石井智宏の目線

 昨日のロックアップ興行はメインの中西VS関本の肉体勝負、矢野が金村を破ってWEW王座奪取など、注目ポイントがいくつもあったが、私にとってはやはり長州VS石井の初の師弟一騎打ちだ。
 5年前…2002年の夏、週刊ゴング編集長だった金沢君から「今度、長州がサイパンに合宿に行くらしいんだけど、永島(勝司)さんから“いいトレーニング・パートナーはいないかな”って相談されたんだけど、インディーでいい選手はいるかな?」と相談された。当時の私は編集企画室長になっていて『プロレス名鑑』を手掛けていたから、結構インディーには詳しかった。そこで名鑑をペラペラめくって目に留まったのが石井だった。
 WAR活動休止後、石井は全日本やゼロワンへの入団を希望していたが叶わず、FECに属してフリーで暴れていた。その翌日、石井に電話をかけたら「その時期は試合のスケジュールがないし、是非、行きたいです!」とのこと。その後の諸々のことは金沢君に任せたが、このサイパン合宿がきっかけで今日の石井がある。
 試合直前、後楽園の控室の廊下で会った石井は全身から殺気を漂わせていた。凄い集中力。気迫がビリビリと伝わってきた。「ウォーッ」と雄叫びを上げてリングに向かった石井。試合ではこの5年のありったけを長州にぶつけた。18キロも体重差があるのにタックルで吹っ飛ばし、ラリアット3連発でダウンを奪い、垂直落下式ブレーンバスターも2発決めた。最後、長州のラリアット3連発に沈められたが、よけずに真っ向から食らったところに石井の意地を感じた。
 試合後、一通りのインタビューが終わった後に「今日は胸を借りる心境だった? それとも対等の意識?」と聞いたら、次のような答えが返ってきた。
「対等の立場で戦いましたよ。新日本に出だした時も“石井がどこまで新日本についていけるか?”って見方をされていたけど、俺は同じ目線で戦っていたから。それと同じですよ」
 WARの若手時代、IWAジャパンのエースだった山田圭介と戦ったことがあった。その時も石井は、相手が他団体のエースという上の立場だということに構わずガンガン向かっていって押しまくった。「これは気の強い若手が入ったもんだ」とヘンに感心したものだ。その時から石井智宏の対戦相手に向かう意識、目線は何ら変わっていない。

カール・ゴッチ死去

 7月28日(現地時間)午後9時45分、カール・ゴッチがフロリダ州タンパの自宅で亡くなったという知らせを聞いた。享年82歳…83歳の誕生日を目前にしていたという。
 残念ながら、私はゴッチの取材をしたことはない。唯一、話をしたのは83年3月に凱旋帰国直前の前田日明にインタビューしたくてゴッチの自宅に電話した時だ。あいにく前田は練習中でゴッチ自ら電話に出た。こちらがたどたどしい英語で取材の趣旨を説明すると、
「アキラの取材? 彼は修行中の身だから、私としてはチヤホヤされたくないが、ミスター・シンマ(当時の新日本プロレス取締役営業部長・新間寿氏)の許可をもらっているなら仕方がないな」(ちゃんと聞き取れたわけではないが、こんなニュアンスだった)
 と、渋々、前田を電話口に出してくれた。
 後年、ゴッチのプロレスラーの評価は様々だが、私の中ではファン時代に刷り込まれた“プロレスの神様”のまま。プロレスを芸術にまで高めたと言われるジャーマン・スープレックス・ホールド、強過ぎて各地のチャンピオンに逃げられて遂に世界王者になれなかった無冠の帝王、そしてアントニオ猪木の師匠などなど…子供の頃の私は櫻井康雄氏の記事に完全に洗脳されたのだろう。
 中学1年生の夏休みだった1974年8月8日、東京・日大講堂で行なわれたゴッチと猪木の『格闘技世界一決定戦』は、父親にせがんで1ヵ月早い誕生日プレゼントとしてリングサイド1列目(当時5000円)で観た。カール・ゴッチを思い出すと、私の気持ちはファン時代に戻ってしまう。
 神様は、本当に神様になってしまったのか…。

私の理想

 6月には週刊プロレス別冊夏季号『新日本プロレス35年激動史② 平成編』、つい先日発売されたばかりの『Kamipro113号』と、このところ新たな媒体での仕事が入っている。
 ベースボール・マガジン社の原稿を書いたのはもちろん初めて。私が週刊ゴングの編集長だった時代、ターザン山本!氏に代わって週刊プロレスの編集長になったのが浜部良典氏。その浜部さんが増刊号の責任者になっていて、私にごく自然に声をかけてくれたのだ。かつてのライバル誌の版元で原稿を書くのは感慨深いものがあったし、気持ちよく仕事ができた。浜部さんには本当に感謝している。
 そして『Kamipro』。これまた週刊ゴング編集長だった時代の95年と96年に、ワニマガジン社で発行していた旧『紙のプロレス』にインタビューされて以来、約10年ぶりの登場となった。「天龍がHGに負けたことについて、天龍番としての意見を聞かせてください」「ハードゲイ姿になった天龍について書いてください」と、なかなかニクイところを突いてきたKamipro編集部。天龍問題については未だに様々な意見があるようだが、私は思った通りに素直に喋り、書いただけ。どう受け取るかは読者に委ねます。
 その他、5月には、フリーになって以来、信頼している編集者から話があって芸文社のムック本『格闘家アウトロー伝説2』で“ゴングの光と影”としてプロレス界の時代の推移とそれに伴うゴングの歴史を書かせてもらった。
 プロレス関係の媒体が少ないのが現状とはいえ、自由なスタンスで、様々な舞台で活動していくのが私の理想。以前にも書いたが「そこに書く媒体があって、読んでくれる人がいれば、どこであっても故郷」という気持ちで今後も活動を続けていくつもリだ。
PS.マサ札幌さんからIWAジャパンの高杉正彦30周年試合で小林邦昭が特別レフェリーを務めたことで、両者の関係について質問があったことにお答えします。高杉が81年8月の国際プロレス崩壊後にメキシコのEMLLに単身で乗り込んだ当時、小林邦昭は同じメキシコのUWAでファイトしていました。面識がなく、活動する団体も違う2人でしたが、心細い異国での生活の中で一緒に食事をしたり、励まし合ったりしていたそうです。メキシコでは革命戦士以前の長州力と、NWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王者として凱旋する直前の大仁田厚が一緒に食事をしたり、金本浩二とハヤブサ(江崎英治)も活動は別でもメキシコで親友の間柄になっています。以前、金本と話をした時に「メキシコ行って、メキシコ人の中やから、やっぱ日本人がいてて嬉しかったわ。別に団体がどうあれ、みんな頑張ってんのは一緒やから。住んでる所は別やったけど、しょっちゅう江崎が住んでいたペンション・アミーゴに行っとった」と言っていました。“海外で同じ釜の飯を食った仲”というのはレスラーにとって特別なようです。

注目は諸橋とヌル・ブラ!

 今年に入ってからDDTの後楽園は欠かさず見ていたが、それも5月4日大会でストップ。以後は仕事のスケジュールや何やらで、会場に足を運ぶ機会がなかった。DDTは流れが速い団体。KO-D無差別級王者はHARASHIMAからKooに交代してしまったし、ドリアン澤田JULIEも正義の改造蛇人間ジャカイダーになってしまった。ちょっと目を離すとついていけなくなってしまうのだ。
 ということで昨日は新木場大会へ。KO-D無差別級選手権次期挑戦者決定リーグ戦の最終日だ。まず男色ディーノと矢郷良明の殺人WARスペシャルVS殺人コブラツイストは、ディーノが裏WARスペシャル…というよりも矢郷を抱きすくめて舐め回して勝利。ウーン…ある意味、DDTテイスト!
 メインに据えられた前王者HARASHIMAと諸橋晴也の公式戦は、HARASHIMAの左足攻めと諸橋の腰攻めというシビアな展開の。20分フルタイムの好勝負だった。結果、リーグ戦はディーノ、HARASHIMA、諸橋が同率首位。普通なら、ここで優勝決定戦が行なわれるところだが、8・5後楽園でのタイトルマッチは王者Kooと3人の4WAYマッチに。
 これはこれで面白いと思う。私の注目は諸橋だ。諸橋はこれまでKO-Dタッグ、アイアンマンのベルトは手にしているものの、KO-D無差別級には挑戦すらしていない。あの折原が主宰していたメビウスの出身で、純粋にテクニックで勝負するタイプ。実力はあってもDDTのカラーやファンのニーズを考えると、団体としてもトップとして押しにくい選手だろう。だが、今回はリーグ戦の結果であり、堂々とメインに起用することができる。
「本当の一番をみんなにわからせたいですね。結果を残すだけです。小さい体だけど“こいつは強い!”というレスラーになりたいです。その意味では、大型のKooは絶好の獲物です」
 と、諸橋。様々なお楽しみがある中で、この諸橋、そして最近では「鍛えているからだー!」のハイテンションな決めゼリフがすっかり定着したHARASHIMAの存在は貴重だと思う。
 そして真逆なタイプとして私が注目しているのは中澤マイケル&松永智充のヌルヌル・ブラザーズ。大晦日の秋山成勲のヌルヌル事件をヒントに、体中にローションを塗りたくって「ヌルヌルこそ最強だ!」と売り出して4月のKO-Dタッグ王者になって未だにベルトを堅持。コンビ結成当初は、その変態的なパフォーマンスに観客もドン引きだったが、ヌルヌルを利用したあの手この手の狡猾なファイトで、今や人気上昇中(?)。ヌルヌルだけじゃなくて、着実に実力を上げてきていることにも好感が持てる。昨日は高木三四郎&NOSAWA論外相手に防衛、8・5後楽園では高木&矢郷とのハードコア・ロッカールーム棺桶マッチでの防衛戦があるが、何とか8・11新木場のユニオン興行までベルトを守ってほしい。
 なぜかって? もしベルトを持ち続けていたら、8・11では吉田万里子&チェリーの挑戦を受けるのだ。ヌル・ブラと実力者・吉田のセンスが問われる大一番だぞ!

IWAジャパン

 22日の日曜日は後楽園ホールでのウルティモ・ドラゴン20周年興行の後、夜は新宿FACEのIWAジャパンへ。こちらは高杉正彦の30周年記念試合だ。
 IWAジャパンの会場は本当に久しぶり。「あら、久しぶりじゃない。元気!?」と、浅野社長は相変わらずバイタリティに溢れていて元気一杯。「ウチも苦しくて苦しくて…」と言い続けて、13年もやっているのだから立派だ。新宿2丁目の浅野社長の店でビクター・キニョネスや「Xデ~ス!」の高野拳磁を交えて飲んだっけ…。
 Ⅰジャというと浅野社長の濃いキャラクターと、新宿2丁目劇場と呼ばれる話題づくりで胡散臭いイメージもあるが、今のリング上は若手が充実してきて、基本的には正攻法。元バレーボール日本代表で今はタレントの益子直美(20歳の頃、女子プロから誘いがあったそうだ)がダンプ松本と結託するというトッピングはあっても、それはあくまでも味付けのひとつ。第1試合の西山VS小部のイキのいいファイトは他団体に何ら見劣りしないし、メインのチーム03とⅠジャ初登場の宮本和志の激突も肉体の真っ向勝負で見応えがあった。
 チーム03を結成してからの松田慶三の濃くて暑苦しいキャラは、サムライTVスタッフの間でも話題になっているが、ここに熱さムンムンの宮本が絡むのだから、リング上は炎上寸前。キングスロード崩壊後、様々な団体に出ている宮本だが、Ⅰジャのリングは合っている。若手相手に体を自慢していた松田を圧倒し、元力士の維新力も圧倒するパワーは本当に熱い。
「俺と松田は暑苦しい? 俺はこのIWAジャパンの全盛期の熱を取り戻すために来たんだ。熱くて当然。松田は熱の熱さじゃなくてむさ苦しいだけだよ。言葉のプロレスをするなって。肉と肉、骨と骨がぶつかり合うような試合をしようぜって。維新力もそう。WAR時代は天龍さんに胸がミミズ腫れになるくらいやられても立ち向かっていたんだろうが。もっと向かってこいよ!」
 と、宮本はやり甲斐を感じた様子。このところチーム03の天下だったⅠジャ・マットだが、宮本の出現で勢力図が変わって、さらに面白くなっていきそうだ。
 最後に30周年を迎えた高杉さん。高杉さんで思い出すのは82年6月6日、大宮スケートセンターにウルトラセブンの後見人として現れ、当時のNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王者・大仁田厚にセブンと共に挑戦を申し入れたこと。この時のセブンは替え玉で、実際に全日本のリングに上がったセブンは高杉さん本人だった。その前年81年夏に国際プロレス崩壊後に単身メキシコに渡った高杉さんは習得したルチャ・リブレを、マスクマンのウルトラセブンに変身して全日本のリングで発揮することに懸けていたのだ。ただ、メキシコ遠征が1年にも満たなかったため、正体がバレるのではと心配して替え玉を使ったというわけ。私と高杉さんの付き合いはその頃に生まれた。それにしても、あの大宮スケートセンターは暑かった。
「一番の思い出は…全日本に上がった時かな。大宮は暑かったよねえ」と高杉さんも笑っていた。52歳になった高杉さんだが「メキシコでは60過ぎても現役の人も沢山いるし、俺も元気なうちは頑張るよ。昔、吉原社長(国際プロレス)に“お前は体が小さいから、練習を人の倍やらなきゃ駄目だ”って言われて、それを守って練習したのが財産だね」と高杉さん。息子さんは17歳だというから、親子タッグも夢ではないかも。高杉さん、頑張って下さい!

祝20年!諦めなかったからこそ今と未来が

 昨日のウルティモ・ドラゴン20周年興行は、87年5月から91年10月までの浅井嘉浩、そこから今日までのウルティモ・ドラゴンの年輪を感じさせるものだった。
 私が浅井と会ったのは、彼がユニバーサル・レスリング連盟に参加するようになった90年春から。まだ23歳の浅井は根っからのプロレス少年で、よく週刊ゴングの編集部に遊びに来ては、いろいろな資料を勝手に見て喜んでいた。91年3月、「SWSに行きたいので、天龍さんと会わせてください」と言われて、ロサンゼルスで引き合わせてから、SWS担当だった私の取材対象になり、そこからでも16年以上の月日が経っている。もう40歳…今年の12月で41歳になるというから驚きだ。当時29歳だった私も9月には46歳になってしまうのだから、人のことは言えないが。
 そういう意味では、昨日の興行は、浅井が言うように(船木誠勝の表現と浅井は言っていた)「タイムマシンに乗ってきたかのよう」だった。
 新日本の新弟子時代に世話になった船木が駆けつけ、レフェリーは指導してくれた山本小鉄が務め、同じコーナーにはデビュー戦のパートナーになってくれた佐野巧真、引退した畑浩和がいる。相手はデビュー戦の相手だったネグロ・ナバーロ、そしてエル・テハノの息子。
 この日の浅井のコスチュームは浅井嘉浩とウルティモ・ドラゴンのコラボだった。浅井時代のモチーフは忍者。マスクには龍ではなく忍の文字、タイツは胸に日の丸、上半身を隠す浅井時代と同形のものだ。そして浅井も佐野も、駆けつけた畑も背中に龍の刺繍が入った和風のガウンを身に付けていた。ラ・テルシア・オリエンタル(東洋の3人組)の復活だ。ちなみに浅井のデビュー戦の写真は残っていない。試合を見た日本人もいない。佐野と畑だけが生き証人。だから浅井は「このメンバーじゃないと意味がなかった」と言ったのだ。
 トンボを切ったり、久々にルチャ殺法を披露してくれた佐野。相手のナバーロも51歳になりながら一生懸命にファイトしてくれた。そして浅井は、浅井嘉浩の名前を日本で広めたラ・ケブラーダ、WWE時代からフィニッシュに使うようになったアサイDDTで快勝した。
「今までのプロデュースはお客第一でしたけど、今日は自分のためにやりました。今は団体間の政治的な問題で難しいこともあるけど、みんな出場をOKしてくれて、集まってくれたということだけで…」
 と、白い歯を見せた浅井。“自分のため”とはいっても、観客不在ではなかった。闘龍門カナダ提供試合(ジョー・ポッター&オリシスVSダン・パイザン&テリック・ワイルド)などは、浅井が作ってきた人脈によるもの。ハリー・ポッターそのままに、ホウキに乗ってコーナーから場外にダイブするジョー・ポッターは大いに客席を沸かせてくれた。
 今後、日本よりも海外での活動を多くしてメキシコ、イタリア、カナダなど世界各国に進出していくという浅井は「味のあるレスラーになります」と20周年を区切りに今後への意欲も満々である。
 左肘の手術失敗で98年7月から4年以上も長期欠場を余儀なくされたが、それを乗り越えたから今と未来がある。04年7月に今のドラゴンゲートと決別したが、それでも活動を続けてきたから今と未来がある。
 浅井嘉浩=ウルティモ・ドラゴンは、若き日は子供たちに夢を与え、今は夢を与えるだけでなく、物事を継続することの大切さを体現している。

FMWの魂を継承する男たち

 昨日の後楽園ホールでのアパッチ興行は、主催者発表で観客動員数が800人。これは、ほぼ実数だと思う。ちょっと寂しい入りだったが、お客さんの反応は上々で、会場のムードも良く、本当にアパッチが好きな人たちが集まったんだなあと実感させられた。
 今年に入ってからの軸だったGBHとの抗争ではなく、純血に近い大会だったが、マッチメークは緻密。いきなりデスマッチ(葛西、沼澤、MAZADA VS 宮本、小幡、今井)で盛り上げ、次はお笑いテイストの試合(新宿鮫、佐野直 VS NOSAWA論外、ウインガー=フィラデルフィア認定ロッキー・ミニマム級選手権)、ここから一転してバチバチ・ファイト(HI69 VS 池田大輔)、アパッチVSドラゴンゲート(黒田 VS フジイ)、そして休憩。休憩明けのセミは佐々木貴とGENTAROのイデオロギー闘争、メインはWEW戦の前哨戦でもある金村&田中将斗とマンモス佐々木&佐藤耕平のタッグマッチ。1試合ごとにカラーが違い、プロレスの様々な要素が散りばめられているニクいマッチメークなのだ。そうした心配りが、私がアパッチを支持する理由でもある。
 話題はいろいろあったが、やはり注目はメイン。「マンモスに自分と田中がこれまでFMWからやってきたことを伝授したい」と言っていた金村と田中の存在感は圧倒的だった。最後はマンモスが29歳で金村を仕留めてWEW王座に王手をかけたものの、マンモス本人は改めてそれを実感したようだ。
「キャラや存在感ではおっついていないですね。でも力だけは超えていると思ってます。だから力でネジ伏せて、ワンツースリーを取って、ベルトを奪う。金村さんは調子が悪そうだし、そこから安心して休んでもらいたいです。俺は王者になった上で、これまで2回負けている真壁とやりたいです」
 と、マンモス。まずはベルトを手にして、そこから足りないものを積み上げていこうというのだ。
 存在感で金村、田中を超えるのは容易ではない。だが、私はこのマンモス、そしてゼロワンMAXの佐々木義人にFMWの魂を継承していってほしいと思う。彼ら2人は新しいプロレスを構築しようと頑張っていた金村、田中、ハヤブサ、黒田らの頑張りを間近で見ていた男たち。崩壊から5年以上の月日が経ったが、マンモスと義人のW佐々木が頑張ることによって、FMWがいつまでもプロレス・ファンの記憶に残ってほしいと思うのだ。

MVPはSHINGO

 世界最先端のプロレスを見せるというドラゴンゲートの『WRESTLE JAM』は、本当に面白い逸材を紹介してくれる。昨年に続いて2度目の開催となったが、今年の目玉はCIMAがイギリス遠征で「こいつをヨーロッパに埋もれさせるのはもったいない。ドラゲーの制空権を塗り替える逸材!」と惚れこんだPAC、今年5月20日にカリフォルニア州バーバンクでCIMAの挑戦を退けてPWG世界王座を防衛しているエル・ジェネリコの2人だ。
 確かにPACの空中殺法は凄かった。トルニージョ式(きりもみ式)のケブラーダに、フィニッシュはこれまたきりもみ式の360シューティングスター・プレス。それもいっぱいいっぱいではなくて自分の体をコントロールできているから、安定感がある。まだ20歳…キャリア不足は否めないが、経験を積めばドラゲーの制空権を手に入れることができる男だ。
 ジェネリコはヒョロッとした長身に、モッチーが「まるで50年前のマスクマンですね」と笑う冴えないマスクを被った男だが、そんなトホホなルックスとは裏腹に身体能力の高さを証明。トップロープに飛び乗ってのケブラーダは鮮やかだった。
 そんな中で昨日の後楽園ホール大会のMVPは鷹木信悟ことSHINGO。元ROH世界王者オースチン・エイリースに勝ったのである。昨年5月から約1年間、ROHで修行したSHINGOだが、エイリースとはタッグで2~3度当たっただけ。ハッキリ言って格が違った。そうした中での勝利。しかもパワーで押しまくるのではなく、緩急をつけた攻守で約18分間、観客の目を釘付けにした。そこにいたのは、まさしくROHのSHINGOだった。
「今日の勝ちはメチャクチャ大きいです。相手は元ROHのチャンピオンでしたけど、ROHに行って進化して帰ってきた以上は負けられなかったです。“JAMでやるんだったら、トップの人とやらせてほしい”って会社に直訴していたんで。今、ニュー・ハザードは僕とサイバー・コングだけなので、負けたらニュー・ハザードの存在感が落ちるというプレッシャーもありましたけど、追い込まれた状態でどこまで力を出せるかが勝負だと思っていたし、これからも追い込まれながら成長したいと思います」
 と、SHINGO。
 ドラゲー新世代ユニットとして始動したニュー・ハザードだが、YAMATO、B×Bハルクが怪我で相次いで戦線離脱したため、この日のメインの1万ドル争奪なにわ式イリミネーション8人タッグ3WAYマッチにもSHINGOはエイリース戦に続いて連続出陣した。そうした気迫がファンの心を掴んでいく。
 昨年の秋だったか、某トップ選手が「ウチもハルクや信悟が上にきてくれないとヤバくなりますよ」と言っていたが、鷹木信悟はキャリア3年弱にして真のトップグループに食い込んできている。

踏ん張りどころのノア

 日にちが前後してしまうが、15日のノア日本武道館大会について書かないわけにはいかないだろう。この日のノアの空気はいつもと違っていた。何とブーイングが起こったのである。
 第6試合のKENTA&石森VS丸藤&飯伏のジュニア・タッグ・リーグ公式戦までは雰囲気が良かった。試合はKENTA&石森が勝利し、得点7。その時点のトップに躍り出た。丸藤とKENTAの良さはもちろん、DDTの飯伏の潜在能力、昨年春からフリー参戦している石森の培ってきた力も発揮された。若い力が認識されただけでも、今回のリーグ戦開催の価値はあったと思う。
 問題のブーイングは続く鼓太郎&マルビンVSブリスコ兄弟の公式戦で起こってしまった。両チームともに勝てば7点でKENTA&石森と並び、そうなると優勝決定戦になるというシチュエーション。試合内容は悪くなかった。丸藤組とKENTA組の試合に比べれば落ちていたかもしれないが、それでも4選手がノンストップで動きまくるノア・ジュニア&ROHならではの展開だった。問題のシーンは30分時間切れ間際。マーク・ブリスコのキックが福田レフェリーを誤爆、福田レフェリーがダウンしている間に鼓太郎がブルー・ディスティニーからフォールに入ったものの、サブの山本レフェリーが入ってくるのが遅れ、さらにカウント2のところで時間切れのゴングが鳴り、自動的にKENTA&石森の優勝が決まったのである。
 この瞬間に物凄いブーイング。レフェリーの不手際への抗議か、KENTA組と鼓太郎組の優勝決定戦が見られないことへの不満か…。ブーイングは表彰式でより一層大きくなってしまった。これはちょっと悲しい出来事だった。客席から不満が出るのは仕方のないことだが、このタッグ・リーグ戦に出場した選手たちには罪はない。彼らは各地で目一杯のファイトをやってきたのだ。優勝したKENTA&石森もブーイングを浴びせられることは何もしていないのである。何か、このリーグ戦のすべてを否定するようなブーイングは聞いていて辛かった。
 この空気を変えたのはKENTA。「チャンピオン(鼓太郎&マルビン)、しょっぱい試合するから、こんな雰囲気になっちゃっただろ! せっかくだからタイトルマッチをやるのかやらないのか、ハッキリしろ!」とマイクを手にしてアピール。鼓太郎が「いつでもやってやる」と返すと、KENTAは「ここまで説得力のない“いつでもやる”は初めて聞いたよ。次のシリーズ、そのベルトは俺たちが巻くから。いい試合をします。ありがとうございました」と締めた。KENTAは鼓太郎&マルビンをしょっぱいとは思っていないはず。ブーイングに怒りもあったと思う。だが、こういう形で異常な場を治めたのはKENTAのセンスだと思う。
 セミの志賀&川畑のパンパーズが秋山&力皇に挑んだGHCタッグ戦も異常なムードだった。観客がパンパーズに辛辣なのだ。パンチパーマというキャラでここまで来たパンパーズを認めていないファンもいるということだ。だからこそ秋山&力皇の攻めは厳しくなった。秋山は志賀をエグく攻め立て、力皇の川畑に対する当たりは、まるで相撲の稽古のよう。ヘロヘロになりながらもパンパーズが食い下がったことで試合は成立したが、「たとえ試合が成立しなくなっても仕方がない!」という秋山と力皇の覚悟が見えるような試合だった。秋山のパンパーズに対するメッセージは「一からやり直せ!」。
 秋山はすべてを吹っ切ってパンチ男に変身した志賀のプロ根性を認めているし、地味ながら実力とタフさを兼ね備えている川畑も認めている。だから「努力してここまできたけど、ここから先は通用しない。一から努力してきたんだから、駄目だと思ったら、また一からやり直せるだろう」というメッセージだ。
 そしてメインは三沢に田上が挑んだGHCヘビー級戦。45歳(三沢)と46歳(田上)の91歳対決などとも呼ばれたが、その中で三沢はシビアな攻めで田上を振り切った。フィニッシュの垂直落下式のエメラルド・フロウジョンは、角度が急な上に、普通なら相手の首をホールドして、受け身のレベルに合わせて落とし方を調節する右手を使わずにそのまま落とすという荒技。田上は脳天からモロにキャンバスに突っ込んでしまった。いつもとは雰囲気が違った武道館大会は、三沢にここまでやらせたのである。
 05年あたりから新日本に代わって業界の盟主と呼ばれるようになったノア。ここ最近はファンのノアを見る目が厳しくなってきていると思うし、要求も高くなってきているように感じられる。だからブーイングや辛辣な野次も飛ぶのだろう。優しい目から厳しい目へ…これは自然の成り行きでもあり、ここがノアの踏ん張りどころになる。

ROHで光ったのは…

 アメリカのROHが日本初上陸。昨日のディファ有明で第1戦を行なった。ROHの選手は、体こそ大きくないが身体能力に優れたレスラーばかり。技のひとつひとつに凝るし、「ああ、子供の頃、日本のプロレスのビデオを見ていたんだろうなあ」といった感じだ。とにかくプロレスが大好きな集団ということがわかる。
 ただし、誰も彼もノンストップで動きまくり、飛びまくると見ていて疲れてしまうのも正直なところ。どんなに凄いことをやっても、見慣れてしまうから、凄く感じなくなってしまう。遅い動きがあるから、パパッと動いた時に「おおっ!」と速く見えるし、地味な技があるから、派手な技が映えるというもの。どう効果的に見せるかはセンスの問題だ。
 その点でやはり素晴らしいと思ったのはブライアン・ダニエルソン。試合にメリハリがあるし、対戦相手の潮﨑豪の持ち味も十分に引っ張り出していた。技をきめ細かくピシッと決めるから説得力もある。05年9月17日にジェームス・ギブソンからROH世界王座を奪取し、06年12月23日にホミサイドに敗れるまで38回防衛記録を作ったというのも頷ける。決してオーラがある風貌とは言い難いが、やはりちゃんと仕事ができる人間がトップを取るというのは日本もアメリカも変わらないということだ。
 メインの森嶋VSマッギネスのROH世界戦も良かった。集まった観客はROHファンだから、声援はマッギネスに集中。これもまた雰囲気を盛り上げた。大型の外人に日本人がテクニックと頭脳で立ち向かうというのが常だが、その逆だったのも面白い。様々な仕掛けで攻勢に出るマッギネスに対して、パワーで瞬時に流れを変える森嶋は痛快だった。
 追い込まれ、追い込まれ…それでも最後にはきっちりと逆転するという森嶋のファイトは世界王者にふさわしいもの。チャレンジャーを引き出した上で勝つというセオリーをちゃんと体得しているのには感心した。半年以上もベルトを持っていることで森嶋は着実に幅を広げて成長している。あの体で試合の流れを作るプロレス頭を持っているのだから、これからが楽しみだ。やはりノアの未来は森嶋と丸藤、KENTAが中心になっていくだろう。その近未来に向かって、さらに森嶋には驀進してほしい。