小橋&菊地20周年

 20年というのは人が生まれてから成人するまでの時間だから、アッという間のようでいて長い。1988年2月26日、滋賀・栗東町民体育館でデビューした小橋建太と菊地毅が昨日、京王プラザホテル八王子大会で20周年を迎えた。
 昨日の取材陣の中でデビュー当時の彼らのファイトを観ているのは私、門馬忠雄さん、現在はレジャーニューズ東京デスクで当時は全日本の広報だった藤沢孝クンぐらいなもの。当時20歳の小橋は40歳、23歳の菊地は43歳、ついでに26歳だった私は46歳に。ウーン、歳を取ったと言わざるを得ないが、小橋に言わせれば「男は40から!」なのだ。
 入門時から知っていても、肝心のデビュー戦は観ていない。というのも、当時は今とは違って新人のデビューなどは発表されなかったし、当人もいつデビューするのか知らないのが普通だった。前日ぐらいに「明日、お前のデビューだから」と言われ、しかもなるべくマスコミがこないところでデビューするというのがパターン。多分、小橋と菊地のデビュー戦も東スポしか押さえていないと思う。
「僕より2ヵ月遅く入った田上明が1月にデビューしたから“そろそろかな…”っていうのはあったんだよね。あとは先輩に“もうデビューできますってアピールした方がいいから”って聞いていたから、タイツとシューズを着けて練習して(苦笑)。どういう形でデビュー戦を知らされたかはよく覚えてないなあ。大熊さんとのデビュー戦は…苦しかったのだけは憶えている。デビューした日に初めて馬場さんに食事に呼ばれて“よく我慢したな”って。それまでは付人だけど食事に呼ばれたことはなかったし、いつも“田舎に帰れ”って言われていたから…」
 と、小橋。小橋が入門した87年は新人の当たり年だった。1月に大相撲の元十両・卓越山こと高木功(嵐)が入門したのを筆頭に、4月には大東文化大学レスリング部出身で全日本学生選手権フリースタイル100キロ級優勝の実績を持つ菊地毅、シューティング社会人王者・北原辰巳(現・光騎)、大相撲の元十両・玉麒麟こと田上明らが次々に入門した。86年夏に入団した琴天山ことビッグ・ジョン・テンタもいた。そんな中で、柔道ぐらいしか格闘技歴がない小橋がデビューに漕ぎ着けるのは大変なことだったのだ。
 この20周年で小橋は秋山、志賀、金丸とオリジナル・バーニングを結成して三沢、小川、丸藤、テリーと対戦。テリーに20連発のチョップを放つ20周年記念チョップや若手時代の得意技ローリング・クレイドルを披露、三沢とはチョップVSエルボーの攻防戦を繰り広げ、試合タイムは実に38分4秒!
「ファンのみんながこうやって祝ってくれるのが最高です。いろいろなことがあったけど、20周年というのは区切りであって通過点。2月26日というのはプロレスラーとして半人前になった日ですね。20年前のこの日、プロレスラーとしてデビューできたけど一人前ではなかった。プロレスラーとしてこれからが本当の勝負だと思っているんで、また半人前に戻って、一人前になれるようにプロレス道を邁進していきます」
 と、小橋は20代の頃と変わらない熱血ぶりだった。
 もうひとり、菊地毅は第1試合でデビュー戦と同じく百田光雄と対戦。リングアナが龍ちゃんで、レフェリーが福ちゃん。20年前とまったく同じシチュエーションで試合をした。20年前、逆エビ固めで敗れている菊地は逆エビにこだわったが、百田は意地でもギブアップしない。最後は菊地が切り返しのエビ固めで20年前の恩返しをした。
「今までやった選手権とか対抗戦とかと比べものにならないくらい緊張した。自分がデビューした時の怖かった百田光雄が目の前にいましたよ。張り手もきつかったし、普段の百田さんじゃなかったね。百田さんは40代になってから世界ジュニア王者になっている。俺もまだまだ頑張りますよ。百田さんを目標に日々の積み重ねです」
 と、菊地。菊地にはもうひとつ目標がある。4月1日の地元・仙台への20周年凱旋試合で同期の小橋とタッグを組むことだ。2・23京都で6人タッグで組んだが、小橋からは、
「菊地さんは同期で、ライバルだったり助け合ったりした仲。その気持ちは変わらない。でも、今の菊地毅とはタッグは組めない。タッグを組むためにも、もっと頑張ってほしい」
 と駄目出しを受けた。
「小橋は常に俺のことを思ってくれている。もちろん、毎日頑張るけど、仙台に向かって頑張っている姿を小橋建太に見せていきたい」
 と、菊地。そう、20年経った今も切磋琢磨だ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です