BONITA

 30代半ばまでは、よく外で飲んでいたものだが、最近ではもっぱら町内のお店や自宅で飲んでいる。不思議と外で飲むとすぐに酔っぱらってしまうし、眠くなるから家に帰るのが大変なのだ。去年も天龍さんの『しま田』に行った帰りのこと、桜新町から田園都市線に乗ったはいいが、なかなか渋谷に辿り着かない。ついウトウトとしてしまい、気付いてみたら渋谷を通り過ぎて水天宮前! 慌てて引き返したものの、またウトウトして、今度は二子玉川! そんなこんなの繰り返しで「渋谷で降りられないんじゃないか」と真剣に悩んでしまった。
 そんなこんなで出不精になっていたが、昨夜は新宿歌舞伎町に繰り出して『BONITA』へ。ここは昨年10月にNOSAWA論外、MAZADA、TAKEMURAの東京愚連隊がオープンしたバーだ。ずっと誘われていたのだが、お互いのスケジュールが合わずに昨日の夜になってしまったというわけ。
 左肩を怪我してしまったTAKEMURAはいなかったが、NOSAWA、MAZADAとのプロレスよもやま話は気付けば明け方まで。仕事抜きのプライベートな話なので、その内容はご勘弁願いたいが、2人ともプロレスが大好きなプロレスラーであることを改めて痛感した。後ろ盾なしにのし上がってきた男たちはダデではない。MAZADAが作ってくれた本場仕込みのタコスも絶品でした!

09年ハッスル新シリーズ開幕に思うこと

 昨日の後楽園ホールでハッスルの2009年新シリーズがスタートした。昨年はハッスル軍とモンスター軍をシャッフルした『ハッスルGP』が軸となったが、今年は再び両軍の全面対抗戦に。仕切り直しとしてリングの上ではHGがモンスターHGと化してモンスター軍入り、ボノちゃんはボノくんに成長してハッスル軍入りした。
 アメリカのオバマ大統領の就任式を彷彿とさせるようなボノくんのハッスル新キャプテン就任式、「都合が悪くなったら切られる派遣レスラー」と逆ギレ気味のあーちゃんに雇用を保障する髙田総統…などの時事ネタを取り込んでの“劇場”はハッスルならでは。また、体調を崩して重病説が流れる髙田総統という設定が今後、流れの中でどういう意味を持つのかと興味をそそるのもハッスルらしい手法である。
 このダイアリーを読んでくれる人たちにはハッスル・アレルギーの人が多い。それは様々な書き込みをみれば否定できないところ。私自身は全面的ではないにせよ、基本的にはハッスル肯定派。それはハッスルに関わる人たちが、手法はどうあれ何とか世間の人たちをプロレスに振り向かせたい、総合格闘技とは違うプロレスならではのエンターテインメント性を打ち出したいと真剣に取り組んでいるのが理解できるからだ。だが、アレルギーを持っている人たちには「プロレスを馬鹿にしている」と映るのだろう。
 ここが問題なのだ。ハッスルは世間一般の人たちを振り向かせるのはもちろんのこと、プロレスファンの支持を得るスポーツ・エンターテインメントにすることが最も大きな課題だと私は思う。プロレスを何とかしようと思って取り組んでいるのに、プロレスファンにソッポを向かれたら報われない。
 現状ではハッキリ言ってストーリーが面白かどうかがすべてになっている。だが、プロレスファンにとってはやはり試合内容なのだ。昨日のメインのハッスル軍vsモンスター軍のイリミネーションマッチもストーリーの序章の域を出ていなかったという印象である。
 ファンタジー、ストーリーがあったとしてもレスラーたちがそれを上回るだけのインパクと技術を持ち、そうした枠を超越したファイトを見せた時にリアル感が生まれて人の心が動かされるのではないかと私は思う。今年は舞台に負けないレスラーたちのハッスルに期待したい。

プロレス力の戦い!

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 昨日のサムライTV『S-ARENA』のゲストは2・6後楽園ホールで丸藤正道の世界ジュニア・ヘビー級王座に挑戦するカズ・ハヤシ。いよいよ全日本ジュニアの切り札のお出ましだ。
 スタジオにやってきたカズはすでにいい緊張感を保っていた。全日本でジュニアの試合がメインを張るのは初。その喜びとプレッシャーがちょうどいいバランスになっているという感じか。
 思えばカズは分裂騒動後の全日本のジュニア戦線を耕した男である。ケンドー・カシンが剥奪された世界ジュニアのベルトをブルーK(正体はTAKAみちのく)と争って獲得したのは04年2月。そして05年1月にTAKAに敗れるまで6度の防衛を果たしているが、当時は全日本内のジュニア戦線は充実しておらず、防衛の相手はツバサ(大阪プロレス)、竹村豪氏(新日本)、Hi69(K-DOJO)、MAZADA(フリー)、AKIRA(フリー)、NOSAWA論外(フリー)と外の人間ばかりだった。
 そうやって他団体やフリーの人間を巻き込みつつ、全日本のジュニア戦線は大きくなり、近藤修司→中嶋勝彦→シルバー・キング→土方隆司→丸藤正道とベルトは移り変わった。カズにしてみれば4年の時を経て、ようやく収穫の時を迎えたということだろう。
「タッグで2回しか触れ合っていないけど、それでも不思議と噛み合いましたね。それは目指すプロレス、目指す方向が同じだからでしょう。今、コンディションも万全だし、丸藤選手を徹底的に研究していますから。ベルト奪回、そしてベストバウトの両方を狙いますよ」とカズ。
 この2人が交わればレベルの高い試合になるのは当然だと誰もが思っているだけに、当事者にとっては非常にハードルが高い試合かもしれない。類まれな運動能力、卓越した技術、そして試合を組み立てる発想力、どんな状況にも対応できるアドリブ力…これは天才児同士の“プロレス力”の競い合いである。その末に2人がファンを掌に乗せられるか注目したい。

逆風の中で小橋建太!

 昨日の後楽園ホールにおけるノアの1月ツアー最終戦は大盛り上がりだった。KENTAがメインをキッチリと締めたし、新たなアクションも起こった。昨年暮れからの逆風がエネルギーに転換されている感じで雰囲気が凄くいい。そうしたことについては次回(2月4日更新)の『プロレスコラム』で書くとして…今日は何と言っても小橋建太の復帰についてだ。
 一昨年12月に腎臓がんを克服して1年半ぶりに復帰。昨年は徐々に試合数を増やして8~9月ツアーには全戦出場したものの、完走後の9月9日に両肘を手術して再び欠場することになった。リハビリに励んでいたところ、11月末に右肘のボルトを除去する手術を余儀なくされて復帰はまだまだ先だと思われていた。それが昨日のリング上で「3月1日の日本武道館で復帰します」と宣言。正直、驚かされた。
 小橋の決断は「握力が戻るのは時間しかないのなら、試合に出た方が感覚を戻すのも早いんじゃないか」というもの。もちろん、それは医師のGOサインがあってのことで、三沢社長には21日に報告したという。
 小橋の感心させられるところは、ただの復帰ではなく、肉体改造をして戻って来ようとしているところだ。一昨年12月の復帰の際にはパンパンに張った見事な肉体を披露したが、本人曰く「あれは自分じゃない。テレビや写真を見て、ちょっと違うなって違和感を感じていたんだよ」。
 腎臓をひとつ摘出し、ひとつだけの腎臓では当然、負担も大きい。またタンパク質などの栄養を摂るのも制限されることを考えれば、一昨年の復帰の時の体でも驚異に値するのだが、本人は満足していなかったのだ。昨年、ツアーに参加するようになってからも、体が一回り小さくなっていたことは気にしていた。
「今度は自分の理想に少しでも追いつけるように肉体改造…それは腎臓と相談しながらになるけど、ウェイト・トレーニングをガンガンやって、タンパク質もガンガン摂って、みんなががんを忘れるぐらいに体を作って“ここまでやれるんだぞ!”っていうのを見せたいね。そこで数値が悪くなったりしたら、その時点で腎臓と向き合えばいいことだから。栄養素を摂って、練習で追い込む。…でも、あんまり変わっていなかったら恥ずかしいから、もう、あんまり言わない(苦笑)」
 この日も朝5時に起床して、伊藤旭彦をパートナーに練習してから会場入り。そしてサイン会、リングでの挨拶と汗を流した小橋。やはり、この男は人生=プロレスなのだ。何があっても前向きな気持ちを持ち続けていることには本当に頭が下がる。
「逆風? もし、そうだとしたらいい方向に吹かせるのがプロレスラーの責任だよ」
 3月1日、小橋建太はすべてをエネルギーに変えて日本武道館のリングに立つ!

新春恒例!最強運決定戦

 皆さんは占いを信じるだろうか? 私の場合はスポーツ新聞で占い欄があれば一応はチェックするし、テレビを観ていて『スッキリ!!』ではエンディングの“きょうの占い スッキリ!!☆BOX”で「ウーン、青!」とついついBOXを選んだり、『ラジかるッ』では画面右上に出る干支占い、星座占い、血液型占いに見入ったりしてしまうが、たいがいは忘れてしまう。まあ、いいことが書かれていて大したことのない1日だったら損した気分になるし、逆に運勢が悪いと書かれていたのにいいことがあると得した気分になるという程度だ。
 で、年明けにいつも注目しているのがフジテレビの『最強運決定戦』という番組。星座×干支×血液型の3つの組み合わせによって、その年の運勢を占うというもので576通りあるというから、何だか信憑性があるような気がする。ちなみに私の場合はおとめ座×丑年×A型。
 これまでの結果は06年=526位、07年=553位、そして去年08年はグーンとランクアップして94位。じゃあ、今年09年は…おおっ、またまた急降下して443位ではないか!
 でもね、これまでを振り返ると一番よかった年は06年。一番順位の低かった07年は確かに週刊ゴングの休刊などゴタゴタしたが、Gスピリッツという新しい主戦場ができ、その他にも仕事の開拓ができた年。一番順位がよかった去年は身内の不幸もあって、決していい年ではなかった。結局、どんな1年を過ごしたかは、その人の気持ちの持ちようが大きいと思うし、運勢が悪いと言われたら、気をつければいいだけのこと。
 ということで、不確かな世の中ですが…皆さん、今年も前向きに行きましょう!

結婚式2次会でハッスル!

 先週の土曜日は、昼はサムライTVの『21世紀の初代タイガーマスク』の収録、夜は知人の結婚式2次会に出席。プライベートなことなので遠慮していたのだが、ハッスルの公式ブログでバンザイ・チエも書いていたので、私も書いてしまおう。
 主役は、私がGAORAの全日本中継でお世話になっている映像制作会社ブロンコスのディレクター、雁部貴幸クンと日刊スポーツ電子メディア局の大木知葉さん。雁部クンはかつてPRIDEなどの格闘技イベントを手掛け、現在はハッスルを担当している。そして新婦の大木さんはDSEに勤務していたこともあったから、プロレス&格闘技関係者が勢揃い。久々にお会いする人もたくさんいたりして、新郎新婦の人脈に驚かされた次第だ。
 2次会の場所は新宿FACEで「試合でもやるの?」などと冗談を言っていたら、本当にリングが設置してあってビックリ! ブロンコスが映像制作のプロとして力を入れたお祝いビデオには髙田総統、曙、坂田、武藤敬司などが登場。設置されたリングではBENTENとトウカイブシドーV3の超マニアック対決、さらにはハッスル提供試合としてTAJIRI&チエvsアラン黒木&KGが実現。特別リングアナは小路晃(小路二等兵ではない)が務めた。
 試合は黒木&KGにRGが加わったことで、TAJIRI&チエには小路が加勢して急遽6人タッグになり、10分の熱闘の末に時間切れになったが、昨年12・30有明コロシアムにおける『ハッスル・マニア2008』後の09年初試合が結婚式の2次会なんて、ハッスルも粋なことをしてくれる。
 試合後、かつてのマグナムTOKYOこと黒木克昌と話をする機会があった。彼と話をしたのは、彼がドラゴンゲートで眼窩底骨折をして欠場していた06年秋以来、約2年ぶりのこと。08年4月にドラゴンゲートを退団した黒木は古巣の空手・大道塾に戻ってコロンビア支部の指導員をやっていたという。現在も大道塾で子供たちに空手を教えながら、ハッスルのリングに上がっている。
 ドラゴンゲートと黒木の間に何があったのかは双方から聞いていない。ただ、黒木がドラゴンゲート時代より明らかにいいコンディションで再びプロレスのリングに上がっていることが、私としては素直に嬉しいことだ。
 雁部クン、知葉ちゃん、おめでとう。末長くお幸せに! そして黒木クンと話す機会を作ってくれてありがとう!

輪島ブーム到来!?

 昨日の午後はリラックスタイム。テレビ東京の『節約エコレシピ名人 芸能界No1.決定戦!!』で北斗昌の優勝を見届けた後はチャンネルをNHKに変えて大相撲初場所の8日目だ。解説を聞いていたら、何だか聞き覚えのある声…。何と輪島大士さんがデーモン小暮とゲスト解説を務めているではないか!
 輪島さんが本場所を訪れるのは角界を去った85年以来初めてだという。全取組終了後にチラッと顔が映ったが、実に感慨深そうだった。
 そういえば、場所前にはテレビ朝日の『ワイド!スクランブル』に出演して朝青龍の進退問題についてコメントしていたし、このところメディアへの露出が増えているような気がする。
 そんな輪島さんに私が取材したのは昨年11月のこと。そのインタビューは12月発売のGスピリッツ第10号の巻頭記事になり、往年の輪島さんの雄姿が表紙を飾った。ひょっとしたら、とんねるずの『生ダラ』で火がついた“ワジー”以来の輪島ブーム到来か!? そのキッカケがGスピリッツだったら嬉しいなあ。

21世紀の初代タイガーマスク

 滅多に寝込むことのない私だが、新年早々、風邪にやられてしまった。火曜日の午後から調子がおかしくなって発熱。何だかんだと金曜日の夜まで上がったり下がったりの繰り返しで、今週はほとんど仕事にならなかった。だが、フリーの身だけに仕事をキャンセルするわけにはいかない。ということで、何とか気合いで熱を下げ、昨日は清野茂樹アナウンサーとサムライTV『21世紀の初代タイガーマスク』の収録へ。清野さんとは去年の6月に『昭和のプロレス』の実況収録もやっている仲だ。
 さて、今回の番組は05年6月9日のリアルジャパン・プロレスの旗揚げから去年の3・13後楽園大会までの初代タイガーマスクの戦いをまとめたもの。PART1は今日の午後12時~13時に放映されてしまっているが(再放送はサムライTVのサイトで確認を)、PART2は25日午後12時~13時に放映されるので、ぜひチェックしてほしい。
 内容はPART1=①大谷晋二郎戦(05年6・9後楽園)②折原昌夫戦(05年9・26後楽園)③石川雄規戦(05年12・16後楽園)④スーパー・タイガー&石川雄規vs鈴木みのる&アレクサンダー大塚(06年6・7後楽園)⑤飯伏幸太戦(06年9・20後楽園)⑥鈴木みのる戦(06年12・12後楽園)
 そしてPART2=①初代タイガーマスク&折原昌夫vs鈴木みのる&飯伏幸太(07年3・7後楽園)②初代タイガーマスク&飯伏幸太vs川田利明&KUDO(07年6・8後楽園)③小林邦昭戦(07年9・21後楽園)④鈴木みのる戦(07年12・20後楽園)⑤初代タイガーマスク&仮面シューター・スーパー・ライダーvs天龍源一郎&折原昌夫(08年3・13後楽園)になっている。
 収録していて改めて感じたのは、佐山聡が「昔の名前で出ています」的な感じで初代タイガーマスクとして復帰したのではないということだ。
 もし、単なるリバイバルならば自分がコントロールできる相手を選んで“タイガーマスク・ショー”を見せればいいだけの話だが、旗揚げ戦では、本来なら交わることのなかった世代の大谷に敗れ、第2戦の折原戦では30分時間切れをやってのけ、第3戦ではUWF、藤原イズムを継ぐ弟弟子にあたる石川と対決。飯伏というプロレス新人類の天才とも手合わせし、往年のライバルの小林邦昭と懐かしの名勝負を再現する一方では川田や天龍との昔では考えられなかった夢の対決も実現させている。
 そして何といっても大きいのは鈴木みのるに触れたことだ。他のレスラーたちは多少なりとも初代タイガーマスクというものに対してリスペクトを持って戦っているが、みのるの場合には「伝説だ、レジェンドだと言われている佐山聡に現実を突きつけてやる。タイガーマスクの時代はもう終わり! 昭和の遺物は消えてなくなれ!」という完全否定の目線で戦っているのだ。
 この『21世紀の初代タイガーマスク』という番組は、鈴木みのるの出現によって、あの80年代のスーパーヒーロー、タイガーマスクの21世紀への挑戦とも言うべき内容になった。見どころは懐かしさよりもタイガーマスクが必死に再生しようとする様だ。
 そういえば去年の3月、初代タイガーマスクとの抗争に一区切りをつけた鈴木みのるにGスピリッツ第6号用のインタビューをした時にこんな言葉が飛び出してきた。
「やっぱり肉体で会話するわけじゃないですか。いくら能書き言ったって、実際にリング上がってみないとわからないわけですよ。で、いざリングに上がったら、なぜこの人が初代タイガーとしてまだ生きてられんのかっていうのがわかったし。みんながレジェンドだっていう人たちを俺は肌で感じてきている。俺としては、ホントは“どいつもこいつもジジイで!”って言わなくちゃいけないんだけどね(苦笑)」

10周年を迎える大阪プロレスに注目

 ちょっと古い話になってしまうが、12日の月曜日の『S-ARENA』には大阪プロレスの小峠篤司、原田大輔、松山勘十郎、えべっさんが出演してくれた。
 とにかく、みんな若い! 3代目えべっさんは別として(笑)、一番キャリアがある勘十郎のデビューが04年2月。勘十郎は闘龍門13期生で大原はじめ、新日本の岡田かずちかと同期だ。そして、あの風貌で(失礼)まだ24歳だという。
 04年2月といえば、日本スポーツ出版社がグラついていて再建に躍起になっている時で、同社の執行役員だった私は経費節減などに忙殺されていてプロレスどころではなかった。だからほとんど印象にないのだ。小峠は05年4月、原田は06年8月ー…いずれも私がフリーになってからデビューした選手。時の流れの早さを感じざるを得ない。
 大阪プロレスの選手は、お笑いの本場から来ただけあってノリがいい。これまでもアジアン・クーガー、タダスケ、ワルになったタイガースマスクと『S-ARENA』で共演したが、ボケも突っ込みも勝手にやってくれるから、大助かりだった。
 大阪プロレスはデルフィン体制から様変わりしたが、心をひとつにして未来に向って邁進しているという感じがして、選手たちを見ているとハッピーな気分になれる。
 土日祝日にデルフィン・アリーナで地道に興行を行い、2月15日には大阪府立体育会館第一競技場で今年初のビッグマッチ『大阪ハリケーン』を迎える。メインは昨年の最強決定トーナメント『天王山2008』で優勝したビリーケン・キッドが秀吉に挑戦する大阪プロレス選手権、セミではムチャルチャ第3の男としてザ・グレート・サスケがアジアン・クーガーと組んでタイガースマスク&ブラックバファローの大阪プロレス・タッグに挑戦する。その他、ブラッド&ガッツの小峠&原田&タダスケがK-DOJOの大石&旭&KAZMAと若き対抗戦、休憩時間にはアントニオ小猪木、ハチミツ二郎らが参戦して西口プロレス提供試合もある。そして5月20日には後楽園ホールで10周年記念興行を開催することも決定した。
 正直、私が大阪プロレスを観るために大阪まで足を運ぶことはまずない。『S-ARENA』で大会ダイジェストを観ている程度だ。それでも独自の世界観、価値観をきっちりと確立しているから楽しめる。
 大阪プロレスの設立当初のモットーは「老若男女が気軽に楽しめる大阪発のエンターテインメント…大阪の新観光名所を作る」だった。ちょうど旗揚げ1周年興行の2000年4月29日の和泉市民体育館大会に足を運んだ時に知り合った大阪日日新聞社の記者が「関西には大阪プロ、CMLL、神戸には闘龍門がありますけど、大阪プロは家族連れが多くて、CMLLはルチャ・リブレ、闘龍門は若者が多いライブ感覚という感じで、3団体が競合することはないですよ」と話してくれたことを思い出す。
 あれから9年が経ち、団体の体制も、選手も様変わりしたが、しっかりと大阪に根付いていると思う。まずは、大きな団体でも一杯にするのが大変になってしまった大阪府立第一にどれだけのファンを動員できるか見ものだ。

2009年ノアの胎動

 昨日は前日に引き続いてディファ有明へ。ノア1月ツアーの開幕戦だ。夜にはサムライTV『S-ARENA』の仕事が入っていたために会場にいられるのは7時半まで。メインの健介vs秋山タッグ前哨戦は無理にしても、セミの佐野vs潮﨑は観たかったが、残念ながら潮崎の入場時点で会場を後にしなければならなかった。
 前日の丸藤プロデュース興行を含めて感じたのは「ノアが動き出したなあ」ということ。初日の第1試合で先輩・菊地と15分時間切れで引き分けた青木は菊地を攻略できなかったことを悔しがる一方で「自分から動くことをしないと駄目ですね。自由にやらないと損するって気付いたんで。ちょっとでもアクションを起こせるように頑張ります」とキッパリ。ただ単にアクションを起こすという宣言ではなく、“アクションを起こしていいだけの内容と結果を出したい”というニュアンスに好感が持てた。
 この初日で大きかったのはKENTA&杉浦が田上&高山に勝って“従来の格”をひっくり返したことだ。ダウンした高山の顎に蹴りをぶち込んで、あわや失神というところまで追い込んだKENTAは「この1勝は大きい。何かを変えられるんじゃないかと思った。内容も大事ですけど、観ている人は“どっちが勝つか”ということに興味を持つと思うんで、今年は結果にこだわっていきたい」と勝負優先を宣言したし、1・4東京ドームにおける新日本との対抗戦で中邑に敗れた杉浦は田上をオリンピック予選スラムで攻略して、雪辱に向けて再スタートを切った。
 2日間を通じて弾けていたのが森嶋。あの巨体をフルに活かしたファイトと躍動感は他のレスラーにないものだし、自信を持って、伸び伸びと試合を楽しんでいる印象。この男が新日本や全日本との対抗戦に乗り出したら、かなり面白い展開になるはず。個人的には、新日本だったら中西、全日本だったら諏訪魔との一騎打ちが見てみたい。
 それ以外の動きでは、力皇が秋山とのコンビを解消してヨネと組んでいくことを表明。バトラーツ出身で、インディー的なプロレス頭を持つヨネは「ノアをひっくり返したい。他団体も巻き込んでいきたい」と意味深な言葉で今後を語っている。
 NOSAWA論外相手に世界ジュニア王座を防衛した丸藤は、カズ・ハヤシの挑戦を受諾して全日本に乗り込む構えだ。
 今年の注目は昨年暮れに凱旋帰国した潮崎。初日では健介vs秋山の6人タッグ前哨戦に参加し、主役であるべき秋山を差し置いて健介に向かっていった。そして昨日の佐野戦は観ることができなかったが、勝っても内容に満足せず、勝ち名乗りを拒否したという。その姿勢はよし。以前の潮﨑はおっとりとした感じだったが、今の潮﨑はアメリカで揉まれてギラギラしている。今ツアーは本田多聞、力皇とのシングルもあるだけに、一気にノアの真ん中に立つことができるかの正念場を迎える。
 3・1日本武道館で健介のGHCヘビー級王座への挑戦が決定的な秋山は2日間続けて健介と前哨戦。「興味を持ってもらおうと思ったら、見出しに載ってナンボ。何かを乗せてもらわなきゃしょうがないし、何かがないと誰も観に来てくれない」が口癖の秋山のこと、きっと3月の本番まで、あの手この手を使って話題を提供してくれるはずだ。
 その他、百田光雄が還暦にしてスキンヘッドになり、レジェンド・ヒールにイメチェン。また1・25後楽園でKENTAのGHCジュニアに挑戦する鼓太郎は、KENTAの「結果にこだわる」の発言を逆手に取るように、昨日のタッグ前哨戦では巧妙に反則勝ちをせしめた。これに対してKENTAは「こういう言葉は使わない方がいいんだけど…殺す!」と激怒。こういう不穏な空気もノアには珍しいことだ。
 今、ノアの選手たちは現状を変えようと前向きになっている。こうしたムードの中で社長の三沢光晴はこう言う。
「個人がやりたいことをヘルプする会社の体制は変わらないから。ウチは選手の気持ちが一番。潮崎にしたって戻したんじゃなくて本人の“日本でやりたい”っていう気持ちを尊重したわけだからさ。まあ、ぶっちゃけ、何をやるにしてもお金という問題が出てくるけどさあ(苦笑)、それも考えようだから。例えば、今の子供たちは遊ぶのに金がかかるけど、俺たちの子供の頃は金をかけなくても遊べたじゃん。プロレスの場合は会場、リングがなければ出来ないから、同じ例えはできないかもしれないけど、視点を変えればお金をかけなくても出来ることはいっぱいあるはずだよ」
 “何でも人任せにしないで、思ったことは主張するべき。ただし自分の言動、行動には責任を持つこと”というのは、三沢が98年夏にジャイアント馬場から現場の全権を任された時からの信念だ。三沢革命の原点に戻って動きだしたノアに注目である。