Gスピ情報その2=シュツットガルトの惨劇

 今回、日本人レスラーの海外にまつわる秘話を特集しているが、その中の目玉と言っていいのが『シュツットガルトの惨劇』の真相である。
 そう、78年11月、西ドイツのシュツットガルトで猪木がローラン・ボックにスープレックスで何度も叩きつけられ、判定負けした一戦の裏側を探ろうというものだ。当時、私は高校2年生。テレビ朝日の映像で、何だか薄暗い異様な雰囲気の会場で猪木がボックに叩きつけられる姿は衝撃だった。一体、あの一戦は何だったのか? そもそも、『欧州世界選手権シリーズ』と呼ばれていた猪木のヨーロッパ遠征とはどんなものだったのか?
 インターネットが発達している現代なら、世界中のニュースを即刻キャッチできるが、今から30年も前のヨーロッパはとてつもなく遠かった。何しろ、プロレス・マスコミの通信手段がインターネットはおろか、ろくにFAXも普及しておらず、リングサイドに引いた臨電(臨時電話)を使って、ペンで書いた原稿を口頭で送るという時代だったのだ。さらにプロレス専門誌も月刊誌の時代。日本では『プレ日本選手権』開催中でもあり、この欧州遠征が詳しく報道されることはなかった。
 今回、私は『シュツットガルトの惨劇』の真相を知るために猪木と行動を共にした2人の人物を取材した。ひとりはマネージャーとして同行した新間寿氏(当時、新日本プロレス営業本部長)、もうひとりは用心棒として同行した藤原喜明だ。
 フロントとレスラー…2人の立場が違うだけに、このヨーロッパ遠征の実情やボックの印象に食い違いがあったのが面白かったし、共通していたのは両者共にアントニオ猪木を尊敬し、信じていたこと。また“死の強行軍”と言われた過酷な闘い、スケジュールの中でも、猪木が格闘家としてだけでなく、プロレスラーとしてきっちりと自己演出していたという興味深い事実も浮かび上がった。
 2人の証言をもとに10ページにわたって“真相”に迫っているので、ぜひ一読を!

亘の純情

 新日本の『ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアXV』は昨日の後楽園ホールがフィナーレ。昨年、ミラノに敗れて準優勝に終わったIWGPジュニア王者の井上亘が悲願の初優勝を果たした。準決勝でタイガーマスクの厳しいキック&サブミッションをしのいで逆転勝利、決勝では田口を下して勝ち上がってきた先輩であり師匠でもある金本浩二を攻略。ジュニア王者がこうした大会を制するのはライガー、タイガーマスクに次ぐ偉業でもあった。
 勝利者インタビューでは「もう無我夢中で…」しか言葉が出てこない。改めてメッセージを求められると、ファンに感謝を述べ、スタッフに感謝を述べ、そして戦った人間たちにも感謝を述べ、客席から「カタいぞ」の野次が飛んだが「でも、本心なんです。感謝の気持ちでいっぱいです」とキッパリ言った。本当に素の性格が出た、いいコメントだったと思う。
 インタビューブースには金本、タイガー、ライガー、稔、田口、裕次郎、内藤、AKIRA、デヴィット、レイヴ、永田、中西が集まってきて「今日だけノーサイド! ノーサイドで乾杯しよう!」というライガーの掛け声で乾杯。金本とタイガーが「さあ、イッキ、イッキ!」と優勝トロフィーになみなみとビールを注ぐと、実直な井上は本当にイッキ飲みしてしまった。それを見て金本、タイガー、田口らは大笑い。本当にノーサイドで井上の優勝を心から喜んでいるのがわかった。それはみんなが井上の生真面目さ、これまでの努力を知っているからだろう。私も『S-ARENA』に一度だけ井上と一緒に出演したことがあるが、本当にピュアな人間で正直、ビックリした。
「まさか自分にこんな瞬間が訪れるなんて思っていませんでした。最後の金本さんとの試合は無心でやっていましたけど、金本さんの蹴りや技に気持ちがこもっていて…。僕のプロレスの最大の恩師、先輩の金本さんとやれて、僕のプロレス人生、悪くないと思います。自分がなりたかったレスラーにちょっと近づけたかなと思いました。でも、すぐに新たな戦いが始まるので、この幸せも今しか噛みしめちゃいけないと思っています」
 飾らない、飾れない、純情な王者がいてもいいではないか。井上亘、おめでとう!

険しきチャンピオンの道

 昨日の横浜文化体育会館。杉浦貴相手にGHCヘビー級王座初防衛を果たした森嶋猛は「ああーっ!」と悔しさ混じりの雄叫びを上げ、日本テレビのリング上での勝利者インタビューで、
「不甲斐ない試合をして、すみませんでした。僕はチャンピオンとしてまだまだやっていかなきゃいけないことがあります。守りに入らず、攻めていきます。誰でも挑戦を受け付けます。今日はすみませんでした」
 と、客席に謝罪してリングを降りた。
 森嶋は昨年ROHで世界王者になり20回の防衛を果たして、多くを吸収した。だが、ROH世界王者とGHCヘビー級王者は役割が違う。ROH世界王者時代はどんな相手とでもいい試合をすることが義務付けられていた。つまり、ジュニア・ヘビー級の相手でも接戦になるようなファイトを求められていた。接戦の上で最後は勝つ。アメリカのチャンピオンの定番スタイルである。
 これによって森嶋のファイトの幅は広がったが、ノアの頂点に立った今は強さを前面に出さなければいけない。もちろん、森嶋はそのことを理解している。
「僕の大きさを表すには“キレイな試合”“いい試合”だけじゃ駄目だと思うんですよ。これからは圧倒的な試合も必要だと思います。“こんなに大きい人が、こんなに暴れちゃうの?”というのを体現していきたいんです」 と森嶋は言っていた。
 だが、昨日の試合はハッキリ言って杉浦の試合。アマレスの猛者だった杉浦は「重さじゃないんですよ。手がクラッチできれば、どんな相手だって投げられるんです」と言っていたが、その通りに公称145キロ(実際は150~160キロ?)の森嶋の巨体をジャーマン、ドラゴンで何度も投げ飛ばし、オリンピック予選スラムでも叩きつけてみせた。
 これを森嶋が敢えて受けていたと言ったら、杉浦がかわいそうだ。森嶋が接戦に持ち込んだのではなく、杉浦が攻め込んだ試合だったと断言できる。体格差を感じさせない真っ向勝負をやってのけた杉浦を評価するべきだ。ただ、投げられたことに関しては、森嶋は踏ん張ることができたのではないかと思う。
 ここでまた、別の森嶋の要素が出てくる。若手時代に徹底的に受け身の練習をやらされた森嶋は、自分の受け身の技術に絶対の自信を持っている。だから、あのパワフルな杉浦がスープレックスを仕掛けてきたら、下手に踏ん張ってヘンな角度で強引に投げられるよりも、自ら身を預けて受け身を取った方がリスクが少ない。戦法としては正しいのだが、“怪物・王者”としてはリスクを負っても踏ん張ってほしかったと思う。森嶋を投げることが大きな話題になるくらい、頑なに投げ技を拒絶してほしいと思っているのは、私だけではあるまい。
 最後は、あの巨体から「まさか」のムーンサルト・プレスというサプライズからバックドロップで決着。実際、森嶋は運動神経もいいし、器用なレスラーだ。器用で、様々な要素を持っているから逆にファイトに迷いが出ているのかもしれない。いろいろなことができる中で、何を捨てて、何を磨くか…王者の道は険しい。
 昨日の防衛戦で反省が最初に来るのが森嶋のいいところであり、志の高さの表れだと思う。だが、規格外の大きさがあるのだから、あまり考えすぎずに本能のままに、好き勝手に暴れてほしいという想いもある。私は、個人的には常識では測れない破天荒な王者像を森嶋に望んでいる。

Gスピ情報その1=馬場&天龍の秘話

 今日は18日発売の『Gスピリッツ』第7号ネタをひとつ。柱になっているのは海外マット秘話~本当に知りたい話は地球の裏側にあった~だが、この特集で私が担当したのはジャイアント馬場=“東洋の巨人”は本当に強かったのか? 天龍源一郎=幻のWWF&WCW世界チャンプ構想 アントニオ猪木=シュツットガルトの惨劇の真相の3つ。今日は馬場さんと天龍さんについて書こう。
 私が高校時代に新日本プロレスのファンクラブを主宰していたことは、皆さん、ご存知のことだと思う。そんな私が、いざ職業としてプロレス業界に入ってから馬場派になったのは、ファン時代にはまったく見えなかったジャイアント馬場というプロレスラーの実像が見えてきたからだ。一見、口の重いように思われる馬場さんだが、一度、懐に入れてくれると、本当にいろいろなことを話してくれた。プロレス論、若い頃の話などなど。馬場さんは記憶力のいい人だったから、初めてアメリカに行った頃の話は特に興味深かった。そうした諸々の話を聞いて、私は馬場さんの強さを感じた。今回の記事は、番記者時代に取材とは関係なくポツリポツリ聞いた話、そして86年に元大相撲・横綱の輪島大士をノースカロライナ州ショーロッテ郊外のムアーズにあったネルソン・ロイヤルのジムで教えた時に目撃した“シューター馬場”を踏まえて、馬場さんの強さを改めて検証して書いた。馬場さんが人種差別がまだ激しかった60年代のアメリカでトップを取れたのは、それなりの理由があるのだ。そこを読み取ってほしいと思う。
 天龍さんの記事は、天龍源一郎というレスラーがアメリカの関係者、レスラーの間で実際にはどう評価されていたかを主眼にしたものだ。基本がアメリカン・プロレスで、人脈も広かった天龍さんの評価は、おそらく日本のファンの想像以上。私は91年3月のLAにおける『レッスルマニアⅦ』、93年2月のサクラメントにおける『ロイヤル・ランブル』、その後のサンノゼ、フレズノにおけるTVテーピングマッチにも同行して“アメリカ・マットの天龍”を実際に取材した。また、その当時、アメリカ・マットに太いパイプを持ち、天龍さんとも関係が深かった佐藤昭雄さんに食い込んでいたので、様々な裏情報を仕入れることができた。そうした様々な材料をもとに記事を書いているので、こちらも期待してほしい。

ドラゴンゲートの新ステージ

 昨日は3月20日の大田区体育館以来のドラゴンゲート。この間、5・5名古屋というビッグマッチもあったし、絶対エースであるCIMAが頚椎損傷による欠場という緊急事態を迎えている。
 それでもドラゲーは歩みを止めることなく動いている。「常にカラーを変えていかないと、このリングでは生き残っていけないですよ」とは、以前、モッチーから聞いた言葉だが、2ヵ月半でリング上の勢力図はガラリと変わっていた。マッスル・アウトローズとニュー・ハザードがシャッフルされてリアル・ハザード=Gamma、鷹木、堀口、サイバー、神田、YAMATO、WORLD-1=土井、吉野、ハルク、谷嵜、KZ、この後楽園から戸澤塾に忍が加わり、マグニチュード岸和田はモッチー、フジイ、クネスのチーム30代に合流。さらに愚連隊が乱入するなど、新しいステージに入っていた。
 やはりCIMAがいないのは寂しいが、YAMATOやKZという若い力が伸びてきていることが実感できた昨日の後楽園ホール。CIMAには焦らず、当面は7・27神戸ワールドを目標にしてリハビリに努めてもらいたいと思う。

『Gスピリッツ』第7号の全貌です!

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 ジャジャーン!6月18日(水)発売の『Gスピリッツ』第7号の全貌を発表しましょう。すでにモバイルGスピリッツでもご存知かとかと思いますが、私のサイトでも改めて表紙&コンテンツを紹介します。
 私が取材&執筆した記事の裏話は、折に触れてこのダイアリーで書いていこうと思っているので、お楽しみに。今回も営業マンよろしく発売日まで煽っていきますよ!
★総力特集=海外マット秘話
~本当に知りたい話は地球の裏側にあった~
【親子対談】
武藤敬司×ザ・グレート・カブキ
『毒霧の秘密』
【アメリカ】
ジャイアント馬場
『“東洋の巨人”は本当に強かったのか?』
天龍源一郎
『幻のWWF&WCW世界チャンプ構想』
【ドイツ】
アントニオ猪木
『徹底検証~シュツットガルトの惨劇』
※証言者=藤原喜明、新間寿
【メキシコ】
木村健悟
『パク・チュー~元祖・天下を獲り損ねた男の狂った季節』
三沢光晴&越中詩郎
『今から24年前、目撃者が語る訣別の瞬間』
前田日明
『新日本が企てた“島流し計画”の全貌』
【オランダ】船木誠勝&鈴木みのる
『“秒殺のプロレス団体”誕生の青写真』
★クローズアップ
KENTA
『四天王プロレス≒UWF』
ヒロ斉藤
『セオリー、ときどきシュート』
ディック東郷
『そのスキルの秘密を探る』
■特別企画1=レイ・ミステリオ秘蔵マスク大研究<後編>
■特別企画2=考察――リアル・グラウンドコブラ
~Uのロゴマークに隠された謎~
■プロレス法話
新崎人生と真言密教
■裏ドキュメント
もう一つの巌流島決戦<後編>
★シリーズ
ドクトル・ルチャ『オカマレスラーの妖艶な世界』
渋澤恵介『世界・ふしぎ再発見~スチュ・ハート編』
みのもけんじ『プロレス・スターウォーズG~グレート・ムタ編(最終回)』
ザ・グレート・サスケ『愛のミステリーサークル』
原悦生『格闘写真美術館』他
★特別付録DVD=レイ・ミステリオ特集(全115分)
~マスカラ戦も含む厳選6試合を収録~
◎シウダ・マデロ(95年6月30日)
▼6人タッグマッチ
レイ・ミステリオJr.、オクタゴン、イホ・デル・サント
VSフエルサ・ゲレーラ、シコシス、ブルー・パンテル
◎ティファナ(96年3月16日)
▼WWA世界ウェルター級選手権
レイ・ミステリオJr.(王者)VSフベントゥ・ゲレーラ(挑戦者)
◎ケレタロ(96年5月9日)
▼6人タッグマッチ
レイ・ミステリオJr.、ベヌム、フリスビー
VSスペル・クレイジー、シコシス、フベントゥ・ゲレーラ
◎ティファナ(97年5月16日)
▼タッグマッチ
レイ・ミステリオJr.、レイ・ミステリオSr.
VSミステリオッソ、イホ・デル・サント
◎ティファナ(97年12月19日)
▼マスク剥ぎマッチ
レイ・ミステリオJr.VSミステリオッソ
◎ティファナ(96年6月2日)
▼4WAYタッグ・イリミネーション
レイ・ミステリオJr.、ペロ・アグアヨ
VSウルティモ・ドラゴン、ラ・パルカ
VSシベルネティコ、ピエロー
VSヘビー・メタル、シコシス
※特典映像=初公開!ミステリオのマスク製作工程

諏訪魔のスタイル

 昨日6月10日は後楽園ホールで恒例の『武藤祭』。武藤&神奈月が曙&はなわを下してF-1(フェイク1)王座4度目の防衛を果たした。この試合は難しい理屈などいらない。観たままに楽しめばいい。
 さて、私が最も注目した試合はセミファイナルの諏訪魔のT28、真田、征矢を相手にした3人掛けだ。一体、諏訪魔は若手3人相手にどんなファイトを見せるのか? ドンと胸を突き出した横綱相撲か? 3人の持ち味を十分に引き出した上で接戦を見せるのか? 今の諏訪魔なら、それくらいの技術は持っている。
 果たして、諏訪魔は趣の違う3試合をやってのけた。軽量のT28に対しては、すべての技を受け止めながらも一切、受け身を取らずに真っ向からねじ伏せるファイト。真田とはジックリと試合した。ラストの征矢に対してはぶっ潰しのファイト。果敢にエルボーの連打で向かってきた征矢に対し、張り手の連打からダウンしたところを顔面踏み潰し! 因縁も何もない仲間・後輩に対して、こうしたシビアな攻撃ができるのが諏訪魔の強みと言っていい。最後も死に体状態の征矢をラリアットの連発で完膚なきまでに叩き潰してみせた。
「今のプロレスには闘いがない」とよく言われるが、諏訪魔のファイトには狂気と怖さを感じさせる瞬間がある。振り返れば、チャンピオン・カーニバルの鈴木みのるとの公式戦もいびつな戦いだった。そうした試合の中に、諏訪魔の理想のひとつがあるように感じられる。
「強いチャンピオンになりたい」と常々、口にしている諏訪魔は、昨日の3人掛けを終えて「自分のプロレスがわかった」と言った。
 三冠王者・諏訪魔が未来の全日本プロレスに新たな要素をトッピングしてくれることを私は期待している。

3年が経過

 昨日は2週間休んでいたサムライTV『S-ARENA』に出演。久々のナマ番組だった。諏訪魔、鈴木みのる、春山香代子、吉田万里子&松本浩代、高木三四郎、吉田万里子&江本敦子と、最近はゲストとの共演が多かっただけに、三田さんと2人だけの番組も久しぶり。でも、自然体で楽しくやれた。とにかく、ここのスタジオに来て三田さんを始めスタッフの人たちと語らうとホッとする。
 考えてみれば、GAORAの全日本中継解説は2001年からやらせてもらっているが、それは日本スポーツ出版社在籍時代からの継続で、フリーになってから始めた仕事で一番長いのは、この月曜夜のテレビ。フリーとして週刊ゴングで仕事をしたのは1年4ヵ月、Gスピリッツが10ヵ月だが、月曜夜のテレビは05年4月に当時の『NEWS侍』に出演させてもらって以来、約3年が経過しているのだ。
 固定の媒体、仕事場を持たないフリーの立場だけに、3年も仕事をしている場所に来たらホッとするのも当然か。これからも張り切っていくので、ぜひ観てください。

遅ればせながら…

 5月24日の『ハッスル・エイド2008』を昨日、ようやく録画しておいたテレビ東京の番組で観た。番組的には、この大会で引退するインリン様、HG、ボノちゃんを中心にしていたのは当然のこと。プロレスに興味がない人でも抵抗なく入っていけるようになっていたように思う。
 さて、プロレス・ファン向けには、今回の『ハッスル・エイド2008』はこれまでの流れの総決算。ある意味でハッスル最大の功労者インリン様が姿を消すのである。実際、インリン様なくして、今のハッスルの成功はなかったと思う。インリン様の成功によってタレント起用という道が開けたと私は思っている。
 以前、Gスピリッツでハッスルの山口代表と対談した時に、山口代表はタレント起用について「緊張感を知っている人は伸びていくし、逆にTVタレントとして編集に慣れている人はダメですね。どっかでやり直しが利くとか、ライブの怖さを知らない人は対応できないですよ。あとはプロレスラーとの肉体的ハンデをどう克服していくか、そのハンデを味方につけられるかどうかは、その人のセンスによるところも大きいですね」と言っていたが、インリン様はすべてをクリアーしていた。
 このラストマッチとなったボノ戦にしても、ちょっと間違えれば大怪我をしかねない状況で、まったく物怖じせず、しかもシューズは足首を折りかねないピンヒール。“愛と美と闘いの女神”のキャラを貫くプロ根性だ。
 初めてプロレスを観た人が、このインリン様VSボノちゃんをプロレスだと思ってしまったらちょっと困るのだが、2人の見事な表現力はプロレスのひとつの要素を確かに見せてくれていたと思う。
 インリン様が引退し、川田に敗れたHGは自ら素顔になってハッスルから追放された。この2年半近く主役を張った2人が去ったのだから(HGはどういう展開になるかわからないが…)まさにリセットである。そして7月からはハッスル軍、髙田モンスター軍の垣根を取っ払った『ハッスルGP2008』がスタートするという。
 私の中では現時点でのハッスルのピークは昨年11月25日の『ハッスル・マニア2007』。あの大会のインパクトが強過ぎたために、それから現在までは試行錯誤の時期だったように感じる。果たして『ハッスルGP2008』によって新たな面白さを世間に向かって打ち出せるか、期待したい。

若い選手の引退について

 コメント欄に「最近の若い選手の引退をどう思いますか?」という書き込みがあった。
 確かに4月15日には健介オフィスの山口竜志が古傷の両膝の負傷悪化により引退を発表したし、5月6日にK-DOJOの安沢たく、5月29日にゼロワンMAXの高西翔太が引退試合を行ない、全日本プロレスでは1月2日にデビューしたばかりの駿河一が5月シリーズ終了後に引退している。
 昨年から考えれば、9月に全日本のブルート一生、ゼロワンMAXの高橋冬樹、今年に入って2月にはリキプロの宇和野貴史が引退した。
 引退の理由は怪我であったり、新たな夢を見つけて第2の人生を歩もうというものだったり、人によって様々。私が素直に言えるのは「もったいないなあ」「残念だなあ」「新たな人生を頑張ってください」というありふれたことだけだ。
 その人の人生は、その人のもの。その選択を他人がとやかく言えるものではない。たとえば体がボロボロになっても現役を続けている選手を見ると、そこに美学を感じるが、その先の人生を考えれば、年齢的にも肉体的にやり直しが利くうちにスパッと違う道に進むのは賢明だと思うし、違う夢が芽生えたり、自分がプロレスに向いていないと思えば、早目に決断するのも賢明だと思う。続けるにしろ、辞めるにしろ、どちらにしても大きな勇気がいることだと私は思う。
 プロレスラーに憧れて、その夢を叶えながら、もしもプロレスやプロレス社会に夢が見られなくなったり、あるいは経済的な理由で断念するとしたら、それはとても寂しく悲しいこと。少なくともここ最近の引退した若者たちがプロレスラーであったことへの充実感と感謝を語り、次の人生を前向きに語っていたことが救いである。
 冬木弘道さんが亡くなる7ヵ月前にこんなことを言っていた。
「今はたくさんのレスラーがいるけれども、俺が入った時は全部で100人にも満たなかった。そのぐらいの中に好きで入れたんだから、生活を保障してくれるとか、怪我したらどうするんだとか、そういう気持ちはなかったよ。だからレスラーは金だけじゃないんだよ。でも、ある程度のお金は絶対に必要だっていうのも事実なんだよ。やっているうちに生活の安定どうのこうのってなってくるけど、でもまあ俺は最後までそれは嫌だから。俺は最後まで自分の好きなことをやって終わりたいし。…終わったんだけどな(笑)」
 これはあくまでも冬木さんの考え方だが、その言葉の中にはレスラーが抱える夢と現実、深い部分ががあると思う。