DDTの遊び心

 昨日の後楽園ホールはプロレス・デー。昼はDDT、夜は新日本の後楽園3連戦初日だった。
 まずはDDTについて書こう。昨日は年に1度の『KING OF DDT』。全7試合がタイトルマッチだ。不勉強な私としてはKO-D無差別級王者=ディック東郷、KO-Dタッグ王者=MIKAMI&タノムサク鳥羽、インディペンデントワールド世界ジュニア王者=飯伏幸太、アイアンマン・ヘビーメタル級王者=マイケル中澤、エクストリーム王者=マサ高梨は知っているものの、「あと2つもタイトルがあったの?」という状態。そうしたら柿本大地が第3代大森夢フェア認定世界大森級王者としてこの日デビューの石井慧介の挑戦を受け、KUDO&ヤスウラノ&アントーニオ本多と大鷲&Koo&スペル・ヴァンパイアが第5代自由が丘6人タッグ王者の座を賭けて戦うという。
 諸橋誠也が東郷に挑戦したKO-D無差別級戦、TAKAみちのくが飯伏に挑戦したインディー・ジュニア戦、ポイズン&JARASHIMAがMIKAMI&タノムサクに挑戦したKO-Dタッグ戦はシリアスな試合だったが、前半はDDTならではのテイストがちりばめられたお楽しみ試合がズラリ。
 オープニングのエクストリーム戦は高梨=高梨マサ子、星誕期=星誕子、高木=フランソワーズ☆タカギという、それぞれの選手の遠い親戚にあたる女子プロレスラーが代理でトリプルスレッドマッチを行うという趣向。コスチュームだけでなく、「バカヤロー!」の叫び方、フォールされればブリッジで返す、ヘアー投げ、コーナーポストからのダイブをセコンドも含めて受け止める…という女子プロ・ムーブを随所に取り入れていたのがセンスだ。最後、タカギがジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックスで高梨を仕留めたところもニクい。
 大森夢フェア戦は石井のデビュー戦ということもあってシリアスな戦いになったが、第3試合のアイアンマンヘビー・メタル戦はDDTのお家芸(?)のエア・プロレスが繰り広げられた。このタイトル戦はバトルロイヤルで行なわれたが、透明人間のアーノルド・スケスケジャネーカーが参戦したののである。確か去年の4月には脚立が参戦したバトルロイヤルもあったっけ。透明人間相手のムーブでは、やはり男色ディーノがダントツ。マイケル&松永智充もいい動きをしていた。
 自由が丘6人タッグは、和田京平の熱血レフェリングによって、メタル・ヴァンパイア側の極悪レフェリーだった松井幸則が本当のレフェリーの心を取り戻すという感動ドラマ。ちょっと強引だったが、お客さんが乗ってくれたのだからヨシだろう。
 さて、今後のDDTの注目ポイントは誰が東郷をKO-D王座から引きずり降ろすか。7・20新木場では挑戦者決定トーナメントが行われる。私としては「子供のファンが怖がるから」とあっさり蛇界を抜けてしまったHARASHIMAの巻き返しに期待したいが。
 また、メタル・ヴァンパイアとして悪に徹しているものの、実は笑いに飢えて禁断症状になっているという情報もある大鷲にどうやってツッこまれる状況を作れるかがDDT正規軍の課題。ここはディーノとマッスルに期待するしかあるまい。
 さらに7・20新木場ではエクストリーム王者・高木がマサ高梨の挑戦をT2Pルールで受けることになった。高梨は、実はメキシコまで行った元闘龍門の生徒。本来だったらジャーベを武器にミラノコレクションや近藤、大鷲らとともに闘龍門に逆上陸していたはずなのだ。果たして高梨は自分のルーツの引き出しを開けることができるのか? そして、自らこのルールを提案した高木はジャーベを知っているのか?
 ファン目線の面白がり方&遊び心を持ち、そしてそれを節度ある形でリング上で実際に表現するのがDDTだと私は思っている。
 

あの秋山準が…

 6・29出雲で全日本プロレスは一区切り。健介オフィスは7・2秋田からノアに本格的に参戦している。ハッキリ言って厳しい戦いだ。全日本では正規軍と共闘という形を取っていたが、ノア・マットではノアVS健介オフィスの対抗戦という図式がすでに出来上がっている。健介、勝彦、起田、健斗の4人でノアと戦っていかなければならないのだ。
 昨日は健介&健斗のコンビで前GHCタッグ王者・丸藤&杉浦と激突。キャリア5ヵ月弱の健斗にとっては“家賃が高い”ポジションである。案の定、丸藤&杉浦はいじわるなくらいに健斗を攻め立てた。最後は丸藤がコブラクラッチ式三角絞めをガッチリ! だが、こうした厳しい戦いが必ずや健斗を大きくするはず。勝彦だってそうやって大きくなってきた。
「技術的には何やったって敵わない。でも、大事なのは技術じゃない。(健斗の胸を叩いて)ここにあるものを叩き起こせ! そうしないと、相手にヤバイと思わせることもできないぞ! まだデビューして数ヵ月だけど、起田とやってきたものがあるだろう? それを叩き起こせ! 日々が挑戦だ」
 と健介。そう、新たな挑戦の日々がスタートしたのだ。フリーとして他団体に上がる以上、そこは安住の地ではないし、常に新しい刺激を求めていかなければならないのである。
 昨日のノアのディファ有明大会のセミは秋山と勝彦のシングルマッチ。これは凄かった。スタートと同時に勝彦がキックでラッシュし、コーナーに座り込んだ状態の秋山の後頭部をバカバカと蹴りつけたことで秋山がキレた。いきなり張り倒すと場外に叩き出し、マスコミ用の大机をたたきつけ、椅子でメチャクチャに殴りつける。例えるなら、2005年8月4日に柴田勝頼にキレたのと同等…いや、それ以上と言っていいだろう。秋山の尋常ではない怒り方にディファの空気が凍りついた。
 リングに戻ってからも張り倒し、ニーパットを外した膝を顔面に叩き込み、スリーパーで落としにかかる秋山。だが、ここで怯んだり、退かないのが勝彦だ。張り返し、キックをぶち込んでとにかく前に出る。どんな相手にも退かない心の強さは、フリーとして4年半揉まれたことで培われた強さでもある。ジャーマン、雷、デスロールと反撃に移ると、ノアの会場のはずなのにディファは勝彦コールに包まれた。
 最後は秋山が、急角度エクスプロイダーでも立ってくる勝彦をリストクラッチ式&急角度のエクスプロイダーで強引に押さえ込んだ。首を強打して大の字になった勝彦。担架が用意されたが、秋山はセコンドの起田&健斗を下がらせて勝彦に自力で立つことを促した。ヨロヨロと立つ勝彦に握手の手を差し出す秋山。勝彦は秋山の顔を睨みつけると、秋山の手を払いのけた。それに対する秋山の満足気な顔が印象的だった。
「中嶋勝彦だからアレなんですよ。やられたら、やり返さないと。久しぶりに骨のある若い奴と試合しましたね。素晴らしかった。何も言うことないですよ。あの蹴りはジュニアじゃないね。それにあれだけやっても怯まないし、そうなったら俺も退けないから。最後はねじ伏せてやろうと必死でしたよ(苦笑)。別にヨイショする必要もないんだけど、悪口の言いようがないな。最後、握手に応じてきたら、もう一発やってやろうと思ったけど、はたいてきたでしょ。満点ですよ!」
 と、秋山。「キレた姿は柴田戦のようだったね」と水を向けると、
「あの時以上ですよ。“このクソガキ!”ってホントに腹立った(苦笑)。よく、プロレスでは“相手を引き出して云々”とかって言うけど、俺の普段は見せない部分を中嶋勝彦に引き出されたのかもしれないですね」
 と笑っていた。
 あの秋山を唸らせた中嶋勝彦、恐るべし!

ヒロ斉藤

 Gスピリッツ第7号が発売されてから半月…書こう書こうと思っていながら、今日まで先送りになっていたのがインタビューしたヒロ斉藤のことだ。
 同い年のヒロちゃんは、私がこの業界に入って普通に口をきけるようになった初めてのレスラーだった。時は28年前の1980年春。大学入学と同時にゴングのスタッフに加えてもらった私は、その当時としては最年少のプロレス・マスコミだった。控室に行けばファンと間違われることもしばしばで、レスラーはもちろん、団体関係者、他の先輩マスコミに頭を下げて挨拶して回っていた時代である。
 そんな時、親しく話をしてくれたのが新日本の若手の斉藤弘幸ことヒロ斉藤だったのだ。私にとっては同い年、もしくは年下のレスラーはいなかったし、ヒロちゃんにしてもマスコミは年上ばかりだったから話しやすかったのかもしれない。それに実はファン時代からお互いに知っていた。私は高校時代に新日本プロレスのファンクラブをやっていたから、藤波さんに会報の取材をお願いしたい時にはヒロちゃんに呼んできてもらったりしていたのである。そして私がゴングで仕事を始めると、ヒロちゃんはすんなりと業界の人間として受け入れてくれた。
 翌81年、ヒロちゃんはメキシコへ。出発当日、私は用事があって新日本プロレスの事務所に行っていたので偶然会うことができた。そして再会は85年の夏。その前年に凱旋帰国していたのだが、ゴングが週刊化され、私は全日本プロレス担当記者になっていたから会うことがなかった。再会できたのは、スーパー・ストロング・マシン、高野俊二(拳磁)とカルガリー・ハリケーンズを結成し、全日本とジャパンに宣戦布告したことによってようやく私の取材対象になってからのことだ。
 約4年の空白でヒロ斉藤は大きく変わっていた。かつてはチョビと呼ばれていた小柄な若手レスラーが、金髪狼になり、WWFジュニア・ヘビー級王者にもなって、ジュニア・ヘビー級のトップレスラーとして私の前に現れたのである。だが、人間は少しも変わってなかった。「久しぶり。元気だった?」と、若手時代と何ら変わらない態度で私に接してくれたのである。それから23年経つ今も「最近、マスコミの人も若い人たちばっかりになっちゃって、よく知らないんだよね。知ってる顔を見ると安心するのよ」とヒロちゃんは変わらない。
 そして今回のGスピリッツのインタビュー。素顔はシャイでカッコイイことが言えないヒロちゃんは「記事になるような話なんてないよ」と言っていたが、その朴訥とした喋りは彼の飾らない人間性が出ていたと思うし、その一方ではプロの職人としての持論をキッチリと語ってくれたと思っている。これはぜひ読んでいただきたい。

I wanna be…

 ちょっと古い話になってしまうが、ノアの6・29後楽園で久々にSUWAに会った。
 SUWAと言えば、国内引退試合をやったのが昨年3月11日。その大会リポートは私が書いたが、掲載されたのは事実上の週刊ゴング最終号となった第1168号だった。確か、その号が出るのが決まったのが、大会2~3日前。前年暮れにSUWAにインタビューしている私は、これでラスト号になるという寂しさよりも「載せられることができてよかった」というホッとした気持ちの方が大きかったように思う。また、セレモニーでは編集人の清水さん(現Gスピリッツ編集長)が記念品を贈呈したが、ゴング…というより日本スポーツ出版社のゴタゴタが表面化していた時期だっただけに、SUWAが「ゴングさんに記念品をお願いしていいものか…」と大会直前まで悩んだという笑い話(苦笑話)もあった。
 さて、久々に会ったSUWAは極悪坊主ではなく、真黒な髪を伸ばして別人。もう、SUWAではなく諏訪クンと呼んだ方がいいのかも。で、引退前に、
「次の人生だからって、すぐに履歴書持って面接受けるっていう人生は選びたくないんですよ。このプロレスでの10年間で生まれた人間性、培った諏訪高広の感性を次に活かしたい。まずは世界中を放浪してみたいんですよ。僕は自由人だから」
 と言っていた通りに世界のあちこちを歩き回っていた。そして辿り着いたのがお店の経営。6月17日に銀座でバー『鮑 I wannna be…』をオープンしたのだ。『I wannna be…』は自由人の諏訪が好きな言葉。だから『鮑』である。
 このノア後楽園には店オープンの時に祝花を出してくれた三沢社長への挨拶のためだ。控室前のマスコミが集まるベンチで雑談していると、そこに通りかかったのが現役時代に抗争というよりは口争を繰り広げていた菊地毅。「あっ、菊地さん、お久しぶりです!」となぜか携帯電話で水を飲んでいる菊地を激写するSUWA。「お前、ナニ撮ってんだよ。デカイ声がしたから、いるのはわかっていたよ」と菊地。この抗争…いや口争は今後も続いてほしいと思ってしまった。
 さて『鮑 I wannna be…』だが、住所は中央区銀座8丁目6ー20 月曜から土曜日まで夜7時から朝までやっているそうだ。本人も毎日店に出ているということなので、ぜひ行ってみてください。と書いている私も行かなければ…。