私の理想

 6月には週刊プロレス別冊夏季号『新日本プロレス35年激動史② 平成編』、つい先日発売されたばかりの『Kamipro113号』と、このところ新たな媒体での仕事が入っている。
 ベースボール・マガジン社の原稿を書いたのはもちろん初めて。私が週刊ゴングの編集長だった時代、ターザン山本!氏に代わって週刊プロレスの編集長になったのが浜部良典氏。その浜部さんが増刊号の責任者になっていて、私にごく自然に声をかけてくれたのだ。かつてのライバル誌の版元で原稿を書くのは感慨深いものがあったし、気持ちよく仕事ができた。浜部さんには本当に感謝している。
 そして『Kamipro』。これまた週刊ゴング編集長だった時代の95年と96年に、ワニマガジン社で発行していた旧『紙のプロレス』にインタビューされて以来、約10年ぶりの登場となった。「天龍がHGに負けたことについて、天龍番としての意見を聞かせてください」「ハードゲイ姿になった天龍について書いてください」と、なかなかニクイところを突いてきたKamipro編集部。天龍問題については未だに様々な意見があるようだが、私は思った通りに素直に喋り、書いただけ。どう受け取るかは読者に委ねます。
 その他、5月には、フリーになって以来、信頼している編集者から話があって芸文社のムック本『格闘家アウトロー伝説2』で“ゴングの光と影”としてプロレス界の時代の推移とそれに伴うゴングの歴史を書かせてもらった。
 プロレス関係の媒体が少ないのが現状とはいえ、自由なスタンスで、様々な舞台で活動していくのが私の理想。以前にも書いたが「そこに書く媒体があって、読んでくれる人がいれば、どこであっても故郷」という気持ちで今後も活動を続けていくつもリだ。
PS.マサ札幌さんからIWAジャパンの高杉正彦30周年試合で小林邦昭が特別レフェリーを務めたことで、両者の関係について質問があったことにお答えします。高杉が81年8月の国際プロレス崩壊後にメキシコのEMLLに単身で乗り込んだ当時、小林邦昭は同じメキシコのUWAでファイトしていました。面識がなく、活動する団体も違う2人でしたが、心細い異国での生活の中で一緒に食事をしたり、励まし合ったりしていたそうです。メキシコでは革命戦士以前の長州力と、NWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王者として凱旋する直前の大仁田厚が一緒に食事をしたり、金本浩二とハヤブサ(江崎英治)も活動は別でもメキシコで親友の間柄になっています。以前、金本と話をした時に「メキシコ行って、メキシコ人の中やから、やっぱ日本人がいてて嬉しかったわ。別に団体がどうあれ、みんな頑張ってんのは一緒やから。住んでる所は別やったけど、しょっちゅう江崎が住んでいたペンション・アミーゴに行っとった」と言っていました。“海外で同じ釜の飯を食った仲”というのはレスラーにとって特別なようです。

「私の理想」への1件のフィードバック

  1. 小佐野さんレスありがとうございます。
    そういう理由があったのですね。メキシコは、新日本のレスラー同士での写真は、結構見ましたが(カルガリーも結構にぎやかに報道がありましたね)、高杉選手と小林選手というのは、以外でした。団体は違えどこのような関係は、良いですね。
    ありがとうございました。

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