IWAジャパン

 22日の日曜日は後楽園ホールでのウルティモ・ドラゴン20周年興行の後、夜は新宿FACEのIWAジャパンへ。こちらは高杉正彦の30周年記念試合だ。
 IWAジャパンの会場は本当に久しぶり。「あら、久しぶりじゃない。元気!?」と、浅野社長は相変わらずバイタリティに溢れていて元気一杯。「ウチも苦しくて苦しくて…」と言い続けて、13年もやっているのだから立派だ。新宿2丁目の浅野社長の店でビクター・キニョネスや「Xデ~ス!」の高野拳磁を交えて飲んだっけ…。
 Ⅰジャというと浅野社長の濃いキャラクターと、新宿2丁目劇場と呼ばれる話題づくりで胡散臭いイメージもあるが、今のリング上は若手が充実してきて、基本的には正攻法。元バレーボール日本代表で今はタレントの益子直美(20歳の頃、女子プロから誘いがあったそうだ)がダンプ松本と結託するというトッピングはあっても、それはあくまでも味付けのひとつ。第1試合の西山VS小部のイキのいいファイトは他団体に何ら見劣りしないし、メインのチーム03とⅠジャ初登場の宮本和志の激突も肉体の真っ向勝負で見応えがあった。
 チーム03を結成してからの松田慶三の濃くて暑苦しいキャラは、サムライTVスタッフの間でも話題になっているが、ここに熱さムンムンの宮本が絡むのだから、リング上は炎上寸前。キングスロード崩壊後、様々な団体に出ている宮本だが、Ⅰジャのリングは合っている。若手相手に体を自慢していた松田を圧倒し、元力士の維新力も圧倒するパワーは本当に熱い。
「俺と松田は暑苦しい? 俺はこのIWAジャパンの全盛期の熱を取り戻すために来たんだ。熱くて当然。松田は熱の熱さじゃなくてむさ苦しいだけだよ。言葉のプロレスをするなって。肉と肉、骨と骨がぶつかり合うような試合をしようぜって。維新力もそう。WAR時代は天龍さんに胸がミミズ腫れになるくらいやられても立ち向かっていたんだろうが。もっと向かってこいよ!」
 と、宮本はやり甲斐を感じた様子。このところチーム03の天下だったⅠジャ・マットだが、宮本の出現で勢力図が変わって、さらに面白くなっていきそうだ。
 最後に30周年を迎えた高杉さん。高杉さんで思い出すのは82年6月6日、大宮スケートセンターにウルトラセブンの後見人として現れ、当時のNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王者・大仁田厚にセブンと共に挑戦を申し入れたこと。この時のセブンは替え玉で、実際に全日本のリングに上がったセブンは高杉さん本人だった。その前年81年夏に国際プロレス崩壊後に単身メキシコに渡った高杉さんは習得したルチャ・リブレを、マスクマンのウルトラセブンに変身して全日本のリングで発揮することに懸けていたのだ。ただ、メキシコ遠征が1年にも満たなかったため、正体がバレるのではと心配して替え玉を使ったというわけ。私と高杉さんの付き合いはその頃に生まれた。それにしても、あの大宮スケートセンターは暑かった。
「一番の思い出は…全日本に上がった時かな。大宮は暑かったよねえ」と高杉さんも笑っていた。52歳になった高杉さんだが「メキシコでは60過ぎても現役の人も沢山いるし、俺も元気なうちは頑張るよ。昔、吉原社長(国際プロレス)に“お前は体が小さいから、練習を人の倍やらなきゃ駄目だ”って言われて、それを守って練習したのが財産だね」と高杉さん。息子さんは17歳だというから、親子タッグも夢ではないかも。高杉さん、頑張って下さい!

「IWAジャパン」への1件のフィードバック

  1. 高杉選手の30周年記念大会ということで小林邦明選手がレフリーを行ったのは、びっくりでしたがこの関係は、全日本プロレス時に同じジュニアヘビー級戦線で戦ったからですか?当時は、共闘していた記憶がないのですが。
    ともあれ、国際プロレスで第一試合でがんばってた高杉選手が30周年とは、時のたつのは、早いですね。高杉選手おめでとうございます。これからもパイオニア精神でがんばってほしいです。
     もう国際の選手の方々で試合は無理にしてもOBの方々を集めてメモリアルなことをやってほしいですね。

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