岩佐拓が掴んだもの

 7・1神戸ワールドが終わってドラゲーは新展開へ。元週刊ゴングで、今は週刊プロレスでドラゲー担当になっている金子記者に聞いたら「あんなにお客さんが入っている神戸ワールドは見たことがなかったです」とのことだった。
 さて、昨日の後楽園ホールではオープン・ザ・ドリームゲート王座次期挑戦者決定トーナメントが行なわれ、タイフーンから斎藤了、マッスル・アウトローズからマグニチュード岸和田、戸澤塾から岩佐拓、ニュー・ハザードからB×Bハルクが出場。まず岸和田が岩佐を破って決勝進出。続く斎了VSハルクでアクシデントが起こった。
 新日本のスーパージュニアに参加して外道、内藤に勝つなど充実しているハルクの猛攻に斎了はハードヒッティングな反撃で潰しのファイト。張り手の乱れ打ちでハルクの口からおびただしい鮮血が…。見かけと違って肚が座っているハルクはこれにもめげず、最後は先輩の斎了を攻略したものの、ダメージは大きかった。口の中をザクザクに切り、下の歯が2本折れ、さらにアゴを骨折した模様で顔が晴れ上がり、結局は救急車で病院に運ばれてしまったのである。
 うーん、残念!ハルクはこれからのドラゲーを引っ張って行く存在。上昇気流に乗ったところでの急停止は本人にとっても、団体にとっても痛い。ニュー・ハザードはYAMATOも肩の脱臼で戦線を離脱しており、鷹木信悟、サイバー・コング、ジャック・エバンスの3人だけになってしまった。勢いだけできた彼らにとって、ここが踏ん張りどころになろう。
 だが、この直後に思いもしない感動が待っていた。その主役は岩佐拓。ハルクの決勝戦放棄によって、改めて斎了と岩佐が決勝進出を争い、岩佐が勝利。そして決勝でも岩佐が奇跡の(?)勝利でCIMAへの挑戦権をモノにしたのだ。
 岩佐はハッキリ言って“遅れてきた男”だった。闘龍門5期生として2000年9月にデビューしたが、同期の吉野、アンソニー、土井はもちろん、後輩のミラノ、近藤、ヤッシー、菅原らにも大きく水をあけられて、存在感が薄かった。彼が活路を見出したのはお笑い路線。マイケル岩佐を名乗って、先ごろ引退した同期の三島来夢(ダニエル三島)とアメリカのインディー・レスラーをイメージしたフロリダ・ブラザースを結成して独特の存在感を示し、フロリダ解散後は戸澤塾の第一期生となった。
 だが、こうした経験は無駄ではなかった。観客の空気を読むセンス、試合運びが巧くなければ、お笑いはできないのだ。また、岸和田、鷹木などのパワー・ファイターが台頭する中で、それまではもてあましていた大きな体がモノを言うようになった。最近はお笑いではなく、パワー&老獪さで勝負。6月3日にはノアの札幌大会に参戦し、新井健一郎とのコンビで鼓太郎&マルビンのGHCジュニア・タッグ王座に挑戦して好ファイトをやってのけた。
 奇跡の…と、書いたが、今回の勝利は必然だったかもしれない。人間、頑張っていれば、いつかそれが実ることを証明してくれたと言ってもいい。こうした感動があるから、プロレスは素晴らしい。
 岩佐が闘龍門に入った当時のメキシコの寮長だった新井はこう言う。
「こいつね、入ってきた時は眼鏡かけてて、何にもできなくて…ホント、のび太くんだったんですよ。でも、ずっと努力してここまできた。プロレスは人生を表現していると思います。こいつはお笑いじゃないよ!」
 そして夢の扉を開く鍵を手に入れた岩佐はこう言った。
「こんなこと、言うべきじゃないのかもしれませんけど…僕は五体満足とは言えない状態で生まれてきて、それも親からの遺伝だったので、心配かけたくないからずっと強がって生きてきて…。でも人並みのことができなくて、ずっと諦めた人生でした。でも、たまたま友達とプロレスを観に行った時にCIMAさんのファイトを見て“同じ歳の人間が何であんな自由自在に体を動かせるんだ!?”と、嫉妬と憧れを抱きました。僕がプロレスラーの道、闘龍門を選んだのはCIMAさんへの妬みと憧れからです。CIMAさんに少しでも近づきたいという気持ちからです。それが、こうやって目標としていたCIMAさんに辿り着きました。僕にとって、タイトルマッチ云々というのは関係ないです。今まで生きてきた全存在を賭けてCIMAさんに挑んで、恥ずかしくない試合をしたいです。そして今までの自分に決別して、もうひとつ上に行きたいと思います」
 誰かが言った「プロレスには、その選手の人生が見える」という言葉。まさにその通りだと思う。次回のタイトルマッチは、CIMAが岩佐の人生を受け止める大一番なのだ。

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