命日

 今日1月31日は馬場さんの命日。あれからもう9年の月日が経ってしまった。9年前…1999年1月、私は週刊ゴング編集長から編集企画室長に異動した。その初めての仕事が馬場さんの追悼号を作ることになってしまったのを昨日のことのように思い出す。「馬場さんは最後にあなたの新しい門出に大きな仕事をあげたのねえ」と元子さんは言ってくれた。
 先日、コメント欄に「馬場さんから教わったホテルや食事のマナーについて書いてほしい」という書き込みがあった。特に「ああしろ、こうしろ」と教わったわけではなく、馬場さんの立ち居振る舞いを見て、覚えたというのが正解だ。一番大きかったのは、どんなに汚い恰好をしていても馬場さんと一緒だったらホテルの人たちは丁重に扱ってくれる。それだけになおさら「馬場さんに恥ずかしい想いをさせてはいけない」という気持ちが働いて、それなりの場ではそれなりの対処ができるようになったのだと思う。
 よく連れていってもらったのはキャピトル東急ホテルのオリガミ。ここは洋食のレストランだが、馬場さんが「天ぷら定食」と言うと、本当に天ぷら定食が出てきてビックリしたものだ。G・BABAと刻印された専用のマッチも用意されていたし、リッチな気分を味わわせていただいた。馬場さんとご一緒させてもらったことで、どこに行ってもおどおどすることがなくなったのは確かである。
 馬場さんが教えてくれたのは人間として基本的なこと。「人を人間的に傷つけちゃいけないよ」「嘘はつくなよ」「逃げ道がなくなるところまで人を追い詰めちゃ駄目だよ」「カアちゃんは大事にしろよ」といった感じだ。
 マナー的なことで一番学んだのはスマートなチップの払い方。89年7月にハワイでご一緒して食事をした時に「なるほど、こうやってチップは払うのか!」と、目からウロコだった。
 そして今、私の人生で大きいのはハワイの魅力を教えてもらったこと。毎年ハワイに行くことで人生を豊かにさせてもらっている。馬場さん、ありがとうございます。

27年前のアメリカ縦断

 今朝の朝日新聞を読んでいたら、今時の大学生、短大生は卒業旅行に何回も行くのだとか。いい時代になったもんだ。それだけ就職状況も好転しているということだろうし、アルバイトでお金も稼げる。それにJTBのガクタビとか、学生向けに安いパックツアーも多く出回っているから海外に出やすいんだろう。若者よ、行ける時にいろいろなところに行くべし!
 と、オジサン臭いことを書いてしまったが、私が大学生の頃…ニ十数年前は海外に行くというのは金持ちか、変わった奴しかいなかった。だって『ウルトラクイズ』で「みんな、ニューヨークへ行きたいかーっ!?」って福留さんが叫んでいた時代なのだ。
 私の場合、大学を卒業せずに中退してしまったから、もちろん卒業旅行なんてなし。だが、未だにいい思い出になっているのは大学2年生の夏休みに8月3日出発~8月27日帰国の23泊25日の日程でアメリカ・プロレス旅行をしたことだ。
 当時、私はゴングでアルバイトを初めて1年数ヵ月。あの頃、アメリカはまだプロレスの本場であり、ナマでアメリカン・プロレスを観ることはプロレス・マスコミの間でもひとつのステータスになっていた。新人レスラーが海外武者修行で箔をつけるのとまるっきり同じだ。東スポの山田隆さんから聞くアメリカでの体験談を聞くのは原稿取りに行った時の楽しみだったし、竹内宏介さん、ウォーリー山口さん、当時は大学生だったジミー鈴木さんもアメリカに相次いで行った。「こうなったら俺も!」と、ゴングのアルバイトでコツコツ貯めた80万円を総資金にアメリカに旅立ったのである。
 当時は今のようにパックツアーが一般的になっていなかったし、プロレスを観るならパックツアーでは無理。完全なる個人旅行だ。東京ーサンフランシスコ間の往復チケット、現地でのデルタ航空のラウンズチケット、グレイハウンド・バスの1ヵ月パスを購入していざ出発。頼りになるのは『地球の歩き方』だけだった。
 今、思うと無謀な旅だった。初日はサンフランシスコからルイジアナ州のニューオリンズに入ったが、飛行機が遅れて夜中に着いたため、空港でイエローページをペラペラめくりながらホテルを探した。その後もホテルは予約しないですべて飛び込み。それも『地球の歩き方』に載っているホテルしかわらない。クレジットカードを持っていなかったから、常にディポジットを払わなきゃいけない。何もかもが現金払いだったから、毎日残りの現金を日割り計算して1日いくら使えるか計算していた。金欠気味になってからは夜中にグレイハウンドに乗って移動すると同時に宿泊代を浮かしたし、帰国時にはホテルから空港までのタクシー代が足りなくなってドライバーにまけてもらい、最終的に持っているのは日本円の2千円だけというギリギリの旅だった。
 でも可能な限り試合は観た。①ルイジアナ州バートンルージ②フロリダ州マイアミ③フロリダ州ウェストパームビーチ④ミズーリ州セントルイス(キール・オーデトリアム)⑤ミズーリ州セントルイス(TVスタジオ)⑥ジョージア州アトランタ⑦フロリダ州タンパ⑧テキサス州ヒューストン⑨テキサス州サンアントニオ⑩テキサス州ダラス⑪テネシー州ナッシュビル⑫ケンタッキー州ルイビル⑬ノースカロライナ州シャーロッテ⑭ウェスト・バージニア州リッチモンド⑮ニューヨーク(MSG)と15大会も観ることができたから初アメリカとしては上出来だったと我ながら思う。
 学生の皆さん、時間があるうちにいろいろなことを体験しましょう。きっと将来、役に立つし、いい思い出になりますよ。

大盛況の中で新日本発進!

 超満員札止めの2005人。昨日の後楽園ホールにおける新日本プロレス新春シリーズ開幕戦はいい盛り上がりだった。メインが井上亘と田口隆祐のIWGPジュニア、セミがディック東郷&TAKAみちのくに稔&プリンス・デヴィットが挑んだIWGPジュニア・タッグ。冷静に考えれば思い切ったマッチメークだが、こうした冒険、実験も必要だろうし、その下のカードが充実していれば問題はない。
 様々な団体を観て、改めて新日本を観た時にいつも感じるのは選手層の厚さ、そして選手たちの基本的なレベルの高さだ。今の私はプロレス団体をメジャー、インディーに分けて考えたりはしないが、それでも新日本を観ると「やっぱりメジャーだな!」と感じる。それは選手たちの基礎体力であり、体のサイズであり、技の当たりの強さが違うからだろう。
 昨日はいずれの試合も盛り上がったが、前半戦ではやはり金本&内藤VS田中将斗&日高郁人の新日本VSゼロワンMAX。この手の戦争になると金本の存在感は際立つし、内藤の成長振りもわかる。対する将斗は完全に“敵地に乗り込んできたモード”に入って新日本ファンの感情を煽り、日高の技巧には新日本ファンも「巧いな!」と反応していた。この両団体の対抗戦がどこまで盛り上がっていくか楽しみだ。
 休憩後の後半戦では、まず永田&棚橋VS中邑&後藤というカードで“今の新日本の主役”が揃い踏み。このカードをセミ前に持ってきてしまうのだから、ある意味で贅沢だし凄い。そして若い人間の中で存在感を発揮する永田はやはりベルト云々を抜きにして新日本のエースだという印象を受けた。
「1・4東京ドームのカート戦で完全燃焼してちょっと気が抜けたんだけど、あれで俺の第1章は終わり。今日からレスラー人生折り返しの第2章と思って戦っていきたいね。若い世代に混じっても遜色のないものを見せていける自身もあるし、ある意味では彼らを目標にやっていきますよ」
 と笑った永田。1・4東京ドームで中邑にIWGP王座を奪われた棚橋も、
「ベルトを失くしても、自分自身に酔いしれていますよ。昇る太陽に敵うやつはいませんから。2・17両国でAJスタイルズを制して世界規模じゃなく宇宙規模で棚橋弘至を発信していきます」
 とナルシスト・キャラ(?)を全開にして再起を誓う。カートとのIWGP統一戦を控えた中邑、この日は永田にフォールを許したものの、2・17両国でのシングルによる雪辱を誓う後藤も気合いが入っている。2008年の新日本はこの4人に懸かっているのだ。
 セミのIWGPジュニア・タッグは職人・東郷&TAKAに稔&デヴィットが食らいついていく好試合。早くもタッグ・ベストバウト候補と言っていい内容だった。そしてデヴィットが東郷をフォールしたのが大きい。この半年ぐらいデヴィットの評価が高まっていたが、これでワンランク確実にアップした感じ。ジュニア戦線はさらにボリュームアップしていくだろう。稔は2・27両国でライガー&AKIRAを挑戦者チームに指名したが、さらに裕次郎&内藤、ゼロワンMAX、昨年11・11両国でデヴィットとのコンビで敗れているTNAのセンシ&クリストファー・ダニエルズを氏名。稔&デヴィットのプリプリ(プリンス・プリンス=稔が命名)は新日本ジュニアに新たな風を吹かせる。
 メインのIWGPジュニアは正直、辛かった。セミのジュニア・タッグが良すぎたことと、挑戦者の田口が太腿肉離れ、さらに首を痛めていて最悪のコンディションだったのだ。王者の亘も試合をコントロールするところまでには至らず、ドタバタした印象の試合になってしまった。王者・亘も、挑戦者・田口も唇を噛んだが、これも経験とするしかない。
 最後に、この日、会場で目立っていたのは『魂こめて!新日本プロレス!!オレ達は強い新日本が見たいんだ!!』という真っ赤な横断幕。現在発売中のGスピリッツ第5号の東京ドーム特集にしても過去の対抗戦を検証することで、いかに新日本がいい意味も悪い意味も含めて勝負にこだわった戦闘集団だったかを紐解いた。そう、2008年のテーマは『強い新日本プロレス』だ。

鈴木みのるの引き出し

 昨日はGAORA全日本中継の解説で大阪へ。目玉は武藤&神奈月のW武藤に鈴木みのる&アントニオ小猪木が挑戦するF-1タッグ選手権だった。
 一昨年6月、小島&イジリー岡田相手に初タッグを結成したW武藤は同年12月に天山&原口あきまさを下して初代F-1タッグ王者に。以後、渕&上島竜兵、健介&ザ・たっち相手にV2に成功。ここで最強(?)の挑戦者を迎えたわけだ。
 それにしても、あの鈴木みのるが芸人と絡めるのか? 芸人のネタに付き合ってくれるか? これがやってくれました! それもノリノリで。例によって神奈月に井上陽水のモノマネを要求すると、これが実にウマくて武藤もビックリ。さらに「もっと他にねぇのかよ!」と逆要求して自ら萩原流行をやってのけ、神奈月の新庄剛志にはイチローで対抗。途中で「もうやってられねぇ!」と花道を引き揚げてしまったと思いきや、しばらくしたら、何と昨年11月8日の新木場における『NOSAWA GENOME THE FINAL』に登場した“世界一性格の悪い超獣”ブルーザー・ミノディが出現!
 このミノディは、みのるがYOU TUBEやビデオで4時間研究、さらに自分がプロレス・ファンだった時代の記憶をミックスさせて完成させたキャラクターなのだ。
 試合はミノディが勝手に暴れている間に小猪木が神奈月のシャイニング・ウィザードに敗れたが、存在感ではみのるがピカ一。「プロレスで武藤に、芸で神奈月に勝つ!」を見せてくれた。
 これまでメカマミーに始まり、小学生のラム会長、ディーノ、佐々木貴、マッスル坂井、佐野直、726、アントニオ小猪木らと試合をやってきたみのる。
「プロレスのリングに上がったら、どんなものでもそれはプロレスなんだよ」
 と言うみのるは、スケジュールがカチ合わない限り、オファーを断らず、どんなリングでもキッチリとみのる色に染めてみせる。このF-1タッグでも、そんな引き出しを開けてくれた。
 それにしても全日本のリングにどういう形であれ猪木が上がり、大猪木コールが起こったのだから、これは事件! ここまでハードルが上がったら、次の挑戦者チームはいるのだろうか…。

波乱含み!多留GM新体制

 昨日の新宿FACE大会から多留GMによるエルドラド新体制がスタートした。あのブードゥー・マーダーズのTARUのイメージを払拭するべくスーツ姿でリングに経った多留は、
「本日はエルドラド新宿FACE大会にお越し下さいまして誠にありがとうございます。GMを務めさせていただく多留でございます。エルドラドを楽しく、面白い団体にしていきたいと思いますので、よろしくお願いします」
 と丁寧な挨拶。全日本や新日本、ロックアップでの極悪非道ぶりを考えると、失礼ながら笑えてしまう。 
さて、新体制となったこの日のカードは多留GMの独断による当日カード発表。大会前にヘルデモンズに裏切られた菅原拓也が多留GMに、
「あいつら4人(ヘルデモンズ=バラモン兄弟、KEN45、豪)とやらせてもらえなかったら帰る!」
 と、ゴリ押し。これがTARUだったら菅原をボコボコにしているところだろうが、多留GMは大会を成立するためにこの要求を飲んだ。
 第1試合は近藤、アントーニオ本多のSUKIYAKIに無所属の大柳、フリーの佐藤悠巳が合体して、大鷲、ベアー福田、CHANGOの猛獣惑星+佐々木大輔(フリー)と8人タッグで激突。第2試合ではNOSAWA論外&TAKEMURAの東京愚連隊にSUKIYAKIの谷嵜&清水がアタック、第3試合では猛獣惑星入りした荒谷がジャンピングキッド沖本に圧勝した。
 セミでは何とYASSHIとDDTの飯伏が異色コンビを実現させて、猛獣惑星のKAGETORA&ヘラクレスオオ千賀と対戦。YASSHIと飯伏は連続ジャーマン、ダブル・ハイキックなどの連係も見せた。だが、この試合は2・27後楽園への布石で、試合後にKAGETRAが飯伏にタッグ結成を呼びかけて飯伏がこれを快諾。多留GMは2・27後楽園でこのKAGETORA&飯伏と近藤&YASSHIのブードゥー・マーダーズを対戦させ、その勝者を東京愚連隊(NOSAWA論外&MAZADA)のUWAタッグ王座に挑戦させることを決定した。
 メインの菅原VSヘルデモンズの1対4は試合にならず、わずか2分36秒で両者リングアウト。ここで多留GMが、
「人のGM就任興行を台無しにしやがって!」
 とヘルデモンズに激怒。そして、
「近藤、大鷲、ブラザー! お前ら、菅原と4人で上がってきたんだろ! 男だったら助けに来んかい!」
 と叫ぶと近藤、大鷲、YASSHIが菅原救出に駆けつけて、急遽、近藤、大鷲、YASSHI、菅原とヘルデモンズの8人タッグによる再試合となった。そう、悪冠一色が電撃復活したのだ。最後はかつての仲間の援護を受けた菅原が十三不塔でKEN45をフォール。
「菅原、俺はな、お前を助けに来たわけじゃない。多留さんに呼ばれたから来ただけだ。勘違いするなよ」
 と吐き捨ててYASSHIと共に去った近藤に対し、大鷲は、
「お前、昔、悪冠一色を再結成しようとした時にお前ひとりが違う道を選んだよな。この俺様がお前に手を差しのべるのは今日が最後だ…一緒にやろうぜ!」
 その手を菅原が握り、2・27後楽園では大鷲、菅原、荒谷のトリオがバラモン兄弟&豪とUWA世界トリオ王座を争うことになった。
 試合後にもハプニング…マグニチュード岸和田が売店にいた近藤と谷嵜を襲って12・29後楽園に続く参戦アピールだ。
 こうしていろいろあった多留GM就任初興行だったが、話を整理すると、多留GMはこれまでのSUKIYAKI、猛獣惑星、ヘルデモンズのユニット分けを尊重しつつも、こだわり過ぎないマッチメークに移行したい模様。それがKAGETORAと飯伏の合体、2・27後楽園での近藤&YASSHIのブードゥー・マーダーズ、大鷲と菅原の握手である。ただし、猛獣惑星の一員であるベアー福田は大鷲と菅原の握手、荒谷の加入に異議を唱えており、今後ゴタゴタしそうだ。
 そして外部の血の導入。今後、東京愚連隊の存在は大きくなるだろうし、マグニチュード岸和田は今後のカギを握る男。すでに多留GMは2・27後楽園での谷嵜VS岸和田を決定事項にしているものの、これに関しては選手たちの反発は大きいのだ。大鷲も、
「いくら多留さんに権限があるといっても、これだけは譲れない。あっち(ドラゴンゲート)とこっちを自由に行き来しようなんて…またがせちゃいけない一線というのがあるんですよ」
 とカタい。
 また一方でバラモン兄弟は、
「多留がGMなんて誰が認めたんだよ? 今日だって悪冠一色をやりたかっただけじゃねーか。GMはスラングでゴミって意味なんだよ。俺たちがゴミをエルドラドから追放してやるよ!」
 と多留GM体制に反発している。
 新たな展開と選手たちの感情の揺れ動き…ある意味、多留GMの導入はエルドラドにとって劇薬である。果たして、これが吉と出るか、凶と出るか!?
 

畳針デスマッチに大谷は…

「正直な感想は…ホッとしています。あの畳針の怖さが日に日にわかってきて…怖かったよ。しかしながら松永も同様のはずなんだ。自分でもってきたルールで、自分で逃げ場をなくしてきたんだから、俺より恐怖心があったかも。その意味では俺の方が弱音吐いてたかな。リング上に有刺鉄線ボードがあって、畳針があって、あれじゃあ試合に集中できないよ。でも、そんな中で最後まで向かってきた松永光弘…軽い気持ちでゼロワンMAX入団を口にしたんじゃないというのがわかりました」
 これは昨日、新木場で行なわれた松永との畳針デスマッチの後の大谷のコメント。相当なプレッシャー、緊張感があったことがわかる。リング上に畳針を剣山のようにして設置し、そこに落ちた方が負けという小細工が利かないルールだったのだ。
 この手の形式で思い出すのは78年2月8日、日本武道館におけるアントニオ猪木と上田馬之助の釘板デスマッチ。当時、高校1年生だった私はカメラに望遠レンズをセットして2階席に陣取った。この時は猪木も上田も釘板に落下せずに客席から落胆の声も漏れたが、事前に警察から「絶対に落とさないように」という通達があったという。
 今回、畳針の犠牲になった松永は92年12月20日、W★INGの戸田大会でもレザー・フェイスと五寸釘ボード・デスマッチをやって、釘板に転落している。松永という人は普段は物静かで表情も穏やか。口調もソフトだから、かえって怖さが際立つのだ。
 こういう試合は難しい。観客の興味は「いつ、どっちが落ちるか」に尽きてしまう。ただ、そこで大アクシデントが生じたら、今度は客はドン引きになるだろうし、世間的に非難されるだろう。
 昨日の試合を観て感じたのは緊張感、緊迫感、こうした極限状態での大谷と松永の覚悟がポイントであって「畳針に落ちる」は二の次だったということことだ。
「ホントは“ぶっ殺す”とか“死ぬ”とかいう言葉は好きじゃない。“折っちまえ”とか大嫌いなんだ。簡単に吐ける言葉じゃないでしょう。俺は生き残るため、生きるためにプロレスをやってるんだ。マスコミの皆さん、ファンの人たちも生きるために仕事をするわけでしょう? 同じですよ。今日の試合は人間として躊躇したし、葛藤もありました。何か松永光弘に勉強させられた気がします」
 と大谷。こういう試合は何度もあるべきではない。ただ、昨日に限っては大谷と松永が心を通わすのに避けられないものだったと解釈したい。

新体制ゼロワンMAXはあちちっ!

 昨日の1月23日、後楽園ホールで3周年記念大会を行なったゼロワンMAX。この日、大谷晋二郎が新社長に就任、“熱い男”大谷の門出にふさわしい大会になった。
 今年のゼロワンMAXの軸になるのは軍団対抗戦。田中将斗率いるソード軍と大森隆男率いるアックス軍の対抗戦という明確な図式を作り、いわゆる消化試合というものがなくなった。加えて他団体との戦いも拡大されてきており、スケールとボリュームが確実にアップしている。
 この日も藤田&菅原のインターコンチネンタル・タッグ王座にみちのくプロレスのサスケ&沼二郎が挑戦、新日本から中西、金本、田口が殴り込んで大森、耕平、浪口と対戦、セミではUN王者・義人とK-DOJOの真霜がヒートアップし、メインではインタージュニア王者の日高がドラゴンゲートの望月にベルトを奪われた。
 やはり対抗戦は観客も当事者のレスラーも熱くなる。特に新日本との対抗戦は両団体の選手が溜め込んだエネルギーを思い切り発散していて、楽しくて仕方がないという感じ。以前は不完全燃焼に終わったが、今回の対抗戦は大きな流れになっていきそうな気配だ。
 そして対抗戦では意外な人間関係も浮き彫りになる。この日のインターコンチネンタル・タッグ戦にしても王者・菅原はその昔、みちのくプロレス入門を書類審査で落とされ、その後に現在の気仙沼二郎こと米河彰治に闘龍門ジャパンを紹介してもらってメキシコに渡り、レスラーになったという過去の経緯が試合の枕になった。序盤は沼二郎を殴ることすらできなかった菅原が最後は吹っ切れて、ブラックボックス、急所蹴り、十三不塔で沼二郎をフォール。
「おい、沼二郎、これが俺のやり方なんだよ。俺のやり方にケチつけんじゃねぇ! でもヨネさん、あなたが昔、僕にしてくれたことは一生忘れません。あなたがいなかったら、俺は今、この場所に立っていないと思います。凄く感謝しています。今日はできないと思っていた試合ができて凄く嬉しかったです。ありがとうございました」
 と、試合後には最初こそ悪態をついたものの、泣かせるセリフ。もっともこの後にDDTをお見舞いして前述の泣かせる言葉は騙すためのものだったというオチがついたのだが、あの言葉は紛れもなく本音だったはずだ。
 メインでは日高からインターナショナル・ジュニア王座を奪った望月に浪口、澤と共に殺到した得るブレイザーが、
「俺は昔、望月と同じ団体だった。先輩だったけど、俺がベルトを取り戻す」
 とカミングアウト。政治的なことを考えれば、望月とエルブレイザーが同じリングに立つこと、戦うことは有り得なかった。そして、もし実現すれば初対決ということになる。
 プロレスのリング上には技術、体力、精神力の競い合いだけでなく、そうした複雑な人間関係も垣間見えるから面白い。
 2008年のゼロワンMAXは新社長・大谷と共に熱いリングになるぞ!

馬場さんの誕生日

 今日1月23日はジャイアント馬場さんの誕生日。馬場さんは昭和13年(1938年)生まれだから、お元気だったら70歳を迎えていたわけだ。
 私はゴングが週刊化された1984年5月~90年7月までの全日本プロレス担当記者時代、そして編集長になった94年8月~98年末まで計9年半、馬場さんと接することができた。そういえば、担当記者になってすぐの頃に「俺がデビューした時に生まれていない奴にエラそうに取材されたくないなあ」と言われたものだ。そう、馬場さんは私が生まれるより1年早くプロレス・デビューしていたのである。
 全日本担当記者になった時、私は22歳。そして馬場さんは今の私の年齢と同じ46歳。そう考えると、まさに光陰矢のごとしの感がある。まさか自分が馬場さんと同じ年齢になっているなんて…。
 子供だった私は馬場さんからプロレスはもちろんのこと、食事のマナーやら、いろいろなことを教わった。ジャイアント馬場というレスラー、馬場正平という人とわずかな時間でも一緒に過ごせたことは、私の人生にとって本当にラッキーだったと思う。
「何でもかんでもよく書いてくれとは言わん。批判があっても構わない。でもな、レスラーのプライドを傷つけたり、人間として傷つけるような原稿は書いちゃ駄目だぞ」
 そんな話をキャピトル東急ホテルのオリガミでしてくれたことを思い出す。20年以上経った今でも、それは肝に銘じている。
 馬場さん、お誕生日、おめでとうございます。私が初心を忘れないようにこれからもよろしくお願いします。

多留GMの手腕に注目

 昨日の『S-ARENA』のゲストはエルドラドの新代表・藤永幸司氏と猛獣惑星の大鷲透。エルドラドは昨年12・29後楽園大会で代表が川端典昭氏から藤永氏に交代、ブードゥー・マーダーズのTARUこと多留嘉一がGMに就任して今年から新体制としてスタートする。第1弾になるのが1・25新宿FACE大会で、そのPRのための出演だった。
 藤永氏は神戸でリングソウルというプロレスショップを経営しているが、店に来るファンの声を聞いて、団体の枠にとらわれずにマッチメークできる大会を開催しようとソウル・コネクションなるプロダクションを設立。新宿FACEでカスイチなるイベントを開催してきたが、昨年末の川端氏の代表辞任によって、新たにエルドラドの代表に就任。カスイチは来たる2・16大会をもってラストとし、今後はエルドラドに専念する構えだ。
 これまでのエルドラドは所属選手が他団体に“出稼ぎ”に行かなければ成り立たない状況で、その結果、各選手の他団体でのキャラやストーリーが際立ってしまって、本丸のエルドラドの印象が薄くなってしまっていた。6月からは月に2回、新宿FACEで興行を行ない、ビッグマッチを後楽園ホールで打つという方針のようだから、ようやく“点”から“線”へとつながっていくだろう。
 また、大きいのは多留GMの存在。ブードゥー・マーダーズではTARUとしてやりたい放題だが、プロレスに対する考え方は昔気質。エルドラドについてはこれまで、
「プロレス団体が飽和状態になっている中で、こんなしょうもない団体は業界のマイナス。近藤も透(大鷲)も何やっとるんじゃ! こんな団体は業界のために1日も早く潰した方がいい」
 と厳しい駄目出しをしていたが、やはり後輩たちの行く末が気がかりなのか、
「こんなしょうもない団体でも、チケットを買って観に来てくれるお客さんがいる。だったらお客さんの評価を得ろ。いい試合をして男の生きざまをみせろ。これからは俺が仕切っていく。中途半端なことはさせん!」
 とGMを買って出た。昔気質でありながら、頭が柔軟でアイデアマンの多留のこと、これから様々な仕掛けが出てくるだろうし、ある意味、エルドラドの新体制は多留GMの課題に選手がどう応えて行くか、GMと選手の勝負にもなるはずだ。
 1・25新宿FACEは多留GMの意向でカードは当日発表。その時点まで選手にも知らされないという。ここで多留GMが選手にどんな課題を突きつけるか、そしてどんな方針を打ち出すのか注目だ。

田上明20周年

 昨日の後楽園ホールにおけるノア1月ツアー最終戦は見応えがあった。05年のクリスマスにデビューした谷口、青木、太田、伊藤らが、それぞれの個性で成長してきたことで、前座から試合の色がバラエティーになったことも大きな要因。加えて昨日は白GHC王者・川畑と百田の抗争が勃発、百田の59歳にしてのノアにおけるタイトル初挑戦が実現しそうなムードになってきたし、なぜか佐野に闘志を剥き出しにする菊地が客席を沸かせた。第5試合のタッグマッチではKENTAが高山善廣に猛アタック…あの前田日明が「KENTAはいいね!」と言うのも頷ける。
 さて、昨日の目玉は3大カード。まずは谷口が健介に挑んだ驀進十番勝負第1戦だ。その印象は「健介は優しくなったなあ」ということ。ファイト自体は相変わらず厳しいが、単に叩き潰すのではなく「来い!」と胸を突き出して谷口の闘志を引き出してやっていたし、最後もラリアットで終わらすのではなく、きっちりとノーザンライト・ボムで叩きつけた。弟子でもない他団体の若手に自分の必殺技を味わわせるというのは優しさ以外の何物でもないだろう。
 谷口の収穫としては“他団体の大先輩”の顔を張れるようになったこと。序盤は健介が張り飛ばしても胸にチョップを打つのが精一杯だったのが、5分過ぎからは張り返すことができるようになった。かつて馬場さんがルー・テーズと初めて対戦した時に頭を蹴るのに躊躇したというし、川田にしても88年の最強タッグ公式戦で馬場さんの顔を思い切り張り飛ばすことで吹っ切れたという。些細なことかもしれないが、そうした小さな経験の積み重ねがステップになっていく。この十番勝負は谷口にとって目先の勝敗よりも、どれだけ経験を積んで勉強できるかだ。
 ROH世界王者マッギネスに挑んだ潮﨑も、今回は勉強だった。昨年夏以降、目覚しい成長を見せている潮﨑だが、マッギネスは巧い! チョップ封じのために右手に集中攻撃を加えるのだが、鉄柱やロープを使ったラフなものから脇固め、アームブリーカー、指折りなどのねちっこいサブミッションを織り交ぜて観客を飽きさせない。あるいは潮﨑のチョップを誘発して、それで右手にダメージを与えるという心理戦も見事だった。一方の潮﨑は雪崩式フランケンシュタイナー、ジャーマン、ムーンサルト、ゴーフラッシャーと大技で反撃していったが、どれもマッギネスにとっては想定内。最後はロンドン・ダンジョンがガッチリと決まった。腕を極めるロンドン・ダンジョンはハッキリ言って地味な技。それでも客席が「オオッ!」となるのは、そこに至るまでの組み立ての巧さによるもの。こうした面を潮﨑には学んでほしい。
 そしてメインは田上明の20周年記念試合。田上は私と同い年。彼が大相撲からプロレスに入った時、私は週刊ゴングの全日本プロレス担当記者だったから思い出も多い。何年経っても個人的には“タマちゃん”なのだ。
 入門した頃からおおらかな性格で「これじゃあ、予定していたデビューに間に合わん。記者の人たちも厳しく書いてやってくれ」と馬場さんが苦笑していたのを思い出す。デビュー後も高木功(嵐)と2人で馬場さんに「タク(高木)、タマ(田上)! お前ら、後楽園のファンに何て言われているのか知っとるか? ナマクラって呼ばれてるんだよ!」と、よく尻を叩かれていたっけ。デビューした88年は天龍同盟全盛期で、天龍さんと初めてタッグで対戦した時には試合前にカブキさんに「天龍は厳しいぞ!」と脅かされて緊張していたのがおかしかった。シリーズの対戦表をチェックして「天龍さんとはあと○試合、ハンセンとは×試合、ブロディとは△試合…」と数えていたのも笑えた。とにかくバッカンバッカンくる天龍、ハンセン、ブロディを大の苦手としていたのだ。
 そんなタマちゃんが四天王の田上明になり、三冠王座、世界タッグを奪取、チャンピオン・カーニバル、最強タッグに優勝してノアになってからもGHC王者に君臨した。今もノアの中心でどっしりと構えている。それでもおおらかさが変わっていないのが素晴らしいところだ。
 88年1月2日のデビュー戦…担当記者でありながら、実は私は取材していない。実は全日本プロレスから名指しで取材拒否を通達されていたからだ。その話は、いずれプロレスコラムで書こうと思う。
 それはともかく「タマちゃん、20周年おめでとうございます。これからもお互いにそれぞれの分野で頑張りましょう!」