畳針デスマッチに大谷は…

「正直な感想は…ホッとしています。あの畳針の怖さが日に日にわかってきて…怖かったよ。しかしながら松永も同様のはずなんだ。自分でもってきたルールで、自分で逃げ場をなくしてきたんだから、俺より恐怖心があったかも。その意味では俺の方が弱音吐いてたかな。リング上に有刺鉄線ボードがあって、畳針があって、あれじゃあ試合に集中できないよ。でも、そんな中で最後まで向かってきた松永光弘…軽い気持ちでゼロワンMAX入団を口にしたんじゃないというのがわかりました」
 これは昨日、新木場で行なわれた松永との畳針デスマッチの後の大谷のコメント。相当なプレッシャー、緊張感があったことがわかる。リング上に畳針を剣山のようにして設置し、そこに落ちた方が負けという小細工が利かないルールだったのだ。
 この手の形式で思い出すのは78年2月8日、日本武道館におけるアントニオ猪木と上田馬之助の釘板デスマッチ。当時、高校1年生だった私はカメラに望遠レンズをセットして2階席に陣取った。この時は猪木も上田も釘板に落下せずに客席から落胆の声も漏れたが、事前に警察から「絶対に落とさないように」という通達があったという。
 今回、畳針の犠牲になった松永は92年12月20日、W★INGの戸田大会でもレザー・フェイスと五寸釘ボード・デスマッチをやって、釘板に転落している。松永という人は普段は物静かで表情も穏やか。口調もソフトだから、かえって怖さが際立つのだ。
 こういう試合は難しい。観客の興味は「いつ、どっちが落ちるか」に尽きてしまう。ただ、そこで大アクシデントが生じたら、今度は客はドン引きになるだろうし、世間的に非難されるだろう。
 昨日の試合を観て感じたのは緊張感、緊迫感、こうした極限状態での大谷と松永の覚悟がポイントであって「畳針に落ちる」は二の次だったということことだ。
「ホントは“ぶっ殺す”とか“死ぬ”とかいう言葉は好きじゃない。“折っちまえ”とか大嫌いなんだ。簡単に吐ける言葉じゃないでしょう。俺は生き残るため、生きるためにプロレスをやってるんだ。マスコミの皆さん、ファンの人たちも生きるために仕事をするわけでしょう? 同じですよ。今日の試合は人間として躊躇したし、葛藤もありました。何か松永光弘に勉強させられた気がします」
 と大谷。こういう試合は何度もあるべきではない。ただ、昨日に限っては大谷と松永が心を通わすのに避けられないものだったと解釈したい。

「畳針デスマッチに大谷は…」への1件のフィードバック

  1.  アパッチの前身である『冬木軍』と『ZERO-ONE』の抗争時、真正面から有刺鉄線バットを受け止めた大谷選手に男気を感じました。

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