天龍敗戦を考える

 天龍がHGに負けた。これは大事件である。ジャイアント馬場、アントニオ猪木をフォールし、ジャンボ鶴田、藤波辰爾、武藤敬司、川田利明、髙田延彦、大仁田厚らとスタイルを超えた名勝負を展開してきた“ミスター・プロレス”が敗れたのだ。
 HGはただの芸人ではない。プロレス的素質はあるし、真剣に取り組んでいる。昨日、セミ&メインを前に坂田は「HG、RGをまだイロモノだと思っている人がいるかもしれない。でも、彼らは真剣なんだ。彼らの本気を見てやってくれ!」と言った。真剣な取り組みは十分理解している。「でも…」なのだ。この結末にショックを受けたファンは多いだろう。いや、何も感じないプロレス・ファンはいないはず。
 かくいう私もショックを受けた。「ハッスルだから…」と逃げるわけにはいかない。何しろ逃げ道のない敗戦なのだ。第3者の乱入や誤爆があっての結末ではないというところが、今回のポイント。天龍は正当な形でフォールされてしまったのである。
 思えば、天龍のハッスル参戦は最初から批判が多かった。そんな中で、当初はゲスト…あくまでも“お客さん”的扱いで、ハッスルの面白おかしい流れとは関係なく、坂田とガンガンやり合っていた。それで済ますこともできたと思うが、当の天龍は「ハッスルは俺にどんなオバケか怪獣を出してくれるんだよ? 俺をどうさばくんだ!? 中途半端で別に面白くも何ともなかったら、興味なくなるよ」と言っていた。触った以上は、ハッスルの世界に入っていく気概と覚悟を持っていたのである。
 かつて大仁田と電流爆破マッチをやる際に「これまでの天龍のキャリアに傷がつく」という声があったが、ハッスルにおいて結果云々を論じる以前の問題としてHGやRGと戦うこと自体が大きなリスクだったはず。それがここまで来たということは、天龍にとってリスクを負ってまでもやるべき何かが、賭けるべき何かがハッスルにはあるということだ。それが何なのか、これからジックリ見ていきたいと思う。
 ハッスル全体のことについては水曜日更新のプロレスコラムで書こう。

シェリー・マーテルの死を悼む

 今日午前9時半過ぎ、海外のプロレス事情に詳しい市来浩平氏から久々に電話をいただいた。その内容は「今日、午前4時にシェリー・マーテルがアラバマ州バーミンガムの自宅で急死しました…」という訃報だった。
 シェリー・マーテルは元AWA世界女子王者。男子プロレスのファンだったらランディ・サベージのマネジャー、クィーン・シェリーとして90年4月13日、東京ドームにおける『日米レスリング・サミット』に参加して、天龍をハイヒールで殴ったことが印象に残っているはずだ。
 私がシェリーと知り合ったのは2年前。年下の夫ロバートさんと日本にやってきて、市来さんに紹介されたのだ。シェリーさんは昔のレスラー気質の人だった。「プロレスはこうあるべきだ」と熱弁を振るい、その一方ではタバコをスパスパ、酒をガバガバ、そして「ガッハッハ!」と豪快に笑う。日本贔屓で、日本食を何でも口にしたし、私のかなりブロークンな英語も理解してくれた。何より自分自身が日本語を覚えようとしていて「ワタシ、日本が好きだから、いずれはロバートと日本に住みたいのよ!」と言っていた。
 そして何よりの思い出は、天龍さんの『鮨處しま田』に行って、シェリー&ロバート夫妻、天龍さんファミリー、市来さん、私で飲んだこと。実は天龍さんとシェリーはアメリカで一緒にサーキットした仲だから気心が知れている。
「テンルー、東京ドームでアナタの頭を殴った時は最高だったわよ!ガッハッハ!」とシェリーが笑えば、天龍さんも流暢な英語で返していた。そういえば、その時には別席にお客さんとして上井さんと柴田勝頼が来ていたと思う。
 とにかく楽しい一夜だった。最後、シェリーがヘベレケになったのは言うまでもない。それから会う機会はなかったが、市来さんは連絡をくれるたびに「天龍さんと小佐野さんによろしくって言ってましたよ」と言ってくれた。そして女子プロ復興に情熱を燃やしているということも…。
 まだ49歳。若過ぎる死だ。破天荒な人だったから生き急いでしまったのかな…。今はただ、安らかに眠ってくださいとしか言葉が出てこない。

モンスター大将

 額に靴紐の痕がつく顔面蹴り、かつて荒谷や北原に見舞ったような振り抜くグーパンチ! 昨日の『ハッスル・ハウスvol25』での天龍は予想以上に凄かった。
 RGというお笑い芸人相手に天龍はどう戦うのか? もし天龍が手心を加えたファイトをしたら茶番になっていただろうし、天龍の存在意義はなかったに違いない。だが、ファイティング・オペラという特殊な空間においても天龍はリング上を自分の色に染め上げた。そこには確かにプロレスがあった。どんなに面白い趣向があったとしても、そこにちゃんとしたプロレスがあってこそのハッスル。だからこそ、ハッスルはモンスター大将を必要とし、今や主役に置いているのだろう。
 日本デビューから30年+3日、天龍革命スタートから20年+10日。いろいろな意味で、やはり天龍はミスター・プロレスだと思う。

20年ぶりの恐怖

 いやあー、昨日のサムライTV『S-ARENA』は参った! ゲストは“インドの狂虎”タイガー・ジェット・シン。案の定、番組の途中でエキサイトして首を絞められ、フロアーに叩きつけられ、ストンピングを食らうという有様。番組の終わりにもスタジオに入ってきて、フロアー・ディレクターがこっぴどくやられてしまった。
 憂鬱な気持ちになったのは先週の水曜日。この日のゲストは気心が知れた“モンスターK”川田利明だったからよかったが、番組終了後にプロデューサー氏が「ああ、小佐野さん、来週の月曜日もお願いしますね。ゲストはタイガー・ジェット・シンなんで」とサラリ。「ウッソー!」というやつである。
 私はシンにトラウマがあるのだ。この業界に入ってからブッチャーにイスで殴られたりとかいろいろあったが、一番怖かったのがシン。彼はファンがいない控室、さらにはホテルでも常に“狂虎”だった。その当時の記者は、会場に行くとまず外人の控室の場所を確認した。もし間違って外人の控室に行ってシンに出くわしたら、サーベルで殴られるからだ。
 ある地方巡業で私は外人と同じホテルに泊まっていた。試合後、食事をしようとエレベーターで1階に降りた。ドアが開くと、そこにはシンが立っていた。私の顔を見ると、シンはニヤリと笑ってウインク。さすがにホテルでは大丈夫だろうと挨拶したが、すれ違いざまに首筋にパンチが! また、これも地方巡業の時だが、記者仲間と食事を終えてホテルに帰る道すがら、向こうからシンが歩いてくるではないか。ヤバイと思って道沿いにあるコンビニに入って雑誌を立ち読みするフリをしながらシンが通り過ぎるのを待っていたら、何とシンもコンビニに入ってきて、私の顔を認めると、例によって顔をヒクヒク! 気付かないフリをしていたら、出て行ったが、あんなところで襲われていたら、一般人が通報して事件になっていただろう。
 そんなこんながあっての昨日のサムライTV。収録前には挨拶に行って、久々の再会を果たしたが、ニコリともしない。今、自分は偉大で人生の成功者なのだと熱弁を振るい、
「ファニーな質問をしたり、俺を興奮させたらテレビ番組であっても、何が起こるかわからないことだけは覚悟していてくれ。俺は怒ったら何をしでかすかわからない男なのだ」
 とジロリ。そして…クロマティの話になったら、勝手にエキサイトし始めての大暴れだったわけだ。
 でも、初来日から35年…シンがシンであり続けていることは嬉しくもある。ハッキリ言って、最近のマスコミ、ファンはレスラーを怖いと思っていない。少なくともファンがいない場でマスコミを襲うレスラーなどいないのだが、シンに鍵っては相手がファンだろうとマスコミだろうと、場所に関係なく容赦なく襲う。62歳になってもなお“狂虎”のテンションを維持しているのは凄いと思う。
 バラエティー色が強いハッスルの中で、本物の恐怖を観る者に味わわせるタイガー・ジェット・シンの存在は際立っている。

後楽園&新木場

 昨日は後楽園ホールにおける『武藤祭り』と新木場におけるアパッチ興行の昼夜2連戦。
 まず『武藤祭り』だが、本当によく入った。主催者発表で超満員札止めの2100人。この後楽園におけるハッスルハウスといい、プロレスだけでなく、それに何かプラスアルファの要素があった方が今のファンは食いつきがいいのだろうかと考えさせられる。
『武藤祭り』はお楽しみの興行。昨年3月21日、12月15日のファン感謝デーに続く芸人さん参加のイベントだ。昨日、初参戦したのはダチョウ倶楽部の上島竜兵。大仁田厚に扮して渕と組んで、武藤&神奈月のF-1タッグ王座への挑戦である。竜ちゃんの場合は、試合ができないから実際にはダチョウのお笑いネタ満載に。顔にアツアツのおでんの大根をつけられ、口に茹った卵を放り込まれ、おまけにアツーイおしぼりを顔に被せられ…と、まさにリアクション芸人の面目躍如。メインの8人の武藤が登場する(実際は9人)ムトー・ランブルにはランジェリー武藤も全日本初参戦するなど、お笑い興行だった。
 それでも概ね好評だったのは、全日本ファンの武藤に対する信頼感だと思う。その中心に武藤がいれば、ファンは安心して見ていられる。武藤の陽性のキャラ、キャパシティの広さは、どんなものでも許容してしまうパワーがある。今、全日本は完全に武藤敬司の世界だと言っていい。
 さて、夜のアパッチはガチガチのプロレスだった。第1試合にはリキプロの和田城功が登場して大日本プロレスの井上勝正と対戦した。今、石井智宏、宇和野貴史のリキプロ戦士は新日本に上がっているが、和田は怪我で長期欠場を余儀なくされ、この2月に2年半ぶりに復帰したばかり。この日で復帰3戦目である。まるで密室のような会場での第1試合。和田はWJからの流れを汲むリキプロのスタイルで戦った。ロックアップに始まり、ストンピング、張り手…神経をピリピリさせ、ガムシャラに井上に向かっていった。その意気や、よし!このまま突き進んでほしい。試合後、井上が健闘を称えて握手を求めたが、それに対して張り手で向かっていった鼻っ柱の強さも好感が持てる。この闘志、負けん気はいずれ花を咲かせると思う。
 真壁のWEW王座への挑戦権を賭けた金村&黒田VSマンモス&関本のタッグマッチは世代闘争という側面もあって真っ向勝負だった。試合的には若いマンモス&関本が押していたが、最後に試合を制したのは金村。
「お前らの方が元気、体力、勢いもある。でも、ここ1発で何で俺が勝ったのか、それは勝負に対するこだわりだ。24日(の後楽園ホールで真壁に挑戦するのは)俺だ。みんなを背負って、インディペンデントの代表として行かせてもらう。今はいろいろな団体があって、いろいろなスタイルのプロレスがある。ロックアップだって映像を使っている。でもアパッチはトコトン、コテコテのプロレスをやっていく。24日もガッチリと! 真壁に勝ったら、俺が代わりに永田のIWGPに挑戦したる!」
 そう語る金村を見て、11~12年前の金村を思い出した。当時、大仁田引退後の新生FMWで、金村はハヤブサ、田中将斗らと新たなインディペンデントを確立しようとしていた。大仁田色を一層したスーパー・インディーに夢を馳せていた。その頃のまじりっけのない金村を思い出したのだ。
 その後、金村は、インディーを再編成して新日本、全日本と並ぶ第3勢力を作ろうとした冬木に付いた。冬木はメジャーに対抗するためにエンターテインメント・プロレスを追い求めた。だが、冬木に付いていながらも金村はエンターテインメントという言葉は嫌いだった。今、紆余曲折を経て、金村はあえてコテコテのプロレスで打って出ようとしている。

修羅場を潜り抜けてきた男

 一昨日は後楽園、昨日は横浜文体と2日続けてノアへ。様々な動きがあったが、一番印象に残ったのは齋藤彰俊だった。
 彰俊は先ツアー中に左手甲を負傷。2本の亀裂が入り、さらに剥離骨折の疑いもあるという。そんな中で、昨日は潮﨑豪との一騎打ちだった。左手をガチガチに固めているから、ロックアップの際にも指が曲がらない状態での試合だったが、そのファイトは鬼気迫るもの。若い潮﨑の攻撃を真っ向から受け止めて、最後は滅多に使わないデス・ブランドで勝利した。
「本当はカード変更もありなんでしょうけど、プロレスラーっていうのは、どんな状況になっても負けずに突き進まなければいけないっていうことを自分なりに潮﨑に教えたいと思いました。潮﨑はこれからのエースですから、窮地に立たされた時のレスラーの姿勢というか、こういう生き方があるっていうことを伝えたかったというか。僕はエリートじゃないですけど、新日本に乗り込んだのに始まって、いろいろ修羅場を経験してきましたから。最後のデス・ブランドにしても、僕は思い入れがないとやりませんから。潮﨑が成長してエースになった時、絶好調でまたやってみたいですね」
 と、彰俊。確かに彰俊は修羅場を潜り抜けてきた男。誠心会館として大国・新日本に乗り込んだ時も決死の覚悟だったし、WARとの対抗戦でもファンに殴りかかられるなど、極限での闘いを経験してきている。
 最後に彰俊は言った。
「普通のスポーツだったら、骨折して試合に出る人間はいませんよね。でも、僕はスポーツマン、爽やかなアスリートではなくプロレスラーでありたい。最高の生きざまのヒールになりたいです」
 昭和のプロレスラーの匂いを残す彰俊は、若い世代が台頭しているノアにあって貴重な存在である。

川田利明とモンスターK

 昨日は水曜日の『S-ARENA』に初めて出演。いつも出ている月曜日はニュース中心だが、水曜日は新日本プロレス特集ということで番組の作りが違っていて、これはこれで新鮮だった。
 なぜ私が新日本特集の日に出たかというと、ゲストが“モンスターK”川田利明だったから。振り返れば、川田は私が23年前に週刊ゴングの全日本プロレス担当記者になった当時、最初に親しくなったレスラーだった。私が22歳、川田は20歳。歳が近かったので喋りやすかったのだ。それにデンジャラスKの頃の川田は無口で無愛想な雰囲気を漂わせていたが、素顔の川田はずっと変わらず喋り好きで人懐こかった。お喋りが過ぎて、高校の先輩でもある三沢に煙たがられたりもしたわけだが…。
 さて、昨日のゲストにやってきたのは川田利明ではなくて、あくまでもハッスルのモンスターK。モンスターKと話をするのは、2年前の『ハッスルマニア』直前以来となる。当時は川田利明とモンスターKは同一人物であるとしていたが、その後にモンスターKがどんどん弾けたために、今は川田利明から切り離された別人格とされている。つまり、私が話をした当時のモンスターKは、まだ川田利明と人格が渾然一体になっていた。(なんだか話がこんがらがってきた…)
 で、昨日会ったのは、川田利明とはまったく別人のモンスターK。今のモンスターKは試合前に美声を披露したりとエンターテイナーぶりを発揮している。確かに“王道”を背負っていた川田利明とはまったく違う。
 だが、それは表面的なことで、モンスターKと川田利明が根っこの部分で共通しているのがわかった。川田利明は常に「お客さんのため…」ということを口にしていたが、モンスターKもそう。
「別に好きで歌っているわけじゃないの。でも、それでチケットを買ったお客さんが喜ぶんだったら、モンスター軍の総統代行の責任として歌うし、踊りもするわけよ」「大阪でのHG、RGとの試合? 大阪はあいつらの本拠地だし、お客さんがどういうものを望んでいるかを考えながら試合をしただけだから」
モンスターKの口からは、常に「お客さん」という言葉が飛び出していた。
 どこまでいってもモンスターKと川田利明は別人じゃない。表面上は別として、考え方が同じだからだ。それは川田利明がモンスターKというキャラクターを完全に自分の中に消化しているとも言える。
 
 
 

CIMAの正念場

 ドラゴンゲートの流れは早い。今年に入って後楽園ホール大会は欠かさず観てきたが、5月10日大会はハワイに行っていたためにパス。1回空いての昨日の大会だったわけだが、すでに7月1日の神戸ワールドに向かってすべてが進行していた。
 そしてリング上のせめぎ合いも激化。私の中でのドラゴンゲートの風景は、ハルクがタイフーンを、サイバー・コングがマッスル・アウトローズを離脱し、さらに凱旋帰国した鷹木信悟が合体して新ユニットを作ると宣言したところまでだったが、彼らニュー・ハザードは早くもトライアングル・ゲート王者になっていた。同じくニュー・ハザード入りしたYAMATOも体がガッチリしているし、基礎がきっちりとできているので楽しみ。
 そして最近、注目しているのは戸澤塾の岩佐。以前は、どうなることやらと見ていた選手だが、この男はセンスがある。技のひとつひとつに工夫があるのだ。気が利いていて「なるほど!」と思わせてくれるのである。アラケンと組んでノアに出陣してGHCジュニア・タッグに挑戦したのも頷けるというもの。柔軟なプロレス頭を持っているからこそ、あのフロリダ・ブラザースもやれたのだろう。
 こうした中、CIMAは言う。
「上には望月、ライガーがいて、下にはニュー・ハザードがいる。俺やGammaは真ん中の世代や。上の世代のプレッシャーと下の世代の突き上げの中で、俺は神戸ワールドに賭けています。ニュー・ハザードの連中にはやれないことをやってやるし、必ずライガーのオープン・ザ・ドリームゲートのベルトに辿り着く。ドラゴンゲートの年間最大の大会・神戸ワールドのメインがどんなもんか、見せつけますよ」
 他団体との積極的な関わり、様々な選手の台頭…と、変わりゆくドラゴンゲートにあって、この10年間、事実上のエースとして引っ張ってきたCIMA。今、ひとつの正念場を迎えようとしている。
 

21回目の革命記念日

 昨日6月4日は革命記念日。そう、1987年6月4日、天龍源一郎と阿修羅・原が名古屋のシャンピアホテルで握手して天龍革命がスタートしたのだ。当時、私は週刊ゴングの全日本プロレス担当記者。東スポの全日本担当記者だった柴田惣一氏から「今日、天龍さんが馬場さんの承諾を得て、阿修羅と合体したよ!」と連絡をもらったことを思い出す。
 当時の私は25歳。この業界で仕事をして丸7年経っていて、プロレスをわかったつもりでいたし、ちょっと舐めている部分もあった。そんな私に天龍と阿修羅は「プロレスっていうのはな…」ということをリング上のファイトで教えてくれた。どんな田舎でも全力ファイト、試合後はマスコミを交えて酒を酌み交わしながら反省会。本当に24時間プロレス漬けだった。
 天龍革命は取材する私にとってもプライドになった。あの時の熱い気持ちがあるから、45歳になった今も、この業界で食っている。天龍革命は、私にとってプロレスで食べていくということの原点であり、原動力でもある。
 あれから20年。天龍さんの生き方はまったくブレていない。ハッスルに出て、モンスター大将としてHGやRGと戦っている姿を嘆くファンもいるかもしれないが、プロレスに対する真摯な気持ちは何ら変わっていない。その裏では練習を欠かさず、180キロのバーベルを挙げ、常にコンディションを作っている天龍源一郎がいるのだ。
 昨日、久々に天龍さんに電話した。もちろん天龍さんも革命記念日を憶えていた。私的な会話なのでここでは控えさせていただくが、天龍さんの言葉はいつも深い。折に触れて励ましてくれる。私にとって取材対象としての天龍源一郎、人間・嶋田源一郎に出会えたことは大きな財産。プロレスラー、天龍源一郎が終焉を迎えるその時まで、天龍番記者であり続けたいと思う。

全力全心

 昨日は後楽園のDDT7大タイトルマッチに行くべきか、埼玉県吉川の健介オフィスのホームタウンマッチに行くか、悩んだ挙句に吉川へ。今年に入ってからDDTの後楽園は欠かさず観ていただけに残念だったが、ホームタウンマッチ=道場マッチがどんなイベントなのか、実際にナマで観ようと思ったのだ。
 道場でイベントを開催するというのは、いいアイデア。選手とファンの距離が近くなるし、その地域の活性化にもなる。本来は健介の誕生日でもあり、道場のお披露目でもあった8月4日にやりたかったというが、健介の左眼窩底骨折のために、ようやく昨日実現できた次第。
 観客は230人。イスがなく、スタンディング形式の客席だから、もっと入れることもできただろうが、初めてのことだし「お客さんの体調が悪くなったら…」という配慮から、この数に抑えたと北斗社長。チケットはすぐに完売したし、わざわざ福岡から来たファンもいたのだから凄い。
 さて、プログラムは北斗のトークショー、プレゼント付きのクイズ・コーナー、旗揚げ戦DVDのダイジェスト上映、最後にファンが決定する6人タッグ(健介&小原&なまずマン=ご当地・吉川にちなんだマスクマンVS勝彦&AKIRA&菊タローに決定)というシンプルなもの。試合が1試合だけにチケットを買ったファンが満足できるかどうかが注目だったが、トークショー、クイズ・コーナーを北斗が絶妙なトークと気配りで盛り上げてアットホームな空気を作り、そして試合では6選手が20分以上のファイトを繰り広げたのだから、まずまずだったのではないか。道場の中だからリングとお客さんは至近距離。リングサイド以上の迫力を味わえたのではないかと思う。
 さて、今後の健介オフィスのスケジュールだが、9月1日にディファ有明で第2回の自主興行。ここではパワー・ウォリアーが7年ぶりに復活し、山口竜志が諏訪魔相手にデビューすることも決まった。
「俺も含めて、みんなが夢を見たいんだよね。そのためには戦いの場を作らないと。でも見栄を張らないでコツコツと確実に…。今現在の自分たちを見ると、ディファ有明がベストなんじゃないかと。でも夢は夢でしっかり持っていきますよ。全力全心…力も心も思いっきりいくから。この体が動く限り、夢を追いかけて掴んでいきますよ」
 と健介。全力全心。いい言葉だ。
 なお、健介のパワー・ウォリアーに対する強い思い入れについては水曜日更新のプロレスコラムで改めて書きたいと思う。