性社長兼レスラーとして注目を浴びた風間ルミである。
 1992年女子プロレス界は戦国時代を迎えた。全日本女子プロレス、ジャパン女子プロレスの2団体時代から、ジャパン女子が分裂してJWPと風間率いるLLPWが誕生したのである。またFMWでは女子部門が確立されつつあった。
 そして対抗戦時代に突入するのだが、ドン尻で旗揚げしたLLPWは特異な存在だった。ハッキリ言って、女子プロ界から煙たがられている雰囲気で、全女と他の団体の対抗戦はお互いに認め合う交流戦的なあったが、LLPW絡みになると、なぜか全女は明らかに上目線で潰しにかかったのである。特に北斗晶とLLPWの抗争は男女含めて、対抗戦の歴史に残る凄まじさで、選手たちのナマの感情が爆発していた。
いかに全女との対抗戦がデンジャラスだったか、最後には上目線だった全女に全面対抗戦で勝ち越すところまで持って行ったLLPW選手たちの気概、ジャパン女子から道が分かれてしまったJWPの選手たちに対する想いなど、様々なことを聞き出すことができ、内容の濃い記事になったと自負している。

スタートライン

 崔領二がやってくれた。昨日の靖国神社相撲場における奉納プロレスで大谷晋二郎を下して世界ヘビー級王者になったのだ。
 正直、私はこれまで崔に歯痒さを感じていた。190センチという恵まれた体、何となく前田日明を彷彿とさせるギラリ感がありながら、ここぞというところで集中力に欠けて結果を出せないという印象を持っていたからである。
 だから、今回のタイトルマッチに向けて「ベルトを獲って時代を変える」と発言した時も、私はサムライTV『S-ARENA』で「ベルトを獲っただけでは時代は変わらない。ベルトを獲った後にどうしていくかの覚悟と自覚が必要」と辛口のコメントを出した。 これに対して崔は見事に答えを出してくれた。
 奉納プロレスは花見とプロレスを楽しめる恒例イベント。ほのぼのとした雰囲気で「やっぱりプロレスの原点は大衆娯楽なんだなあ」と思わせてくれる大会だが、観客の集中力が散漫になってしまう一面もある。そんな中で大谷vs崔は見事に観客の視線を釘付けにした。そして崔のモチベーションの高さがビンビン伝わってきた。今までの崔は、いいところまでいっても、途中でガタガタと崩れてしまうケースが多かったが、昨日は大谷がどんなに畳みかけてきても跳ね返した。最後もドラゴン・スープレックスの連発、スパイラルボムを凌いでのシドマス、スカイキック! 本当に崔の「何が何でもベルトを獲る!」という一念がもたらした勝利だったと思う。
「スタートラインだっていうのはわかってます。いろいろ言われると思うけど、とにかくスタートラインに立たないと始まらない。ゼロからの第一歩ですよ。チャンピオンになっただけじゃ駄目、大谷さんを倒しただけじゃ駄目。“ゼロワンは変わったね”と言われるチャンピオンになりたいと思います。プロレスは人生だと思うので、精一杯、悔いのない人生を送りたいと思います。いつか、俺らに憧れてプロレスに入ってくるだろう若い人とたちに背中を見せていきたい」という言葉は、私の辛口コメントに対する答えのようにも聞こえた。
 4・29後楽園では関本大介の挑戦を受けることが決定。ゼロワンは確実に去年の新日本との対抗戦一色のムードから新しい段階に入った。これから崔がゼロワンをどんなカラーに変えていくか、じっくりと見守りたい。とりあえず初めの一歩、おめでとう。

Gスピリッツ第11号情報PART3=53年前の対抗戦

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 今回の“総力特集=禁断の対抗戦 その時、何が起きた?”では今から53年前の対抗戦…昭和29年(1956年)10月に日本プロレス協会、山口道場、アジア・プロレス協会、東亜プロレス協会の4団体で争われた『ウェイト別日本選手権』にもメスを入れている。
 その証言者はジョー樋口さん。レフェリーとしてのイメージが強いジョーさんだが、それ以前には全日本プロレス協会(のちの山口道場)からデビューしたレスラーだった。ジョーさんは『ウェイト別日本選手権』のライト・ヘビー級部門に山口道場代表として出場しているのだ。
 当時を取材したマスコミが誰もいなくなってしまった今、ジョーさんの証言は貴重。また、黎明期の日本プロレス界事情も語ってくれている。ジョーさん提供の秘蔵写真の数々にも注目してもらいたい。

Gスピリッツ第11号情報PART2=村上和成の知性と狂気

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 今回、“総力特集=禁断の対抗戦 その時、何が起きた?”の取材にあたって嬉しかったのは、07年7月16日の後楽園ホールにおける『火祭り』開幕戦で大谷晋二郎と対戦した際に頭部裂傷及び挫傷の重傷を負って以来、実戦のリングから遠ざかっている村上和成に久々に再会できたことだ。
 あまり知らなかった頃は「プッツン・キャラとは裏腹に凄く礼儀正しい人だな」と思っていた程度だったが、BMLの社長になってからは自然と話をする機会が増え、その中で知的な部分に惹かれるようになった。あのイッてしまったような狂気と知性はどうやって同居しているのだろうか…いつかちゃんとしたインタビューをしてみたいと思っていたのがGスピリッツで実現したのである。
 しかも、今回の対抗戦というテーマは村上にピッタリ。UFOとしてのvs新日本、BMLとしてのvs新日本、あるいは個人としての三沢、力皇、丸藤らとのvsノアはもちろんのこと、師匠だった猪木、佐山聡、小川直也、前田日明に植えつけられたものなど広範囲にわたって聞いている。あの小川vs橋本のセメントマッチの裏側、試合後に新日本の選手にボコボコにされて救急車に運ばれた時の状況や感情も赤裸々に語ってくれた。
 拓大柔道部から始まって和術慧舟會で総合デビュー、アメリカの『エクストリーム・ファイト』で金網に入り、『PRIDE1』にも出場した村上の根っこはプロレスラーではなく、命のやり取りをする喧嘩屋。そんな村上の対抗戦観は明らかにプロレスラーとは違う。
 知的に喋っていたかと思うと、狂気を感じさせる言葉も飛び出すというのが村上和成という男。知性と狂気のバランスが絶妙なのだ。それは31日(火)発売の誌上にて!

大日本に新スター誕生の予感

 不思議なもので、ある団体に1回行きそびれると、その後もスケジュールが重なったりして、その団体になかなか行けなくなってしまうケースが多い。最近ではドラゴンゲート、DDT、大日本だ。
 そんな中、昨日は今年初めての大日本。デスマッチ王者はシャドウWXから宮本裕向に変わっていて、何だか浦島太郎の気分だった。
 久々の大日本・後楽園は客入りが寂しかったが、それを吹っ飛ばしてくれたのがメインの宮本&佐々木貴vs竹田誠志&木高イサミの最侠タッグリーグ公式戦。竹田&イサミの提案でロープ2面に蛍光灯、対角線の2コーナーにそれぞれ有刺鉄線ボード、蛍光灯ボードを設置したデスマッチによる激突だ。
 この試合には宮本とイサミのドラマがある。2人はかつてヤンキー二丁拳銃なるコンビで大日本のデスマッチに参入した間柄。だが、07年5月にイサミは頸椎椎間板ヘルニアによって引退の危機にさらされた。医師は引退を勧告したが、イサミは「まだ、やり足りないことがある」と復帰を決意、それに対して宮本は「待っている」とエールを送った。その後、宮本は佐々木貴とのデスマッチで一気にステップアップ、昨年5月にイサミが復帰を果たした頃には、宮本は大日本のトップの一員になっていて完全に差がついていた。そして、今では宮本はチャンピオンである。そんな経緯があるから、ファンのイサミに対する声援は熱っぽかった。そしてイサミはそれに応えた。血ダルマになりながら、かつての盟友・宮本にどこまでも食い下がったのである。
 そしてSTYLE-Eの竹田の頑張りだ。総合格闘技で実績を上げる一方でプロレス、大日本のデスマッチへの憧れが強い異色の男だが、その地力がデスマッチで見事に活かされている。デスマッチというとアイテムの使い方等、プロレス頭が大きなウェイトを占めるが、竹田にはそれにプラスして総合で鍛え上げた技術&体力がある。“ここ一番!”で踏ん張れる地力を持っているのだ。最後、宮本をジャーマン・スープレックスで仕留めるという大仕事をやってのけたが、あれだけ流血しながら、勝負どころでのスパートは目を見張るものがあったし、お手本のような完璧なジャーマンだった。結果、後楽園ホールは大歓声に包まれた。
「STYLE-Eも大日本プロレスも大好きだけど、デスマッチを愛してます!」と叫んだ竹田。
 かつて佐々木貴が、宮本裕向が一気にブレイクしたように、今年は竹田が来そうな気がする。

ハッスルに新風を吹き込む2人の男

 今年に入って客足が落ち、インリン様のギャラ未払い問題というスキャンダルもあって逆境に立たされている感があったハッスル。そんな中、昨日の後楽園ホールは“大変革”をテーマに開催されたが、確かに春風が吹き始めたことを印象付ける大会になった。
 新たな風を呼び込んだのはプロレスリング・ノアの志賀賢太郎。何と『2代目モンスター℃オーディション』に参加したのである。お笑い芸人の猫ひろし、ファンの少年、ケータイ小説『ラブ&ハッスル』の作者・泉忠司氏、『第2のインリン様オーディション』で存在感を示した小林まり枝嬢と共にオーディションに参加して、バトルロイヤルを敢行。最後は学生時代に三沢キャラでチャンピオンになったこともある泉氏の顔面に二―ドロップを叩き込んで優勝、見事に2代目モンスター℃を襲名することになったのだ。
 アン・ジョー司令長官の「さすがノアだけはガチですね!」の突っ込みに爆笑が起こり、髙田総統も「本当にいいの? 入ったら、ノアのことをいろいろイジっちゃうよ。こっちには箱舟に乗り損ねた男もいるんだよ」と、早くもノアをネタに。矢野アナウンサーの「この喜びを誰に伝えたいですか?」の問いに志賀は「自分のわがままを聞いてくれた三沢社長に」と答えて大歓声を浴びた。
 この志賀のハッスル参戦については賛否両論が渦巻くと思う。ただ、デビュー15周年にして“未知の領域”に足を踏み入れた志賀は実にいい顔をしていた。自分の新しい可能性に目を輝かせていたという感じか。
 何事にも生真面目に取り組む志賀がハッスルという新しい舞台で今までとは違う輝きを見せてくれることを祈らずにはいられない。
 そしてもうひとり新風を吹き込んでくれたのがアラン黒木だ。大会終了後に「今回でアラン黒木の仕事はもう終わり。次からはマグナムTOKYOとして戦っていくぜ!」と宣言したのである。
 マグナムTOKYOは闘龍門、ドラゴンゲートにあっても華やかなキャラとして圧倒的なオーラを放っていた。あのキャラクターはスポーツ・エンターテインメントに打ってつけ。マグナムTOKYOが復活したら、ハッスルの空気そのものを変えてしまうのではないかと思う。この春からのハッスルはマグナムTOKYOに注目である。

Gスピリッツ第11号情報PART1=三沢光晴インタビュー

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 Gスピリッツ第11号の発売(3月31日=火)まで、あと6日。ということで今日は“総力特集=禁断の対抗戦 その時、何が起きた?”の中から三沢光晴インタビューについて書かせてもらおう。
 三沢というと全日本純血の四天王プロレスのイメージが強いが、実は数多くの対抗戦をやっている人物。タイガーマスク時代にはジャパン・プロレスとの対抗戦の中で小林邦昭と抗争を繰り広げたり、長州力とシングルマッチをやっているし、天龍と組んで90年2月10日の新日本・東京ドームにも全日本代表として出陣した。
 そしてノアを設立してからは三銃士を始めとした新日本系の選手、小川&村上のUFOなどとの対抗戦をさり気なく、自然体で実現させてきているのだ。
 そんな三沢へのインタビューは、私にとって実に2年4ヵ月ぶり。三沢という男は飾った発言をしないからインタビュアー泣かせでもあるのだが、自分の気持ちを正直に、ストレートに…つまり“ぶっちゃけ”で話してくれる。私自身はそんな三沢の語り口が結構好きだ。ポツリポツリと語ってくれたこのインタビューによって、対抗戦を通しての三沢のプロレス観、そして三沢の持つ独特の空気が読者に伝わってくれればいいと思っている。
 三沢のさり気ない一言一言に含まれている意味を噛みしめながら読んでいただきたい。

注目はバンビ様!?

 昨日のサムライTV『S-ARENA』には本日24日、新木場でプロデュース興行を行うK-DOJOのΩ(オメガ)のメンバー、火野裕士、大石真翔、旭志織、バンビの4選手がPRにやってきた。
 ΩはK-DOJOで最大勢力と言っていいユニット。94年11・13東京ベイNKホールの平成維震軍の旗揚げ興行をビデオで観て「俺たちもやろう!」と今回のプロデュース興行を思い立ったという。
 さて、やってきたメンバーの中で最もインパクトがあったのはバンビ…いや、バンビ様。どうやら喋らないキャラクターのようで、気に入らない質問にはオーダーメイドの革製のムチで机をバッチーン! それは悪態をつきながらスタジオに入ってきた火野がビビるほどの迫力だった。歓喜の声(?)を上げながら、ムチで叩かれていたサスケは凄い!
 ちなみに1・31千葉でバンビ様とのシングルマッチに敗れて下僕になりながら、例の不祥事によってその役目を果たせずにいるサスケはファンとバンビ様に謝罪するために新木場に来場するという。バンビ様はサスケにタッグで2勝、シングルで1勝と3連勝を達成。今回の新木場ではTAKAみちのくと一騎打ちを行い“みちのくプロレス・レジェンドキラー”を目指す。
 Ωプロデュース興行のカードは以下の通り。考えてみれば、K-DOJOの新木場興行は今回が初めて。最近の興行は千葉中心になっているだけに東京で観戦するいいチャンスだ。
★新木場1stRING(試合開始19:30)
火野裕士&KAZMAvs真霜拳號
稲松三郎vsPSYCHOvsHardcore kid狐次郎
大石真翔&旭志織vs柏大五郎&ヤスウラノ
バンビvsTAKAみちのく
房総ボーイ雷斗&房総ボーイレフト&山縣優vs滝澤大志&ヒロ・トウナイ&関根龍一

金本浩二の大仕事

 昨日はドラゴンゲートの両国国技館初進出。思えば、その前身の闘龍門が日本に逆上陸を果たしたのは10年前の99年1月だった。当初の興行は闘龍門というプロレス学校卒業生の発表の場だったのが、団体になり、ドラゴンゲートという新体制になって、ここまで来た。専門誌以外にはあまり取り上げられないという現実の中でマスコミに頼らない戦略を考え、独自の価値観&世界観でファンを獲得し、両国にまで進出したのだから大したものだ。
 そんな記念すべき大会で私の印象に残ったのは、吉野からブレイブ王座を奪取して完全復活を宣言したCIMAとメインのドリームゲート戦で王者・土井成樹に敗れた新日本の金本浩二のふたり。
「この会社のことが好きだけど、ドラゴンゲートのパンダにはならない!」というCIMAの試合後の言葉からは“ドラゴンゲートの象徴”ではなく“リアルタイムのトップで在り続ける”という決意が感じ取られた。
 金本はメインの舞台で王者・土井に花を持たせることなく、容赦なく攻め立てた。14歳下の王者を圧倒して試合を支配したのである。ドラゲーという空間にあって、若々さで負けない金本はさすが。そして決して上目線ではなく、同じ目線で徹底的に攻め込んだことに好感が持てた。今回、ドラゲーの両国のメインを任されたことの意味と重要性を金本が理解して臨んでいたことは試合後のコメントでも明らかだ。
「土井は今日、大仕事をやってのけた。俺に獲られたらドラゲーは終わりや。ひょっとしたら、モッチーはこれを狙って俺を呼び込んだんじゃないかな。土井が俺に勝つなんて、不可能に近い。でも今日、土井が俺に勝ったということは、やっぱりモッチーがアイツにチャンピオンを植えつけようとして俺を呼んだんだと思う。俺、はめられたよ、モッチーに(苦笑)。ドラゲーがワンステップ上に行くために。やっぱり、認めなきゃしゃあないよ。あのフィニッシュ(マスキュラ―ボム)だけは何とか阻止しないとと頑張ったけど。やっぱり、このトシで元気があると思うけど、若さには勝たれへんのかな(苦笑)」
 金本はドラゲー側の真意がわかっていたからこそ、敢えて徹底的に追い込んだのだと思う。それで土井が潰れるなら、潰してしまおうというぐらいの気持ちだったはずだ。それがレスラーの気概というものである。
 数々の課題は残ったにせよ、土井は踏ん張った。それまでの展開はどうあれ、フィニッシュのマスキュラ―ボムは説得力十分。これは金本も納得だろう。
「ドラゲーのメインイベントという大役を果たして、俺はさらに上に行ったはずやから、新日本に帰ってもう一発頂点を目指す」とした金本は遅れて戻ってきた土井に「チャンピオン!」と声を掛けて、こうエールを送った。
「俺は、新日本のジュニアでもう一回頂点に立つから、ずっと(ドリームゲートを)防衛して。俺もジュニアのチャンピオンになって、もう1回。今度はダブルタイトルマッチでやろう。その時はよろしくお願いします」
 ちゃんとチャンピオンに対するリスペクトを示しつつ、エールを送ってくれた金本に対して、土井は「ありがとうございました!(ダブルタイトルマッチを)お願いします。絶対に守ります、このベルト!」と深々と頭を下げた。
 まだまだ発展途上の王者・土井にとって、この金本戦は今後の財産になるはず。実際、団体の垣根を越えて大仕事をやってのけたのは42歳のベテラン、金本浩二だった。

ルチャに屁理屈はいらない

 日墨友好400周年。ウルティモ・ドラゴンがプロデュースした昨日のZepp Tokyoにおける『ルチャ・フェスタ2009』は、メキシコ大使館が後援、メキシコの航空会社アエロメヒコがスポンサーになって、プロレス興行というよりはメキシコの大衆娯楽ルチャ、メキシコの文化を紹介するイベントとなった。
 客席には在日メキシコ人も多く、スペイン語が飛び交い、マリアッチが披露されるなど楽しい雰囲気がいっぱい。そしてルードに罵声を浴びせ、リンピオを応援し、ユーモラスな攻防に笑い、空中殺法に驚きの声を上げる。
 ルチャ・リブレがメキシコの人たちに根付いた娯楽であり、文化であることを改めて感じさせられた大会だった。そう、ルチャ・リブレに屁理屈はいらない。観たままに楽しめばいいのだ。それはプロレスというエンターテインメントの原点と言っていいと思う。
 個人的にはミゼットのマスカリータ・ドラーダのミスティコ以上の四次元殺法に驚嘆させられたし、試合後のおひねりが飛び交う光景には、かつてのユニバ(ユニバーサル・レスリング連盟)を思い出してジーンとくるものがあった。
 2月に左肘神経剥離の手術をしたウルティモ・ドラゴンは、実際にはかなり状態が悪いようだが、それを感じさせずに明るく大会を切り盛りし、試合もこなしていたのはさすが。久々にOKUMURAの試合を観られたのも嬉しかった。メキシコに渡って今年の春で丸5年…逞しく生き抜いている。
 というわけでハッピーな気分にさせてくれた『ルチャ・フェスタ2009』。こういう雰囲気を創り上げることができたのも浅井嘉浩だからだと思う。今後も日墨の懸け橋になって活動を続けてほしい。