諏訪魔の自覚&健介の充実感

 昨日は全日本プロレス名古屋大会のGAORAテレビ解説のため名古屋へ。メインは王者・佐々木健介に『チャンピオン・カーニバル』の覇者・諏訪魔が挑戦する三冠ヘビー級選手権だ。諏訪魔とは4月10日に一緒にサムライTV『S-ARENA』に出演したが、“これからの全日本を背負っていかなければいけない!”という自覚を凄く感じた。
 そして、いよいよ決戦。関係者に聞いたら、諏訪魔は誰よりも早く午前11時に会場入りして黙々と練習していたという。私の会場入りは午後1時過ぎ。「先日のテレビではありがとうございました」と挨拶してくれた諏訪魔の目は「今日は勝負しますよ!」と言っているようだった。
 試合は大勝負。いわゆる流れるような攻防のスイングする試合ではなく、ゴツゴツとした試合。客席からどう見えたかわからないが、グランドでも、チョップやラリアットの応酬でも、ともに一歩も退かないスリリングなものだった。
 今回の三冠戦を迎えるにあたって、追い風に乗っていたのは諏訪魔。全日本ファンの空気は完全に諏訪新王者。健介はノアの『グローバル・タッグリーグ2008』と『チャンピオン・カーニバル』に同時出場になったことから反感を買ってしまったというのが現実だ。
 だが、健介の三冠への思い入れもしっかりと伝わった。最初の執拗なヘッドロックは昨年8月に鈴木みのるから三冠を奪取した時の戦法だったし、キチンシンクからラリアットというシビアな畳みかけは05年2月の初対決で諏訪魔をぶっ潰した時を彷彿とさせた。
 それでも勝ったのは諏訪魔。フィニッシュがフロッグ・スプラッシュ…棚橋のハイフライフローと同系技になった、カーニバル決勝が頭をよぎったのか…。とにかく「何が何でも勝ちたい!」という気持ちが表れていたように思う。
 私が注目したのは、悲願の三冠奪取に成功した諏訪魔に笑顔がなかったこと。
「このベルトを巻いた人はすげえって思うよ。何か、すげえのしかかってくる。こんなんだとは思わなかった。試合前には“俺の時代にする”なんて強気なことを言ってたけど、このベルト巻いたら、そんな言葉は出てこないよ。凄い嬉しいけど、凄い幸せなんだけど、このベルトを巻いた瞬間から“これからは俺がシメなきゃいけない”って責任感でいっぱいです。馳さんからベルトを受け取る時も笑顔になれなかった。“喜んでいいんだろうか、俺”って…。佐々木さんとやれてよかった。いつもより何十倍も強く感じたよ。凄いよ。佐々木さんには“力で守り抜け”って言われたけど、やっぱり力で相手をねじ伏せる、そんなチャンピオンになりたいです。毎回、諏訪魔は凄いって言われる試合をやっていきたい。そして全日本を盛り上げていきたいです。このベルトに俺が成長させらそうな気がします」
 と、諏訪魔は謙虚だった。バトンタッチされた瞬間から、その重さを実感したのである。
 一方、敗れた健介とは、試合が終わって30分くらいしてから顔を合わせた。すでに着替えを終えて私服になっていた健介の表情は穏やかだった。
「負けちゃったけど、心地好い充実感があるよ。この1ヵ月、いろいろ言われたけどさ、俺はノアでも全日本でも全力で戦い抜いたっていう充実感があるんだ」
 と、ニッコリ笑った健介。充実感を噛みしめつつ、明日1日にはメキシコ遠征に旅立つ。

高木三四郎が自伝出版

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 昨日のサムライTV『S-ARENA』にはDDTの高木三四郎が自伝『俺たち文科系プロレスDDT』出版の宣伝で出演してくれた。
 思えば、私がDDTという団体に足を踏み入れたのは、渋谷のClubATOMで定期戦をやっていた頃だから2000年ごろだろうか。すでに週刊ゴング編集長から日本スポーツ出版社の編集企画室長になっていた時代だ。当時のDDTの客層は、新日本や全日本のことは全く知らないのにDDTの流れにはメチャクチャ詳しいという感じで驚いた。つまり、DDTは従来のプロレスとはまったく違う世界を創り、まったく違うファンを開拓していたのだ。
 そんな現実を見て、私は高木三四郎という男に凄く興味を持った。なぜ、こういう男が出てきたのか? それだけに今回の自伝には興味津津。昨日、一冊頂いて、サインまで入れてもらい、早速、帰りの電車の中で読み始めたわけだが。いずれ、このダイアリーで書評を書かせてもらおうと思う。

小橋建太の道

 昨日は大阪府立体育会館で武藤敬司が中邑真輔を破って第49代IWGPヘビー級王者に。グレート・ムタも含めると通算4度目、1999年12月10日に同じ大阪府立で天龍源一郎に敗れて以来だから、実に8年4ヵ月ぶりの王座返り咲きをやってのけた。また、東京では日本武道館で『グローバル・タッグリーグ戦2008』最終戦が行なわれ、伏兵のバイソン・スミス&齊藤彰俊が優勝。東西で盛り上がったわけだが、私は敢えて小橋建太について書く。
 小橋は今回のタッグリーグ戦は辞退したものの、巡業に付いて全19戦中11試合に出場した。腎臓ガンを克服してリング復帰を果たしたのは昨年12月だが、それ以降の試合出場も、すべてがチャレンジ…常に「これで数値が悪くなったら」という恐怖と不安を抱えながらの、文字通り命懸けの戦いである。
 だが、小橋はリングに上がる限りは全力ファイト。若い潮﨑と胸をドス黒く腫らせながらのチョップ合戦、高山には場外でエベレスト・ジャーマンを食らって、首から突っ込んでしまった。衝撃を受けて体内に溜まった老廃物を処理するのが腎臓の機能。こんな戦いをやっていたら、腎臓にどれだけ負担がかかるのか? それでも小橋は敢えてハードな戦いを挑んでいるのだ。
「高山はGHCでやり合っていた頃のように元気になってきたから、俺も元気にならなくちゃ。潮﨑は…あいつがあの気持ちを持っていれば、横道にそれるようなことはないね。プロレス道に邁進していくと確信した。俺も負けられないね。今回のツアーは出て良かったと思いますよ。確かに倦怠感があったりもしたけど、どこに行ってもファンのみんなが声援を送ってくれるんで、それが俺を奮い立たせてくれた。いつも充実していました。これで明日(28日)検査して、その結果を見て考えなければいけないんだけど、後ろを向くことはないから。気持があれば大丈夫だと信じていますよ」と小橋。
 5月11日の故郷・福知山凱旋では三沢、菊地と組んで田上&小川&雅央との対戦が決定しているし、6月21日のイギリス大会への出場も決まっている。小橋は誰も歩いたことのない道を前向きに邁進していく。

週プロ回顧録

 ベースボール・マガジン社から週刊プロレスの創刊25周年を記念した『週プロ回顧録』なる増刊号が発刊された。この本の中で、私はターザン山本氏時代のライバル誌の編集長という立場でインタビューされている。私が喋れば山本氏時代の週プロへの批判、ベースボール・マガジン社が事業として行なった95年4月2日の東京ドーム興行『夢の懸け橋』への批判が飛び出すことになる。社的に考えれば好ましくないはずなのだが、それでも今の佐久間編集長は「その時代の週プロを語るには必要なことなので」と、私にインタビューを依頼してくれ、自ら聞き手になってくれた。だから私は素直に問いに答えたつもりだ。
 この本を読んでいて、素直にうれしく思ったのは、現在は顧問の宍倉清則氏が「若い記者・一期生」のひとりとして私の名前を挙げてくれていたこと。元々、宍倉さんは月刊時代のゴングでアルバイトをしていた。私が高校時代にファンクラブをやっていた時に、ファンクラブ・コーナーで会報を紹介してくれたのは宍倉さんだったし、別冊ゴングで宍倉さんが担当していた『ファンクラブとの遭遇』という記事にも起用してくれた。そして80年春にゴングにアルバイトとして入った時に仕事のイロハを教えてくれたのも宍倉さんだった。
 竹内宏介さんが大ボスで、プロレス業界の空気に触れさせてくれたのがウォーリー山口雄介さん、そして仕事の基礎を教えてくれたのが宍倉さん。熱戦譜(試合結果のページ)ひとつにしてもゴング流の細々とした決まり事がある。宍倉さんの家に泊めてもらって、そうしたことを教わりながら徹夜で書いたのも懐かしい思い出だ。
 この本を読んで、週刊ゴングという反対側の立場にいた私もなぜか原点に引き戻されるような感覚になったのは…週刊プロレスに携わっていた人たちが、真剣に戦った良き戦友だったからなのだろう。

今、気になる男は…アントン!

 この2年近く、なるべく多くの団体の試合を観るようにしているが、そんな中で今、個人的に注目しているのはDDTのアントーニオ本多だ。
 彼の存在を認識したのはフランチェスコ・トーゴー率いるイタリアン・フォー・ホースメン時代だから、1年半前ぐらいか…。「△△△ボンジョルノ~!」という妙にハイテンションな喋りは面白いし、武蔵野美大でプロレス研究会にいただけあって観客や会場の空気を読む独特の感性も素晴らしいなと思ったのが最初。ただし、純粋にプロレスラーとして見た場合には“?”マークがつく。つまりは完全にイロモノとして考えていた。
 だが、そのファイトぶりをじっくりと見ていたら、70年代~80年代中盤のアメリカン・プロレスへの憧れが感じられて、いつしか好感が持てるレスラーになっていった。お笑いの部分ばかりがクローズアップされる裏では、きっとディック東郷からきっちりとコーチを受けていたのだと思う。そして昨年11月にaWo(ハワイ軍団=アロハ・ワールド・オーダー)で師匠・東郷以下のメンバーに裏切られたことによって、アントンは正念場を迎えている。
 今年に入ってから、喋りやお笑いネタに頼らずに純粋にリング上のファイトで勝負。昨日のエルドラド後楽園大会の大柳錦也との試合も、対角線を走ってのロックアップからスタート。大柳もベーシックなプロレスを志向しているから、他のエルドラドの試合とは趣の違う試合になった。アントンのファイトは古き良き時代のアメリカン・プロレスのベビーフェースのよう。アームドラッグからアームロックというアメプロのベビーフェースの組み立てだ。腕攻めも単調にならないように様々なバリエーションを加えていたし、基本である逆腕の取り合いで客席が沸いたのだから大したもの。共に大技を使わずに15分時間切れで客席を退屈させなかったのだから立派である。
 もしかしたら、これまでのアントンを応援していたファンの中には「つまらなくなったなあ」と思う人がいるかもしれない。でも、アントンは今、本当の意味でプロレスラーになろうと必死なのだと私は解釈している。今の路線で何かを掴んで、そこに従来のエンターテインメント性が発揮された時、アントンは本当に魅力的なプロレスラーになると思う。今の私の気持ちは“本多ボンバイエ”だ。

4月初めてのDDT

 4月9日~11日のお花見プロレスは、その前に『チャンピオン・カーニバル』テレビ解説5連戦があったので、さすがにパス。昨日の新木場が4月になって初めてのDDTとなった。
 ゴールデンウィーク直前、さらには5・6後楽園に向かっての通過点的な大会だけに正直言って客入りは寂しいものがあったが、それでも選手たちのテンションがいつもと変わらず高いのがDDTのいいところだ。
 セミの飯伏&柿本&安部とMIKAIM&鳥羽&ポイズンの新世代VSレジェンドは、新人の安部がMIKAMIにテクニックで必死で食らいつき、飯伏と鳥羽はインディー・ジュニア戦を再現するような打撃戦、柿本とポイズンのラフな展開…と、現在のDDTの充実ぶりを物語る6人タッグに。5・6後楽園では飯伏&柿本はライガー&MIKAMIとの対戦が決まっており、これも楽しみ。柿本はその前の4月30日のディファ有明における健介オフィス主催の第12回SEMへの出場も決定していて、ここでは宮原健斗と戦う。先日のゼロワンMAXの崔領二戦といい、今年は柿本がガンガン全面に出ていきそうだ。
 昨日のメインは5・6後楽園で王者HARASHIMAにディック東郷、諸橋晴也、高木三四郎、矢郷良明が挑戦するKO-D無差別級選手権のルールを決める8人タッグ。HARASHIMA、高木、矢郷、アントーニオ本多の4人に対するは東郷、大鷲、諸橋、Kooのメタル・ヴァンパイア揃い踏みである。
 HARASHIMAと高木、矢郷がタイトルマッチを意識してギクシャク、その結果、勝利したメタル・ヴァンパイアが決めたルールは1人勝ち残りの5WAY戦でレフェリーはメタル・ヴァンパイアの一員である松井レフェリーにするというもの。ウーン、本番のタイトルマッチは試合の要所要所に策略が盛り込まれることだろう。
 ゴールデンウィークの最終日となる5月6日は、後楽園ホールで12時からDDT、7時からマッスルハウス6でシメるというのはどうでしょう?

この10年間の想いを込めて

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 今まで女子プロレスの担当記者になったことがないから、私の女子プロ人脈はかなり偏っている。昨日のサムライTV『S-ARENA』に出演した春山香代子とも初対面だった。JWP関係で知っているのは、今はOZ所属になったダイナマイト・関西、『S-ARENA』に出演したボリショイ、新関真由香、LLPWにいた蹴射斗ぐらいなもの。LLPWはWARと業務提携していたから風間&神取から沖野小百合までの世代は飲んだことがあるし、ジャパン女子OBも知っていたりするのだが。
 さて、春山は98年1月デビューだから、今年で10年選手。話してみて感じたのは、考え方がしっかりしているということ。考えてみれば、この10年というのは元週刊ファイト編集長の井上譲二氏が『プロレス暗黒の10年』という本を書いたり、先日には『プロレス悪夢の10年を問う』なるムック本が出版されるほど、プロレス界にとっては激動の期間だった。特にJWPは春山のデビューまもなくしてキューティー鈴木、福岡晶が引退し、尾崎魔弓、ダイナマイト・関西、デビル雅美らが去り、2000年11月に一度は活動停止にまで追い込まれながら、ここまでやってきた団体だ。そんな環境にいたら、しっかりしていなければやってこられなかっただろう。
「団体が存続するかしないかって時もあったんで、とにかく自分よりも会社という考えがあったんですけど、今は自分が目立ってやろうと。自分が上に立つことで、団体を引っ張っていってやろうと思っています」と春山。
 春山は、天才と言っていい王者・日向あずみに10年間のすべての想いと、その年月培ってきた力量をすべて叩きつける。きっと4・29後楽園のタイトルマッチは王者も挑戦者もJWPに賭けたこの10年間の想いをを表現してくれるはずだ。

新方向に転がり始めた全日本

 諏訪魔の『チャンピオン・カーニバル』優勝で新時代に大きく踏み出した全日本プロレスが、昨日の後楽園ホールにおける新シリーズ開幕戦から、さらに意外な方向に動き出した。
 諏訪魔の三冠挑戦、土方の世界ジュニア挑戦、小島欠場、VMのケア勧誘という流れの中で、新たなアクションを起こしたのは先のカーニバルで3ヵ月ぶりに全日本マットに戻ってきた鈴木みのる。みのるは「お前が本当にやりたいことは何なんだ?」と詰め寄り、「俺はもう1回、このリングで頂点に行く。お前も一緒に行こう!」と誘い、急転直下、鈴木みのる、太陽ケア、東京愚連隊(NOSAWA論外、MAZADA、TAKEMURA)の新たな勢力が誕生したのである。この“鈴木みのると愉快な仲間たち”のユニット名はGURENTAIだ。(NOSAWAが東京愚連隊を主張したが、東京出身者はひとりもおらず、ただの愚連隊…それをオシャレに横文字にした)
「善か悪かの全日本プロレスは今日で終わりだ。これからは力のプロレスだ。力のある奴が中心になるんだ。邪魔な奴、気に食わない奴は力でみんなぶっ飛ばす。ぶん殴ってやる」というのがみのるの主張。
 
 全日本は03年の夏過ぎからTAKAみちのくが外国人選手をまとめてRODを結成、日本人VS外国人の日本のプロレスの原点の対立構図からスタートして、その後、TARU率いるVMの参入によって図式は多様化したが、一貫していたのは単純な善VS悪という基本部分。それによって全日本はハッピーな団体として支持されてきた。その5年に及ぶ流れをみのるは断ち切ろうというのである。「健介をぶん殴ることと、もうひとつ目的があって全日本にまた上がろうと思った」と言っていたみのるの目的はこれだったのだ。
 健介VS諏訪魔の三冠戦も待ったなし。ノアに上がって以来、全日本では逆風を浴びている健介は、昨日のタッグ前哨戦で無我夢中のファイトで諏訪魔に勝利した。「この3本のベルトは俺が若手の頃にリングサイドから見ていた憧れ。これは今、絶対に譲りたくない!」というコメントは紛れもない健介の本音だった。
 どういう結末が待っているにせよ、4・29名古屋決戦を機に全日本はゴロッと新たな方向に転がっていくはずだ。
追記:プロレス入場テーマ曲について書いたところ「音楽を購入するお得なサイトはありませんか?」との質問がありましたが、私はインターネットで音楽を購入する習慣がないもので、残念ながら、さっぱりわかりません。ということで、ご自身で探してみてください!
 

久々にプロレス入場テーマ曲について

 以前、お約束した通りに今日は2週間ぶりにプロレス入場テーマ曲について書いてみたいと思う。ただし、あんまり詳しくないので、そこのところはご勘弁を。
 私がプロレス入場テーマ曲に熱中したのは77年にジグソーの『スカイハイ』がミル・マスカラスのテーマ曲に使用された77年から80年ぐらいまでの約3年間。権利の関係だか何だかわからないが、選手のオリジナル曲が作られるようになってから冷めてしまったのだ。それよりも、思いがけない曲が、思いがけない選手に使われたり、「こんな曲があったんだ!」とテーマ曲を通じて知るのが楽しかった。
 そんなわけで私が当時好きだったのは、前回書いたボブ・バックランドの『レオンカバロのパリアッチ』であったり、ジャンボ鶴田も『ローリング・ドリーマー』ではなく『チャイニーズ・カンフー』。ビル・ロビンソンの『ブルー・アイド・ソウル』も好きだったし、テクノ系の『カクトウギのテーマ』は新日本でダスティ・ローデスのテーマとして使われた時が一番ピンときた。あと『80世界最強タッグ決定リーグ戦』でのリッキー・スティムボートの『ライディーン』は最高にカッコよかった!
 熱中していたのはそこいら辺で、その後はテーマ曲に興味がなくなってしまったが、武藤敬司がスペース・ローンウルフとして凱旋した時の『ザ・ファイナル・カウント・ダウン』、浅井嘉浩がメキシコから凱旋した時の『セパラドス』、ハヤブサの『ファイト・ウィズ・ドリームⅡ』は好きだったかも。
 取材現場でナマで聞いてジーンときたのは…84年12月4日にジャパン・プロレスが高松市民文化センターで流れた『パワーホール』、94年10月3日、長崎県総合体育館における阿修羅・原LAST3第2戦の天龍源一郎VS阿修羅・原の際に感極まった中村吉佐リングアナの「引退式も拒否! 最後まで現役で在り続ける男、WARのヒットマン、阿修羅・原入場です!」の涙混じりのコールの後に流れた『ドリームス』、2000年7月2日の後楽園ホールで馬場元子さんが「今回の再スタートにあたり、私自身としても皆様の前で川田選手と握手していただきたい方に今日、来ていただいております。…天龍源一郎さんです」の挨拶と同時に鳴り響いた『サンダーストーム』だ。
「現役のレスラーの特に若い選手のどの曲が好きですか?」という質問の書き込みがあったが、これは難しい…。最近だったら中邑真輔の『サブコンシャス』かな? なんだか闘いに向かってアドレナリンが上がっていきそうな感じがいい。
 最後に、聞くと胸が締めつけられそうな感覚になる曲は『王者の魂』『J』『シュート・イット95』『FMWのテーマ』の4曲です。

Gスピ情報第3弾=入門から丸40年

 今日はGスピリッツ第6号情報…というよりも取材後記のラスト。現在59歳、現役最古参の百田光雄選手のインタビューについて書こう。
 百田さんと初めて話をしたのはゴングが週刊化されるちょっと前の84年1月。全日本のグアム合宿に取材で同行した際に飛行機で隣り合わせになり、その時にメキシコ時代の話を聞いたのが最初だから…もう24年以上も前のことだ。その後、仕事で正式にインタビューしたのは世界ジュニアに初挑戦が決定した平成元年(89年)1月、3年前の9月にも週刊ゴングの『100人インタビュー』の一環として話を聞いている。百田さんは元々、話好きでサービス精神旺盛な人だから、今回の取材も長時間になり、途中で他社(一般誌?)の取材を挟むという形になった。
 今まであまり記事になっていないカール・ゴッチ教室や日本プロレスの若手時代、履行されなかった日本プロレスとの約束、全日本プロレス旗揚げに誘われた理由などなど、ざっくばらんに語ってくれている。また、提供してもらったゴッチ教室や日本プロレス時代、全日本旗揚げ当初の写真にも注目してもらいたい。