懐かしい人からの電話

 本当に1年が経つのは早い。気づいたら師も走る師走…12月に突入してしまった。この2週間はかなりハードだったが、17日に発売されるGスピリッツ第10号の私の原稿も一段落。ちなみに今回の特集は“昭和・全日本プロレス”で、当然ながら私の担当ページは多くなった。詳細は近々、Gスピリッツのホームページ、携帯公式サイトのモバイルGスピリッツで発表されると思うので、そちらをご覧いただきたい。
 12月に入る直前の11月30日には父の五十日祭を山梨の小佐野本家で執り行った。これで気持ちに一区切りをつけることができた。そして、その2日前に懐かしい人が電話をかけてきてくれた。阿修羅・原さんである。
 11月初旬に喪中欠礼のはがきを発送していたのだが「何もしてあげられなくて悪かったね」と、わざわざ電話してくれたのだ。
 94年10月の引退から14年。その間に原さんとお会いしたのは97年6月6日の後楽園ホールにおけるWARのレボリューション10周年記念大会(私は龍原砲トークショーの司会を務めた)、00年10月に週刊ゴング増刊号『THE天龍同盟』で諫早農業高校ラグビー部のコーチをしていた原さんを長崎まで訪ねた時、そして01年5月5日にFMW川崎球場大会で天龍vs冬木の特別レフェリーを務めた時の3回だけ。あとは年賀状のやりとり、年に1~2回程度の電話だが、こうして未だに気にかけてもらえることは、とても嬉しいことだ。
 87年6月から88年12月に原さんが失踪するまでの1年半、私は週刊ゴングの全日本プロレス担当記者という範疇を越えて夢中で龍原砲を追いかけた。90年5月に天龍さんがSWS旗揚げに参加してからは、何とかもう1回、龍原砲を復活させたいと思って原さんを探した。そして龍原砲復活までには、原さんと何とかコンタクトが取れる状況になってから1年の時間を要した。様々なことが頭に甦ってくる。
 こうした素晴らしい人たちの出会いが、私がこの仕事続けてきての大きな財産である。

「懐かしい人からの電話」への1件のフィードバック

  1. あるリングで練習生が亡くなられたようです。
    しかもそれは故人の練習中ではなく、ダブルインパクトの練習台だったそうです。
    小佐野さんは今回の件をどう思われますか?

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