みのるの挑戦&大勝負

 昨日の横浜文化体育館における鈴木みのると武藤敬司の三冠戦はタイトルマッチという意味合いを超える大勝負だった。
 表面的には全日本の最後の砦として武藤がベルトを奪回できるかどうかというのが焦点だったが、実際には鈴木みのるが挑戦者だったように思う。昨年春、全日本に殴り込んできたみのる。当然、狙いは三冠王座だったわけだが、実際には武藤との戦いがすべてだったのではないか。そのために三冠を奪い、防衛を続けてきたとしか思えないのだ。だから4・30名古屋でTAJIRI相手に4度目の防衛成功後に武藤を指名したにもかかわらずノーリアクションだったことに腹を立てて「バイバイ、全日本」と口走ったのだろう。
 鈴木みのるにとって武藤は別世界の人間だった。87年3月に高校を卒業して新日本に入門した時、武藤はすでに海外修行を終えてスペース・ローンウルフとして売り出し中。越中と組んで前田&髙田からIWGPタッグ王座を奪った頃だ。当時24歳の武藤にとって、18歳の新弟子みのるは「高校ではアマレスをやっていた元気のいいアンチャン」ぐらいの印象だったはず。スパーリングはやっているはずだが、武藤には、その記憶さえないのだ。
 88年6月、ようやくデビューしたみのる。武藤は2度目の海外修行に出ており、プエルトリコWWCでブラック・ニンジャを名乗ってテレビ王者、プエルトリカン王者になっていた。みのるのデビュー1ヵ月後の7月29日、武藤は橋本&蝶野との闘魂三銃士で有明コロシアムに凱旋している。そして、みのるは90年3月に新日本を退団してUWFに移籍したが、それと前後して武藤は凱旋帰国。グレート・ムタとしてNWAで世界王者フレアーと抗争、スティングからNWA世界テレビ王座を奪い、メジャーとなっての帰国だった。こうして振り返ると、2人はほとんど接点がなかったと言っていい。若き日のみのるは、こんな武藤をどう見ていたのだろうか?
 そして6・22新宿FACEのカスイチで聞いた「その頃、俺はパンクラスでやっててさ、まったく違う世界にいたわけだけど、髙田延彦が武藤の足4の字で負けた時は屈辱だったよ。今度の三冠戦は、そういう想いもこもっているから…」という言葉。みのるにとって、武藤との戦いには様々な想いと意味がこめられていたのである。
 そして昨日の決戦。みのるはキング・オブ・パンクラシスト時代を思わせる白のタイツ&リング・シューズで登場した。髪の毛は金髪。「髪型? 朝起きたら、こうなっていたんだよ。いちいち俺の表現方法に説明を求めるな。画家に“この絵はどういう気持ちで描いたんですか?”って聞くのと同じだろ」とは、みのるらしい言葉だが、そのいでたちだけで決意のほどがわかった。
 試合はグランド中心。武藤もグランドは抜群に強い。一緒にテレビ解説席についた渕さんは「武藤は体が大きいし、体重移動が巧い。上に乗られると重くて、スタミナを消耗する」と言っていたが、その力量を遺憾なく発揮してみのるを追い詰めた。アキレス腱固め、ドラゴン・スクリュー、足4の字…武藤は、みのるを12年前の髙田延彦にするべくシビアな攻めを展開した。武藤にとっても久々の大勝負なのだ。
 そのみのるが勝負を決めたポイントは、掟破りのドラゴン・スクリュー。フィニッシュは、かつてパンクラスで禁じ手となったヒールホールドだった。
「足への一点攻めなんて300年前ぐらいの戦法をやりやがって。ドラゴン・スクリューは俺だって知っている。日本で最初に足持って投げたのは誰だ? 藤波辰爾? 藤波辰爾の師匠はカール・ゴッチだろ。その弟子の俺は練習で何百回、何千回とやっているんだ。…最後の最後に出てきたのは、自分が最初に覚えた技だな」
 それだけみのるも必死だった。だからこそ充実感があったはず。多分、武藤も納得していると思う。派手さはないが、技術と気持ちがこもっていたこの一戦は三冠ヘビー級選手権のグレードを上げた。

「みのるの挑戦&大勝負」への1件のフィードバック

  1. はじめまして。いつも楽しく読ませていただいています。
    上記、まったく同意します。
    なんというか、鈴木みのるは本当にいいですね。
    放蕩の末に帰ってきた孝行息子みたいな感じです(笑)。
    あらためてプロレスとは、人間力対人間力の
    見せ合い、しのぎ合い、しばき合いなんだなと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です