祝20年!諦めなかったからこそ今と未来が

 昨日のウルティモ・ドラゴン20周年興行は、87年5月から91年10月までの浅井嘉浩、そこから今日までのウルティモ・ドラゴンの年輪を感じさせるものだった。
 私が浅井と会ったのは、彼がユニバーサル・レスリング連盟に参加するようになった90年春から。まだ23歳の浅井は根っからのプロレス少年で、よく週刊ゴングの編集部に遊びに来ては、いろいろな資料を勝手に見て喜んでいた。91年3月、「SWSに行きたいので、天龍さんと会わせてください」と言われて、ロサンゼルスで引き合わせてから、SWS担当だった私の取材対象になり、そこからでも16年以上の月日が経っている。もう40歳…今年の12月で41歳になるというから驚きだ。当時29歳だった私も9月には46歳になってしまうのだから、人のことは言えないが。
 そういう意味では、昨日の興行は、浅井が言うように(船木誠勝の表現と浅井は言っていた)「タイムマシンに乗ってきたかのよう」だった。
 新日本の新弟子時代に世話になった船木が駆けつけ、レフェリーは指導してくれた山本小鉄が務め、同じコーナーにはデビュー戦のパートナーになってくれた佐野巧真、引退した畑浩和がいる。相手はデビュー戦の相手だったネグロ・ナバーロ、そしてエル・テハノの息子。
 この日の浅井のコスチュームは浅井嘉浩とウルティモ・ドラゴンのコラボだった。浅井時代のモチーフは忍者。マスクには龍ではなく忍の文字、タイツは胸に日の丸、上半身を隠す浅井時代と同形のものだ。そして浅井も佐野も、駆けつけた畑も背中に龍の刺繍が入った和風のガウンを身に付けていた。ラ・テルシア・オリエンタル(東洋の3人組)の復活だ。ちなみに浅井のデビュー戦の写真は残っていない。試合を見た日本人もいない。佐野と畑だけが生き証人。だから浅井は「このメンバーじゃないと意味がなかった」と言ったのだ。
 トンボを切ったり、久々にルチャ殺法を披露してくれた佐野。相手のナバーロも51歳になりながら一生懸命にファイトしてくれた。そして浅井は、浅井嘉浩の名前を日本で広めたラ・ケブラーダ、WWE時代からフィニッシュに使うようになったアサイDDTで快勝した。
「今までのプロデュースはお客第一でしたけど、今日は自分のためにやりました。今は団体間の政治的な問題で難しいこともあるけど、みんな出場をOKしてくれて、集まってくれたということだけで…」
 と、白い歯を見せた浅井。“自分のため”とはいっても、観客不在ではなかった。闘龍門カナダ提供試合(ジョー・ポッター&オリシスVSダン・パイザン&テリック・ワイルド)などは、浅井が作ってきた人脈によるもの。ハリー・ポッターそのままに、ホウキに乗ってコーナーから場外にダイブするジョー・ポッターは大いに客席を沸かせてくれた。
 今後、日本よりも海外での活動を多くしてメキシコ、イタリア、カナダなど世界各国に進出していくという浅井は「味のあるレスラーになります」と20周年を区切りに今後への意欲も満々である。
 左肘の手術失敗で98年7月から4年以上も長期欠場を余儀なくされたが、それを乗り越えたから今と未来がある。04年7月に今のドラゴンゲートと決別したが、それでも活動を続けてきたから今と未来がある。
 浅井嘉浩=ウルティモ・ドラゴンは、若き日は子供たちに夢を与え、今は夢を与えるだけでなく、物事を継続することの大切さを体現している。

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