ようやく年中に…

 今日は9月16日。そうか、4年前の今日、私は出版健保にいって健康保険への個人加入の手続きをしたり、失業の届を出したりと忙しかったんだっけ。私は2004年9月15日付でアルバイト時代から数えたら24年6ヵ月もお世話になった日本スポーツ出版社に別れを告げたのだ。
 その瞬間から私は単なる失業者となって社会的信用はゼロになった。何しろレンタル・ビデオ屋の会員になるのも一苦労。申込書の職業欄には迷った挙句に自営業と書き、運転免許証も持っていないから身分証明にパスポート、公共料金の領収書を持っていかなきゃいけない。以前、天龍さんが「相撲を辞めたら、ただの丁髷をつけたでっかいアンチャンになっちゃった」と言っていたが、それが実感としてわかった。
 会社に守られない、安定した収入が保証されないフリーとしての現実を生きている今から振り返ると、退職するなんて、本当に無謀なことをしたものだと思う。あの時は次の道を考えていなかったし、その直前まで傾く日本スポーツをどうにかしようということに専念していたからバイト原稿の依頼ははすべて断っていた。そんな暇などなかったのだ。だから人脈もなかった。会社の売買に関するゴタゴタと人間関係に嫌気がさし、新体制の組織に入りたくなかったという気持ちだけで辞めてしまった。よくもまあ、妻が私の決断を支持してくれたと思う。
 最初の2ヵ月半は何も考えずにハワイや韓国に旅行に行って疲れた心を癒した。12月になって天龍さんがノアに上がることになり、その記事を書くために週刊ゴングにフリーという形で再び加わることになった。会社の経営にも本の方針にも一切かかわらない完全なフリー…それがとりあえずの私の選択だった。
 今振り返ると2005年は悪くない年だったと思うが、当時の私は気負っていたし、必死だった。前述したように人脈がなかったから、フリーとはいっても収入のほとんどが週刊ゴングの原稿料。とにかく仕事の幅を広げることを目標にしていた。収入全体からいかに週刊ゴングの原稿料の占める割合を減らすかがフリーとしてのリスク回避の手段だったからだ。
 2006年は順調だったものの、9月から日本スポーツ出版社の原稿料の振り込みが遅れ始め、07年3月に休刊。正直な話、06年暮れから「いずれ原稿料が払われなくなるだろうな」と思ってはいたが、頑張っている木幡クンや清水さんを見ていたから、オファーのある仕事はすべて受けた。結局、3月に休刊となり、実際に2ヵ月半分の原稿料はまだ回収できないままだ。
 07年は激動だった。主たる収入源の週刊ゴングが休刊になり、しかも事実上2ヵ月半はただ働き。9月の私の誕生日(5日)にGスピリッツが創刊されたのは、何か運命のような気がした。
 そして今年は…まだ途中なので振り返るのはやめよう。ただGスピリッツが不定期刊になっても、こうしてちゃんと活動ができ、生活ができていることに感謝している。この4年間、多くの人に支えられ、また自分でも努力してきたつもりだ。ここしばらくは朝8時からパソコンに向かうという日々が続いているが、それも幸せなこと。どんなに仕事をしたくても、仕事がなければどうしようもないのだから。
 順風満帆だったのか、波乱万丈だったのかはわからないが、どうにかこうにかフリーとして丸4年。人の成長に例えれば、やっと幼稚園の年中さんになったところ。これから年長さん、小学生、中学生、高校生、大学生、成人式…焦らず、じっくり、丁寧に、真面目にフリーとしての道を歩んでいきたいと思う。

「ようやく年中に…」への2件のフィードバック

  1. はじめまして。
    小佐野さんをSアリーナやPPVで拝見していて、
    なんてプロレスを愛してる人なんだろうと好感を持ち、
    ネットで調べてこちらのページにお邪魔しました。
    僕も小学校の時から約20年のプロレスファンなので、
    小佐野さんの試合やSアリーナでの解説にすごく共感できています。
    色々と忙しそうですがお体にお気をつけて、
    これからもプロレスLOVEで頑張ってください!

  2. はじめまして。
    言葉が商売の小佐野さんが、このブログで綴っている言葉をいつも楽しみにしています。
    お金にならない仕事 ではなく、仕事を抜きにして好きな言葉を綴っている
    と感じています。
    だからこのブログは大好きです。
    今日は、ターニングポイント的な文章だったので、初めてコメントしてみました。
    これからも多方面での仕事、期待しています。
    ドリーVSブロディのインター王者決定戦あたりからプロレスを見続けている者より。

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