河野真幸のゆく道

 ちょっと古い話になるが、新日本の総合格闘技部門ニュージャパン・ファクトリーに所属する河野真幸が8・16ディファ有明におけるK-1トライアウトで王多峰に判定勝ちした。試合中にドロップキック3発を放ってプロレスLOVEを証明したという。いかにも河野らしい話だ(笑)。
 河野は武藤・全日本でプロレス・デビューした男。あのカシンが手塩にかけて育て、武藤の付人をやり、デビューしたのは『2003チャンピオン・カーニバル』優勝戦が行なわれた3・28北海道立体育センター(VS荒谷)。それだけ期待が大きかったのだ。実際、河野はグランドで先輩を圧倒する強さを持っていたし、心臓も強い。そして193センチという体は“全日本の未来のエース”にふさわしいものだった。04年3月に肩の怪我をして長期欠場しなければ、ずっとプロレスをやっていただろうし、今頃は間違いなく三冠戦線にいたと思う。
 私が河野を買っているのは、その身体能力だけでなく、武藤の付人をやったことによって養われたプロレス頭だ。今回のK-1トライアウトに向けての公開練習では青いマスクを被ったり、「シャイニング・ウィザードからモンゴリアン・チョップ。最後はドロップキックで決めますよ」と発言していたようだが、それもこれも注目を集めるため。どうしたら人の興味をそそるかというプロレス頭があるのだ。
 座右の銘は「明るく楽しく激しく、そして新しく」。尊敬する人は武藤敬司、ケンドー・カシン、小原道由、愛読書は「俺だけの王道」(川田利明著)「骨の髄までしゃぶりつくせ」(武藤敬司著)「人生は3つ数えてちょうどいい」(和田京平著)
 上記の答えだけで河野のセンスがわかる。ただし戦うことについては大真面目。プロレスの試合は05年5月20日、後楽園ホールにおける嵐と組んでの武藤&諏訪間(現・諏訪魔)を最後にやっていない。「勝てるようになったら戻ってきます」の誓いを頑なに守り、これまでいくつかの団体からプロレスラーとしての参戦オファーがあったが、すべて断っている。
 K-1トライアウトの2日前、偶然、河野と会った。
「俺、約束破っていませんよね。もう2年以上もプロレスの試合をやっていませんよ。でも、師匠譲りのプロレスLOVEがありますから(苦笑)、いつか必ずプロレスラーとして試合をします。でも、その前にやらなければいけないことが沢山あるので…」。
 今は総合なり、立ち技なりに邁進すればいい。突き詰めれば、また新たに見えるものがあるはずだ。それからプロレスをやったって遅くはない。河野真幸のゆく道に幸あれ!

「河野真幸のゆく道」への1件のフィードバック

  1. 全日本のエースになると思っていた河野なので、総合とは言え、新日本に鞍替えしてしまったことは本当に残念でなりません。ですが、新日本所属なれど、全日本ラブくらいのショートタイツで総合で勝ちまくる河野もみたいのも事実で(彼ならそれぐらいはしてくれそう)複雑な心境ですが、本当に強いプロレスラーが少ない現在、頑張って欲しいです

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