田中護氏の死を悼む

 7月1日、田中護氏が82歳で天寿をまっとうした。田中護氏とは全日本プロレスの会場で「ご観戦の記念に、また、ご家庭へのお土産に…」という名フレーズでパンフレットを売っていたおじさんである。
 我々が「田中のおじさん」と呼んでいた田中護さんは、全日本プロレスのパンフを手掛けていた田中印刷の社長さんだった。シリーズが始まるとパンフレット売り場に立ち、我々、マスコミには取材ノートに対戦カードのスタンプを押してくれた。あの対戦カードを作るのには年季が必要で、キレイに全カードが写るようになるまで大変なのだ。そういえば、デビュー当時の川田は、いつも対戦カードにカタカナで“カワダ”と押されていた。きっと外人選手の名前を切り張りして作っていたのだろう。これに不満を持った川田がおじさんに抗議すると「だって、おまえはハンコ代を持ってきてないだろう」。もちろん冗談だったが、川田が大真面目にハンコ代を包んできたから、おじさんは大笑いだった。
 巡業に同行して各会場で声を張り上げてパンフを売り、試合後には常に馬場さんと行動を共にしていた田中のおじさん。元気で、とても優しい人だった。不機嫌な顔や疲れた顔は見たことがない。
 全日本の広報担当者が急病で入院し、私がピンチヒッターとして85年の『決戦!ダイナマイト・シリーズ』のパンフの編集をしたことも思い出のひとつ。ゴング編集部と田中印刷は目と鼻の距離にあったから作業しやすかった。また、それ以外でも「小佐野クン、○○の写真がないからちょっと借りに行くよ」とか「悪いけどさあ、××の写真、持って来てくれない?」などど行き来したものだ。
 今日の告別式は行くことができなかったが、昨日の御通夜は行くことができた。全日本の武藤社長、渕さん、京平さん、ノアの三沢社長、小橋、天龍さん、馬場元子さんらの花が並び、私が斎場に着いた時には元子さん&京平さん、天龍さん、ノアの選手&関係者、全日本の加藤一良営業顧問らがいた。この何年間かで人間関係が複雑になってしまったが、それでもこうやって会する。それも田中のおじさんの人柄だと改めて思った。
 去年の4月28日、永源さんの引退パーティーでお会いした時には元気だったのに…。昭和のプロレスをを知る大切な人がまたひとり去ってしまった。田中のおじさん、安らかにお眠りください。天国で馬場さんと久々のお食事ですね! ご冥福をお祈りします。

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